21.南の国の呪いの姫と宝石と人助け①
「休みだー!」
甲板の上で伸びをするマクスウェルは、風を感じながらそう叫んだ。
波を切り青い海を進むのは、ヴァーミリオン家所有の高速帆船である。いつもより軽装の彼は、実ににこやかだ。
この時期は天気も安定しているので、日程の全日が本日と同じく晴天で波も穏やかになるらしい。それがマクスウェルの機嫌を更に良くしている。
「仕事だろう」
「今はまだ仕事中じゃないからな! 俺は全力でこの大海原を満喫するんだ!!」
実際、船が目的地へ着くまでは五日程掛かる見込みなのだ。だったらもうそれまではバカンスみたいなものだろうと、マクスウェルはそう言い切ったのだが。真面目なレイナードがズバッとその気分をぶった斬った。
「外交はバカンスじゃない」
「分かってるよ、言ってみただけだよ……。いいだろたまにはそんな外交があったって」
そんな男二人のやりとりに、くすりと軽やかな笑い声が混じる。
「お疲れみたいね、マクスウェル」
レイナードに同行するクラベルだ。
マクスウェルは大袈裟に肩を竦めると、これまたわざとらしく顔を歪める。
「分かってくれるか、クラベル嬢。実はそうなんだよ。それもこれもどっかの補佐官殿が、週の大半妹のところに入り浸って出仕して来なくなってな。そのせいで俺の作業量が倍増して」
「マクス。僕は別に、二週に一度にしても困らないんだが」
「うーん、なんか急にやる気が出てきた。外交頑張ろうか」
「それがいい」
急に発言を改めるマクスウェルがおかしくて、クラベルはもう一度くすくすと笑った。まったくいつも通りのレイナードの様子が、面白さに拍車をかけている気がしてならない。
マクスウェルがレイナードとクラベルを伴って船旅をしているのには理由がある。
先日、マクスウェルの父であるトゥイリアース王国国王、グレンリヒトの元に、一通の親書が届いた。
差出人はトゥイリアースの南に位置する、エル=イラーフ王国の国王。二国の間の海を越えて届いた親書の内容はこうだ、「我が娘を救う為、最も技術のある魔法使いを派遣して欲しい」。
「魔法使いを……? それも娘を救う為とは、穏やかではないな」
グレンリヒトは眉を顰める。が、内容が内容だけにすぐに行動を起こした。魔法天文台に居るというアルベルトを、王城に呼び出したのである。
アルベルトはリリアンを案内中だったので渋ったが、例の如くリリアンがちらりと視線を投げ掛ければすぐに応じた。
そうしてアルベルトが城に到着するまでの間、グレンリヒトはマクスウェルとレイナードも部屋に呼び寄せる。
ちょうどその日は、たまたまレイナードの婚約者であるクラベルが、隣国フィリルアースから遊びに来ていた。クラベルなら大丈夫だろうとマクスウェルが誘ったが、彼女は最初は同席するつもりはなく固辞していた。それを、グレンリヒトの方から同席するようにと言ったものだから、クラベルだけでなくレイナードも目を丸くする。
「それでは、一体何の御用で?」
「うん、それがな」
グレンリヒトは、エル=イラーフ王国と自国間で行っている貿易について視察するよう、息子へと言い渡した。レイナードは補佐として、クラベルを伴ってマクスウェルに着いて行くように、とも。
けれどもその内容にマクスウェルは首を傾げた。
「なんだってまあ、この時期に」
今は農作物の収穫の少ない時期で、取引量は常時より減っている。確かにこういう時の方が話はし易いだろうが、だからと言ってあえて今やる必要があるかというと、そうでもない。なにせエル=イラーフ王国との付き合いは長く、互いの国に置かれた貿易は王家の肝入りで取引を行っている。
そういうわけなので、不正は起こり得ないし、要望はお互い包み隠さず言い合うから、大きなトラブルはそう起きないのだ。
しかも、レイナードだけでなくクラベルも連れて行けと言う。それらがどう関係するのか分からなくて、レイナードとクラベルは顔を見合わせている。
「なにか問題でも?」
「いや、そういうわけじゃない。そっちはまあ、ついでだな。あとは、これも理由のひとつだ」
言ってグレンリヒトはぱさりと資料を机に放った。
「これは……」
マクスウェルはそれを拾い上げて目を通すと、途端に眉を顰めた。
それを怪訝に思ったレイナードが様子を窺うようにしていたので、マクスウェルは資料を手渡してやる。するとすぐ内容を把握したレイナードも、眉間に皺を寄せた。クラベルもだ。
「〝インビジブル〟の連中がエル=イラーフへ渡ったと?」
資料には、それらしい三人組の姿が見られたとあった。が、グレンリヒトは腕を組み、ふー、と長く息を吐いて首を捻る。
「いいや。単なる可能性だ。それは向こうから送られてきたものでな、どちらかというと俺は陽動ではないかと睨んでいる」
「連中が、あえて目撃させた……という事か」
