表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/145

11.かわいい子には旅も無理もさせるな⑤


 その日、リリアンはアルベルトに手を引かれ、屋敷の一室にやって来た。最近は行事もなく落ち着いている。特に予定はなかったはずだけれど、と首を傾げて、部屋の扉を開ける。そして部屋にいた人物に驚く。


「まあ。セレスト様!」

「ご機嫌よう、リリアン様」


 すっと頭を下げるセレストに、リリアンも「ご機嫌よう」と笑みを浮かべた。


「どうかなさいましたか? セレスト様がいらっしゃるなんて、珍しい」

「私が呼んだんだ」

「……お父様が?」


 リリアンはアルベルトを振り返る。アルベルトは穏やかに微笑んでいた。リリアンの見慣れた顔だ。滅多に見ない組み合わせに、なんとなく悪巧みの予感を覚えて、リリアンはそのアルベルトの顔を見上げた。それでリリアンの言いたい事が解ったのだろう、アルベルトは笑みを深める。


「実は、新しくリリアンのドレスを作ってね。前にコルセットが苦しいと言ってたろう」


 それは、確かに言った覚えがある。ひと月程前の事だが、シエラとそんな話をした。だがアルベルトにそれを零したことはない。相変わらず自分の事ならなんでも知っているな、と思って、リリアンは「ええ」と返した。


「それがなにか……あっ」


 リリアンもそれで気が付いたようだ。彼女はぱっと父親を降り仰いだ。


「もしや、セレスト様にご協力頂いたの?」

「その通り」


 さすがはリリアン、賢い事だとアルベルトは笑みを浮かべる。リリアンは、そうなのねと今度はセレストを向いた。その表情は、喜びの色が濃い。


「それは、ありがとうございます、セレスト様」

「ええ。とても刺激的でしたわ」


 そう、とても刺激だった、ヴァーミリオン領は。それを思い出してちょっぴり遠い目になるセレストだったが、すぐにそれを正す。


「そのお陰で素晴らしいものが出来ましたの。さあ、ご覧あそばせ!」


 言ってセレストは、ばさっとトルソーに被せた布を取り払い、出来上がったばかりのドレスをリリアンの前に晒してみせた。そうしてそこに現れたドレスに、リリアンは驚き、目を輝かせたのである。



◆◆◆



 アズール公爵家では、定期的にパーティーが行われる。昼間に開催されるそれは社交を目的としたものではなく、この後のシーズンでどういった趣向の衣類が流行となるのか、それを見る為のものだ。ただ単に新しいドレスを見るだけでなく、新規で開発された素材のお披露目でもある。それを用いたもの、それこそが真の目的であった。服飾に関わる者だけでなく、流行を追い求める貴族にとっては何をおいても参加を熱望するものだ。招待状を受け取った者は必ず参加するという、人気のパーティーだった。

 この日お披露目されるのは、初夏から夏にかけて着る事になるであろう新作となる。いち早く流行を取り入れたい身としては欠かせない確認だった。新作の発表はまだかと誰もがそわそわと視線を彷徨わせる。

 やがて、アズール公爵家当主のシュナイダーが現れて、会場が騒めく。その背後に普段表に出ない長女セレストの姿もあって、誰もが驚いた。


「あれは、セレスト嬢?」

「いつもは出席されていないのに、なぜ」

「なにか重大な発表があるのか?」


 そんな囁きが至る所でされていた。

 セレストとしては予想通りだったので意外でもなんでもない。ただ、好奇の目で彼女が見られていることに、父親であるシュナイダーは気を揉んでいるようだ。ちらちらとセレストに視線を投げている。


