第1羽:白い空間の再会と、見覚えのある猛禽
「ごめんくださーい」
木造の引き戸をガラガラと開け、俺――黒羽隼人は声を張り上げた。 足元から伝わる土間の冷気と、かすかに鼻をつく干し草と獣の匂い。そこは、関東郊外にある腕利きの猛禽ブリーダーが営む小さな繁殖場の玄関先……のはずだった。
しかし、足を踏み出そうとした俺の視界が、突如として激しく歪んだ。
「――え?」
引き戸の木目も、壁に掛けられた革製のグローブも、足元の叩き土も、まるで絵の具が水に溶け出すかのように白い光の中へと消えていく。 倒れ込むような感覚も、浮遊感すらない。ただ世界から色と形が失われ、気づけば俺は、上下左右の境界すら定かではない「真っ白な空間」の中にたたずんでいた。
音がない。風もない。 ただ無限に続く純白の広がり。
「な、なんだここ……!? 屋敷の中に迷い込んだ……わけじゃないよな? 夢か?」
自分の手をかざしてみる。革の質感や爪の形、長年鷹を扱い続けてついた手首の小さな引っかき傷まで、はっきりとそこにある。夢の現実味じゃない。 戸惑いながらぐるりとあたりを見回したその時、俺の視線が空間の一点に吸い寄せられた。
何もなかったはずの白の世界に、ポツンと佇む一本の丸木。 鷹を休ませるための『止まり木』だ。
そして――その上に、一羽の鳥が止まっていた。
「…………っ!?」
呼吸が止まった。 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなる。
シュッとした引き締まった体躯。背を覆う深みのある暗褐色の羽毛と、胸元に並ぶ美しい斑紋。そして何よりも、鋭くもどこか凛とした気品をたたえた、琥珀色の澄んだ瞳。
ハヤリスープの匂い。グローブ越しに伝わっていた、あの温かく確かな爪の重み。 3年間、一日たりとも忘れたことのなかった姿。
「ハ……ハヤテ……なのか……?」
声が震えた。 ハヤテ。俺の最高の相棒であり、雌のハヤブサ――いや、正確には俺が幼い頃から手塩にかけて育て上げた、血統の優れた鷹だった。 3年前の寒い冬の朝、老衰で静かに息を引き取った俺の半身。彼女を失ってからの3年間、俺の時間は止まったままだった。悲しみを乗り越え、ようやく新しい相棒を探そうと決意してブリーダーの家を訪ねた、まさにその矢先の出来事だった。
「……ハヤテ……本当に、ハヤテなのか……?」
夢なら覚めないでくれと祈りながら、俺はおそるおそる手を伸ばした。鷹匠が鳥に手を差し伸べる時の、無意識の動作。
すると、止まり木の上にいたその鷹は、首をちょこんと傾げ、つぶらな琥珀色の瞳でじっと俺を見つめ返し――
「久しぶりね、ご主人様。相変わらず間抜けな顔をしてるわ」
凛とした、どこか涼やかで可憐な少女のような声で、はっきりとそう喋った。
「――っ!??!?」
俺は豪快にズッコケた。 真っ白な床(?)に尻もちをつき、目と口を極限まで見開いて目の前の鳥を指差す。
「ハ、ハヤテがしゃべってる!?? 鳥が!? 喋った!!? え、ていうか俺、死んじゃったの!? ついに過労か何かで倒れて三途の川の手前で幻覚を見てるのか!?」 「うるさいわねぇ、落ち着きなさいよ。大体、私が喋っちゃ悪いわけ? それにアンタは死んでないわよ。まだね」
ハヤテ――いや、ハヤテの姿をした鳥は、パタパタと羽ばたくと、スーッと滑空して俺の肩の上に舞い降りた。 トスン、という懐かしい重み。鋭い爪が上着の生地を掴む感触。間違いなく本物の感触だ。
