表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
侯爵様と家庭教師  作者: 秋月 菊千代


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/44

33 最悪の予感


 電報よりも確実に情報を届けたい、とハワードがやって来たのは、チャールズがノースフィールド伯爵家の顧問弁護士と会っている頃だった。


「エディンバラで小包を送った人物を見つけました」


 旅支度をなにもせずにやって来たハワードは、エディンバラで聞き込みをしたその足で列車に飛び乗って来たらしい。

 郵送物の受け付けを担当している人間は交替制で何人もいたので、そのすべてに確認を取るのに時間を食ってしまった、とハワードは詫びた。

 スコットランドの首都であるエディンバラは大きな街で、人口も多いが、顔馴染みというものがなんとなくはある。そんな中に、特徴ある風体なのにまったく見かけたことのない男がいたら、やはり印象に残るものなのだ。


「郵便局員の印象に残っていたのは、その男が、なかなか整った容貌をしているのに、前歯が欠けていて可哀想に――と思ったからだそうです」


 その特徴に、マシューは眉を寄せた。


「……ホルス男爵家の、庭師(ガーデナー)のナッシュ・ワイルドか!」


 恐らく、とハワードは頷いた。


「年齢は二十代の半ばくらいの中背の男で、荷物を持ち込んだとき、かなり上機嫌な様子だったそうです。料金を確かめる為に宛先を確認したら女性の宛て名だったので、恋人に贈り物でもするのか、と雑談を持ちかけてみたそうなんです。そんなところだ、と男は答えて、前歯が欠けた口で笑ったのだということで。それを見て、ハンサムなのに可哀想に、と思って印象に残っていたそうなのです」


 マシューはその庭師には直接会ったことはないが、以前に調査させた探偵の話に由ると、女性に困らない程度には整った容姿をした男で、本人もそれを自覚して女性に声をかけることが多かったという。そんな彼は三ヶ月ほど前に、襲おうとしたリュネットから反撃に遭い、打ち所が悪く前歯を欠けさせているという話だ。

 男性の郵便局員から見てもハンサムだと感じたのなら、その男は行方の知れなくなっているナッシュ・ワイルドで間違いないだろうと思われる。そんな特徴が一致している男が、そう何人もいるとは思えない。

 これは大きな手掛かりだ、とマシューは拳を握る。


「ご苦労だった、ハワード」

「いいえ。こんなにも時間がかかってしまいまして、大変申し訳ございませんでした」

「なにを言う。あの大きな街で、ほんの一週間ばかりで手掛かりが見つかったのだから僥倖だ。詫びる必要はまったくないよ」


 頭を下げるハワードの肩を叩き、労いの言葉を重ねる。

 こうなってくると、行方の知れなくなっているワイルド本人を見つけ出す必要性が増してくる。リュネットに対して出した傷害の被害届を取り消させるのよりも、この事実をワイルドに確認し、証言させることの方が重要だ。彼から証言が得られれば、窃盗の方の訴えも取り下げられるだろう。


 ふと、ハワードはあたりを見回す。


「そういえば、バーネットはどうしたのですか? 姿が見えませんが……」


 マシューの身の回りの世話をする従者としてだけではなく、仕事上の秘書的な役割を担って控えている筈の青年の姿が見当たらず、怪訝に思う。主人の補佐役でもあるのに席を外しているとは、職務怠慢ではないか、とほんの少し眼鏡の奥の瞳を険しくした。


「大事な遣いに出しているんだ。心配するな」


 ハワードの珍しく尖った口調に、マシューは苦笑する。


「いくつになっても、やはり異父弟(おとうと)のことは心配か?」


 ほんの少し揶揄いを含んで尋ねると、いいえ、と家令はすぐに首を振った。


「あれが十三のときからわたしがきっちりと仕込みましたから、そういった意味では案じておりません。何処に出しても恥ずかしくない男だと思っております」


 はっきりとした口振りに、だろうな、とマシューも応じる。

 家庭の事情で離れて暮らしていた異父弟の面倒を見ることになったハワードは、お前は軍隊の上官か、と思えるほどに厳しく躾けていた。礼儀作法や言葉遣い、立ち居振る舞いのすべてを教え込み、何処に雇われても恥を掻かないマナーを身につけさせていたのだから、主人の遣いで一人旅などどうということはない。

