幕間 ヴァーミリオン領にて
年末までひと月、となった頃、ヴァーミリオン領の屋敷に一通の手紙が届いた。差出人はベンジャミン、連名でリリアンの名があり、もしやと思って広げれば、やはり落胆する事が書かれていた。
「なんだ、せっかくの年末だと言うのに、リリアンは帰って来んのか!」
「まあ。それは残念なこと」
手紙の内容に眦を吊り上げる体躯のいい老齢の男性と、その声に眉を下げる同じく老齢の女性。男性の方はゴットフリートと言い、トゥイリアース王国の先王である。女性の方はフリージアという名前で、ゴットフリートの妻。つまり先の王妃だ。
先王ゴットフリートとフリージアの夫妻は、王位を息子夫婦に譲ると、このヴァーミリオン家の離れに移り住んだ。トゥイリアース王国では決まった王家の隠居先、というのは無いから、引退すると好きな場所で終生を過ごす。あちこちを転々とするのも自由な気風も相まって、いつかの代には国中に別荘がある始末だった。それらの屋敷は残っていたり解体されていたり、転売されていたりとこれまた自由であった。
ゴットフリートとフリージアがこのヴァーミリオン領を選んだのは、ひとえに王都に近く便利な場所だからだ。アルベルトが領地に施した魔改造は、万人が暮らすのにも当然適している。便利な道具、街に溢れる目新しいもの。王都までは敷地の前の道から一本道だし、とにかく暮らしやすい。なによりリリアンに会える。だから二人はここで暮らしているのだが、そのリリアンは滅多に領地に戻って来ない。年末くらいは会えると思っていたのに、今年は思惑が外れた。がっくりとゴットフリートは肩を落とす。
「あの可愛らしい顔を拝めると思ったんだがのぉ」
と、そう言うが、ヴァーミリオン家の本邸にも、ゴットフリート達が暮らす離れにも、リリアンの肖像画がたんまりと飾られている。一室丸々それに使われている、なんて部屋もあった。なんなら飾りきれず仕舞われているものもあるくらいだ、顔を見るだけなら充分であろう。
けれども、やはりそれだけで満足できるものではなかった。例えるならば、俳優をポスターを眺めるのと劇場で動いているのを観るくらい差がある。ましてや成長期の子供のこと、半年以上会っていなければ、きっと風貌にも変化があるだろう。その変化こそを楽しみたいという二人の思いは、無惨にも散らされてしまった格好となった。つい先日、最新版のリリアンの肖像画が描き上がったばかりで、それは三ヶ月前の姿のもので、愛らしい姿を二人で鑑賞したばかりではあったが、それはそれ、これはこれである。フリージアも夫の言葉に同意して頷いた。
「残念だわ。あの子の成長する姿を見るのだけが、楽しみだと言うのに」
「そうさなぁ」
はあ、とため息が溢れるのも仕方のない事だった。ゴットフリートは、若くして王位を継いだ。その後政敵をすべて排除する事で立場を強固なものにした。その手腕は苛烈の一言に尽きた。そうでもしなければ国を纏められず、また自身の身が危うかったからそうしたまでのこと。だが、多くの血が流れたのは事実だ。それを材料にゴットフリートを批判する声もあった。それを同じ方法で黙らせようとしたゴットフリートを止めたのがフリージアだ。完全な政略成婚であったが、彼女はゴットフリートとは対照的な冷酷さで、王城に満ちる不協和音を相殺していった。その手腕は見事なもので、ゴットフリートはそれで彼女を真に妻と認めたのだ。
そういう生き方をしていた彼らにとって、老後の生活は平和過ぎて刺激が足りないのだ。孫の成長だけを楽しみにするには、平穏過ぎる。かと言って王都に居ても、それはそれで問題があった。老いたとは言え、頭の方はまだ衰えていない。そんな二人が王都に居れば、グレンリヒトの治世に影響を出してしまう。なので結局、離れるしかなかった。離れるはいいが、やはり孫達とは会える距離に居たい。その点ヴァーミリオン領は最適と言えた。当時はまだここまで栄えてはいなかったが、ただ王都に近いというだけで充分だった。マクスウェル、レイナードが生まれて、少し時間を置いてから、ルーファスと、それからリリアンが生まれた。リリアンは二人にとって、初めての女孫だ。しかも両親の良いとこ取りをした彼女の、本当に愛らしいこと。すっかり孫馬鹿になった二人は、それはもうリリアンを可愛がった。