「そうだな。でなければ、わざわざ身を晒すような真似をする必要はないんじゃないか。お前、連中と会っているだろう。どう思う」
言われてマクスウェルも腕を組んだ。
「確かに、用心深い計画を練る連中だとは思いました。そうと分かる形で姿を見せるというのは、考え難い気がする」
「やはりそうか」
「ええ。ほとぼりが冷めるのを待って機を窺うというのは十分にあり得るでしょう。それの下準備なのでは」
息子の言葉にグレンリヒトはうむ、と頷く。
「他の将軍らも同意見だ。そこで、視察ということでお前達にはエル=イラーフへ渡って貰いたい」
「承知しました」
「それと、もうひとつ頼みがある……というか、どっちかと言うとそちらが本命というか」
「は?」
組んでいた腕を解くと、グレンリヒトは渋い顔でそう言った。煮え切らないような、なんとも歯切れの悪い言い方だ。どうした事だろうとマクスウェルが首を傾げると、従者がやって来てなにかをグレンリヒトに囁く。グレンリヒトが頷くと、がちゃりと扉の開く音がした。
それでマクスウェルは、本来の頼みというやつの当事者がやって来たのだと悟ったが、振り返った先にいた人物を見て、開いていた目を閉じた。
「兄上、何か用か」
そこに居たのはマクスウェルの叔父、アルベルトであった。
厄介事の気配がする。
つかつかと部屋を進むアルベルトは当然のようにリリアンを伴っていて、呼ばれたという立場だからか尊大な気配を纏っていた。
彼はリリアンをソファに座らせると侍女を呼び、お茶の準備をするよう指示を出す。リリアンはそれを眺めているが、同じ部屋にマクスウェルにレイナード、そしてクラベルが居る事に驚いているようだった。
やれやれ、とグレンリヒトは息を吐くが、それは表に出さないようにした。少しでもアルベルトに話を聞いてもらうためだ。
「よく来てくれたな、アルベルト。実はお前にしか出来ない頼みがあって」
「断る」
それを、聞きもせずに間髪入れずアルベルトは断った。
ひくりとグレンリヒトは頰を引き攣らせる。
「いつも言ってるがな、せめて話を聞いてから断れ、お前は」
「聞いても聞かなくても断るんだから、聞かない方がお互い無駄な時間を過ごさずに済んで効率的だろう」
「会話に効率を求めるな!」
何も聞かされていなかったマクスウェルとレイナードは遠い目でうっすらとそれを見ている。
さり気なくリリアンの隣に腰を下ろしたクラベルはあえてアルベルトから視線を逸らしており、リリアンは、侍女が淹れてくれたお茶を頂きながら、あらあら、と眉を下げた。
「お父様、お話くらいは聞いて差し上げませんと」
「むっ」
その声が届いたらしいアルベルトは、ぐっと口元を歪めて黙った。そうして顎をしゃくってみせる。どうやら「話せ」という事らしい。
「いつもの事ながら、どうにかならんのかお前のそれは」
「なにが」
「いや……はあ、まったく」
聞く気になったならそれでいいかと、改めて溜め息を吐いて、グレンリヒトは口を開く。
「エル=イラーフから依頼があってな。末の王女が重篤な状態なので、治療に魔法使いを寄越して欲しい、と」
それに、まあ、とリリアンが声を漏らした。なんて痛ましい、と続けるリリアンの美声に意識を持って行かれたアルベルトは、グレンリヒトの次の言葉を理解するのがワンテンポ遅れた。
「近隣で一番の魔法使いで、しかも身動きが取れるとなるとお前くらいだろう。行ってくれるな」
「……は?」
アルベルトは信じられないものを見る目で兄を見詰める。
「なぜ、私が?」
つい溢してしまったが、それは紛れもなくアルベルトの本心だった。
エル=イラーフ王国の王はヒースと言い、グレンリヒトはもちろんアルベルトとも面識がある。まだ立太子する以前に、彼はここトゥイリアースに留学しに来た事があるのだ。
今回依頼をしてきたのも、その時の縁でだと言う。
が、意外な話で驚いただけで、それを聞いてもアルベルトの考えが変わるわけでもない。
面倒だし、手を貸してやる理由がない。そもそもリリアンの居ない場所に向かうというのが、耐え難い苦痛である。
「リリアンが行くと言うのなら同行しよう。リリアンが行かないのなら行かない」
なのではっきりとそう言えば、グレンリヒトは顔をくしゃくしゃに歪める。
「お前な、いい歳して我が儘言うな」
「リリアンが我が儘を言わないから私が言えば釣り合いが取れるだろうが!」
「何言ってるんだお前」
「そうやってバランスを取ってるんだ、分からないか」
「分からんし、今のお前、物凄く馬鹿っぽいぞ」
グレンリヒトが呆れ散らかした目で見てくるので、アルベルトはちょっとむっとする。
そんなものよりも心満たされるものを見るべきだろう。そう考えたアルベルトはリリアンへと視線を向けた。リリアンは生真面目な表情を浮かべこちらを見ている。素晴らしい集中力だ。