 二人はあまり親しくしているところを見かけないが、お互いにお互いが自慢の兄弟なのだ。そんな二人の信頼関係が、男兄弟のいないマシューには少し羨ましく感じるときがある。


 そんなバーネットがこちらを発ってから既に六日が過ぎている。そろそろ戻って来る頃だろうとは思っているが、その前にすべての片をつけられているといいのだが、とマシューは思った。

 用を済ませたハワードはこのまま筋斗(とんぼ)返りをすると言うので、さすがに大変だろうからと引き留めようと思ったが、なにも言わずにロンドンまで来てしまったので、屋敷の者達に心配をかけるといけないから、と丁重に断ってくる。それならば仕方がない、とマシューも引き下がった。

 丁度リタも戻るところだったので同行するように指示し、駅までの馬車を手配して別れた。


 そのハワード達と入れ替わりに、スターウェル親子の動向を探らせていた探偵がやって来た。


「ご連絡が遅くなりました。伯爵は三日前と昨夜と、ハウス警部と接触しています」


 開口一番告げられたその報告に、マシューの心は僅かに弾んだ。


「本当か?」

「はい。三日前の晩はごく短時間で、ご報告に至るまでの成果がありませんでしたので、保留に致しました」

「昨夜は?」

「別々に店に来ましたが、夜の八時から十一時まで、ソーホーにある労働者階級の者が集うパブで飲んでいました」

「話の内容はわかるか?」

「はい。基本的には金の話をしていました」


 二人は酒とつまみを注文したあとは店の隅の方でひっそりと話していたのだが、運よく彼等のすぐ後ろの席が空き、会話を傍聴するのに最適な場所を確保出来た。

 会話の内容はあちらこちらへといっていたが、要約すると、どちらも金に困っているという話だった。


「伯爵は随分前から金策に困っているらしいという噂がありました。原因がなにかはまだ調べている途中ですが、その噂によると、共同経営している工場で不渡りを出したとか、発注ミスが重なったとか、共同経営者が金を持ち逃げしたとか……とにかく、いろいろな話があるのですが、どれも経営が危ういらしいという一点に通じます」


 先々代ノースフィールド伯爵が購入した郊外にある広めの屋敷も、三年ほど前に売りに出されたのは事実だ。今は市街地にあるアパートをタウンハウスとしている。

 ロンドンのタウンハウスは社交シーズンの間しか使われないのだし、先々代の道楽で購入して不必要なほどに広く、維持費が無駄だと売り払ったのだということだ。倹約家ではないが、無駄遣いはよろしくない。少し手狭になるが、繁華街にも近い便のいい場所にアパートを購入したので、なにも問題はない、と豪語していたのを遠くで聞いた覚えがある。ドナルドは声が大きいので、酒が入ると離れていても会話の内容が筒抜けになるのだ。

 そういう事情があったのか、と納得する。

 確かに領地の屋敷の方を維持した方が体裁はいい。そちらを売りに出せばすぐに噂になるし、陰で笑われるのも目に見えている。それが社交界というものだ。


「ハウス警部も金に困っています」


 探偵は報告を続けた。


「彼の金欠の原因は、主にカードの賭博です。その所為で十年ほど前に妻子にも見捨てられています」


 酒も煙草も控えめだが、賭け事と暴力だけはやめられないらしい。給料をほとんど賭け事に注ぎ込むので、これでは生活が出来ない、と嘆く奥方に暴力を振るっていたのは近所では有名な話だったとか。

 長男が十八になった年に母親と妹を連れて出て行って以来、ハウスは一人暮らしになり、更に賭博に金を使うようになった。それ故に、彼はいつも金に困っている。借金もそれなりにあるらしい。


「警察官が賭博で金欠とは……世も末だな」


 マシューは呆れ果てて呟いた。まったくだ、と探偵も同意する。


「金に困った者同士、なにを企んでいるのやら」


 リュネット一人を罠に嵌めても金には変わらないだろう。錬金術師でも無理だ。なにを考えてこんなことをしたのかがわからない。

 しかし、今まで尻尾を掴ませなかった二人が、ここに来て少しずつボロを出し始めている。これは好機だ。今のうちに探れるだけ探り、追い詰められるだけの判断材料と証拠を掻き集めたい。

