19.人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ(side:楓)
タイトルの意味:他人の恋路を邪魔する者は、故意にしろ過失にしろ、無粋だから馬に蹴られて痛い目を見る、という意味。江戸時代の都々逸らしい。
※ちょっといつもより長めの3000文字です。
「ふうん、なるほどね。直哉さんにコンビニの駐車場で置き去りにされて呆然としていたら、たまたま声をかけてきた公一先生の厚意で、おんぶされて家まで帰ったと。あの日、直哉さんと別れたって私に電話をかけてきたのは、家に帰ってからってことだったのね」
『その通りです……』
夕飯後、楓は食器を片付けながら、千晶とテレビ電話をしていた。夫の豊はのえると共にお風呂に入っている。のえるの髪の毛を乾かして、歯を磨いてから出てくるので、いつも三十分以上はかかる。
この時間を使って、昼間パン屋の前で出会った、千晶のペーパードライバー教習の先生である公一との関係を聞き出すことにしたのだ。
千晶がペンギン柄のマグカップに口をつけながら、ボソボソと小声で話を続ける。
『隠していたわけじゃないんだけど、高校生の弟の同級生におんぶされるって、なかなか恥ずかしいじゃない? それに、直哉さんとのいざこざには全然関係ないことだったから……』
「そうだよね。ごめん、無理に聞いちゃって」
自分が我慢すれば全て上手くいくからと、色々と抱え込みやすい千晶の性格を昔から知っている楓は、悩んでいる様子なら少々強引でも話を聞かせてもらうことがあったが、今回はなかなか想定外だった。
楓は素直に頭を下げて謝る。千晶が苦笑しながら首を横に振った。
『ううん、楓に話せて良かったよ。公一先生、昔も今もすごく優しいからさ、私は金なし職なしのないないづくしのアラサーなのに、夢を見そうになっちゃうんだよね。昔話をして、改めて年の差を自覚できたから、アラサーの現実を見れるよ』
「そもそも、三十四歳はどちらかというとアラフォーじゃない?」
楓は食洗機に皿やコップをセットしながら、千晶のぼやきに突っ込みを入れた。
何となくだが、アラサーというと二十八歳から三十二歳くらいまでのような気がする。そもそも三十路を越えたあたりから、自分の年齢が三十三歳なのか三十五歳になったのか、定かではないのだが。
すると、途端に千晶の目がつり上がった。
『もう、これだから子持ちの既婚者は! 子供の年齢を気にして、自分は四十とか五十とか大台に乗る直前しか気にならないって、みんな言うのよ! 婚活している独身はね、一年一年が勝負なの! 三十四歳は四捨五入したらまだ三十路、アラウンドサーティーに入るから!』
どうやら地雷を踏んでしまったらしい。スマートフォンの画面越しでも、早口でまくしたてる千晶の迫力はすごい。
楓が苦笑いを浮かべる番だった。
「ごめんなさい、私が間違っていました。そうだね、三十四歳の私たちはまだまだアラサー!」
『そうアラサー!』
「ね、そろそろのえるたちがお風呂から出るみたい。話の続きはまた会ったときに聞くから。今週末は遊びに来れる?」
『公務員試験の勉強しないと。いくらやっても範囲が広いから、足りない気がして。ごめんね』
「ううん、大丈夫。息抜きが必要なときは、いつでも連絡して。じゃあまた」
楓はスマートフォンをタップして、通話を切った。
そのタイミングで、浴室からのえるがパタパタと駆け寄ってきた。
「ママ、チーちゃんとおでんわ、おわった?」
「うん、終わったわよ。ちゃんと温まったの? 最近寒いから、しっかり着ないと」
楓はしゃがんで、のえるのパジャマの一番上のボタンを閉める。くすぐったそうに笑う娘を見て、来年小学校に進級するのが信じられない気分だ。