「リリアン、ああ言ってるんだが」
「参りましょうお父様」
「分かった」
「変わり身早……」
リリアンの一言にキリッと表情を引き締めたアルベルトは、そのままグレンリヒトへ向く。そんな顔を向けられても呆れ以上の感情が湧いてこないので、行く気になったのならそれでいいかとそれ以上はつっこみを入れないようにして、グレンリヒトは日程を調整すると伝えた。
言質は取った事だし、リリアンがああ言った以上、大丈夫だろう。なんとかなりそうで良かった、と息をついたグレンリヒトに、マクスウェルがじとりとした視線を向ける。
「父上、もしや」
「ああ。お前達には、あいつのお目付け役も頼みたい」
「仕事三つくらい言いつけてるでしょう」
「そこはほら、ついでだ、ついで」
「ついでとは言うけど、本命がヤバいんですが?」
息子の言葉に、だって、とグレンリヒトはまた顔を歪める。
「いくらリリアンがついているとは言え、あいつを単身行かせられると思うか? あいつ個人が行くならそれでもいい。だが、今回のこれは立派な公務だ。国として応じた事に適当なことをされては敵わん」
「それはそうだけど」
グレンリヒトはマクスウェルの言葉を遮り、更に畳み掛ける。
「視察はほぼ問題ない、〝インビジブル〟も居るかどうか分からん。実質あいつの監視だけだ。作業は城でになるだろうから、そうそう問題も起きないだろう。しかも滞在中の費用は向こう持ちだぞ。視察のついでに色々見て来るといい」
「……父上、なんか隠してないか?」
声を潜めたマクスウェルは、王としてではなく父としてのグレンリヒトにそう訊ねた。状況は悪くないと説明するも、どうにも必死な様子の父の姿が気になったのだろう。
そんなマクスウェルの反応は当然と言える。グレンリヒトも、自分の心境をうまく説明することができないのだ。
「いや、俺も、大丈夫だとは思うんだ。けどなんだか、何かが起こりそうな気がしてならなくてな……」
むう、と唸りながら腕を組む。
「俺が行ってもいいんだが、シエラに止められた」
「それはそうでしょうに」
マクスウェルは呆れた声を出したが、グレンリヒトが不安に思うのも無理はないだろう。その気持ちは理解できる。
なにせ、あのアルベルトの事だ。言われるまま役目を果たすかと言われると、絶対にやらないと断言できる。国内だけでならまだしも、国外ではやって欲しくない。しかも今回の場合、人命に関わるのだ。
これはもう断れないだろう。だったらもういっそ、マクスウェルは割り切ることにした。父の言う通り、ちょっとしたバカンスのつもりで過ごそう。実際、視察の結果なんかを作るのは部下達だ。マクスウェルはそれをちょっとまとめるだけ。それだけで済むのだから安いものかもしれない。
そんな風に気持ちを切り替えるマクスウェルの隣で、レイナードが眉間に皺を寄せている。
「僕らも同行を?」
するのか、とマクスウェルを責めるような語調で呟く。
「言わなくてもするだろ、お前は」
「リリーが行くと言うなら」
「じゃあ、いいじゃんか。なにが不満だ?」
「不満、というわけじゃないけど。ベルを巻き込む理由が無いだろう」
レイナードがそう言うので、マクスウェルはクラベルへ視線を向ける。クラベルはのほほんとお茶を頂いていた。
「あら、わたしは全然構わないけれど?」
「ベル、騙されるな。きっとリリー達とは別行動になる。リリーと居られると思っているなら期待しない方がいい」
それにリリアンが反応する。グレンリヒトとマクスウェルとの会話は彼女の耳には届いていなかったようで、クラベルが同行するという言葉に瞬いていた。
「お義姉様も、一緒に行かれるのですか?」
「そうよ、リリアン。よろしくね」
「まあ! それは賑やかになりそうね」
事情が事情とは言え、滅多にないクラベルとの旅行はリリアンの胸を躍らせた。つい声が弾んでしまう。
そんなリリアンを見るレイナードは、やはり憮然とした表情だ。レイナードの不満はリリアンにあった。クラベルが同行するとなると、レイナードと二人きりの時間が確実に減ってしまう。
それこそが不満の原因なのだと気付いているのはクラベルだけだった。彼女としては、数少ない機会を見過ごすわけにいかないから必死である。当のリリアンは、クラベルと海外へ出掛けられるのを喜んでいるようだった。
「監視の目は一人でも多い方がいいだろ。悪いが頼んだ」
リリアンに気を取られているアルベルトに聞こえないよう、グレンリヒトは囁く。それに、レイナードとマクスウェルはなんとも言えない顔を見合わせた。この二人も言いようのない不安を覚えているのだ。
「何事もないといいけど……」
「うん、まあ、うん。できる限りの前準備は、しておこうぜ……」
出発前から胃をキリキリさせるマクスウェルだった。




