26.のえるちゃんに会いに行こう!③
修羅場の続き。
好きな人がいる公一先生に淡い恋心が芽生えた途端、大学時代の元彼と十二年ぶりに再会するって、どういうこと? 半日で色々ありすぎじゃない?
エレベーターの奥にいた千晶は、混乱しつつも恐る恐る顔を上げる。
仏頂面の楓に促され、直哉が数歩下がった。
白のタートルネックの上に着た秋らしい赤茶色のウールニットをアクセントにした、黒のジャケットとスラックスが似合う、お洒落な大人の男性がそこにいた。
千晶と楓もエレベーターから降り、直哉と対峙する。
緩くパーマをかけたツーブロックの髪型は清潔感のあるやり手ビジネスマンに見えるが、今は口元に手を当てて視線を泳がせていた。何故か耳が赤い。
「千晶……あー、その、元気か?」
「ええ、まあ」
緊張混じりの固い声で答えたのに、直哉はパッと顔を明るくさせ、口角を上げた。
たしか楓の話だと、直哉さんって離婚と転職をしたんだっけ。元々兄貴肌で男らしい人だったけど、人生経験を重ねた深みなのか精悍な顔付きになってる。何だか知らない人みたい。でも、ああ、笑った顔は昔と変わらないんだなぁ。
胸がキュッと痛み、何だか泣きそうになる。自分自身は嫌いで別れたわけではないことを思い出してしまった。
直哉は意を決したように、顔を引き締めて切り出す。
「……別れたときのことだけど、本当に、申し訳なかった。謝ってすむことじゃないのはわかってる。悪いのは全部俺だ。一方的に酷いこと言って……」
「はいストップ。その話、長くなりますよね?」
「何だよ……そりゃあ十二年分の思いだからな……」
話の出鼻を挫かれ、直哉がガクリと肩を落とす。楓は素知らぬ顔だ。
「さっきも言いましたけど、お客さんが来てるんです。豊さんとのえるが一緒にいますけど、千晶の知り合いなので、早く戻りたいんですよ」
「その知り合いって男?」
「はい、イケメンです」
「……千晶の、彼氏か?」
「ゆくゆくは「ペーパードライバー教習の先生で弟の友達です! のえるちゃんに誘われてたまたま遊びに来ただけです! 彼氏なんていません!」
何故か不機嫌な直哉と逆に上機嫌な楓のやり取りを遮り、思わず大声をあげてしまった。
楓ったら何を言い出す気!? それに何となくだけど、公一先生のこと、直哉さんに知られたくない……。
気まずい千晶に対して、直哉は別のことに気をとられて驚いていた。
「……ペーパードライバー教習? 頑なに運転をしようとしなかった、あの千晶が? 車酔いはもう大丈夫なのか?」
「ええ、まあ……」
「やる気になっただけでも偉いけど、ちゃんと習ってるなんてすごいな。お前なら絶対乗りこなせるって。頑張れよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
素直な励ましが、千晶の心を揺さぶる。
そうだ、こういう人だった。少し強引なときもあるけど、情が厚くて仲間思いで頼りになって。この人を支えたいって思ったときから、先輩から好きな人に変わっていったんだっけ。
懐かしさに囚われそうだったが、冷静な楓の一言で目を覚ます。
「はいストップ。彼女でもないのにお前とか呼ばないでください」
「すまん……。じゃあ今日は出直すけど、まだ話したりないから、千晶の連絡先を教えて……」
スマホを取り出した直哉に、楓は冷たい視線を向ける。
「何さらりと調子いいこと言ってるんですか。直哉さんの話を聞くかどうか、千晶はまだ答えてないでしょう」
「……そう、だな。勝手に決めて、悪かった。千晶。改めて謝りたいし、ちゃんと話がしたいんだ」
「二度と会わないって選択肢もあるからね」
「俺が憎いのはわかったから、楓は少し黙っててくれ! お願いだ、千晶」
楓のダメ出しの嵐にもめげず、直哉は必死に懇願した。
千晶が恋愛に対して臆病になったのは、直哉との別れも原因のひとつだ。酷い言葉で詰られ、駐車場に置いていかれ、絶望した。
ただ、直哉はそれをとても悔いていると言う。楓にズバズバ指摘されてもほとんど言い返さず、昔よりもだいぶ丸くなったように思える。
一番気になるのは、謝罪以外に話があるというところだ。今更何を聞かされるのだろう。聞いたところでますます傷付くかもしれない。
それでも、新しい恋心が芽生えた今だからこそ、過去の恋を清算して、思い残すことがないようにするべきなのではないか。
千晶は勇気を出す。
「わかりました。話を聞きます。でも、そのときには楓にも立ち会ってほしいのですが……」
「最初からそのつもりよ! 私だけじゃなくて、豊さんも同席するから。直哉さん、私たちで日程調整して連絡しますね。それなら千晶の連絡先を知らなくても問題ないでしょう?」
「はあ、しょうがない。それでいいよ」
「じゃあこれで。キーホルダーありがとうございました」
楓の締めの言葉で、ようやく話がまとまった。再度エレベーターのボタンを押して待つ間、直哉がじっと千晶を見つめる。
チン。
エレベーターが到着した。
「千晶、ありがとう。俺を拒絶しないでくれて」
「……いえ。じゃあ、失礼します」
「なあ」
楓に続いて乗り込もうとする千晶は、突然直哉に手を引かれた。
「千晶ってさ、昔からかわいかったけど、今は大人っぽくなって更に綺麗になったな。彼氏がいないのが不思議なくらいだ。俺にしてみれば、ラッキーだけど」
「えっ」
「じゃあまた」
ドアが閉じる寸前、直哉は千晶の手を離し、ニヤリと横顔で笑った。
ゆっくりと上昇するエレベーター内は沈黙に包まれる。それを破ったのは、地を這うような低い唸り声だった。
「……何あれ。全く直哉さんったら、ここであんな口説き文句、自分の立場わかってないでしょ。ああ千晶、部屋に戻る前にこれ見て」
楓が苦虫を噛み潰した顔で、自分のショルダーバッグを開けた。手渡された手鏡に顔を写した千晶は絶句する。
「えっ!?」
「コンビニに忘れ物をして、全力で走って戻ってきた、って言い訳で通るかしら」
楓のぼやきに、赤くなった頬や耳がますます熱を持つ。
褒め言葉に弱すぎる自分を強く責める千晶だった。
楓のおかげで、修羅場は一応回避。
千晶は今までの恋愛で、自分が恋愛対象に見られることはないと思い込んでいるため、異性からの褒め言葉に弱いのです。
次回は公一たちが待つ家に戻ります。