大学卒業して、就職して、豊さんと結婚して、のえるが生まれて。あっという間の十二年間だったけど、これから先も、またすぐに過ぎてしまいそう。十二年後、のえるは青春真っ盛りの高校生で、私は四十六歳か。その頃には、また千晶と二人旅に行けるかしら。
のえるの頭を撫でながら、遠いようで近い未来に思いを馳せていると、のえるが首をこてんと傾げた。
「ねえ、こんどのおやすみのひ、チーちゃんとコーくん、くる?」
「え? 千晶は用事があるから遊べないって言ってたけど、どうして保育園の光一郎くんがうちに来るの?」
「ちがうちがう! パンやさんであった、チーちゃんのせんせいのコーくんのこと!」
楓はますます混乱する。どうして千晶の教官である公一が我が家に来る話になったのだろう。
ふと、のえるが公一と二人で話していた光景を思い出した。
「今日、パン屋さんの前で、公一先生とどんなお話ししたの?」
「コーくんがひみつねって、ゆびきりしたから、ひみつ!」
「そう」
「コーくんね、ずーっとまえから、チーちゃんのことがだいすきなんだって。チーちゃんとたくさんなかよくなりたいんだって。だからね、のえるのおうちにあそびにくれば、チーちゃんといっぱいあそべるよって、いったの」
秘密の話をすぐに打ち明けてしまうのが幼児というもの。いつもは微笑ましく思って聞いているが、今回はその内容に驚いてしまう。
「『ずーっとまえから、チーちゃんのことがだいすき』?」
「あっ、ひみつだったのにいっちゃった! おくちチャック! あっパパ、ねるときのえほん、『ほげちゃん』がいい!」
「昨日も一昨日も読んだのに、また『ほげちゃん』? わかったよ、持っておいで」
「はーい!」
のえるは打ち明けてしまった口に閉める動作をして、リビングの隅の本棚の前へ走った。
毎日同じ絵本を読まされて、若干飽きてきた豊が苦笑いを浮かべていたが、考え込んでいる自分の妻に声をかける。
「どうしたの、千晶ちゃんとの電話終わった?」
「あ、うん。終わった。じゃあのえるの寝かしつけ、お願いね。お風呂入ってくる」
「了解! そうそう、直哉がさ、出張のお土産渡したいから、今週の土曜日うちに来たいって言ってるんだけど」
「ん、わかった。今ちょうど千晶にお誘い断られちゃったところだからちょうどいいわ」
電池がなくなりそうなスマートフォンを充電器につなげながら、楓は頷いた。その言葉に豊が残念そうに眉を下げる。
「昔みたいに俺たちと直哉と千晶ちゃんと、またごはん食べたり遊んだり、できないかなぁ。直哉も転職や離婚を経て、あの頃と変わったと思うんだけど」
「千晶の気持ちによるわね」
「パパ、ねようよー。ママおやすみー」
「おやすみ。しっかりお布団かけてね」
のえると豊が手を繋いでリビングを後にした。楓は使った布巾やタオルを手に、浴室へ向かう。その間も、先程ののえるの言葉を思い返していた。
公一先生は、どうしてのえるにあんな話をしたんだろう。あれも、千晶が話していたビジネストークの一種なの? そんなの、好きだから愛しているからだから俺のために貢いでっていう、テレビのドキュメンタリーで観たホストの色恋営業と同じじゃない。
しかし、千晶に向けていた公一の柔らかな笑顔は、偽物の恋愛ごっこと全然結びつかない。
そこまで考えて、楓は一つの可能性に思い至った。廊下の棚の前で、ピタリと足を止める。
まさか、お客さんとしてではなくて、本気で千晶のことが好きで、その上でのえるに内緒話として自分が千晶を好きなことを伝えて、それが私や豊さんにも伝わることを予想していた?
「……確信犯ね。外堀から埋めていこうって作戦か。しかも、私から千晶に伝わることはないってわかってるみたい」
棚の上に並んだ、競馬好きの豊が気に入っている競走馬のぬいぐるみを見て、楓は呟いた。
最後の一文を読んで、改めてタイトルをご覧くださいませ。




