勿忘草の女神の章 外伝 『クラウディアの生涯』その3
『前回までのあらすじ』
妹ロクサーヌの変死は次兄ルーファスとその友人達の仕業であった。更に次は自分の命が狙われていると知ったクラウディアは、先手を打ち自らの手で兄を暗殺するのであった。
かくしてクラウディアを除いた兄妹達が死に絶えた。呪われしバートリア家は衰退の一途を辿るかに見えたが……。
記憶の中のあの人は、いつまでも輝いていた……。
その輝きが眩しいと感じ、目を背けたくなったのは、輝きの先にもうあの人がいないと知っていたから。
あの人にはもう記憶の中でしか会えないと分かっていたから……。
バートリア家の屋敷は呪われている……。
実しやかに噂が囁かれ、屋敷に勤めていた使用人達は兄妹達の亡霊を目撃したと気が狂い、一人また一人と逃げるように屋敷を去っていった。
父は目に見えて痩せ衰え、やがて寝たきりとなった。そんな父を尻目に、母は貴族であり続けようと足掻き続けた。
かつては地位と権力を手にし、誰もが羨む美貌を持ち、誇りに咲く華のようだと謳われていた母。そんな貴族としての栄華に誰よりも誇りを持っていた母は、恐らくバートリア家の終焉を予見したのだろう。誇りに咲くその華を散らそうとする呪いの正体が、実の娘である私だとも知らずに。
あの時の母はまるで、枯れゆく華が最期の輝きを放とうと、満開に咲き誇る儚き夢に溺れるように、少しずつ、しかし確実に壊れていくかのようだった……。
クラウディアの心像を投影する不思議な力によって二人の前で一族の衰退が要約されながら展開する最中、語り部であるクラウディアの言葉は過ちを噛み締めるかのように微かに震えていた。
それは過去の行いへの懺悔か、それともまた別の何かか。
かつて自ら引き起こした惨劇を淡々と語り、その行いを呪いと称するクラウディアに、アルゴンは到底理解し得ない深い闇を垣間見た。自分とは明らかに異なる思考を持つ彼女に、一瞬でも自身の母を重ねた事に、後悔や誤りとは違う言葉にし難い感情が胸を疼かせた。
だがあの母を重ねてしまった彼女も、兄を殺した彼女も、感情を振るわせず一族の衰退を語る彼女も、全て同じクラウディアである事は紛れもない事実なのだ。
アルゴンは人の持つ多面性と慈悲や冷酷さに、困惑という言葉だけでは表現できない程に困惑し、同時にのめり込み、そして飲み込まれていくのであった……。
そういえば、まだ母の話をしていなかったな。最後にすると言っておきながらすっかり忘れていた。
私の母、クリスティナ・バートリアは厳格な上流貴族の生まれだった。
というのも、我がバートリア一族こそ、故郷の領地を支配する領主の一族だった。領主の座は母の姉が継承した。妹である母は分家にはなるが、本家当主と姉妹である事から領地では絶大な権威を持ち、母もその権威と血筋に誇りを持っていた。
しかしながら、その権威と血筋とやらのせいで、私達兄妹に対して事あるごとに御家の為、貴族としての誇りなどと口にしていた。立ち振る舞いから些細な所作まで厳しく指導されたのを昨日のように覚えている。なんなら寝ている時でさえ貴族らしく気高く眠れと言われたものだ。こればかりは何を言っているんだこの人は。と唖然としたものだ。
そんな熱心な教育の結果、兄二人は早々に反抗し放任され、妹は見込み無しと判断されて放置され、残された私だけに厳しい教育が集中した。
まぁ、母は最初から私を跡継ぎにするつもりだったのだ。何故ならバートリア一族は代々女系一族だからだ。そうでなければ兄二人の振る舞いが許されるはずがない。要は最初から兄達は無用な存在だったのだ。だから死んでも何も起きなかった。妹など論外だった。あの三人は生まれた時からはずれを引いていた。そう考えると兄妹達が不憫な犠牲者とも呼べるな。
兄妹達を失い壊れ始めた母は、何かに急き立てられるかのように、私に跡継ぎになる為の再教育を強いた。
貴族としての礼儀作法や立ち振る舞いをまた基礎から復習させられた。それだけならまだしも外出さえ禁止され、食事は母自ら毒味をしてから冷たくなったものを食べさせられた。
私への教育に拍車が掛かるにつれ、母は寝る間も惜しむようになっていった。見る見るうちに窶れ、本当に呪われてしまったのかと疑いたくなる程に醜い老婆へと変貌していった。
それでも、母は自身の容姿を顧みず、私への教育を止めなかった。
私は自分で生み出した虚像だったはずの呪いに取り憑かれた母を目の当たりにして、生まれて初めて明確な狂気を感じた。
