14.愚者は月を欲し天の怒りを買う⑤
トゥイリアース王とヴァーミリオン公に謝罪の書状を出した後、ナルマフ王はすぐにキリウスに命じてヘラスを連れ戻す算段を整えた。王子王女に与えられる小規模の軍ではなく、王が直接指示を与える国軍から編成した部隊を連れてキリウスは王宮を後にした。
ヘラスは己を豪胆だと思っている節があるが、実際には傲慢で、権力と正妃の子という威信を笠に着ているだけの人柄だ。だから、その権力と威信が通じなければ、身動きが取れなくなる。それしかヘラスには無いからだ。
だからこそナルマフ王は危機感を覚える。そんなヘラスが、あの自信の塊みたいなヴァーミリオン公と遭遇したら。何も出来なくなったヘラスが何をしでかすのか、予測が付かない。
トゥイリアースへの書状はナルマフからは数日かかって届けたが、返答は翌日の夜にはナルマフ王の手元にあった。そういうところでも国力を感じるのだが、両者からの返答は「すでにそちらへ向かっています」というもので、ナルマフ王は頭を抱えた。
ヘラスの後を追わせたキリウスからも、頭の痛い報告が次々と入ってくる。ヘラスの行軍の様子なのだが、どうして軍が進む為に新芽の出ている畑をめちゃくちゃにして行ったのか。行く先々の町や村で食糧を強奪するように持ち出し、金さえ払えばいいのだろうと言い捨てる、自国をそんな風に進む王子がどこにいると言うのだ。
幸いと言っていいのか、ヘラスが率いた軍は進みが鈍く、まだ国外へ出て行ってはいないという事だった。ナルマフ王はキリウスを急がせ、なんとか連れ戻すようにと手を尽くした。同時にヘラスがだめにした畑への補修、食糧を奪われた人々への補填を進める。それと、トゥイリアース王とヴァーミリオン公への謝罪の内容についても詰めなければならなかった。そのせいで王宮はかつてない程慌ただしく騒めいている。
「嫌ね。なんの騒ぎ?」
そんな王宮に正妃は顔を顰める。
「なんて品の無いこと。こんな粗忽者ばかりではヴァーミリオン公をお呼びするのは恥ずかしいわ。お前、すぐに陛下に言伝を。荒々しく走り回る愚か者を、王宮から追い出してしまうようにと」
正妃に差し示された側仕えの者は、そんな、と声を上げた。
「その様な無茶は、さすがに通りませぬ」
正妃はその言葉に眦を吊り上げる。
「なにを言うの! このわたくしに逆らうなど!」
「今王宮で何が行われているか、正妃様はご存じないのですか」
「は?」
いつもであれば、この側仕えはすぐに頭を下げ詫びを入れるものだが、この日は違った。真っ直ぐに正妃を見据え、意見してくる。正妃の記憶にある限り初めての出来事だった。
「ヘラス様が、軍を率いて王宮を出られたそうです」
「そう」
それは正妃も知っている事だ。出発の準備が整うまで、他でもない正妃がヘラスを助けたのだから当然である。
驚きもしない正妃に、側仕えは続ける。
「ヘラス様は軍が行くのに道が無いと、農民がせっかく植えた作物を踏み荒らして進まれたとか」
「……」
「農民に文句を言われると剣を抜いて黙らせた。真っ当な人間であれば、まず行わない手段です」
ヘラスを馬鹿にする言葉に正妃はぴくりと眉を上げたが、その場は黙っていた。
「今、王宮は——陛下は、それを正す為動かれております。王宮が騒がしいのはそのため。それを正妃様は、あろうことか妨げようと言うのですか!」
「民が食うに困ると、そういう事ね」
「その通りです」
ふん、と正妃は鼻を鳴らした。
「だから、なんだというの? 少なくともわたくしには関わりの無い事だわ」
「正妃様……!」
顔色を無くす側仕えには目もくれず、そんな事よりも、と正妃ははしゃいだ様子で廊下を進む。
「それよりもヴァーミリオン公がお越しになるの。このままというのはわたくしが困るわ。仕方がありません、王に直訴しましょ」
側仕えがそれを止めようとした時だった。王宮が揺れ、同時に凄まじい音が鳴り響く。どおん、という低い音がしたかと思うと、続いて硬い物同士が激しくぶつかり合うような、そんな音が王宮中に響いた。