 その意見には探偵も同意らしく、既に仲間を使って動いているということだ。早ければ二日以内に的確な収穫を得られるかも知れない。


「それと、気になる言葉がひとつ……」

「どんな?」

「週明けだ、という言葉です」


 いつになる、と尋ねたハウスに、ドナルドがそう答えたのだという。

 その前後の会話は残念ながらよく聞き取れず、なにを意味しているのかはわからずじまいだ。それでも、週明けになにか実行しようと企んでいることだけはわかった。


「あと三日――いや、二日しかないな。なにをする気だ?」


 わざわざ確認し合っていたということになんだか嫌な予感がするが、なにかわからないので対処のしようもない。


「わかりません。わたしもこれから出ますので、なにかわかり次第すぐご報告に」

「ああ、頼むよ」


 探偵は頷いて身軽く立ち上がると、そのまま素早く立ち去った。時間が惜しいらしい。

 いい探偵だ、とマシューは思う。もちろん報酬はそれなりに支払っているが、いつも期待以上の成果を挙げてくれるので大変に助かる。

 置いて行かれた報告書と、今までに集められた情報を確認していると、マクガイヤがやって来た。ホルス男爵家の家政婦であるミセス・オブライエンとの面談が済んだらしい。


「宝石が盗まれたというのは、やはり嘘のようです」


 メモを取った手帳を慌てて開きながら、マクガイヤは興奮気味に報告を始める。

 オブライエン曰く、マシューが迎えに行ってリュネットが解雇された日以降、何事もなく日々は過ぎており、宝飾品が紛失しているということもなかった。

 あの夫人の性格上、ひとつでも見当たらなかったら侍女に管理責任を問いて金切り声を上げ、出入りするメイド達にも当たり散らすことになるのは確実なのだが、そんなことは一切なかったのだから確かだ。悪戯盛りの娘達もいるが、彼女達も母親のそういった性格は熟知しているので、母親の持ち物を弄ることはない。


 宝飾品が消えていることに侍女が気づいたのは、一月の半ばを過ぎた頃だ。

 彼女は叱られることを思って真っ青になり、解雇を覚悟で夫人に報告した。しかし、夫人は予想に反して怒りもせず、笑いながら「人に貸しているのよ。気にしないで」と答えたのだという。驚いたわ、と零す侍女の話にオブライエンも驚いた。吝嗇家(ケチ)の夫人が、他人に高価な宝飾品を貸すなんて信じられなかった。

 このことから、なにかがおかしいと、オブライエンも感じていたという。

 そして、接触を図って来た調査員から、夫人が貸し出している筈の宝飾品を窃盗事件として訴えているという話を聞き及び、ますます違和感を募らせた。家内でそんな話を一切聞いていないからだ。

 屋敷の内向きのことを取り仕切る家政婦だからといって、すべてを把握しているわけではない。それでも、警察(ヤード)に訴えているほどのことをまったく聞いていないのはおかしな話で、念の為、執事の方にもさり気なく確認を取ってみたが、彼もそんな話は聞いたこともないと言っていた。

 いくつもの懐疑的な思いが浮かんで来たところに、今度はカートランド侯爵家の顧問弁護士を名乗る男が現れたことで、オブライエンの中でなにかが繋がったらしい。


「ホルス男爵夫人は、リュネット嬢――家庭教師(ガヴァネス)のエレノア・ホワイトを恨んでいたそうです」

「リュネットを恨む? 何故夫人が?」


 恨みたいのはリュネットの方だろう。碌に理由も告げられず呼び出されたと思ったら、散々に怒鳴りつけられて解雇になったのだから。


「オブライエンさんの話によると、どうも、その……夫人は、庭師のナッシュ・ワイルドが大変お気に入りだったそうで」


 言いにくそうに濁して告げるその言葉に、なるほど、とマシューは頷いた。

 つまりホルス男爵夫人は、ハンサムな庭師の青年と人には言えぬ関係にあり、そのお相手が若い家庭教師などにちょっかいをかけたことが気に食わず、被害者である筈のリュネットの方を解雇にしたのだ。女の嫉妬とは斯くも愚かなものかと呆れもするが、リュネットが解雇された他の家でも理由はだいたいこういうものだった。