「お父様、大丈夫です」


 セレストは来賓には聞こえないよう、小声でそう言った。


「そ、そうか?」

「ええ。ですので、開会を」

「う、うむ」


 そう本人が言うのなら仕方ないと、シュナイダーは正面に向き直って開会を宣言する。会場から拍手が湧き上がり、王都でも指折りのパーティーが始まった。

 すぐに新作のドレスの発表が行われる。新しいドレスを纏い、一同の前に現れたのはこの日の為に準備を進めていたモデル達で、彼女らは装飾組合から派遣された者達だ。

 ドレスは昼と夜とでかなり趣が違う。また、成人前と後、未婚か既婚かでも違う。だからシーズンごと新調するとなると、かなりの枚数の準備が必要だった。工房に専属のモデルがいるものではあったが、アズール家で行われるこの定期発表の場ではそれだけでは数が足りない。モデルの派遣要請があるのもいつもの事、この日も入れ替わり立ち替わりで様々なドレスを纏ったモデル達が会場に現れる。

 昨年末に流行の兆しがあった、淡い色合いの布地に豪奢な刺繍を施したものはいまだに人気がある。今年いっぱいはまだ流行るだろうと、注文が殺到しているらしい。今では更に工夫され、複数の色の刺繍をするものが人気となっているらしい。発表されたドレスの半数にその特徴があった。

 大胆にレースを使っているのは隣国で流行り出したというドレスだ。肌を隠さねばならないが、厚手の生地では夏は暑い。日除けと実益、見た目を兼ねたレースが人気となった昼用のドレスだ。腰の後ろに結ばれたリボンまでもがレースとなっているので、目にも涼しげなのが良い。

 男性用の衣類も新しいものが発表されるが、残念ながら既存のデザインに近いものが多い。男性は城へ行くこともあり、そうなるとフォーマルなものの方が便利なのだ。ただその代わりに素材に工夫がされていた。夏に汗をかいても肌に張り付かない、さらりとしたシャツが去年爆発的な人気となった。今年はそれが進化して、いくつか種類が増えたという。また、首元を飾る白いスカーフは結び方の工夫が更に進んだ。それに対応した新しい形状のものが作られ、衣類そのものよりもそちらの方が多く発表された。これはブローチなどの装飾品も合わせて需要が広がるに違いないと、走り出す者もあった。

 そうして次々と魅力的なものが発表される中、ついに最後の新作がお目見えとなるらしい。


「それは、どのようなものなのでしょう」

「実は我が娘、セレストが手掛けましてな」

「おお、セレスト嬢が」


 来賓の一人に問われ、答えたシュナイダーは、言ってからそっとセレストの背を押す。それに頷いて、セレストはすっと一歩前に踏み出した。そしてそこで、腰を折る。


「未熟ながら渾身の作品でございます。ご覧下さいませ」


 そうして合図をすると、彼女らの後ろの扉が開いた。そこは今日、シュナイダーとセレストが現れた扉で、モデル達が出てきたものではない。家人が出てきたものと同じ場所から登場するのは、はっきり言ってあり得ない事だ。

 一体何が起こるのかと固唾を飲んで扉に注目していると、そこから青い光が差し込む。

 きらきらとした輝きが、まず一同の目に入った。眩いそれを見間違える事だなんてあり得ない。


「……リリアン様!?」


 きゃあ、という声は、扉に近い方から小波のように会場へ広がった。嘘、まさか、という声も上がるが、それはすぐに鎮まる。扉を潜り会場に入ったその姿に、誰もが息を呑んだからだった。

 ドレスは、深みのある青。ラピスラズリの色合いのそのドレスは、不思議な形状をしていた。通常、ドレスと言えばスカートは膨らみのあるもので、そのボリュームとウエストの対比とを際立たせるものだ。だが、今リリアンが纏っているものはどうだろう。そのボリュームは一切見当たらない。代わりにぴったりとその体に纏わりついて、肢体を露わにしている。胸元からウエストまでは、よくあるドレスとそう変わりないだろう。ただその直下、ウエストからヒップにかけてのラインが露出しているのだ。

 それは、間違いなく艶やかであった。体のラインを感じさせるそれは、ウエストからスカートとなり、ボリュームを持たせる従来のドレスには無かったものだ。脚の付け根辺りから、ようやく馴染みのある広がりを見せるが、それは従来ほどではない。だが、その尾を引くように流れる美しい裾は、ただそれだけで人々を惹きつけた。ともすれば下品とも思えるそれをそう感じさせないのは、ひとえにそれを纏っているのがリリアンであるから。月の女神とも称される彼女の、美というヴェールが裾から広がるようであった。