なんなの、と正妃が辺りを見回せば、ちょうど正面の窓から問題の箇所の様子が伺えた。
正門の頑丈な扉が消えている。王宮の一部はそのせいで崩れていた。土埃が立ち、がらがらと音を立てて何かが落ちている。
誰もが驚き硬直する中、その土埃がやがて収まると、正妃はきゃあと悲鳴を上げた。それは、あまりにもその場に相応しくないものだ。それで誰もが正妃を驚いて見るが、彼女はそんなものに気付いていない。
「あれは——!」
ぱあっと表情を明るくした正妃は喜色を浮かべ、正門へと向かっていった。
王宮を襲った突然の揺れ、その衝撃は激しく、王宮の奥に居たナルマフ王の元にも届いていた。というよりも、ズン、という衝撃はなんだか近付いて来ているような気がする。
「な、何だ?」
王の呟きは喧騒に飲まれていった。そもそもが騒がしい中で起きた騒動、そこに起きた揺れ。しかも近付いて来るのだ、誰もが辺りを見回し騒然となる。
どおん、という音と衝撃、それが少しずつ近付いてくるというのはどういうわけなのか。見張りの者が状況を知る為か扉の外へ走り出したが、別の者が直後に扉を閉ざした。
「おい、どうして閉めるんだ」
「王を守る為に決まっているだろう!?」
「だがこれでは状況が分からないではないか」
「そうは言っても」
あまりの事に混乱が王の間際でも起きるが、とにかく王を守らねば、と近衛達が動いた。それにはっとした者が次々動き、王の前に集団が出来るが、急に振動と音が止んだ。
それに誰もが訝しんで扉を見詰める。
「一体、何が」
あったのだ、と続くはずだった王の言葉は爆音に掻き消された。一際大きな衝撃と炸裂音と共に扉が吹き飛ぶ。
玉座の間の、堅牢華美な扉は無惨にひしゃげて近衛達を弾き飛ばした。
幸いそれは王の元には届かなかった。王は吹き飛ばされた扉と近衛を見回して、その中に混じっている者の姿に目を見開く。
「ヘラス!?」
そこには、あちこち装備をぼろぼろにした第二王子が転がっている。彼は完全に気絶して伸びているようだ。
ひょっとしたら、扉を弾き飛ばしたのは彼自身かもしれない。扉を失った空間からやって来る者の姿を見て、王はそのように思った。
「き、貴殿は」
まさか本当に、という意味で王はその様に呟いたのだが、彼は己が何者であるのかを問われたと取ったらしい。銀の髪を靡かせて、ふんとナルマフ王に向いた。
「アルベルト・ヴァーミリオンだ」
ナルマフ王も、もちろん近衛達もあんぐりと口を開いて彼を見ている。
その姿はただ美しかった。扉を支えていた柱も壁も、まとめて扉と一緒に破壊され吹き飛んでいる。それを行ったのは彼で間違いない。なぜなら、瓦礫となった石材を纏った風で弾き飛ばしているからだ。今も、飛んだ石が近衛の鎧に当たって、カンッと高い音を立てた。
扉があった空間の先もそれなりに崩れ、破壊されている。はっきり言って酷い有様だ。それなのに、それを行ったであろう彼は、爽やかな風を吹かせ悠然と歩いてくる。風に靡く銀髪が、王宮に注ぐ陽光を受けて輝く。たったそれだけの事に誰もが彼から目を離せなくなっていた。
ヴァーミリオン公の姿は、ナルマフ王が思っていたよりもずっと若々しくて麗しい。その事にもナルマフ王は驚いていた。
「ああ、ほ、本当に……! どうやってここに」
「そんな事はどうでもいい」
そんなナルマフ王の様子はすっぱり切り捨て、アルベルトはすっと視線を逸らす。その視線の先にあるのは、床に伏しているヘラスだ。
「この馬鹿が私の娘に無礼を働いたのを知っているか」
アルベルトがそう言った途端、場の圧力が増した。ごくりとナルマフ王は唾を飲み込む。さっきまで感じていたプレッシャーが酷く重く感じられた。ナルマフ王の全身に重くのしかかる。これは、ただ謝罪をすればいいというものではないと、ナルマフ王は感じ取った。
「そ、それは、確かに」
「手紙の内容を知っているな?」
「う、ぐ、は、はい……」
それなら話は早い、とアルベルトは王に向き、一枚の書状を取り出した。
「リリアンに対するこの態度はとても許せるものではない」
