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11.かわいい子には旅も無理もさせるな③


 リリアンのドレスの制作の為、セレストはヴァーミリオン領を訪れていた。馬車はヴァーミリオン家のもの、その極上の乗り心地にセレストは感心しっぱなしだった。

 ヴァーミリオン領は、王都から見て北西にある。王都にあるヴァーミリオン家の別邸から伸びる街道をひたすら真っ直ぐ進めば辿り着く事が出来るのだが、その街道は段差のひとつも無く整備されていた。高低差も最小限、橋があっても繋ぎ目を感じないくらいに石畳と一体化している。

 そもそもヴァーミリオン領とは、一本道で繋がっていたわけではないのだという。この街道は、十四年ほど前に整備されたばかりの比較的新しい道だ。その十四年前になにがあったかというと、リリアンの誕生である。


「思い知ったつもりだったけれど……それ以上だわ」


 セレストの呟きには自然呆れが含まれる。つまりこのヴァーミリオン領へ向かう街道は、幼いリリアンが領地と王都とを行き来する為だけに整備されたものなのだ。しかも街道の要所要所に馬車を停め、休憩する為に作られた集落があった。今ではその集落も町と言えるほどに発展しているが、十四年前は井戸と小屋があるだけの場所だったことだろう。セレストの父シュナイダーから聞いていた、「あいつは親の前に馬鹿がつくほどの親馬鹿なんだ。つまり馬鹿(ばか)親馬鹿なんだ。馬鹿だ、馬鹿。馬鹿なんだ」という言葉の意味が分かった。


「お父様が憤激なさるはずだわ……」


 セレストは呟いて、窓の外を眺めた。そこには手入れの行き届いた畑が広がっている。町を形成する家々は石造りだ。ひび割れたガラスなども見当たらず、実に整然としている。

 これが、ただただ愛娘の為だけに造られたとあっては、確かに領主の神経を疑わざるを得ない。

 けれどもそれをセレストが指摘するわけにもいかない。ただひたすらに込み上がる呆れの感情を宥めて、セレストは快適な馬車での旅を続けた。



 馬車に揺られること一日半。セレストはヴァーミリオン領の中心部へ辿り着いた。馬車の中から景色を眺めるセレストは、目を丸くする。


「こ、これは……」


 ヴァーミリオン領の中心、そこは、人で溢れていた。王都の中心街かと見間違うほど洗練された建物の数々。街道には人が溢れていて、実に賑やかだった。

 広い街道の両側には様々な商店が並ぶ。走る馬車からは何を売っているかまでははっきりと見えなかったが、どの店も人がいっぱいで華やかに見えた。それがずっと続いている。

 セレストはぽかんとしたまま、景色が流れるのを眺めていた。

 そのまましばらく進み、人集りがまばらになった辺りで馬車が止まった。御者を務めてくれた男性の手を借り、馬車を降りると、そこには眼鏡を掛けた男性が佇んでいた。


「セレスト・アズール公爵令嬢ですね」


 セレストは男性に頷く。


「ええ、そうですが」

「私はセレスト様の滞在中、世話役を命じられましたドラセナと申します。ヴァーミリオン領の家令を務めております」

「ああ、あなたが」


 それは、出発前にヴァーミリオン家の執事、ベンジャミンから聞いていたことだ。領地に居る家令が滞在中の面倒を見てくれるらしい。

 セレストはてっきり、家令もベンジャミンのように、筋肉質でがっしりした体型なのだと思っていたが、目の前の彼はどちらかというと文官のような出で立ちだった。いや、セレストの家の執事も家令も、文官のような見た目だったから、あのベンジャミンという執事が特別なのかもしれないが。

 ともかく、ドラセナと名乗った家令は、酷い有様だった。眼鏡の奥の瞳は瞼で半分閉じられていて、隈もひどい。猫背気味で、上質な衣類を着ているのにどこかだらしなく見えた。適当に纏められた髪のせいだろうか。


「滞在中、お世話になるわ」

「こちらこそ、よろしくお願い致します」


 ドラセナは丁寧に礼をするが、すぐに顔を上げて、ただ、と続けた。


「この街は特殊でして。お嬢様にはご不便をお掛けするかと思いますが、ご容赦下さい」

「不便があると言うの? この街に?」


 街は、見る限りとても豊かそうに見える。街道は広くて馬車が二台余裕ですれ違えるし、歩道も整備されている。活気のある店がたくさん並んでいて、その雰囲気に気持ちが高揚する。きっと街にも相当の技術と整備が施されているだろうから便利なはずだ。

