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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第六章・見えざりしひと
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第六章・見えざりしひと(6)

 シロと出会ったのは去年の春、大学に入ってすぐのことだ。講義でたまたま同じグループになったことがきっかけだった。


「えっと、カワダくん? カワタくん? 下の名前、何て読むの?」

「……タケシロです」


 それがファーストコンタクトだった。今思えば我ながら、なかなかに無礼だ。シロが一瞬驚いて、声のトーンを落としたのも納得がいく。ただ、仕方の無いことだったとも思う。その時はまだ"カワタくんイコールなんか暗そう”としか思っていなかった。

 誰かに声を掛けられても当たり障りのない返事しかしない、空き時間に人と話しているのを見たことがない。聞いた話では、一時間ただぼんやりと窓の外を眺めていたこともあったらしい。

 これと言った特徴が見当たらない。体格が良いわけでもないし、特別勉強ができるわけでもない。本当に目立たない奴だと思った。目立つことを嫌がっているようにも見えた。俺とは真逆の人間だと思った。


 でも話してみて不思議と楽しく感じたのは、きっと″目″を持っていたからだ。″人を視る目″。″人の本質を見極める目″と言った方が正しいかもしれない。俺もそうだし、シロもそうだ。俺は勘頼りだけど、あいつは論理的に人を視ている。しっかりと裏打ちされている。

 それまで当たり障りのないように聞こえていた会話の内容にきちんと意味があると知ったときは、少なからず感動した。相手の性格や状況なんかをしっかり踏まえてから会話をする。細かい動作をよく見ている。近ければ近いほど、楽しければ楽しいほど良いと思っている俺にはできない芸当だった。

 俺が風邪気味だったとき


「体調、良くないんじゃない?」


 と声を掛けてきたのは、シロだけだった。

 さすがに消化の良い食べ物やら栄養ドリンクやらが詰め込まれたビニール袋にはツッコミを入れたけど、それもシロなりの気遣いだったんだろう。

 ちょっと変で面白い、良いヤツだと思った。周りに興味を持ちすぎる、子どものような温かみのあるヤツなんだと思った。


「お前さ、なんでそんなに他人のことがわかんの?」

「は?」


 いつもは滅多に穏やかな表情を崩さないシロがあそこまで驚いた顔をしたのは、後にも先にもその時だけだ。


「鳩が豆鉄砲食らってやんの」

「早乙女が唐突すぎるんだよ」

「名前で呼べって。……いや、前々から気にはなってたんだよ」


 俺の中では唐突でもなんでもない。

 俺は勘の当たる方だし、来るものを拒まず去るものは基本的にいない。そういう意味では恵まれている。でもシロは確実に、俺とは違うところから他人を見ていた。


「他人のことがわかるって、どういうこと? エスパー的な?」

「いやそういう意味じゃねぇよ。わかるって言うとちょっと違うかもなんだけどさ、他人が何を言ってほしくて何を言ってほしくないかを理解してるっていうか。相手の心境みたいなん、めっちゃ意識してない? お前」

「……」


 豆鉄砲は、二発目も見事に命中したらしかった。


「動作? 仕草? そういうのとかも見てんじゃん」

「びっくりした……。幸太郎がそこまでおれを見てるとは、思ってなかった。完全に予想外」

「はぁー? 何気に失礼だな、おい」


 たしかに交友関係、というか顔だけは広い。でもそれは俺の功績じゃない。兄貴がいるせいだったり、家が自営業をしているせいだったり。つまりは生まれた場所の狭さのせいだ。

 だから俺は俺が好きだと思うヤツを友だちとして選ぶ。自分で選んだ友だちのことに興味を持つのは当然だし、知りたいと思うのは普通だ。


「前に図書館で、行動心理学の本を見つけてね」

「コードーシンリガク」

「うん。視線とか手の動きとか、無意識に出る仕草から相手の心理を読み解く学問」


 簡単に言えばね。シロはいつも通り朗らかに、からりとそう言ってのけた。

 心理だの精神だのというものの知識が全く無い俺には何が面白いのか、どこに興味をひかれたのかさっぱりわからない。でも熱を持って楽しそうに話すシロを見ているのは楽しかったし、おかげで危なっかしさを知ることもできた。


 こいつは一度興味を持ったらブレーキが効かなくなるらしい。疑問は絶対に解決しないと気が済まないらしい。″そこそこ″で終わらせることができないらしい。


「すげぇな、俺には絶対無理だわー」


 誰かがそばにいて、止めてやらなきゃいけないらしい。そう思った。


 それから一年とちょっとが経った大学二年の梅雨前、シロはバイトを始めた。ざっくりとしか内容を聞いてないけど、何かが起こりそうで心配だった。聞いた限りでは、そのバイト先はシロにとって興味の尽きない場所な気がする。そして、俺はそういう勘もよく当たる。


 それからはまるで濁流のように毎日が過ぎた。

 渦戸が殺されて興味の対象が増えたシロは何となく生き生きとしていて、それに気づいたのは俺だけだった。


「シロ? 別に普通じゃね? お前心配しすぎだって。母ちゃんかよ」


 若干引いたように笑った、同級生のその感覚は正しいと思う。だから確信した。今現在あいつのそばにいてやれるのは、俺だけだ。

 シロは人をよく見る。人の細かいところがよく見える。自分のことを見せないようにもしている。他人に自分を知られるということがどういうことなのかを、よく理解している。それこそ″無意識″なのかもしれないけど、理解しているからこそ他人との距離をとってしまう。

 なら、俺が助けてやろうと思った。親友の力になってやろうと思った。

 あのナイフを見るまでは。あの炎を見るまでは。あの小さな人影を見るまでは。六月二日の夜までは、俺は確かにそう思っていた。

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