アルベルトはその書状を風に乗せ飛ばす。書状はピュンと音を立てて玉座に突き刺さり、ナルマフ王はヒッと喉を引き攣らせた。
口角が上がっているというのに、アルベルトはとても笑っているように見えない。眼力が凄い。射抜くような視線、という言葉があるが、そんな程度ではない。視線で捻り潰されそうな重圧と執念を感じる。
だがアルベルトは、震え上がるナルマフ王を嘲笑うかのようにすっと視線を逸らした。
「だがまあ、私は優しいからな。そうだな、ミスリル鉱山で手を打とう」
ただ、アルベルトが発している圧力には一切の変わりが無い。玉座の肘置きを握り締めるナルマフ王の手は震えていた。
ナルマフ王は、アルベルトの言葉にごくりと喉を鳴らす。
「それは、どの程度で」
「全部だ」
「全部!?」
ざわり、と騒めきが起こる。ナルマフ王も、そんな、と思わず溢した。
「それは、さすがに」
「そうか? この国が無くなるよりはいいと思うが」
ナルマフ王の額からは汗が吹き出ていた。顔色はすっかり青くなっている。
アルベルトから感じる圧力は、ただの怒りではなかった。更に凄まじい憤怒、殺意が圧縮されたものだ。それを向けられているナルマフ王は知らずのうちに震えていたが、それでも目を逸らす事なくアルベルトを見据えている。
この男の要望を飲まねばならないだろう。直感でそう感じはしたが、その要望をそのまま飲むわけにはいかなかった。
「ミスリル鉱山はこの国の要。それを失えば、この国は事実上消えてなくなります。それをお渡しするわけには」
「知るか」
事実を告げたというのにヴァーミリオン公は素っ気ない。まったく興味が無い、というのが見て取れた。
けれども、だからと言って、受け入れられるものではない。ナルマフ王は玉座からずるずると床に身を伏せる。そうして、ヴァーミリオン公に跪いた。近衛や兵から戸惑いの声が上がるが一切が無視される。
「どうぞ……私のこの首でお納めを」
王はもう、これしか無いとそう覚悟を決めていたのだが、頭上からははん、という笑いが聞こえた。
「それが何の解決になる? 問題を起こしたのはこの馬鹿だ、貴様が死んだところで何も変わらん。そもそも貴様の首なぞいらん。いらんものを寄越されて許してやるつもりはない」
厳しい声と共に、圧力が一層増した。
ひぃ、と喉を鳴らしたのは誰だったか。少なくともナルマフ王ではなかった。王の喉はひりついて、とてもではないが声を出す事なんて出来なかったのだ。
どうにも出来ない、とナルマフ王は思った。
ナルマフ王はヘラスと違い知っていたのだ、アルベルト・ヴァーミリオンという人物を。非常に有能であるが破天荒な所があり、そもそも制御の効かない人物だと聞いた。そんな彼の、最大にして唯一の行動の基準が、愛娘なのだという。
その愛娘に害を及ぼす者は、どんな者でも容赦無く全て排除する。どんな些細な事だって許さないから、決して手を出してはいけないのだと。
それは事実だったのだ、とようやくナルマフ王は事の大きさを実感した。普通に道を行けば、ひと月以上はかかる道のりを、この男はどうやってか数日でやって来た。そしておそらくたった一人で、ヘラスが率いた一軍を退けたのだ。彼の背後には従者らしき男がいるが、その男に手を出させたりはしないだろうなという確信のようなものを感じる。瓦礫を魔法で除去出来るような人物が、気に入らない者を排除するのに他者の手を借りるとは思えない。
はっきり言ってヴァーミリオン公のやりようは異常だった。そこまでするのか、と思わずに居られない。だがそれを見誤ったからこそこの国が窮地に立たされているのだ。ナルマフ王は、もっと強くヘラスを止めるべきだったのだ。それをしなかった時点で、この国の行く末は決まっていたのかもしれない。
ナルマフ王が覚悟を決めなければならないのでは、と心を新たにした時、強く壁に叩きつけられ、気を失っていたヘラスが目を覚ました。彼は激しく咳き込み、それが落ち着いた頃に身を起こして、視線を彷徨わせる。
「ぐっ……こ、ここは」
「ようやくお目覚めか? いい気なものだ」
「何ッ!?」
