20.教習三日目①
更新が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
ついに、正念場だ。
千晶は顔を引き締めて、車の運転席に乗り込む。今日は、教習二時間分で車庫入れを徹底的に練習する予定だった。初回のヒアリングで、教習日程を組むときに頼んでいたのである。
「何だか、今日は気合いが入っていますね」
「わ、わかりますか?」
「少し緊張されているように感じます」
助手席に座る公一から顔を覗きこまれて、千晶はドキリと動揺する。距離が近くなると、前回の教習のときに抱き締められたことを思い出す。はっきりと意識して頬が赤くなる前に、言葉を続けた。
「車庫入れが本当に苦手なんです……長野の教習所の合宿で免許を取った十五年前から、出来る限り駐車を避けていました。どうしても止めなくてはいけないときに、車をあと少しでぶつけそうになって怖い思いをしたこともあって、より敬遠しちゃって」
昔、まだ千晶の父親が健在で、家族四人でホームセンターに行ったときのことである。地下駐車場にバックで停める際、車止めの間にタイヤが入ってしまい、そのまま下がったら後ろの壁にあと数センチでぶつかるところだった。車止めにタイヤが当たるまで大丈夫だろうと、安易にいつまでも下がり続けてしまったのが原因だ。
今の車みたいにまだバックモニターが付いていなかったとか、言い訳にもならないけど、確認もしないでバックするなんて、本当に浅はかだったわ……。
助手席に座っていた父親が、寸前に声をかけて止めてくれなかったらどうなっていたことか。誰も怪我をしなかったし、どこにもぶつけなかったからいいものの、今思い出しても反省しかない。
今までの教習でも、駐車場のスペースに停めるときは、いつも公一に誘導してもらっていた。どのタイミングでどれくらいハンドルを切るか指示されて、言われたままにやっていたので、理解していたわけではない。
千晶の話を聞いた公一が、少し考えてから口を開く。
「もしかして、バックするときに右か左かどちらにハンドルを切っていいか、わからなくなるときがありませんか? ハンドルを切って下がったときに、車がどう動くのか予想できない、とか」
「そうです! まさにその通りです!」
「他のお客様でも、同じような話をよく聞きますよ」
「ああ、顔も知らない他の生徒さんたち、私たちは仲間だ! ……って、わあ! す、すみません!」
感極まったせいで、心の声が口からこぼれ出てしまった。あわあわと赤面する千晶を公一が目を細めて見つめる。
「もう……どうして千晶さんはそんなにかわいいんですか」
……千晶、この「かわいい」は、「子供っぽい」って意味のほうだから。落ち着きがないってことをオブラートに包んだものだから。公一先生が何故かすごーく甘く微笑んでるように見えるのも、目の錯覚よー。勘違いしちゃ駄目よー。私は甘い言葉に弱くて恋愛運のないニートの三十四歳なのよー……ううっ。
段々と落ち着いてきた代わりに、心は「現実」という名のダメージを負って瀕死状態だ。それでも、前職の仕事で培った営業スマイルをニッコリ浮かべ、平静を装う。
「すみません、仲間意識から年甲斐もなくはしゃいでしまいました。話を戻しましょう」
「バックが難しいということですが、実はシンプルなんです。通常の運転もバックも、左に寄るときはハンドルを左に、右に寄るときは右に切ります」
「んん?」
公一がそう言うならそうなのだろう。しかし、そんな簡単なことなのに、何故混乱するのだろうと首をかしげる千晶に、公一が声をかける。
「では、実際にやってみましょう。正面に停められているワゴン車の手前まで、車を進めてください」
「はい」
ゆっくりと前進させ、言われた通りの位置でしっかりブレーキペダルを踏む。毎日のように運転しているので、車の長さや幅の感覚が掴めてきた。平常心を保っている自分に、千晶は少し感慨深くなる。
この前、楓の家までの道を十五年ぶりに運転したときにはただただ恐怖しかなかったけど、しっかり教われば何も怖いことはないんだなぁ。隣に公一先生がいるから安心できるし……いやいや、ええと、指導教官がいるからって意味でね!?
またも自分の心の中が騒がしくなったので、千晶はひとつ深呼吸をしてから、公一の指示を仰ぐ。
「まずは左に寄りましょうか。ギアをリバースにして、停まったままでいいのでハンドルを左に二回切ってください」
「以前弟に言われたんですけど、停まったままハンドルを切るとタイヤがすり減るから、動いているときに操作をしたほうがいいって……」
「ああ、『すえ切り』のことですね。たしかにタイヤへの負担がありますが、狭い場所への駐車で切り返しを減らすときに停めたままハンドルを切ることもありますし、そう頻繁でなければ大丈夫ですよ。運転に慣れていないうちは、停まってからしっかりハンドルを切ることをおすすめしています」
「わかりました」
公一の言葉に納得した千晶は、ギアを換え、ハンドルを回し、そうっとブレーキペダルを離した。車体はゆっくりと斜め左に下がる。
「はい、ここで停めてください。次はハンドルを全部右に切ってから、また動いてみて」
「はい。えっと、全部だから四回回す……と」
「そして、車体がまたまっすぐになったらまた停めて、今度はハンドルをまっすぐに戻してみてください。そのまま、後ろの塀に気を付けて少し下がって……」
「今度は、ハンドルを左に二回……ゆっくり下がって……わあ、左の駐車スペースに寄れました! そっか、公一先生がおっしゃっていた通り、普通に走ってるときに左に寄るときと全く同じですね!」
どうして今まで混乱していたのか不思議なほど、すんなり理解できた。公一の説明が丁寧なことと、実際に車を動かしてみたことが、大きな要因だろう。
素直に喜びを表す千晶に、公一が柔らかく微笑む。
「とてもいいですね。あとは、千晶さん自身の駐車スペースに駐車できるように、練習していきましょう。感覚が掴めれば、他の駐車場も同じように停められますから」
「はい! 頑張ります!」
千晶は張り切ってハンドルを握り直した。