 出て行くリュネットに向かって泥棒猫だなんだと言っていたが、そういうわけだったのか、とマシューは苦笑いしか出てこない。

 しかし、これでホルス男爵夫人がリュネットに対する冤罪のでっち上げに加担する理由が見つかった。気性の激しい女性の怒りを買うと恐ろしいことになるものだ。

 腹立たしい家庭教師の小娘を陥れる策がある、と持ちかけられたら、夫人の性格からしてあっさりと応じるだろう、とオブライエンは言っていたという。


「そうなると、やはりワイルドの行方を早急に掴まなければいけないね」


 マシューはハワードから受けた報告をマクガイヤに説明してやる。それを聞いた弁護士は表情を明るくし、すぐに申し立ての資料を作成する、と息巻いた。

 けれど、その証言をきちんと証拠として認めさせる為にも、やはりナッシュ・ワイルド本人を確保する必要がある。

 今後の対策を練りながら話を進め、すっかりと陽が暮れた頃、ノースフィールド伯爵家の顧問弁護士と会っていたチャールズが戻って来た。


「どうにもおかしな雲行きのようだ」


 チャールズは表情を曇らせたまま、開口一番そう言った。


「レディ・リュネットに残された持参金の話がまた動いているらしい」

「どういうことです? お母上の残された持参金は、リュネットの承諾がなければ手を出せないのではなかったんですか?」

「ローガン弁護士もそう言っていた。だから、レディ・リュネットの結婚話が進められているのだと」


 困惑気に零されたチャールズの言葉が、マシューには理解出来なかった。


「しかも、相手はスターウェルの息子ではないらしい」


 これにはますます困惑するしかない。

 そもそも今回のことの発端は、マシューが留守にした領地からリュネットを連れ去り、ジョセフが無理矢理結婚するつもりの計画だったのではなかったか。メグがヘンリーから聞いた話だとそうなっていた筈だ。

 いくら顧問弁護士とはいえ、ローガン氏の得意分野は財務関係のことなので、基本的には伯爵家の遺言書を含めた資産管理をしていて、婚姻事情にまでは関与していない。遺言書に記載されていた不動産を動かすことになりそうなので、手続きの仕方や、その不動産の価値などをドナルドから詳しく訊かれたのだという。

 なにかおかしな雰囲気を感じたので、相続人本人でなければ必要以上のことを開示は出来ない、とローガンはやんわりとドナルドに釘を刺したらしい。それでも彼は諦めず、資産価値がわからないと持参金として相応しいか判断出来ない、それでは嫁入りの際に困るだろう――と詰め寄ったのだとか。


 リュネットが今はマシューの許で世話になっていることを知っていたローガンは、結婚話を怪訝に思い、どういうことか、とドナルドに説明を求めた。すると彼は、近々リュネットが嫁ぐことになったということを伝えたという。いい縁談が纏まったのだ、と。

 その口振りだと、やはりジョセフが相手ではないようだ。

 ドナルドが共同経営している紡績工場には担当の弁護士を雇っているので、ローガンはそちらのことには詳しくない。しかし、金に困っているという話は聞き及んでいて、数年前から対策の相談を受けていた。その度に財産の処分を検討させ、的確なアドバイスで金策を手伝っている。


 ローガンは父親の代から、先々代伯爵の頃から顧問弁護士として契約を結んでいるので、リュネットのことは幼い頃から知っていて、それ故にずっと気にかけていたらしい。先代のフェリクスが若くして亡くなったあと、相続権のあるドナルドが乗り込んで来たので手続きをしたものの、残された幼いリュネットのことが気にかかり、独断で不動産の遺言書の開示を遅らせ、リュネットに渡るべき資産を僅かながらも守ったという話を以前会ったときに聞き、マシューは彼に好感を持っていた。