答える声に反応したヘラスはがばりと身を起こす。そうして、玉座の前でアルベルトへ向け平伏している父親と、それに対峙している侵略者とを見付けた。
侵略者、というのはアルベルトの事だ。ヘラスは少なくとも、国土を侵し自分を傷付けたアルベルトの事をそう思っている。
ヘラスはナルマフ王に向かって叫ぶ。
「陛下。侵略者だ! 国を出ようとしていた俺達を急に襲って来たんだ、こいつが!」
そのヘラスの言葉にナルマフ王はひくりと頰を引き攣らせる。
「ヘラス、お前、何を言っている」
「何を? 何をとは? 俺は事実を述べているまで」
「黙れヘラス、それ以上は」
「陛下こそ黙れとは、それこそ何を言う! こいつはこの俺を足蹴にしたのです、排して然るべきでへぶッ!!」
聞くに耐えなかったので、セリフの途中ではあったがアルベルトはヘラスの身体を風魔法で吹き飛ばした。何の抵抗も出来なかったヘラスは、そのままの体勢で壁に激突した。
「反省の色が見えないな」
アルベルトはふう、と息を吐いた。
ヘラスの事は、王宮に着いてからずっとこうして吹き飛ばして運んでいた。痛めつけると同時に懲らしめてやるのが目的だったが、さんざん叩き付けてやったにも関わらずピンピンしている。その生命力だけは立派だと言えるだろう。
だがそれだけだ。リリアンに対し、無礼な言葉を並べる奴の存在はとにかく許されるものではない。だから一切の手加減はしてやらなかった。よく生きているなと思えるくらいには。
固唾を飲んで、アルベルトを刺激しないようにと息を顰める兵と家臣。アルベルトの方は王の言葉を笑顔で待っている。ベンジャミンはアルベルトの後ろについているが、口出しするつもりもない。王の方は、どうするべきかとそれだけを思案し続けていた。
ごくりと唾を飲む音さえ響き渡りそうな中、その沈黙は突然破られた。
「まあ、まあ、まああ! ヴァーミリオン公、よくぞおいで下さいましたわ!」
正妃が突然入って来たのだ。瓦礫が転がっているのに怪訝な表情を見せたものの、正妃は場の空気を読む事なく、甲高い声で捲し立てる。
「ああ、ヴァーミリオン公、お会いしとうございました。よもやこれ程早くお目に掛かれるだなんて! ヘラスよ、よくやりました。お前ならばやれると思っていましたよ。さあ、ヴァーミリオン公。どうぞこちらへ。わたくしこの時を心待ちにしておりましたのよ。今部屋を用意させますのでぜひ」
と、正妃が従者を振り返った時、アルベルトは突風を起こして彼女を壁に叩きつける。従者が悲鳴を上げ正妃の救護にあたるが、正妃の声は聞こえてこない。
よもや正妃までもが同じ目に遭うとは。というか正妃がこの場にやって来ると思っていなかったナルマフ王は驚きに目を見開いたが、すぐにはっとして、再びアルベルトに向いて頭を下げる。
「どうか……どうか、これまでに」
「ならミスリル鉱山を寄越せ」
「そ、それは、出来ません。ミスリル鉱山を失えば、本当にこの国は滅んでしまう!」
「だから、知らん、と言っている」
むぎゅっとアルベルトの眉が寄る。不服な時によくそうなるのだが、今日ばかりはいつもより深く皺が刻まれている。
「あの糞ガキを野放しにした貴様が悪い」
「ぐっ……!」
殺意を含んだアルベルトの魔力が、ナルマフ王を押し潰そうとしたその時。慌ただしい足音が近付いて来た。
なんだ、とアルベルトがそちらを向けば、聞き覚えのある声が響く。
「そこまでだ、アルベルト!」
そう息を切らしているのは、トゥイリアース王グレンリヒトその人であった。
どうしてここに居るのか、どうやって来たのか。普通はそう思うだろう。だがアルベルトはなんてことないようににこりと笑む。
「ああ兄上、丁度いい。今交渉中なんだ」
「どこがだ! お前、それは交渉ではなく脅迫だぞ!」
何を言う、と不服そうなアルベルト。だが客観的に見てみれば、グレンリヒトの言葉の通りだった。
殺意を滲ませ、魔力で威圧する。圧倒的な力の差を見せつける為、無抵抗だった人間を魔法で吹き飛ばす事で、抵抗する気力を失わせる。その上で要求を飲めと言いつけるのは、交渉ではないだろう。