「し、死んでないなら、ここはどこなんだよ!? ブリーダーの家に入ったと思ったら白い部屋だし、お前は喋るし、わけが分からんぞ!」 「ここは狭間の世界よ。んー、説明すると長くなるんだけど……簡単に言えば、私の『本当の務め』が終わったから、アンタを迎えに来たの」 「本当の務め……? 迎えに来た……?」
肩の上で、ハヤテは羽づくろいをしながらフンと鼻を鳴らした(鳥に鼻鳴らしができるのかは知らんが、確かにそう見えた)。
「私ね、前世でアンタの相棒をやっていた時は『お試し期間』みたいなものだったのよ。ちょっと訳あって現世で力を蓄える必要があってね。で、修行も終わって本来の姿に戻るわけだけど……やっぱり、アンタ以外のヤツに腕木を任せるのは嫌じゃない?」 「え、あ、まあ……俺もハヤテ以外の相棒なんて考えられなくて、3年も悩んでたくらいだけど……」 「でしょ? だから神様に頼んで、アンタの魂ごと引っ張ってきちゃったの。私と一緒に来てほしいのよ」 「引っ張ってきたって……おい待て! 俺の現代での生活は!?」 「アンタ、どうせ独身で鷹匠の仕事とアルバイトの往復しかしてなかったじゃない。未練なんてないでしょ?」 「ぐっ……!! 痛いところを正確に突くのは昔から変わらんなお前は……!」
相変わらずの容赦ない切れ味に言葉を詰まらせる俺。だが、ハヤテの言葉には嘘がないことも分かっていた。 家族もすでに他界し、鷹匠としての技術を誇りに思いつつも、ハヤテを失ってからの日々は消化試合のようなものだった。
「行くって……どこへ行くんだよ?」 「決まってるじゃない。剣と魔法と、美味しいお肉がいっぱいある……異世界よ!」
「異世界ぁ!?」
驚愕の叫びをあげる間もなく、ハヤテが翼を大きく広げた。 その瞬間、彼女の全身から眩いばかりの黄金の光が溢れ出し、白い空間全体を塗り替えていく。
「ちょっと待てハヤテ! 異世界って、俺はただの猛禽類バカの鷹匠だぞ!? 魔法も剣術も使えない普通のおっさんだぞ!?」 「大丈夫よ、私がついてるでしょ? アンタは今まで通り、私に最高の指示を出して、美味しいご褒美をくれればいいの!」 「そういう問題じゃ――うわあああああああつ!?」
光が爆発した。 浮遊感が全身を包み込み、俺の意識は急速に遠のいていった。
◇
「……う……ん……」
心地よい風の音と、草木の青く甘い匂いで目が覚めた。
「……痛たた……」
体を起こすと、そこは深い森の中だった。見たこともない巨大な樹木が立ち並び、木漏れ日が地面を斑模様に照らしている。空気は驚くほど澄んでおり、吸い込むだけで細胞が活性化するような不思議な感覚があった。
「本当に……異世界に来ちまったのか……?」
茫然と自分の手を見る。服装はさっきまでのジーンズとウインドブレーカーのままだ。 そして、すぐ横の枝に止まっていたハヤテが、パタパタと跳ねて俺の肩に飛び乗ってきた。
「ふぁ~あ、よく寝たわ。おはよ、ご主人様」 「おはよう……じゃなくて! ハヤテ、マジで異世界なのかここ!?」 「そう言ってるじゃない。ほら、頭の中で『ステータス』って念じてみなさいよ。向こうの世界のゲームみたいなお楽しみがあるから」
「ステータス……?」
半信半疑で心の中で呟いてみる。 すると、目の前の空間にスーッと青く透き通った光の画面が現れた。
【名前】クロハ・ハヤト(黒羽 隼人) 【種族】人間 【職業】鷹匠(Lv.1) 【体力】100/100 【魔力】50/50
【固有スキル】 ・『猛禽の絆』:契約した猛禽類と意識・視界を共有する。 ・『調教・育成』:猛禽類の能力を引き出し、成長を促進させる。 ・『仕込み餌作成』:魔獣を引き寄せる特殊な餌を作成する。
【契約猛禽】 ・ハヤテ(種族:神獣ヴェルズフェルニル・幼体)
