38 春の訪れ(終)
旧ヴァイアーシュトラスへと続く森はとても深く鬱蒼としているのに、この場所だけごつごつした岩山のようになっていた。
この岩の影に隠れ壮絶な出産に挑んだラウラとユリス。
絶望しかなかったこの場所に薄桃色の花束を備えるのは、あの日ここで産まれた奇跡の娘だ。
もしリンが産まれていなければ、ユリスはこの場でラウラの後を追っただろう。ヴァイアーシュトラスの暴挙がベルクヴァインに届くのは遅れ、ベルクヴァインがヴァイアーシュトラスに飲み込まれていた可能性が高い。
ユリスは決して自分が正しいとは思っていない。ただ恨みを晴らしたかった。
ヴァイアーシュトラス王家を根絶やしにしてもラウラが帰ってくることはないのに、思いつく限り残虐に、命乞をされればされるほど執拗に追い詰め、最も恐ろしく苦しい方法でいたぶり殺した。
ユリスは自分を身勝手で残虐な人殺しであると認めている。
「こんなにも遠い場所だったんですね」
もの思いに耽っていたユリスは、リンの声で現実に引き戻された。
祈りを終えたリンが大きく息を吸い込んで辺りを見回わしている。
ユリス一人なら魔法で軍馬と自身を強化し一日で往復できる距離だったが、さすがにリンが一緒となると人間として当たり前の道程をとるしかなかった。
別に急いでいないので問題なかったし、物見しながらのリンと二人きりの旅行は新鮮でもあった。
ここに来る時はいつも何故か苦しくて、寂しく悲しい気持ちを抱えていた。
王女として生まれ育ち輝くような女性が無惨な死を迎えた場所。そして己の無力さを突きつけられ、あさましく醜い様を曝け出す場所にもなっていた。
けれどリンが一緒だと光が差すのはどうしてなのか。
頬に感じる風は穏やかで、空も青く澄んで美しいと感じるのはなぜなのだろう。まるで死の世界に春が訪れたようだ。
ユリスがリンに手を伸ばす。
そのまま握り込むように手を繋ぐと驚いて顔を上げられたが、視線が合うと頬を染めて俯かれてしまった。ユリスは微笑んでその場にリンを導き膝をつく。
「ラウラ様、私の妻になる女性です。名前はリン。ただの、普通の娘です」
文字通り取ると貶しているように聞こえるが、これはとても深い意味の言葉だ。リンの視線が自分に向かったのが分かる。ユリスも一度リンへと視線を向けて、穏やかに笑ってからラウラに意識を戻した。
「彼女は私といることが幸せなのだと言ってくれました。私もです。だからこれからは二人で今まで以上に幸せになります。何ものにも縛られず、かならずリンを幸せに致します」
瞼を閉じて祈る。ラウラが得るはずだった幸せをもかき集めて、命をかけて絶対に幸せにするのだ。
その晩、宿に戻ったユリスとリンは同じ寝台に腰を下ろした。
旅先なので護衛のため常に同室だったが、今夜は二人で一つの寝台を使いたいと思っていた。
リンを呼ぶとなんの疑いも警戒もなく温もりの伝わる位置に腰をおろしてくれる。
「式はもう少しだけ先だけど、ラウラ様に挨拶したらリンと夫婦になりたいと思っていた。突然こんなことを言われたら戸惑うかもしれない。断ってくれても構わないよ」
世の中の男女が辿る現実がどうあれ、婚儀の日こそが公に夫婦とみなされる。いい年したユリスが急く必要はない。
それでも夫婦と宣言する区切りとして、リンをラウラが眠るあの地へ連れて行った今日にしたいと思ってしまった。花嫁衣装の仕上がりに合わせた日取りではなく、大切な女性が眠る地に二人で訪れた今日が相応しいのではと思ってしまったのだ。
しかしこれは単なるユリス個人の感情だ。花盛りの乙女であるリンにも夢があるだろうことは予想がつく。だから断られてもがっかりしないし、逆に気を遣われて同意するようなことになってもいけない。
ユリスが注意深くリンを見守っていると、リンは頬を染めてアーモンド形の目に涙の膜を張った。
「これから僕と夫婦になってくれるかい?」
リンが頷き、涙の膜が弾けて雫が舞う。
「嬉しい。わたし、ユリス様とずっと一緒にいたかった。今日からずっと、死ぬまで離れることはなくなるんですね」
養い子でいる限りいずれは離れてしまう。けれど夫婦になれば生涯を共にする権利を得るのだ。
ユリスの胸に飛び込んで泣き出してしまったリンを抱きしめて、「僕も嬉しいよ」と頭頂にキスをする。しばらく抱きしめてリンの涙が落ち着いた頃、ユリスはリンの顔をあげさせた。
「リン、僕は君を誰よりも深く愛しているよ。幸せになろう」
これは義務でも、魔法将軍の事情でもない。ユリスが未来に望み叶えたいと願うたった一つのことだった。