そう言っても、アルベルトはどこ吹く風でふんと鼻を鳴らした。
「仮にも王族の血筋にある娘を悪し様に言われて放っておくのはどうかと思ったんだ」
「もっともらしい事を言っても無駄だぞ、お前はただヘラスという第二王子を自分の手でボコボコにしたかっただけだろう!」
はあ、とグレンリヒトは息を吐いた。
トゥイリアースのヴァーミリオン領へ急ぎ、アルベルトが作ったらしきトンネルを抜けた。休みなく馬を走らせようやく辿り着いた時には、すでにアルベルトと第二王子との争いは終わっていた。いや、争いであったかどうかはわからない。沼のようになった地面に兵士達が浸かっており、それで何があったのか大体を察したグレンリヒトは王宮へと急いだのだ。
辿り着いた王宮は正門が破壊され、玉座まで一直線でぼろぼろになっていた。もう、言いたい事が多すぎて何から言ったらいいのか、グレンリヒトにも纏めきれない。他所の王宮を壊すな、とか言ったところでアルベルトには通じないし、とうめき声を上げる。
グレンリヒトとしては、ナルマフ王国の第二王子を痛めつけた事よりもトンネルの方が深刻な問題だった。アジルテ・ベオは聖域であって、どこの国の誰もが手を付けてはならぬ場所とされてきた。それを突然、他国へ通じる道を作ってしまった。しかもかなり個人的な事情で。これは弁解のしようがない。
「どうするんだ、アジルテ・ベオにあんな大穴を空けて! 国際問題だぞ、わかってるのか!」
「便利じゃないか」
「そういう問題じゃない!」
そう一喝してもアルベルトに響いた感じはしなかった。その代わり、どうしてかムスッとむくれている。
「このガキが他国へ兵を出そうとしたのを未然に防いだんだが」
「それっぽい事を言って誤魔化すな! 他国へ武をもって入り込んだのはお前の方だろうが!」
「そもそも先に手を出したのはこの糞ガキだ」
「話は聞いてるけどな、やり方を考えろと、そう言っているんだ!」
グレンリヒトとしても、あの書状には眉を寄せた。あまりにもリリアンに対して無礼で、今時あんな王族がいるものなのかと頭痛のする思いだったのだ。グレンリヒトでさえそうなのだから、この娘命のアルベルトならば直接乗り込みもするだろう。しかも王子はアルベルトからの返答に腹を立て、兵を使うという選択をした。これはどうにも愚かとしか言いようがない。どちらがより悪いかというと、それはヘラス王子だろう。
でもそれでは済まないのが政治というものだ。この状況ならきちんと交渉すれば要望も通せるだろうが、ただ脅しているだけなのは交渉でもなんでもない。
けれども、アルベルトは当然、世界情勢なんてものに興味は無い。だから言いたい事だけを言葉にする。
「私はミスリルを貰いたいだけなんだが」
「だから! 言い方!!」
これだもの、とグレンリヒトは声を荒らげる。アルベルトに詫びとしてナルマフ王がミスリルを差し出す。それ自体は悪い事ではないだろう。だがそれで保っている国に対して、全て差し出せというのはやり過ぎだ。まあ、やり過ぎてもいいと思うくらいには、アルベルトは怒っているという事なのだろう。
この効かん坊をどうするべきか、と頭を抱えるグレンリヒトを尻目に、アルベルトは足元に転がっていた剣を拾い上げた。独特の青の金属は間違いなくミスリルだ。この国で生成されたもので間違いないだろう。
魔力を含んだ金属は、その土地の魔力と技術とで仕上がりに差が出る。その点、このミスリルはなかなか良い魔力伝導率をしていた。アルベルトが魔力を通せば、思った通りに変形する。
柄を持ち先端を摘んで魔力を通す。すると、ミスリルの剣はぐにょんと伸びた。かなり純粋なミスリルのようだ。普通は剣に加工するのに鉄なんかを混ぜるから、なかなかこうはいかない。
「いいな、これ」
みょんみょんみょん、と引っ張ったり曲げたりするアルベルト。これ程魔力伝導率の良いものはそう無い。やってるうちに楽しくなって、もはや剣の形状ではなくなっている。
それを冷や汗をかく思いで見ていたのは、剣を取り落とした近衛の者だ。自身に王から与えられた誉れある剣が、うにょんうにょんと形を変えている。青ざめずにいられなかった。
