36.覚えているということ
ユリアーナがあの騎士に手を差し伸べる。
私の頭の中で騎士がユリアーナに向かって剣を突き付ける。
「マリー?」
あの騎士がユリアーナに手を差し出した。──頭の中で血飛沫が飛んだ。
「やめてぇええええ!!!!!!」
「マリー!」
なりふり構わずにユリアーナへ向かって行く。
カールハインツが呼ぶのも無視して、一直線に駆けていく。
「ユリアーナ!」
騎士の手が触れる寸前で払い、ユリアーナを抱き締める。二度と殺されてなるものか。ユリアーナは冤罪だ。もう、誰にも危害は加えさせない。
絶対に、誰にも傷つけさせない!
「お母さま?」
「だめ……だめよ、ぁあ、だめなの。あんなことはもうたくさん……」
生きている? 大丈夫? 私の娘はちゃんと生きている? 赤い血飛沫にまみれていない? どこも傷ついていない?
恐怖に震え、きつく抱き締め、生きているかを確認する。
小さな身体が身動ぎをして、戸惑いを伝えた。
「お母さま、どうなさったの?」
「マリー!」
「近づかないで!」
ユリアーナ以外の全てが敵に見え、無意識に威嚇するように魔力を放出する。
怯えた目をした騎士は、青褪めた顔をして尻もちをついたまま動いていない。
それは今だけかもしれない。(いいえ、そんなはずないわ)
油断させるための演技かもしれない。(まだ子どもじゃない)
近寄らせてはいけない。また、悲劇が繰り返されてしまうかもしれない。
「ユリアーナ、この騎士はだめよ。だめなの」
「お母さま、ここに騎士の方はいらっしゃらないわ?」
「だめなの! お願いだから言うことを聞いて……!」
声を荒げると、ユリアーナはビクッと身体を強張らせた。
──違う、そうじゃないの。あなたを怖がらせたいわけじゃない。ただ、この騎士が、あなたに害をなす存在だから……
「申し訳ございません! 公爵夫人、どうか、どうかご無礼をお許しください……っ!」
聞こえてきたのは、必死になっている男性の声。
「ちち……うえ……」
「黙っていろ!」
「申し訳ございません。息子の不始末は私共がつけますから……! どうか……、どうか……!」
次いで、必死な様子の女性の声。
声のする方を見てみれば、私たちに向かって土下座をしている男女二人。その後ろに涙目の男の子。
周りを窺えば顔色を悪くした人たち。
泣きそうな顔をしたご令嬢を抱き締めた夫人もいる。
「……あ……」
ユリアーナを守らなくちゃ、と周りが見えていなかった私は一気に青褪めた。
事情を知らない人からすれば、おかしい行動をしたのは私の方だ。
「妻が取り乱してしまって申し訳ない。どうか立ってください。息子さんは何もしていません。咎めもありませんから……」
カールハインツが、土下座をしている──おそらく騎士のご両親だろう二人に声をかけると、ゆっくりと頭を上げる。
「みなもすまなかった。妻は病から立ち直ったばかりで、不安な気持ちが出てしまった。私が不甲斐ないばかりに申し訳ない」
カールハインツは周りの人たちにも頭を下げた。
私の不始末を背負わせてしまった。
違う、違うのに、あなたには関係がないことだ、と頭を振るが、私に背を向け頭を下げたままのカールハインツには届かない。
「……ぶざまだな。みっともない」
そんな声が聞こえて、辺りを見回す。だが誰もが口を閉ざしたまま、私たちを遠巻きに見ているだけだ。気のせいだったのだろうか。
だが無様でみっともないのは言う通りで、羞恥で顔を俯けた。
「何の騒ぎ?」
騒然となっていた場に、ラルス殿下の声が響く。
今日は殿下の婚約者と友人候補を募るお茶会だったのに、私のせいで台無しにしてしまった。
私はユリアーナを抱き締めていた力を緩め、立ち上がる。
「皆様、お騒がせして申し訳ございません。取り乱してしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。……そこのあなた、怖がらせてしまってごめんなさい」