 襟はオフショルダーだが、デコルテは黒のレースで覆われている。そこに鎮座するのは巨大なサファイア、それを取り囲むダイアモンド。

 きゅっと引き締まったウエストがなだらかなカーブを描く。腰を過ぎた辺りで埋没するそれは、その先のスカートを惹き立たせていた。自然とそれは、そこから続くであろう両脚を彷彿とさせる。その両脚があるだろう場所は、きらきらと光るもので覆われていた。見れば、それは裾へ向かって光のグラデーションになっている。上の方が薄い水色で、裾の方が濃い青色だった。シャンデリアの輝きを反射しているようで、おそらく石が縫い付けてあるのだろうと予測がつく。だがそれはドレス全体を覆っている。一体いくつの石が縫い付けられているというのだろうか。

 まさしくそれは美しかった。ただ、あまりにも高位の女性が着るには、ボディラインが出過ぎではないだろうかと、誰もがそう感じていた。だが、誰も目が離せなくなっていることは否定できない。

 伏せた銀の睫毛の合間から、首元のサファイアにも負けない青が会場を覗いている。


「マーメイドドレス、と呼称しております」


 と、そこへリリアンの隣に、セレストが並んだ。それで一同ははっとして瞬いた。

 セレストはそんな彼らに、ドレスの紹介を進める。


「裾の広がりが特徴的なこれは、人魚姫をイメージしたものですわ」


 一人の女性は首を傾げ、セレストに問い掛けた。


「人魚姫、とは?」

「南国の伝承にある、伝説上の存在ですわ」

「不勉強で申し訳ありませんが、それはどんな伝承なのでしょう」

「海の中に国があり、そこには人の上半身と魚の下半身を持つ、人魚が住んでいる、というお話ですの」

「人魚?」

「ええ。その海の国に住む人々、それがマーメイドと呼ばれているとか」


 セレストは、リリアンのドレスを振り返る。


「人魚の王には、美しい姫君がいた。それこそが人魚姫で、彼女はその美貌で世界中の海に住む人魚を虜にしたとか」

「まあ。リリアン様にぴったりですわね」


 女性はそう評価したものの、彼女の周囲はそうではなかった。セレストがちらりと見えた範囲でも、迎合するものと怪訝なものと、表情は半々だ。

 そのうち別の女性が、おずおずと声を上げる。


「ですがその、あまりにも……見慣れないドレスですわね」


 その表情はどこか硬い。言わんとする事はセレストにも分かった。このドレスは確かに美しい。リリアンのお陰で魅力は充分、だがしかし、色っぽ過ぎるのだ。

 ただ、女性のその反応は想定していた事である。セレストはにっこり笑んで、彼女を見る。


「ええ。作ろうにも作れなかったデザインを採用しましたの」

「デザインもさることながら、この生地も特徴的では。とても薄いもののように見えますわね」

「これは、画期的なものですわ。女性を悩ませるコルセットを必要としないドレスなのです」

「コルセットを!?」


 途端、女性達の目の色が変わった。内心でよし、とセレストは頷く。


「コルセットがいらないというのは、本当ですの?」

「ドレス自体がコルセットと同じ役割を果たすのですわ。従来のものより格段に締め付けが無い、快適なものとなっておりますの」

「そ、そんなことが……」

「これはかのヴァーミリオン公の発案ですの」


 ほお、という声があちこちから上がる。


「それで、リリアン嬢がモデルをなさっているのか」

「それにしてもお美しい。まるで光り輝くようではないか」

「ちょっと待って。あれ、本当に光っているのではなくて?」

「本当だ、ドレス自体が光っている!?」


 よくよく見れば、縫い付けられた石は、それぞれが淡く光を放っていた。光自体に色があることから、シャンデリアに反射していないのだと分かる。


「これは宝石ではございません」

「宝石では……ない?」

「ええ。魔石です」

「魔石を、ドレスに!?」


 ええ、とセレストは頷くと、放心したように周囲が息を漏らした。魔石は高価なので、普通ドレスに縫い付けたりしない。宝石の方がよっぽど安価で済むし、宝石を好む者の方が多いからだ。