 だが、彼はそうではない、と言って、懐から銀色の薄い板を取り出した。


「これを、必ず携行して下さい」

「これは?」

「身分証です。街に滞在する為の」


 セレストは驚いて顔を上げる。


「街に滞在する為の身分証? どういう事なの?」

「それは、移動がてらご説明致します」


 言ってドラセナはセレストを促した。言われるまま着いていけば、そこには別の馬車があった。馬車の紋章は間違いなくヴァーミリオン家のもの、どことなく堅牢な雰囲気のある重々しいものだった。


「こちらの侍女がセレスト様のお世話を致します」


 侍女はすっと頭を下げた。それに頷いて、セレストは馬車に乗り込む。その後に侍女とドラセナが続いた。

 ドラセナは馬車を出させると、この街についてをセレストに聞かせる。


「ご存じの通り、当家はリリアン様の為だけに存在します」


 ——いや、違うでしょう。

 セレストは喉まで、いや口の中までその言葉が出かかったが、目の前の男の視線があまりに真剣だったので、口を噤んでいた。


「リリアン様の為の食物、衣類、食器や文房具まで、この街で開発されています。今あるものを改良するのはもちろんの事、中には最新の技術を用いて作り出された、まったくの新しい素材が含まれている」


 ドラセナは半分だけ開いている目をセレストに向ける。


「そういったものの中には、外部に漏れては困るものもあるのです」


 セレストはドラセナの言わんとする事が分かった。


「つまり、機密保持の為ね」

「ええ」


 頷いたドラセナは、窓の外に視線を向けた。


「この街は、大きく分けて三つの区画から成ります。一つ目はここ、商業区画。街の玄関口となる場所ですね。他領や他国からの客人が訪れ、必ず通る場所です。滞在するにはまず役所で身分証明の手続きが必要となります」

「手続き? わたくしはやっていないけれど」

「今お持ちの身分証を発行する為ですからね。あらかじめ発行してありましたので、それは不要でしたから」


 そうなのね、と呟くセレストに頷いて、ドラセナは窓の外を指差す。それを追うと、進行方向の左側に高い塀があったのが見えた。


「二つ目は、研究・工業区画。あの高い塀の向こう側がそうです」

「ずいぶんと高い塀ね」

「ええ。あちらで新素材の開発や、リリアン様の為のものが作られているものですから。ここは原則として許可証を持たない者は立ち入ることができません」

「なるほど……あの塀は防犯目的ということね」

「その通りです」


 ドラセナは姿勢を戻した。


「三つ目は住居区画。今向かっている方向とは真逆で、街の西側にあります。ここは、この街で働く者だけが立ち入ることができます。セレスト様がお持ちの許可証では、全ての区画に入れますが、住居区画は特に用が無ければ立ち入らないで頂けると。住民が無駄に警戒しますので」

「分かりました」


 ありがとうございますとドラセナは返して、視線をセレストの手元に下ろした。


「その身分証が無ければ、研究区画はおろか宿への滞在も出来ません」

「宿にも? それでは貿易をする商人が困るのではなくて?」

「商人には別の滞在許可証を発行しています。まあそれでも、商業区画のみの出入りとなりますが」


 セレストは感心して身分証をかざした。表には、セレストの名前と父親の名前、それと家名が刻まれている。それを保証するのはベンジャミン、承認したのはアルベルトとなっていた。きっとこれは、ヴァーミリオン領では最高峰の連名に違いない。リリアンのドレスの新素材開発ともなれば、それはそれは厳重な情報の制限があるだろうから、当然と言えば当然だった。それをセレストは実感したのだ。

 セレストがなにかをしでかせば、この身分証はすぐに没収されるだろう。アズール家の代表としてヴァーミリオン領にやって来たつもりでいるセレストは、身が引き締まる思いがした。


「徹底しているのね」

「リリアン様の為ですから」

(いやいや、そこはせめて領地の為、とか言うべきではないの?)


 そう思ったが、客人である以上、口を出すものではない。やはりセレストはそれを口にすることはなかった。

 こほん、と一つ咳払いをして、セレストは身分証を握り込む。


「とにかく、分かりました。身分証は肌身離さず持ち歩くようにします」

「ええ、よろしくお願いします。紛失にはくれぐれもお気を付け下さい。再発行しようとすると三ヶ月は掛かりますので」

「……ええ、気を付けますわ」


 おそらく魔法がかけられているのだろう。そんな物を、身分証として使用していることに驚きを隠せない。街は大きく、研究区画だけでもかなりの広さがあると噂に聞いていたので。


(恐ろしい……)


 それを娘の為だけに利用している、あの美貌の公爵に、寒気がする思いだった。

 セレストが身をぶるりと振るわせていると、ややあって窓の外の建物に変化が出始めた。それまでは低い建物が多かったのが、三階建てや四階建てのものが増えてきた。それに伴って人通りも多くなる。建物はどれも大きくて、それまでの店とは様式が違う。