その彼は、ちらりとナルマフ王を見た。視線が合うと王は僅かに頷いてみせる。これは、ヴァーミリオン公の良いようにして差し上げろ、という意味だ。少なくとも彼はそのように感じ取った。なのでおずおずとアルベルトの前に出て一礼をする。
「あの、よかったらそちら、差し上げます……」
「そうか? 悪いな」
かなり気に入っている様子だったので、下手な事を言えば機嫌を損ねる恐れがあった。実際、貰った剣——だったミスリルを、槍のように変形させている姿は楽しげである。アルベルトの後ろではベンジャミンも興味深そうにその様子を眺めている。「これは予想以上で」「な。良いじゃないか」という会話から、彼らのお眼鏡に敵ったのが分かった。
グレンリヒトは、呆れを目一杯ため息に含ませて、盛大に吐き出す。
「はあ。もういい、お前それ持って先に帰っとけ」
「嫌だが?」
「嫌だが!? とは!?」
「ミスリル鉱山を貰うまでは帰らん」
「分かった、なんとかする! だから帰れ、な!?」
もだもだと言い合う二人の姿に、ナルマフ王は俯いた。
(こ、これは……渡すしかないのか……)
どう見てもヴァーミリオン公が引き下がるとは思えない。これ以上不興を買うのは得策ではないだろう。
ナルマフ王はぐっと拳を握り締めた。そして心を決める。例えナルマフという国が消えても、民が生きる土地が無くなるわけではない。国の名前が変わるだけだ。それならばいいではないか、と己に言い聞かせた。元々ナルマフは、行く場を失くした人々が行き着いた集落だった。それを、ミスリル鉱山を盾に周囲に国として認めさせた。祖先はただ、安心して暮らせる土地を欲していたに過ぎない。民が、人々が安心して暮らせるのであれば、国という形にこだわる必要すら無いのだ。だったらいいではないか。鉱山を渡すだけで、この国は国として体裁を保つ事が出来る。そもそも立国時とは異なり、現代は戦乱も無い平和なものだ。ミスリルの武具も対魔物以外では需要が減った。魔道具に用いられる事もあるが、そもそも機構が複雑で高額となるので流通量は少ない。新たな取引相手を探すのもこの数年苦労していたところだった。
それで言えば、普通に取引するにはトゥイリアース王国は悪くない国だった。ただ、アジルテ・ベオを挟んだ向こう側の大国相手では相手にされないのではと思い、取引を持ちかけた事すら無い。それが今回このような形で引き渡す事になろうとは、とナルマフ王は自嘲した。なんとも皮肉なものだ。あれだけ交渉の場を設けたいと思っていた相手が目の前に居るというのに、出来る事といったら平伏すだけ。そうして売り付けようとしていたミスリルを差し出しているのだ。ナルマフ王も、ヘラスを一発殴り付けてやりたい気分に駆られる。
「兄上がそこまで言うのであれば仕方がない。はあ、まったく。あれもダメ、これもダメと喧しいことだ、母親か」
「お前が! 常識的な行動を取らないからだ! 言いたくてこんな事言っとらんわ!!」
思案に耽っていたナルマフ王の耳に怒声が入ってきた。思わず視線を上げると、ヴァーミリオン公は伸ばし切っていたミスリルを再び剣の形に生成し直して、グレンリヒトを向いている。
「先に戻る。だが、絶対にミスリルは手に入れてくれ」
「分かった、どうにかする」
グレンリヒトがそう言うと、アルベルトは渋々、といった様子で帰っていった。
「はあ、ようやく帰ったか」
やれやれ、とグレンリヒトはこめかみを揉みほぐすと、すっと姿勢を正した。そしてナルマフ王に向くと腰を折る。
「ナルマフ王。今回は済まなかった」
その姿を見たナルマフ王は、はっとして再び平伏する。
「いいえ! 元はと言えば愚息がヴァーミリオン公に無礼を働いた為に起きたこと。ヴァーミリオン公にもトゥイリアース王にも申し訳なく」
「まあまあ、そう堅くならずとも」
ですが、と続けようとしたナルマフ王ははっとして、グレンリヒトを別室へ促した。瓦礫の中、立ちっ放しで話すものでもないと気付いたのだ。数人の近衛を呼び寄せ、グレンリヒトを伴い貴賓室へと向かう。