 そのローガンが「なにか様子がおかしい」とドナルドのことを訝しんでいると聞き、マシューは危機感を募らせる。


「ああ、それから、ローガン弁護士の話によると、あそこの家は海外に移住するつもりらしいんだが、そんな噂聞いたことがあるか?」


 集まってきた資料を整理しながら、チャールズは二人に尋ねる。

 そんな話、マシューは聞いたことがなかった。マクガイヤも同様らしい。いろいろ調べているが、そんな話は噂程度にも引っかかっていない。


「じゃあ、違うのか……」

「なんの話です?」


 悩むようなチャールズの様子に、マシューは首を傾げる。


「ローガン弁護士が訊かれたそうなんだ。海外に移住する場合、必要な手続きはなにかあるか、と」


 長期の旅行というわけではなく、完全に移り住む場合の話らしい。国籍の取得など、移住前にやっておくべき手続きはなにか、という話だったという。


「ジョセフを留学させるとか、そういう話ではないということですよね?」

「恐らくな」


 知り合いにそういう人がいるから質問してやったとか、そういう親切をするような性格には思えないので、やはり自分達に直接関わりがあることなのだろう。

 工場の経営が立ち行かなくなったから、借金を踏み倒して海外逃亡でも図るつもりなのだろうか。それにしてはなにか妙だ。

 チャールズが悩むことをマシューがわかる筈もなく、マクガイヤにも意見を求めてみたが、彼もさっぱり見当がつかないという。


「まさか、リュネットを海外に送るつもり……か?」


 ぽつりと呟き、自分のその言葉にハッとした。

 チャールズとマクガイヤも同様に双眸を瞠り、三人で顔を見合わせる。


「もしかすると、リュネット嬢の結婚相手というのが、海外の人間であるとか……」

「あり得ない話ではないな。そして、国内に残される不動産を奪い取るつもりなのか」


 相手が外国人なら英国内の不動産は興味がないかも知れない。相手からそれを譲り受ける約束でもしていれば、今まで手が出せなかったものを簡単に手に入れることが出来る。

 それどころか、とチャールズは表情を険しくする。


「嫌な勘繰りをしたくはないが、もしかすると、レディ・リュネットを売るつもりなのかも知れない」


 ぞわり、と背筋が震え、マシューは思わず自分の二の腕を掴む。

 金銭援助を目的とした政略結婚は、貴賤を問わず、どの階級でも昔からいくらでもあった。しかしそれは、自分の娘や息子を使って行うことだ。己の欲望の為に、親類とはいえ他人に等しい娘を使って勝手に行うなど、人道に(もと)る行いではないか。


 そこまで非道な人間であって欲しくはない、と思う。いくらなんでも、もう少し人間らしい心の持ち主であって欲しい。

 けれど、相手はあのドナルド・スターウェルだ。両親を失ったばかりの十歳の女の子を屋敷から追い出した男だ。そのときに娼館にでも売っていなかったことが奇跡とも思えるような男であるのは間違いがない。

 いや、もしかすると、寄宿学校に入れた時点では捨てたのではなく、将来的に同様の計画を用意されていた可能性も捨て難い。


 ジョセフは言っていた。学校を勝手に逃げだしたのはリュネットだ、と。

 マシューがリュネットに初めて会ったのは、彼女が十一歳のときのことだが、その頃から容貌は整って愛らしく、将来性を感じさせるものだったのは確かだ。そこにドナルドが目をつけていてもおかしくはない。

 だから、決して安くはない入学金と授業料、寄付金を支払い、寄宿学校という檻に閉じ込めていたのだろうか。美しく年頃になったときに、何処ぞの狒々爺に売りつける為に。

 貴族や富裕層の娘達が礼儀作法や教養を身に着け、年頃になるまで厳しく指導される寄宿学校は、自分の手を煩わせず、淑女を育てさせるのに最適な環境だった筈だ。マシューもそう思ってメグを入学させた。


 しかし、リュネットはその優秀さ故に、既定の在学時間よりも早く修学し、卒業してしまった。その為にドナルドはこの二年間、リュネットの行方を捜すことになったのだ。


(だから、逮捕させたのか……?)


 今度はリュネットが逃げられないように。

 そして、マシュー達が簡単に取り返せないように。

 警察内部に協力者がいれば、面会を断ったり、保釈の手続きを長引かせたり、そういったことも出来てしまう。自宅に監禁しておくよりも確実に閉じ込めておける。だから取り調べは実のないものなのだ。

 こちらが懸命に冤罪を晴らそうと躍起になっている間に、リュネットを海外に連れ出す算段を整え、すべての準備が終わってからホルス男爵夫人に窃盗の訴えを取り下げさせれば、何事もなく釈放されるだろう。そうして、こちらが気づいたときには船の上ということか。


 その考えを伝えると、チャールズはより一層表情を険しくした。

 まさか、とマクガイヤは青褪めるが、確かにあり得ない話ではない。女子寄宿学校をそういう目的で使う親はいくらでもいるのが現実だ。

 マシューは鋭く舌打ちする。この仮定が杞憂であって欲しいところだが、今の状況に当て嵌まるところが恐ろしい。

 探偵の伝えてきた言葉が頭を過った。


「恐らく週明けが期限です。時間がない!」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