「うわ、本当にステータス画面が出た……! 職業『鷹匠』って、そのまんまじゃねーか!」 「ふふん、私の相棒なんだから当然でしょ。で、私の欄も見てみなさいよ」
言われるがまま、ハヤテの項目をタップしてみる。
【名称】ハヤテ 【種族】神獣ヴェルズフェルニル(幼体・封印状態) 【レベル】1 【状態】絆レベル 1/100
【説明】 北欧神話の頂点に君臨する、世界樹の最上層に棲まう伝説の神獣。 風と雷を司り、その羽ばたきは暴風を呼び、その眼光は万破を看破する。 現在は前世の肉体(鷹)の姿をとっており、能力の大半が封印されている。 契約者との『絆レベル』が上がることで、本来の姿と力を取り戻していく。
「し……神獣ヴェルズフェルニルうううううっ!!???」
森の中に俺の絶叫がこだました。
「お前、神獣だったのか!? 世界樹のてっぺんにいるとかいう、あのクソデカい伝説の鳥か!?」 「そうよ。だから言ったでしょ、『お試し期間』だったって。現世でアンタに育ててもらったおかげで、私の魂は神獣として覚醒できたの。感謝しなさいよね」
ハヤテは胸の羽を誇らしげに張って、ドヤ顔(鳥だけど絶対にドヤ顔をしている)を決めた。
「感謝って……おい、説明文に『能力の大半が封印されている』って書いてあるぞ!? レベル1だし!」 「仕方ないでしょ! 異世界の法則に馴染むまではこの姿なの! でも安心しなさい、レベル1とはいえ、その辺の雑魚モンスターくらいなら私の爪でイチコロなんだから!」 「本当かよ……頼むから無理はしないでくれよ? 前世みたいにお前に死なれたら、俺は今度こそ立ち直れん……」 「……べ、別にもう死んだりしないわよ。バカご主人様」
俺が本気で心配すると、ハヤテは少し照れたように顔をそむけ、バシバシと羽で俺の頬を突いた。痛い痛い。
「まあいいや……とりあえず、ここがどこだか確かめないと――」
ガサガサッ!!
その時、周囲の藪が激しく揺れた。 俺とハヤテは一瞬で警戒態勢に入る。長年、野山で狩りをしてきた鷹匠の勘が、明確な『敵意』を察知していた。
藪をかき分けて姿を現したのは――緑色の皮膚に、醜悪な顔つき、手にボロいナイフを持った背の低い人型モンスター。
「ゴブ……ガハハ!」 「ゴブリン……! 異世界の定番かよ!」
一羽と一人を取り囲むように、次々と藪から姿を現すゴブリンたち。その数、ざっと5匹。 手に持った錆びた剣やこん棒を叩き合わせ、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら間合いを詰めてくる。
「ハヤテ、下がりな! 俺がナイフで――」 「バカ言わないで、ご主人様! 私たち『鷹匠と鷹』の戦い方、忘れたわけじゃないでしょ!?」
ハヤテがキッと鋭い視線でゴブリンたちを睨みつける。 その瞳に宿る気迫は、ただの鳥のそれではない。紛れもない、空を制する覇者の眼光だ。
「……ハッ、そうだったな。悪かった」
俺は苦笑し、腰のベルトに差してあった仕込みナイフを抜き放つ。そして、左腕を水平に突き出した。
「頼むぞ、ハヤテ! 上空へ!!」 「任せなさい!!」
キーッ!!と高い鳴き声を上げ、ハヤテは力強く羽ばたいた。 樹木の隙界をぬうようにして、一瞬で上空数十メートルの高所へと駆け上がっていく。
「猛禽の絆――発動!」
俺がスキルを意識すると、視界が二つに分裂した。 一つは地上にいる俺自身の視界。そしてもう一つは――上空のハヤテから見下ろした、超高解像度の『俯瞰視界』!
(すげえ……! ゴブリンたちの配置、筋肉の動き、視線の動きまで手に取るようにわかる……!)
これぞ鷹匠の真骨頂。鷹の圧倒的な視力と機動力を利用した、完璧な索敵と連携だ!