 窓に張り付くようにしてそれを眺めていると、ドラセナが解説してくれる。


「この辺りは開発前からの街並みです」

「開発前?」

「ええ。アルベルト様が街を整える以前ですね」

「ということは、前ヴァーミリオン公ですわね」


 なるほどそれで雰囲気が違うのか。セレストはそう思った。


「新しい区画の建物が低いのはなぜ?」

「その方が建てるのに時間がかからないからですね。急激な開発で、急いで店を出したい者が多かったんですよ」

「そうなのね」


 申請すれば新しい区画でも階層の多い建物を建てることができるらしい。そう言われてみれば、街に入ってすぐの辺りには、二階建てなんかのものもあった。なるほどそういうわけでこんな差が出るのかと、街が出来上がっていく痕跡に触れてセレストは感心した。

 が、すぐに「うん?」と首を捻る。


「ということは、十四年かそこらで、街がこんなに広がったということ?」


 街に入ってからここまで、かなり馬車に揺られている。最初に建物を見てからドラセナに会うまでも、結構な距離があった。そこから馬車を乗り換え進んで来て、ようやく旧市街とも呼べる場所に到着した。その区間がすべて新しく出来たものだという。


「そうですよ。リリアン様のお陰ですね」


 それをドラセナは当たり前の顔をして肯定する。


「そ、そう……素晴らしいわね……」


 セレストは頰が引き攣るのを止められなかった。

 そんなセレストの様子に気付いているのかいないのか、ドラセナは窓の外の様子を見ている。


「あと少し走りますので……おや」


 と、どうしてだか馬車の速度が下がった。やがて完全に停止して、どうしたのかとセレストは首を傾げる。それはドラセナも同じだったようで、元から良くなかった目付きが更に悪くなる。半目だったのが細められると、とても人相が悪い。

 何かトラブルがあったに違いない。そう思っているとやはり御者台へ続く小窓が開けられた。ドラセナが、険しい表情のままそれに向く。


「どうした」

「申し訳ありません。道が塞がっておりまして」

「道が?」

「どうやら揉め事のようです」


 御者の言葉にドラセナはチッと舌打ちをした。


「セレスト様、申し訳ありませんが少々お待ち下さい」

「ええ、構わないわ」


 外へ出るドラセナの姿を目で追うと、人集りが出来ているのが見えた。あまり良く見えないが街並みの観察をするチャンスだと、セレストは窓ガラスを開ける。馬車の外の喧騒がそれでよく聞こえるようになった。

 ドラセナが護衛と共に人集りを散らせると、その中心にいた人物が見えた。おそらく貴族だ。身なりはそれなりだがけばけばしくて、そのセンスにセレストは顔を歪めた。その貴族の男が、別の男に言い募っている。別の男は困り果てた表情をしており、服装から彼は店員なのだろうと推測がついた。彼らがいるのは宝石店の前なので、おおよそトラブルの原因に検討がつく。


「なんの騒ぎですか」


 ドラセナの声がはっきりとセレストの元に届く。突然割って入った声に、けばけばしい貴族がドラセナを振り返る。


「なんだ、貴様は!」


 その言葉には怒気が溢れていた。だが、ドラセナがそれに臆した様子はない。護衛は人集りを抑えるために使って、ただ一人で貴族に対峙している。


「なんの騒ぎかと聞いています」

「無関係の者が口を出すな!」

「私はヴァーミリオン家の家令です」


 静かなドラセナの声に貴族の男が表情を強張らせた。びたりと動きが止まっている。


「で、なんの騒ぎです?」


 ドラセナは顔色を変えず、淡々と店員らしき男性に向いた。冷静な方に話を聞こうということだろう。


「こちらの方が無茶な注文を」

「ほう?」

「な、何を言う!」


 口を挟む貴族の男を、ドラセナは睨みつけた。それから店員らしき男性に向き直す。


「具体的にはどんな?」

「この方と取引をしろと……お断りしたところ、店の者に罵声を浴びせましたので、店からお出しした次第です」

「取引を断った理由は?」

「許可証をお持ちでなかったのです」

「なるほど。それは無理ですね」


 断言するドラセナに、貴族の男は激昂したようだ。勢いを増して叫ぶように声を上げる。


「なぜだ! 好条件で取引してやると、そう言っているのだぞ!」

「商売するには許可証がいります。それは持っていますか?」

「許可証なら、これを」


 貴族の男が取り出したそれを一瞥すると、ドラセナは話にならないとばかりに首を横に振った。


「これは滞在許可証です。物の取引には商法取引許可証が必要になる。他国との貿易もあるのなら交易承認証もです。この街で商売に関わる者ならば知っていて当然なのですが」


 あくまで冷静なドラセナの態度に、貴族の男は苛立ちを隠さなかった。だが、言っていることは理解しているようだ。ならば、とドラセナの言葉を遮る。


「ならば、さっさと許可を寄越せ! 私は」

「あなた、ラノス家のゼパンダ様ですよね?」


 が、ドラセナはなぜかにんまりと笑んで、貴族の男を見上げた。名を呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう、彼はぽかんとして目を瞬かせている。