謝罪をすると、騎士の男の子はビクッと肩を震わせた。かわいそうなくらいに怯えさせてしまった。だがご両親は上げていた頭を再び下げ、男の子の頭も下げさせた。
「……ああ、そういうことか。そこの頭を下げた男、名を名乗るがいい」
「はっ、はい! わ、私めでしょうか。私はドナート。フィン・ドナートと申します。男爵位を賜ってございます」
「ドナート。では、後ろの息子は何という」
「はっ! ゲオルクでございます。私の息子でございます」
ドナート男爵は、息子の頭を下げさせたまま答える。王子殿下に声をかけられ、恐縮しきりだ。
ラルス殿下をよく見れば、その表情は硬い。だが落ち着いて辺りを見回して状況を確認し、ひと呼吸置いて口を開いた。
「公爵夫人が取り乱したことで、ゲオルクに責があると思われたのだろう。ブランシュ公爵、彼に咎はあるか?」
「……いいえ。彼に罪はございません」
「ならばドナート男爵、並びに夫人、そして令息。そなたらに罪は無い。公爵夫人は、令息が手を取るときに令嬢に近づくハチに気づき手を払った。それから守るために行動した。……この場はそれで、私に免じて収めてくれるか?」
「も、もちろんでございます!」
未だ顔を青くしたままのドナート男爵夫妻はコクコクと頷いた。それを見てラルス殿下も小さく頷く。
彼もまた、ゲオルクと紹介された少年に少しばかり怯えている気がしたのは、ずっと握り締めた手が真っ白になっているからだろうか。
それにしても、こんな小さな殿下に場をとりなしてもらうなんて、情けない。
「皆のもの、主催としてお詫びする。このあとも時間の許す限り楽しんでほしい」
ラルス殿下は声を上げると、手を胸にあてて丁重に礼をした。
それにならい、戸惑いを隠しながらも周りの親たちも礼をする。
彼は前回、こんな落ち着いた殿下ではなかった。
「ブランシュ公爵、父上が探していた。向かってくれるか?」
「……承知いたしました。御前を失礼いたします」
カールハインツは一瞬だけこちらを見て、行ってしまった。あとで謝らなければ。
「公爵夫人、少しいいだろうか?」
ラルス殿下は私に向き直り、目線を鋭くした。
再びユリアーナを自分の後ろに隠し、対峙する。
「何でしょうか」
「会が終わったら、待っている。……百合について話をしたい」
──その表情を見れば、いくら鈍い私でも分かる。おそらく、彼は私と同じ。
「準備ができたら使いをやる。それまでは待機していてくれ」
「承知いたしました」
一礼して、一瞬だけ目が合った。まだ少年の姿をしているのに、達観したような目つきにドキリとした。
ラルス殿下の去りゆく後ろ姿を見つめる。
どうしてそうなっているのかは分からないが、確かに話し合う必要はあるだろう。
「お母さま」
ユリアーナが不安そうに見てくる。
自分を殺した相手に難なく手を伸ばせるユリアーナに、おそらく前回の記憶は無い。
でも、そんなトラウマ覚えていなくてよかったかもしれない。
「ユリアーナ、……どうして誰彼構わずに声をかけていたの?」
デニス様はともかく、あの騎士──ドナート男爵令息はユリアーナより年上だ。そんな彼にも声をかけるなんて、と腑に落ちない。
「私はひとりでいる方に声をかけていたの」
「ひとりで……? ……どうして?
「だって、お母さま。ひとりぼっちは寂しいわ」
ユリアーナの言葉に何か言おうとして、結局言葉にならなかった。
ずっとひとりにさせてしまったのは私だ。
だから、一人きりでいた彼らが寂しくないように声をかけていた。
「そう……。あなたが……一緒にいてあげようとしていたのね」
ユリアーナの頭をそっと撫でる。
前回の記憶がないユリアーナと、鮮明に覚えている私。
ユリアーナが何も知らないならば、私はどうやって守ればいいのだろう。
ただ、闇雲に守るだけではダメなのかもしれない。
自分の不甲斐なさで情けなくて、唇を噛んだ。