グレンリヒトが案内された貴賓室は、ナルマフ王室を象徴するものであった。ミスリルを用いた調度品ばかりが並べられている。煌びやかな華やかさは無いが、青い光沢は重厚な趣を醸し出す。木材と組み合わせれば、無骨になり過ぎない堅実さが表現された。希少でかつ魔力を通す数少ない金属だ、このように調度品に使われる事は少ない。なるほどミスリルの産地なだけはあると、グレンリヒトはそれらを見渡し楽しんだ。
勧められるままに椅子に腰掛けると、正面に座ったナルマフ王ががばっと頭を下げた。
「これだけの騒ぎとなったのです。あまりにもお二方に申し訳ない。ミスリル鉱山は差し上げます」
ナルマフ王から飛び出たその言葉にグレンリヒトは眉を寄せる。
「もしや、アルベルトの言った事を気にされているのか」
そう訊ねても、ナルマフ王は黙って頭を下げるだけ。やれやれ、とグレンリヒトは天井を見上げた。
「なら、真に受けずともいい。あいつはリリアンの……娘の為に使いたいだけだから、そんなにたくさんは要らないと思う」
「は?」
それはグレンリヒトの本心だ。アルベルトはああ見えて、必要以上の物は欲しない。その後の管理が面倒くさいからだ。倉庫に運ばれた分は、ベンジャミンが各方面に売り捌くだろうが、それはそれで厄介だった。グレンリヒトとしても、西方でほとんど唯一の産出地であるナルマフ王国のミスリルを独占するというのは避けたい。各国からと様々な問題が起こるに違いないからである。
けれども、あれだけ凄んでいたアルベルトの様子から、ナルマフ王は全てを差し出す以外に手段は無いようにしか思えなかった。ぱちぱちと瞬き、グレンリヒトを見上げる。
「ですが、あれ程強く言っておられた」
「まあ、余程腹に据えかねたという事だろうな。あの言いようはあまりに酷い」
暗にヘラスの出した書状の事だ、と悟ったナルマフ王は項垂れる。大体の事は聞き及んでいるが、玉座に突き刺さったものをまじまじと見て、あまりの内容に呆然としてしまったのだ。
「それは……確かに……」
うむ、とグレンリヒトは頷く。
「だから貴殿からミスリルを差し出す、と言って頂けるのは正直有難い。あいつへの謝罪としては、な。とは言え、それでは国が立ち行かなくなるであろう。ミスリルを融通して貰えればそれで良いのだ、最悪金を払って買う。無理はしなくて良い」
「そういうわけには」
前のめりになって懇願するナルマフ王を、グレンリヒトは制した。落ち着かれよ、と言う声は低い。
「貴殿の気持ちは分かった。ただ、俺としては余分に受け取るわけにはいかない。それは貴殿にも分かって頂けると思う。ミスリルを独占する事になるからな」
それは、というナルマフ王の声はか細い。
ミスリルは限られた場所からしか採掘されない。ナルマフより産出される量、これはアジルテ・ベオの西側としては最大の規模と言えた。魔道具の素材としても、また調度品、装飾品としても需要のあるミスリルを、西へ流通する全てをトゥイリアースが独占してしまったら。きっとかなりの批判がトゥイリアースへ向けられるだろう。
悪手であろうが、だからと言って他に差し出せるものはナルマフには無い。どうすべきか、と思案をして、ナルマフ王はゆっくり口を開いた。
「では……生成されるミスリルのうち、二割のミスリルを融通致しましょう。金銭は不要です」
「二割?」
「ええ。月に出来上がるうち、二割は王家の取り分となっているのです」
「なるほどな、それを差し出すと」
はい、と答えるナルマフ王に、グレンリヒトは頷く。
「良いのではないかと思う。それで王家が立ち行くのなら、だが」
「それは当家の問題です。トゥイリアース王にご心配頂くものではありませぬ」
そう言ってグレンリヒトを見返す瞳は、それまでとは打って変わって力強いものだった。
「……これは、失礼した」
「いえ」
ナルマフは、トゥイリアースと比べれば小国となる。とは言え王は王、国を治めているのに変わりはない。ナルマフ王の目は施政者のそれであった。間違いなくこの男も、国土と民を導いてきた者なのだ。であれば問題ないだろうと思えた。少なくともナルマフ王は、愚かではなかったようだ。