「ヴァーミリオンの心臓部、〝銀朱(ぎんしゅ)箱庭(はこにわ)〟でこの様な振る舞い。閣下が知ればどうなるでしょうね」

「……!」


 そのドラセナの言葉に貴族の男の顔色が変わる。目を見開くその姿は、ようやくここがどこなのかを思い出したかのようだった。それを、愚かな事だと言わんばかりに、ドラセナは続ける。


「この箱庭は閣下の大事な大事なリリアン様の為のもの。許可証を持たない者は、それを掠め取ろうという狼藉者です。外部のあなた方は、リリアン様のおこぼれを頂戴しているに過ぎないのですよ」


 その言葉は馬車の中のセレストにも聞こえていた。ひっ、とセレストも息を呑む。ドラセナの言っていることは、セレストからしてみれば異常だった。けれども、ヴァーミリオン家の者、いや、アルベルトからしてみればそういう事なのだろう。

 あの(むすめ)命の男が、狼藉者をただで赦すだろうか。そんなはずはないとセレストは思った。セレストは身をもって知っているのだ、リリアンに害を及ぼす存在をアルベルトが赦すはずがない。


「無事に自領に帰りたいのであれば、諦めるか大人しく手続きするか……どちらかを選ぶのをお勧めいたします。手続きならば、この先にある役所へどうぞ。新規の申し込みですと、半年はかかりますがね」


 大通りの先を指差してから、ドラセナは振り返った。


「待てないのであればお帰りを。希望者は掃いて捨てるほどいますので、ラノス家に申し込んで頂かなくとも当家としてはまったく困りませんから」


 では、とドラセナが馬車の方に戻ってくる。慌ててセレストは窓を閉めて姿勢を正した。ドラセナが馬車に乗り込んだ出発間際、セレストはあの貴族の男の様子を伺った。男は呆然としたように佇んでいる。店員が何がしかを囁いたら、肩を落としてとぼとぼと去って行った。


「多いんです、ああいうの」


 ドラセナの声だ。セレストは視線をドラセナへ移した。


「位があるからと言って、何を勘違いしているのやら。リリアン様より優先されるとでも思っているのでしょうかね」


 にこりと笑むドラセナの瞳の奥には、ぎらりと光るものがあった。


「お待たせして申し訳ありませんでした」

「あ、いえ」


 その笑みが、なんだか怖い。セレストは適当に相槌を打った。と、急に陽が陰る。なにかと思って窓に目を向けると、高い塀がすぐそばにあった。陽が陰ったのはそのせいだ。


「ここから工業区画です。身分証の提示が必要になりますので、ヴァーミリオンの馬車を使用していない場合はお気をつけ下さい」

「ええ」


 馬車が大きな門を潜った。門の左右の門柱は、同時に関所のような役割を果たしているらしい。柱がそのまま受付のような建物に続いていて、区画へ入ろうとする者が皆、流れるようにして向かっていた。セレストは馬車に乗ったままその門を通り過ぎる。ヴァーミリオン家の紋章入りのこの馬車であれば確認は不要と、そういう事なのだろう。

 その工業区画も、セレストの想像以上だった。もっと雑多だと思っていた街並みは、生産品によって大まかに分類されているらしい。衣類なら衣類の素材開発工房と工場、倉庫が一箇所に集められていると、そのように。

 魔道具だけは王都にある魔法天文台(まほうてんもんだい)で開発がされているらしい。それは間違いなく、アルベルトが王都にいるからだろう。

 この工業区画は、さっき通ってきた商業区画とそう広さは変わらないそうだ。


「え? ですが、量産はしていないのですよね?」

「ええ、そうですが」


 なにかおかしいだろうか、と首を傾げるドラセナ。

 それだけの広さで、たった一人のために新たな技術を開発している。その事実に身震いをするセレストに、ドラセナが「着きましたよ」と伝える。セレストが滞在する屋敷に到着したようだ。

 色々と気になることはあるが、とにかくセレストは己の役目に集中しようと気持ちを入れ替えた。


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