「手前のリーダー格、左足に体重がかかってる! ハヤテ、8時の方角から急降下!」 『了解! 音速の風を感じなさい!』
上空でハヤテが翼を折りたたんだ。 空気を切り裂く風切り音が響く。流星のごとき速度で落ちていくハヤテ。
「ガ!?」
リーダー格のゴブリンが異変に気づいて見上げた時には、すでに遅かった。
ドカァン!!
「グギャアアアっ!?」
ハヤテの鋭い爪が、音速の衝撃波とともにゴブリンの頭部に突き刺さる。 たった一撃。レベル1とはいえ、神獣の持つ身体能力と急降下の運動エネルギーが組み合わさった威力を受け、ゴブリンは一瞬で崩れ落ちた。
「な……ゴブ!?」 「動揺してるぞ! 次は右の弓持ちだ! 翼で目眩ましをしろ!」 『はいよっ!』
着地の勢いを利用して反転したハヤテが、激しい羽ばたきで強烈な突風(風魔法の欠片)を巻き起こす。土煙が弓持ちゴブリンの目を奪う。
「そこだあああっ!」
俺は地上から駆け出し、視界を奪われたゴブリンの懐へ跳び込んだ。仕込みナイフを一閃。首筋を正確に切り裂く。
「ゴブッ……!?」
「あと3匹! ハヤテ、クロス攻撃だ!」 『オッケー、ご主人様! 呼吸を合わせて!』
一羽と一人の完璧なコンビネーション。 上空からの急降下牽制と、地上からの必殺の一撃。 長年培ってきた「鷹匠と相棒」の絆は、異世界のモンスター相手にも遺憾なく発揮された。
わずか数分後。 そこには、全滅したゴブリンの群れと、勝ち誇ったように息を吐く俺たちの姿があった。
「ふぅ……ふぅ……。勝った……のか?」 「当然でしょ! 私たちを誰だと思ってるのよ!」
ハヤテが満足そうに空から舞い降り、俺の腕木(左腕)の上に着地した。
ピコン♪
脳内に心地よい効果音が響く。
【戦闘勝利】 ・クロハ・ハヤトのレベルが 1 から 3 に上がりました。 ・ハヤテのレベルが 1 から 3 に上がりました。 ・『絆レベル』が 1 から 2 に上がりました! ・スキル『風の加護(小)』が開放されました。
「おお、レベルが上がった! 絆レベルも上がってるぞ!」 「でしょ? 私の封印を解くには、こうやってアンタと連携して戦ったり、美味しいものを食べたりして『絆』を深めるのが一番なのよ」
そう言って、ハヤテはチラッ、チラッと俺の腰のポーチ(※なぜか現代で使っていた鷹用の餌袋が装着されていた)に視線を送ってきた。お腹がくう、と鳴っている。
「……あー、はいはい。ご褒美ね」
ポーチを開けてみると、中には新鮮な生肉(干し肉?)がいくつか入っていた。異世界からの初期支給品だろうか。 一口大にちぎって手のひらに乗せると、ハヤテは目を輝かせてパクッと食いついた。
「んむ! んむ……! やっぱアンタからもらう肉が一番美味しいわね!」 「現金なやつだなあ……。でも、無事でよかったよ、ハヤテ」
俺は空いた方の手で、ハヤテの頭を優しく撫でた。 愛おしい羽毛の感触。もう二度と触れられないと思っていた相棒が、こうして生きて(喋って)目の前にいる。それだけで、異世界に来た甲斐があったというものだ。
「……な、なにみつめてるのよ。気持ち悪いわね」 「素直じゃないところも変わらないな」 「うるさい! ほら、さっさとこの森を抜けるわよ! 『猛禽の絆』で上空から出口を探すわ!」
ハヤテは顔を赤くして(鳥だから分からないが、羽をパタパタさせていたので絶対照れている)、再び空へと飛び立っていった。
「よし……行くか、異世界!」
現代で居場所を失っていた元・鷹匠と、神獣へと覚醒した亡き相棒。 一人と一羽の、破天荒で痛快な異世界冒険記が、いま幕を開けたのだった。




