050 あなたさえいれば……
「お、お願いだから落ち着いてください……」
一応懇願してみた。それがいかに無駄な行いだろうと、少しでも良心の呵責に訴えてみた。
結果。
「大丈夫ですわ。わたくしは冷静ですから」
真剣な表情で手を大きく広げて、呼吸を乱しつつのたまっている。つまり。
無駄だった。
ちらりと部屋の中を見渡す。部屋の中はアルコールの空き缶が転がっていて、そこに二人の女の子が眠っているだけ。どうしようもない。
ひゅ~と窓から冷たい風が入り込む。
どんなシチュエーションだと思う。
部屋の中、僕以外に三人の女の子がいる。一人は馬乗りで。二人は布団の中ですやすやと寝息を立てている。
異常事態。
そう表現せざるを得ない。
「先ほど……わたくしは後悔をしました」
と、セラさんが言った。
切々とした表情。
「一度、わたくしはあなたに拒絶されてしまいました。なぜ、という言葉が脳裏を支配して悪夢を見たものです。あなたという素晴らしい逸材を諦めることしか出来ないのだと思って。悔しい思いをしたものです。ですが、わたくし……考え直しました。あの本の。わたくしが聖書よりも読み耽った素晴らしい日本の文化の結晶の、あの本を見て。やはりわたくしは何一つ間違っていないということを理解しました!」
マズイ。
とにかくその言葉が僕の頭を支配した。
逃げろとも言っている。
だけど、残念かな。
今の僕はセラさんに腕を取られ、馬乗り。
逃げようがない。誰からの助けもなかった。
「久遠くん」
セラさんはぎゅっと拳を握る。
「わたくし思いますの」
と、僕を見やる。それから、
「久遠くんにはきっとまだ分からない愛の形」
「か、かたち……?」
至って真剣な表情。
「無理矢理な愛っていうのもあると思うんですの!」
「あるかあああああああああああああああああ!?」
絶叫する。するに決まってた。
何を言っているんだこの人はっ!?
それに対してセラさんはあくまで冷静に、しかし情熱的に僕に跨ったまま僕の腕を抑え込む。
万力のような力だ。
「鬼畜なヴァンパイアの少年は、純な少年がたまらなく好きですの!」
「知らん! そんなん知らーん!」
「でも不器用な少年は純な少年を支配することで全てを得ようと思った次第。つまりそういうことですのよおおおおおおおおおおお!!」
「知らんがなあああああああああああああああああああああああああ!?」
気が動転しすぎて関西弁で絶叫していた。
火事場の馬鹿力。
体を回転させて、セラさんの魔の手から逃れる。とにかく逃げなくては。このまま捕まっていては僕の未来はあの本の少年みたいなものになる。
いやや~! 猿ぐつわとかいやや~!
白い液体まみれとか~~~!!
僕は部屋の中を逃げ回る。それに対して床を天井を自在に飛び回って追いすがって、僕を捕えようとするセラさん。
「ひゃお! ひゃお! ひぃやぉおおおおおおおおおおお~!」
ほとんど化け物に近い。とにかく捕まったらアウトというところは生屍人のようなものだ。腐っている物体に捕まると僕も腐る。同類になってしまう。そんなの絶対、や!
本来、僕の身体能力は普通の人間相手ならば負けないはず。それが吸血鬼と人間の差のはず。だけど、人間(少なくとも他の人から見れば)のはずのセラさんは僕をとてつもない執念で僕を追い詰める。
彼女の執念は並々ならぬものがあり、狭い部屋の中で命がけの鬼ごっこが繰り広げられている。
が、狭い部屋の中では限界も近い。
「わっ!」
眠っているクドか栗栖さんのどちらかの足に躓いて転ぶ。それから振り返る。
「ふひひ」
エモノを目の前にして、セラさんは自身の長い舌で口周りを舐める。確信したような笑みを浮かべている。エモノを確実に捕らえられるという。
「さあ」
じりじりと近づいて、
「これを」
手には犬の首輪。
「付けてくださいましいいいいいいいいいいいいいい!」
「いやあああああああああああああああああ!」
絶望に満ちた悲鳴。
全てを覚悟して、目を閉じて。
まさにその時。
「ぐべ!」
いつの間にか起き上がっていた栗栖さんがセラさんの顔面目掛けて思い切りの右ストレートをお見舞いしていた。
「み、みとめ……ませんわ……。く……おん……くんが……おんなのこ……あいてに……乳繰り合う……など……と……は」
訳の分からないことを言いつつ、彼女は前のめりに傾斜。そして昏倒。やがてずしゃっと床に倒れこんでいく。僕は自らを救ってくれた救世主を見上げて、歓喜の声を上げる。
「栗栖さん!」
泣きそうである。
思わず顔が喜色溢れる。栗栖さんはだらりと右手を下げると僕を見やった。
でも……さすがの一撃だった。栗栖さんの言うクルースニクとかいう話を信じざるを得なくなった。さすが! ほんと頼りになる!
と、本気で思って栗栖さんに感謝を述べようとする。
「ありがとう栗栖さん。ほんと~ありがとうだよ!」
そう言って仔犬みたいに栗栖さんに駆け寄った。栗栖さんはなぜか憂いのある表情で僕を見つめる。
だけど今の僕はそんなことに気が付くような余裕はなかったらしい。
ありがとう。
本当に助かったよ。
栗栖さんは頼りになるなー!
とか。
本気で感謝した。
あ、でも栗栖さんは怪我とかしてない?
栗栖さん、体調は?
水とかいる? 栗栖さん。
とか、今度は彼女を心配し始める。
と。
「ふ……ふふ」
栗栖さんがいきなり笑い始めた。
俯いたまま。
彼女は笑っていた。
「かーくん」
と、彼女が顔を下に向けながら話し始める。何だか風向きが悪い。少しだけ不安になっていく。
「な、なに?」
あれ……?
なんだか様子が……?
どうしたんだろう?
「栗栖さん……本当に大丈夫?」
と、僕は言った。
本気で。
心配して。
何気なく。
自然に。
当たり前のように。
が。
「名前」
と、栗栖さんがぽつりと呟いた。怨嗟の声で。
頬に汗がつーっと滴り落ちる。
「あの人のこと……名前で呼んでましたね。セラさんって」
「え、え」
ゆっくりと前傾しつつ、床に転がっていた刀を持つ
明らかに様子が変だ。
怪訝そうに、
「栗栖……さん?」
と、声をかける。
ぷっちん。
何かが切れる音。もしくは幻聴。
すると栗栖さんは満面の笑顔で刀を大きく振りかぶる。
「え、え! ちょ、ちょっと栗栖さん。一体そんなものを構えて何をしようとしているのかな? かな!」
「かーくん」
そして青ざめる僕を見てさらににっこりと笑った。
そして、
「呼んで!」
そのまま刀を振り下ろした。
「りっちゃんって呼んでよおおおおおおおお!!」
「ぎにゃああああああああああああああああああ!?」