「色が違うのは、魔石の属性が異なるのでしょうか?」

「いいえ。内包する魔力量の違いですわね。これはリリアン様の魔力に反応して、青く光っているのです」

「魔力に反応して?」

「ええ。リリアン様は水属性の魔力をお持ちですから青に。火属性をお持ちの方であれば、赤くなりますわ」

「まあ、それはすごいわ! 宝石ですと同じ色ですが、これは着る方によって色が変わりますのね!」


 とにかく珍しく、そもそもこれほど大量の魔石を目にした事など無い者が大半だ。一人の女性がまじまじとリリアンのドレスを見て、すぐにはっとして姿勢を正した。咳払いをしたのはきっと、不躾だと理解したからだろう。リリアンはそんな事で咎めたりしないので、穏やかに微笑んでいる。


「それにしても、こんなにたくさんの魔石を付けては重くなるのではありません? その、ドレスがずり落ちたりなどは」

「いたしませんわ。魔力に反応して、皮膚にぴったりとくっつくのです」

「まあ……!」


 女性に答えたのはセレストだ。素晴らしいわ、と返してすぐ、女性はとある事に気が付いたようだった。


「ですが……という事は、魔力がなければ着られない、という事ですわよね? わたくし、魔力が少ないので、そういった者は着られないのでは」


 それは、ドレスが形になってから職人が危惧した事だ。セレストは形にするのに夢中でその事には思い至らず、うっかり悲鳴を上げてしまった。魔力の無いものが着られないとなると、販売に影響するからだ。だが、それについてもアルベルトがすぐに解決してくれた。


「胸元に、特製のコサージュを取り付ければ問題ありません。ただその場合、ドレスに縫い付けた魔石を動力としますので、ここまで光りはしませんけれど」


 なるほど、と女性は頷いた。

 セレストは続ける。


「魔石は色とりどりの宝石に置き換える事も可能です。魔力がほとんど無い場合は、ワンショルダーや首元だけレースを使ってハイネックにすれば良いのですわ」

「レース。なるほど、それも素敵ですわね」


 別の女性が頬に手を添え、それからリリアンに向いた。


「リリアン様。実際にお召しになっていかがでしょうか」

「わたくしも、最初はとても驚きましたわ。だってコルセットを着けずにドレスを着るだなんて、初めてで」


 そうでしょうとも、と女性は頷く。


「それなのに、着る事を選ばれたのですか」


 女性のその言葉にリリアンはええ、と返す。


「身に纏ってもっと驚きましたわ。コルセットが無くとも、シルエットがきちんと出ているのですもの。デザインのお陰でもあるのでしょうけれど、こんな事が可能なのねと、そう思いましたわ」

「そうなのですね」


 ほう、と女性はもう一度息をついた。目の前のリリアンが、とても嬉しそうに笑っているものだから、笑顔を間近で浴びた為に胸がいっぱいだったのだ。リリアンがこう言っているのだから素晴らしいに違いないと、彼女はそう思っていた。

 そんな女性の連れは、リリアンの笑顔の余波を受けて息を詰まらせながら、そういえば、とセレストに向く。


「縫い合わせに工夫があるようですけれども、これはどういった組み合わせになっていますのでしょうか」

「伸縮性のある生地と、絹の生地とを縫い合わせてあります」

「まあ。ではその、伸縮性のある生地、というのが、この度の新たな素材というわけですのね!」

「ええ、その通りですわ」


 得意気に笑うセレストに、リリアンも頬が綻ぶのを感じた。

 いつそうなったのか、知らないうちにセレストが主導でこのドレスを作っていた。アルベルトに何があったのかと訊ねたら、どうもアズール家に相談に赴いた際、彼女のデザイン画を見て思いついたらしい。それで色々アイディアが出て、結果セレストがヴァーミリオン領に行ってまでドレスを作ったのだとか。それを聞いた時が一番驚いたが、完成したドレスを見てリリアンは嬉しくてたまらなかった。どう思っているのか本音は分からないけれど、セレストはこれをリリアンに似合うに違いないと、そう思って作ってくれたという。その事がリリアンにとって、何よりも嬉しかったのだ。


