029 クドラクとクルースニクと許嫁と
彼女の名は栗栖梨紅。
栗色の長いワンレングスヘアの柔和な顔立ち。顔立ちだけで言えばただの綺麗な女の子でしかないが、彼女はどこか毅然としていて、綺麗というよりは清楚と言ってしまう方が適切なのかもしれない。清楚が服を着て喋ったらこんな感じなのだろうなと思わせてしまうような物腰が厭味なく彼女自身を表現している。
他の女の子たちと同じ制服のブレザー姿なのに、他の女の子たちと違って見えるのは彼女のS級アイドル並みのルックスが要因であることは間違いない。顔立ちだけでも相当なのに、抜群にメリハリのついたプロポーション。性格は芯のある優しさと秘めたる強さを持ち合わせていて、しっかりしている。
その上、その抜群のルックスを鼻にかけず、驕らず、常に謙虚である。
なのでクラス人気は当然高く、この学校で人気投票を行えば確実に一位であろうと誰もが心の中で思っている。学校の先生にも成績優秀で非行少女ではない彼女のことは高く評価しており、きっとその人気投票には教師投票も多く入れられることになるであろう。
「えっと……もう授業始まっちゃうよ?」
「あ、うん。分かってる」
僕は立ち上がった姿勢から座り直す。
栗栖さんの席はちょうど僕の真後ろになっている。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「なら、いいけど」
栗栖さんは僕の言葉に納得しているのかしていないのか判断しづらい顔で小さく頷く。
内心ほっとした。クドの姿が見えているのかと思ったから。
だけど、どうやら栗栖さんにもクドの姿は見えていなかったようだ。
でもそう考えると僕は誰もいないはずなのに一人でぶつぶつ喋っている危ない人になっているのではないのだろうか?
う~ん、それはあんまりよくないな。
でもだからといってクドが話しかけてきたのに無視する訳にもいかないし。どうしたものか。
「久遠くん、聞いてる?」
と、あれこれ考えていると栗栖さんの僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あ、ごめん。栗栖さん、なに?」
振り返ると栗栖さんは顎に人差し指を置いて、聞くべきか聞かざるべきかを悩んでいるように、
「うん……と、ね」
「どうかした?」
やがて顎に人差し指を置いたまま、その顔を真っ赤にしながらもじもじとして、横を向く。
「あのね」
時折、彼女はこういう顔をする。顔を真っ赤にして、もじもじとしながら僕に何かを語りかけようとするのだ。それも入学当初から一貫して、だ。
しかし僕には心当たりがない。
そもそも僕が彼女に名前を教える前から彼女は僕の名前を知っていたり、僕が彼女の名前を知らないことに怒ったりと、色々と不自然な点がいくつもある。
もしかして僕は彼女とどこかで逢ったことがあるのだろうか。
しかし覚えがない。まるでだ。
子供の頃の記憶があまりないせいで、その頃に逢った友人だの先生だのという顔はこぞって忘れている。
薄情なやつだ。
自分のことだが。
「実はね、その」
何か決意めいた瞳で栗栖さんは僕をじっと見た。
少しドキッとする。
つぶらで大きな瞳は近くで見れば見るほど魅力的で、女子耐性のない素朴な男の子がその瞳でじっと見つめられたら、きっとそれだけで恋に落ちてしまうだろう。
何度か見た瞳だからぐっと堪えることが出来た。
やがて。
「なんでもないの……」
言葉を濁して俯く栗栖さん。
はて。
栗栖さんは僕に一体何の用だったのか。
あの瞳はきっと何かある。そんな予感がビシバシとあったのだが、結局栗栖さんはそこで会話をやめてしまった。
まあ、栗栖さんが「なんでもない」というのならなんでもないのだろう。
「でも……久遠くんもいけないんですよ」
小さな声で栗栖さんがぼそりと、
「どうして……私のことを覚えていないんですか?」
「いや……めんぼくない」
「もう」
頭を掻いて苦笑で返すのが精一杯だった。
「もう約束の日が近いって言うのに」
「え?」
なんでもないです! と言って栗栖さんはぷいっとそっぽを向く。
ぽりぽりと顔を掻いてしばし固まる。
――約束の日?
やばい。正直何の話なのだかまったく分からない!
「はぁ……」
栗栖さんが分かりやすいぐらい大きなため息をつく。
これは本当に思い出さないと失礼を通り越してやばいのではないか?
あまりにも居心地が悪くて僕は逃げるように栗栖さんに背を向けて前を向いた。
「……もう時間がないって言うのに。……それに」
栗栖さんが独り言のように呟く。
そして独り言の言葉よりももっと小さく。
――あの子。
え?
と、僕が振り返るのと同時に、
「カナタ。やっぱり気のせいだった」
クドが教室の扉をすり抜けて入ってきた。
そして、そこでクドが止まる。
見ると大きく目が見開いていた。
視線の先。
それは僕ではなく、僕の少し後ろ。
栗栖さん。
彼女もまた目が見開いて、硬直していた。
一瞬だったが、確実に二人は目と目を逢わせ、
「……っ!」
栗栖さんは立ち上がって教室を慌てて出ていく。
「まて!」
その後をクドが追う。
「え? ちょっとクド! 栗栖さん!」
クドが教室の扉をすり抜ける瞬間。
「来るな!」
と、叫ぶ。
そして、
「これはわたしとあいつの問題だ。絶対に巻き込みたくない。だから来るな!」
「問題?」
クドの声はいつもの子供のような可愛らしい声ではなく、まるで宿命の相手を前にした獣のような唸るような荒々しい声。
「そう。わたしたちで決着をつけなきゃいけない。だから」
最後に、
「来るな」
そう言ってからクドは消えた。