生まれてすぐ母親を失ったリリアンの世話をして(ほとんどアルベルトに断られた)、幼いレイナードのケアをして(こちらはほとんど思い通りにできた)、そうして成長を見守っていたのだ。生まれたばかりのリリアンを、アルベルトは領地から、いや、屋敷の敷地から出さなかった。些細な段差でさえ「リリアンが怪我をしたらどうする!」と騒ぐものだから、アルベルトが安全を確認した範囲にしかリリアンを向かわせなかった、というのが正しいが、その範囲はリリアンの成長と共に拡大されていった。それで、王都までの一本街道が出来上がったというわけである。
現在ではリリアンもすっかり大人びており、立派な淑女の一歩手前だ。王家に八つになる王子が居て、なんなら幼い王子の成長を楽しみにしていてもおかしくない。けれども、夫妻の中では、リリアンの存在というのは大きかった。だからこうしてリリアンが帰ってくるのを待ち望んでいる。
「はあ。つまらん」
「今年こそは、プレゼントを手渡ししたかったわ」
「まったくだ。なあ、年末だけでも王都に行かないか」
「それはとても素晴らしい案だけれど、アルベルトが嫌がるでしょうね」
「なんだそんなもん! 無視すれば良かろう。滞在するのは城にすればいいだけだ」
「そういうわけにはいかないわ。グレンリヒトも困るでしょうし、何より新年早々父親と祖父が言い合っている姿なんて、リリアンに見せたら可哀想だもの」
「お前も細かいのぉ。それにしても、あいつにも困ったものだ。まったく、どうしてああなったのか」
「あら、わたくしは安心しましたけれど。あの子も人間であったのね、と。あと気付いてらっしゃらないようですけれど、あの子、あなたにそっくりですよ」
「はぁ!? どこがだ! ちーっとも似とらんだろうが!」
「そういう所ですよ」
フリージアはそう言うと、やれやれ、とカップを持ち上げる。紅茶はすっかり冷めてしまっていた。本格的に寒くなってきたこの頃、これから霜が降りるようになると膝が痛む。そんな祖母を労って、二年前にリリアンが膝掛けを贈ってくれた。そろそろそれを出してもいいかもしれないわねと、冷めた紅茶を啜る。
「にしても、オルオポリスを蘇らせるとはな」
フリージアは夫の言葉に視線を上げた。そのゴットフリートの視線は、足元に向いている。先月に変えたばかりの真っ赤な絨毯は、喪失したはずの希少な織物、それを模した物とされているが、実際は正真正銘、本物のオルオポリス織だ。正当な後継者が存在しており、その人物が生産を任されている。
それを聞かされた時は呆れたものだったが、理由を聞いて納得した。
「リリアンが気に入ったというのなら、あの子ならやるでしょうね」
「そうだなぁ」
ゴットフリートは天井を見上げる。
どうやら、由緒ある品を復活させたかったわけではないらしい。そんな事だろうとは思ったが、その通り過ぎて「やっぱり」としか言葉が出なかった。
「あいつはいつになったら子離れするんだ」
「する気が無いというか、するという発想が無いのでしょうね」
「まったく、しょうのない奴だ」
呆れたように鼻を鳴らすゴットフリートに、フリージアは肩を竦めた。方向性に違いはあるものの、やはり二人には似通ったところがある。お互いに相手が気に入らないのは同族嫌悪だろう。知らぬは本人達ばかりである。
ともかく、新年を可愛い孫と過ごせなくなってしまったから、色々と準備していたあれやこれやが不要になってしまった。その後片付けをしなくてはならない。
「それよりも、あなた。散らかしたままにはしないでちょうだね。いつあの子達が来ても良いようにしておかないと」
「仕方ないな。年末までにはなんとかするか」
「リリアンから新年のカードが届くでしょうから、それを楽しみにするとしましょう。きっとそのうち顔を見せてくれるわ」
「ああ、それは違いない」
うむ、とゴットフリートは頷く。会えても会えなくても、リリアンはいつも手書きのカードをくれる。季節ごと、気の利いた言葉を添えられたカードは、リリアンが好む花や景色がデザインされている。言わずもがな、それ専用に作られた特別性だ。専属の画家の描いたスケッチが使われている。
そこに、美しい整ったリリアンの文字が並ぶだけで完成された芸術作品へと昇華されるのだ。楽しみにもなる。