「そもそもの原案は、セレスト様のものだと伺っています」


 その想いのまま、リリアンは微笑む。


「それを父が気に入って、手を入れたのだと聞きました。素晴らしい事ですわ、わたくしと同じ年齢ですのに、セレスト様はこんなにも素敵なドレスを作られるんですもの」


 ね、と笑みを湛え、こてんと首を傾げるリリアン。胸元のサファイアが魔石の光で煌めき、それを更に華やかに魅せる。どきん、とセレストの胸が高鳴った。ライバルながら、その様子はとても愛らしい。


「か、閣下の修正が、素晴らしかったのですわ」


 と、頬を赤くしてセレストはふいっと横を向いた。

 それを微笑ましく見守る会場では、様々な立場の女性達がうっとりとリリアンのドレスに魅入っている。


「それにしても美しいわね。リリアン様が美しいからというのはもちろんだけれど、その美しさをより引き立てているわよね」

「ええ。まだお若いリリアン様がお召しになってあれだもの、成人であればきっと……ねえ?」

「そうよね。きっと色香が溢れるでしょうね」


 それに、と一人の女性が扇の奥で囁く。


「コルセットがいらないだなんて、本当に素晴らしいわ……!」


 その言葉に周囲の女性達はうんうん頷いた。


「夏は、暑いし苦しいしで外出もままなりませんもの」

「社交があったとしても、本当に嫌よね」

「リリアン様とセレスト様がお始めになったことであれば、社交界にもそういう風潮ができるかも知れませんわね」

「そうね。これをきっかけに、コルセットが不要な社会になるかも」

「ああ、さすがは公爵家の方々ね。いち早くそれを取り入れられるだなんて!」

「こうしてはいられませんわ。あたくし、あのドレスの発注をお願いして参ります」

「ああっ、わたくしも!」

「わたくしも参りますわ!」


 とまあ、そのようにして、伸縮性のある素材を用いて作られた新しいデザインのマーメイドドレスは瞬く間に社交界に広がり、誰もが求める事態となった。

 これで、苦しいコルセットから解放される。貴婦人達はそう考えて仕立てたのだが、いざ仮縫いが済み試着をした所でとある問題が勃発する。


「あ、あら? どうしてこんなに、くびれが出ないの?」


 そう呟く貴婦人にお針子が困惑するという事態があちこちで起きた。どうして、なぜ、と騒ぎ立てる貴婦人に、正直に答えるわけにもいかず、お針子達はおろおろと視線を彷徨わせる。

 そう、このドレス、いくら伸縮性のある生地を使ったとは言え、コルセットほどの締め付けは無い。コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けないとくびれを作れないような体型では、当然くびれなど生まれようがない。リリアンがあれほどまでに美しく着こなしていたのは、彼女のスタイルが故なのだ。

 自分には着こなせない、と分かった女性達は、次々とドレスを仕立て直した。今まで通りにして頂戴、と言う彼女達の悲壮な背中を、お針子達は忘れないだろう。


 こうして新素材を使ったマーメイドドレスは一時爆発的に売れはしたが、その後は振るわなかった。だがそのシルエットは女性達に受け入れられ、流行となった。多くの女性は、今まで通りコルセットを使って着ていたが、中にはリリアンが着た物と同様の、新素材のドレスを仕立てた強者もいる。彼女らはコルセットを使わずに着られる体型を周囲に知らしめる為に、新素材のドレスを着たのだ。後にその新素材のドレスを着こなせる事が美しい女性の条件であると、そんな基準が生まれるのだが、それはまだ当分先の話だ。

 伸縮性のある生地の方は、医療用衣類に取り入れられ、大いに役立ったという。



 もっともそれらは、屋敷でリリアンの美しさに打ちのめされているアルベルトにはどうでもいい事だった。


「ぬあああああ!! リリアン! ああ! なんて美しい!! 白い肌にサファイアが映える、まさしくリリアンの為だけに存在する首飾りだ、買って良かった! ドレスは正直リリアンには相応しくないのではなどと考えていたが、いや違う、これこそっ……これこそまさにリリアンの美しさを引き立てる素晴らしいデザインだ! 大人の女性を思わせる艶やかなライン、それをこうも美しく出せる女性がいるだろうか、いやいない! リリアンだからこそ着こなせるこのドレス、素晴らしい……なんて素晴らしいんだ! 私は今猛烈に感動している!!」