そしてもう一つ。振り払っても決して逃れられない未来に私は恐怖する事になる。
我が家である屋敷の広間には、玄関の扉を開くと一番最初に目に飛び込んで来る場所に現当主の肖像画が飾られていた。等身大を遥かに上回る巨大なその肖像画の被写体は、当然ながら母だった。
私は幼少の頃から事あるごとに母の若かりし頃に瓜二つと言われてきた。
肖像画が描かれた当時の母は歳若く、それを見上げる当時の私と同年代くらいだった。確かに似ていた。まるで双子のように瓜二つだった。
ならば、いつか自分もあのような醜い老婆のような姿になってしまうのか。そう思うと夜も眠れなくなり母を嫌悪するようになっていった。
それから私は食事や美容に気を使うようになった。幸い母は美しくなる為の注文には迷わず協力してくれた。自分の教育によって娘が貴婦人としての自覚に目覚めたのだと誤認した母は、その理由が自身への嫌悪であるとも知らずに皺だらけの笑みを浮かべて喜んでいた。
以前は他人の前で無闇やたらに表情を崩さなかった母が容易く感情を表に出すのを見て、私は母が完全に壊れてしまったのだと悟った。
そしてそんな母が縁談を持ち出してきたのは、それから日も経たぬ頃だった。
母が私をどのように紹介したかは分からない。だが縁談の相手は次から次へと現れた。しかしどれも青二才の木偶の坊ばかりだった。父を見るに母に男を見る目は無かったようだ。
私は当然縁談を断り続けた。屋敷に出向き直に会いに来る者、母が無理を言って呼び寄せた者、その全てに御引き取り願った。その度に母は落胆し、疲弊し、老化は急速に進行していった。とうとう白髪が隠せなくなり、抜け毛も増え、母は似合わないかつらを被るようになった。また肌は蜘蛛の巣を貼り付けたような大小の皺で覆われ、それを隠す為にまるで仮面をしているかのような厚化粧をするようになった。
いつしか巷では、使用人達が目撃した亡霊の正体は屋敷の女主人である。と揶揄されるようになっていた。
私は笑い者に成り果てた醜い母を更に嫌悪するようになっていった。
それからまたしばらくして何度目かの縁談の話が来た。相手は私より五つ歳下で、バートリア家の領地の近隣領地を統治するアナムスカ家の次男。後に私の夫になるグラディオ・アナムスカ。その人だった……。
数日後、私は顔合わせという事でアナムスカ家の屋敷に招かれた。
両親も招かれたが父は行けるはずもなく、母と一緒になるのも嫌だった私は、後日一人馬車に揺られ、今回の縁談を断る理由を考えながら、アナムスカ家の屋敷に向かった。
アナムスカ家の屋敷はそれは立派な屋敷だった。優雅さは我が屋敷に劣るが、その外装や内装、また飾られた美術品や家財道具に至るまで一流のものに溢れていた。
生家とは違う様式で建てられた屋敷や家具、両親とはまるで違う趣味趣向の美術品。単純に好奇心が沸いて屋敷内を見て回りたくなった私は、挨拶を後回しにして屋敷の中を散策した。それで無礼だと言われたら、それを縁談を断る理由にしようと軽く考えながら、私は美術館を観覧する気分で初対面すらしていない他人の屋敷を見て周り、やがて一枚の小さな風景画の前で立ち止まった。
その小さな風景画は廊下の壁に飾られた他の絵画とはまるで別物だった。著名な画家が描いたものではないと容易に分かる代物で、恐らく絵画を描く事を覚えたばかりの子供が描いたスケッチに色を塗った程度の作品だと思った。
殺風景な丘の上に古ぼけた教会が建っている。ただそれだけを描いた風景画だった。恐らく実在する風景を眺めながら描いたのだろう。それにしても他の作品と並べると一層粗末に見えるなと思い、私はその風景画の前で苦笑していた。
すると不意に声を掛けられた。私は驚き声のした方に顔を向けた。そこには歳若く私より少し背の低い殿方が立っていた。その殿方こそ、彼だった……。
自ら語り部となり過去を演劇のように回想する一幕。たった一人の観客であるアルゴンは、語り部であるクラウディアの視線が真っ直ぐとグラディオに向けられている事に気付いた。冷淡な眼差しを彼に向ける舞台の中の彼女とは対照的に、語り部の彼女の青い瞳は、曇りひとつ無い宝石のように彼への愛しさと切なさを宿しながら輝いていた。
そんなクラウディアの記憶の心像によって投影されたグラディオは、小柄ながら立派な衣服を見事に着こなし、端正な顔立ちの中に少年の面影を残した歳若き貴公子であった。
追憶の彼方。これが二人の運命的な出会いであった……。
不定期投稿ですが、宜しければ感想、評価、ブックマークをして頂けると励みになっちゃいます。