次のカードには、どんな絵を選んでくれるだろうか。どんな言葉を綴ってくれるのだろうか。それを考えるだけで頰が綻ぶ。
そのカードのお礼には、何を贈ろうか。そう思案しているフリージアの耳に、そうだ、という夫の声が届く。それでそちらへ視線を向けると、ゴットフリートはきらきらとした笑顔を浮かべていた。
「やはり王都へ行って、カードを受け取ろうじゃないか。ついでに、リリアンの部屋に新しく入れたというオルオポリス——ではないな、リリィローズだったか。それを見よう」
「はあ、なんの為に?」
「この絨毯と比べる為だ。リリアンが目を付けたという織物を見比べて見たいと、そう都合を付ける。時間が遅ければ、必然泊まる事になるだろう。なに、屋敷に入ってしまえさえすればこちらのものだ」
「内容が変わっただけでやる事は一緒じゃありませんか。だめですよ、アルベルトが許可するとは思えません」
ゴットフリートは意地でもリリアンに会いたいようだ。それをフリージアは押し留める。新年早々リリアンに気まずい思いをさせたくはないし、何より自分が面倒だ。出来れば間に入るのは避けたい。
それからも、何かと理由を付けては王都へ行こう、と言い続ける夫を、フリージアはばっさりと切り捨てる。いつまで経っても諦めないものだから呆れる。そういう一途(?)な所は、本当に良く似ているなと、彼女は息を吐いた。
その年明け、リリアンから届いたカードには、美しい花畑が描かれていた。それと一緒に花束も屋敷に届く。花束には季節外れの花もあった。今の時期には枯れてしまうはずであるが、瑞々しい状態で纏められていた。リリアンからのカードには、枯れない花束なのだと書いてあった。友人の領地で作られた特殊な加工が施された花束だから、長く楽しめるのだという。会えなくて寂しいけれど、少しでも華やかな気分になって貰いたくて、これを贈ったのだと結んであった。その心遣いに胸が温かくなる。
二人はその花束を、一番長く過ごす部屋の、一番良い場所に飾ることにした。
そこに鎮座する花束を見て、ゴットフリートは言う。
「よし。リリアンに礼を言いに王都へ」
「行きませんからね」
ぴしゃりと言って、フリージアはカードを仕舞い込んだ。
妻に被せる形ではっきりと言われたゴットフリートは項垂れているが、懲りてはいないだろう。やれやれ、とフリージアは首を横に振った。
それから季節は流れ、そろそろ春も終わりに差し掛かったとある日。夫妻の元に待ち侘びた手紙が届いた。差出人はベンジャミンだったが、内容は二人にとっては一部を除き喜ばしいものだった。
「『アルベルト様がアジルテ・ベオに大穴を開けたことで、工事の為に領地へと戻る事になりました。その期間はおおよそひと月。その為、レイナード様とリリアン様も同行されます』……だと!?」
「あなた」
「うむ」
裾を引っ張るフリージアに、ゴットフリートは力強く頷く。
「祭りだァァァァァァ!!」
ごう、と風が吹き荒れるような雄叫びを上げ、ゴットフリートは拳を握り締める。フリージアの方も、いつにも増してぴんと背筋を伸ばして佇んでいる。
「ようやくですのね。いいでしょう、早速取り掛からねば」
「屋敷の中は任せるぞ、フリージア。儂は一狩りして来る」
「ええ、存分に。怪我はしないよう、注意なさって。リリアンが悲しみますから」
「誰にものを言っとるんだ。だがまあ、分かった、気を付けよう。リリアンの涙なんぞ見たくはないからのォ」
と、そう言って、ゴットフリートは供もつけずに屋敷を出て行った。身に付けているのはシャツとズボン、それから長い柄の先に分厚い刃のついた戦斧が一本とたいへんラフである。ただまあ、かつて戦場でもこの装備で渡り歩いているから、大した問題ではない。森の動物を狩るなら充分な装備と言えるだろう。
そんな夫を見送って、フリージアは袖を捲り上げる。高価な絹の服だが、そんな事はどうでもいい。普段から手入れはされているが、それをより一層磨かなければならないのだ。可愛い孫のためなら、膝の痛みや絹の服などどうなったっていい。気合いを入れて、まずは掃除道具を取りに、フリージアは部屋を出る。
ヴァーミリオン領に、賑やかな季節が訪れようとしていた。