 がばりとアルベルトは、一番の功労者を振り返った。


「セレスト・アズール。よくやってくれた!!」


 セレストはそれにのけぞって答える。


「こ、光栄ですわ」


 うむ、と力強く頷くアルベルトは、再びリリアンに向いた。当のリリアンはにこにことして、父親の前に立っている。

 アズール家でのパーティーが終わって、リリアンをヴァーミリオンの屋敷に送り届けたのだが、どうしてかセレストも来いと屋敷の中に引っ張り込まれたのだ。どうしたのかと思い部屋に入ると、アルベルトの大讃美会が始まった。かれこれ十分以上、アルベルトは叫び続けている。


「女神で天使で人魚姫だなんて! 最高だ、リリアンこそ至高の存在!」


 拳を握り締めそう言ったかと思うと、突然アルベルトはがくりと膝を地面に突いた。


「ああ……もう……綺麗すぎる……無理……」


 そうしてしばらくの間、俯いて何かをぶつぶつと呟いているかと思ったら、突然ばたんと後ろに倒れた。


「ひゃあ!」


 驚いてセレストは飛び退く。目の前で成人男性が倒れたのだ、セレストの反応は正常だった。

 そうしてすぐ、セレストははっとする。真後ろに倒れたせいで、頭を強打したはずだ。いやそもそも、人が倒れるだなんて一大事だ、すぐに容体を確認しなければとそう思ったのだが、どうしてだかリリアンも、部屋の隅に控えている使用人達も動く気配がない。


「もう、お父様ったら」


 リリアンのその声に、え、とセレストは彼女を振り返る。リリアンは、頬に手を添え困ったように微笑んでいた。

 なにかおかしい。そう思い、恐る恐るセレストはアルベルトを覗き込んだ。

 倒れたアルベルトは、満足そうな笑みを浮かべて目を閉じ横たわっている。両手は胸の上で組まれていた。あの一瞬で咄嗟に組んだのだろう。

 安らかな表情で気絶しているようだ。


「…………」


 どうしたらいいのかしら、と内心セレストが狼狽えていると、後ろから「ガシャン!」と大きな音がした。今度は何、と肩を跳ね上げ振り向いたセレストの視界に、美男の姿が飛び込んでくる。金髪を一纏めにしたその美男は、リリアンの兄、レイナードだ。目を見開く彼は、どうやら手にした鞄を取り落としてしまったらしい。先程の音は鞄の中身が立てたものだろう。


「……リリー?」

「ええ、お兄様。お帰りなさい、随分お早いのね?」

「あ、ああ、父上に呼ばれて、それで」


 首を傾げるリリアンの元へ、レイナードはゆっくり近付く。そうしてまじまじとリリアンを見た。ほう、と息を漏らしたかと思うと……その場に跪いた。


「女神……」


 そうしてそのまま手を組み、祈りを捧げ始めた。

 何が起こっているの、とセレストはその光景を眺めている。

 百歩譲って、アルベルトの反応は分かる。着飾ったリリアンを、アズール家に連れて行く時もほぼ同じ事をしたのを見たからだ。まさかもう一度やるとは思わなかったが、それでも熱量だけは理解しているつもりだったから、そう意外とも思わなかった。だが、リリアンのドレス姿を見たレイナードまでもが、アルベルトと似たような行動を取るとは思っていなかった。驚いて、頬が引き攣る。

 けれども、リリアンの家族は皆、とんでもなく彼女を溺愛していたなと、その段になってようやく思い出したのだ。

 そんな父と兄を前に、リリアンは顔色ひとつ変えず、セレストに言う。


「セレスト様、ごめんなさい。いつもの事だから気になさらないで」

「そ、そう。いつもなのね……」


 やはり、この家は想像以上だ。セレストはそう思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