「お互い、苦労するな」
「そのようで」
グレンリヒトがそう言えば、ふっとナルマフ王の表情も緩んだ。国は勿論だが、家族というのもどうしようもなく御し難い。王という特別な立場、それを取り巻く環境がそれを更に難しくする。頭痛の種は無限にあると言って良かった。
これが済んだところで、また別の問題が出てこよう。それを思うと自然、二人のため息は重なるのだった。
こうして、ナルマフ王国の危機は去った。王の後継には第一王子のキリウスが立ち、第二王子ヘラスはこの件の責任を取って廃嫡となった。更にミスリル鉱山へ送られ、生涯をそこで過ごすよう言い渡される。無論反発したのだが、正妃も王宮の塔で生涯幽閉となる事を聞かされると大人しくなった。母親がそうなっては、王宮にいても陽の目を見る事は無いと悟ったのだろう。
ミスリル鉱山からの収益を二割も失い、畑も軍に荒らされた事で、王家には相当な批判が寄せられたが、トゥイリアース王国からの助力があってそれも少しずつ収束していく。畑が荒らされた分以上の食糧が格安で運ばれ、ついでとばかりに主要道路の改善が行われたのだ。大きな馬車も通れるようになった為、輸出入がし易くなった。劇的とまではいかずとも、周辺諸国からの便も増え、ナルマフの市場に活気が溢れた。
とは言え、これは今後ミスリルをトゥイリアース王国へ運び出し易くする為の布石に過ぎない。ヴァーミリオン家から融資されたとは知らずに、ナルマフ王はグレンリヒトへ感謝を述べたという。
その融資を発案したアルベルトは、無事ミスリルを手に出来てほくほくと武器開発に勤しんでいた。
「いいぞ、これならば無茶な設計でも良さそうだ。もっと早くに手にしていればな」
「想像より遥かに良い品ですな。西方にばかり流れていたのはお国柄でしょうか」
「単に道が悪かったんだろう。もしくは、商売が下手だったのか」
「この技術は、正直欲しい所です」
「まあそれはおいおいな」
ふんすと意気込むアルベルトは、創作意欲が溢れて鼻歌を奏でる勢いだった。ナルマフ王国のミスリルは、思いがけず他所のものよりも高品質だったのだ。新しい武具の開発に大いに役立つであろう。
なによりも、独特な青い鉱石は美しい。これは装飾品としても価値を生み出せるものだろう。であれば、やはりリリアンに着けて貰いたい。その為ならば、アルベルトは三日くらい寝ずにデザイン案を書き続けるのも苦ではなかった。
「ふはははは! いいぞ、ありったけのミスリルを持って来い。アイディアが溢れてきていくらでも作れる! しかし困ったな、どれもリリアンに似合い過ぎて、どれがいいか決められん」
「リリアン様に選んで頂いては?」
「それじゃあサプライズにならないだろうが!」
と、そういうわけで、結局デザインが決まるまで、五日ほどかかった。
その間一睡もしなくてもピンピンしていたから、アルベルトはベンジャミンに気味悪がられたのだが——それもこれもアジルテ・ベオを行き来して、魔力が有り余っていたからであろう。ベンジャミンはそういう事にしておいた。
魔力と気力が溢れ、昂るアルベルトの高笑いは屋敷中に響いた。しっかりとそれはリリアンの元にも届いていたのだが、人を弄ぶ悪魔のような笑い声に、リリアンはくすりと笑ってみせる。
「お父様ったら、とっても楽しそう。よほどお気に召したのね」
シルヴィアには、とてもではないがそんな弾んだ声のようには聞こえなかったけれども、麗しのお嬢様の言った事であるので、「そうですね」と肯定した。
さすがに夜中にまで笑い声を上げるのは総力を上げて押し止めた。リリアンが起きてしまい、寝不足に繋がるからだ。そう言った途端、ぴたりと口を閉ざし、代わりにニヤリと笑みを浮かべたアルベルトの姿は、なんとも形容し難いものであった。
「アルベルト様。善良な民を騙し、利を奪い取る悪人の笑みを浮かべるのはおやめください」
「しとらんわそんな顔!」
「してるんですよ実際」
というやり取りがあったのを、リリアンは知らない。




