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アイ・マイ・シー  作者: 津久美 とら
第六章・見えざりしひと
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第六章・見えざりしひと(5)

 黒だった。正確には黒に”見えた”。

 ついさっきまで可愛らしい淡色で統一された、外国風の子ども部屋に居たのだ。対極とも言える色彩の差に、目が追いついてくれなかった。

 濃いグレーの壁紙に黒いカーテン。入り口の右手には黒いカバーの掛かったベッド。窓際の隅に置かれた小さな机に至るまで、黒色でまとめられている。

 床にカーペットの類は敷かれていない。この部屋の主は土足で過ごす主義なのだろう、床材の塗装が所々剥げてしまっている。

 左側の壁には殆ど一面にガラスケースが据えられ、カーテンの隙間から射す僅かな光をチラチラと反射した。

 彩度が低すぎるあまりに無味乾燥な室内は、ある種の退廃的な雰囲気を醸している。近頃流行しているという”廃墟”を思い起させた。


――極端だな。


 ”この部屋の主と、先ほどの部屋の主は別人である。”

 室内は遮光性の高いカーテンによって薄暗い。それでも感じ取れるほど異様な極端さが、そう強く主張していた。現時点では一切の電子機器が見当たらないことだけが、この部屋と子ども部屋との唯一の共通点であった。

 確かに先ほどの部屋とは明らかに様相は違っている。だが入り口から見渡す限り、特段に奇妙なものは無い。むしろ衝撃の強さで言えば、子ども部屋の方がよっぽど上をいくだろう。

 落胆と安堵を抱えて、シロは室内の探索へと乗り出した。

 しかし数分も経たぬうちに、彼はその落胆と安堵が束の間の休息であったことを思い知ることとなる。そのことを理解した瞬間、極度の興奮と微かな後悔が彼の体を駆け巡った。


 * * *


 入り口から見て左側の壁殆どを埋めるガラスケース。ショーウィンドウのようなその中に収められていたのは無数の刃物と、何十枚もの残虐な写真であった。刺激の強すぎる物たちに紛れて手袋や帽子、靴などの服飾品も鎮座している。そのどれもが売り物であるかのように、丁寧に向きを揃えて並べられていた。

 そこからは部屋の主の几帳面さと、こだわりの強い性格であろうことが容易に窺える。同時に仕舞われている品々が、主にとって大変に重要な意味を持っていることも示唆していた。

 ざっと見ただけでも刃物の種類は優に十を超え、どれも手入れが行き届いて見える。ケースの右と左で種類ごとに分けられており、その配置の仕方などから考えても一見すると刃物たちはただの観賞用であった。なれども手袋や帽子など、飾るには不釣合いなものが混ざっていることには得心がいかない。そして何よりシロの疑問を煽ったのは、ガラスケースの向かって左側だ。


――包丁。


 牛刀、出刃、柳葉。他にも様々な種類の包丁が並べられているが、シロに見分けがつくのはせいぜいその三種類だけである。何にせよ日常生活で見慣れた包丁と、凝った造形のナイフとを同じくして並べることには違和感があった。

 その内の一本、比較的刃渡りのある出刃包丁だけは、状態が明らかに他とは違っていた。一本だけ砥がれ磨かれもせず、他と比べて扱いがひどくぞんざいであったのだ。

 その出刃は柄の前方、刃に近い部分だけが黒っぽく染まっている。柄尻は本来の木の色をしているから、何らかの理由によってそこだけ色が沈着してしまったと考えられた。

 刃の方はと言えば、何ヶ所も刃毀(はこぼ)れしており、この出刃には不相応な負荷がかかったようである。包丁は往々にして刃毀れからは逃れられぬものではあるが、力任せに魚を捌いたり無理に硬いものを切ったりしない限りはそうそう起こりえない現象でもあった。


――この包丁には思い入れやこだわりが無いのか、それとも無くしてしまったのか。


 僅かな日光でさえも跳ね返すほど明るい銀色に囲まれ、主からぞんざいな扱いを受けて困憊しきった出刃。その全身からは澱んだ空気が立ち上っている。おどろおどろしい。それはこの包丁のために用意されたかのような言葉だった。

 対してガラスケースの右側には、緻密な装飾がなされたナイフが何十と並んでいた。絢爛で瀟洒(しょうしゃ)なそれらこそ、丁重に陳列するに相応しいと言える。しかし美しい物たちの中には、やはりむごたらしく毒が混ざっていた。

 いつだったか、大学で行き会った優太に差し出された写真。その被写体の現物が、今シロの目の前に現れたのだ。


――ツイストダガー。


 ひやりと、シロの背中に一筋の汗が伝った。

 あの時あの写真を見たときは、まるで観賞用だと感じた。本当に人を殺すことなど可能なのだろうかとも。よもや実物がこんなにも禍々しく、凶器らしい風体をしているとは思いもしていなかったのだ。


「刺した時だけじゃなく、抜くときにも肉や内臓や血管を抉るんだ」


 穏やかな声が反芻される。


「この残酷な凶器でコウは、うちの家族は殺されたんだ」


 微笑みをたたえたまま遠くを見る優太の、尋常とは言い難い表情。

 彼はあの後強度の不眠や食欲減退、希死念慮等の症状を訴え、現在は精神科で入院治療を受けているのだという。

 幸太郎とその一家を殺害し崩壊させたもの。それがなぜ笠原邸に、さも大切そうに保管されているのだろうか。怒りとも、困惑ともつかない感覚だった。


――あれは……。


 ガラスの向こうの憎悪の対象と言っても過言でないその短剣を凝視するうち、シロは一つの違和感を認知した。

 ある程度の実用性を踏まえてだろう、柄には滑りにくい素材で大きな凹凸がつけられている。

 その凹凸の一か所が、”何か”で埋まってしまっていた。”何か”がこびりついていると言ってもいい。灰色の柄に黒でも茶色でもない色の”何か”が固まっており、一たび認識するとそれはひどく目立って感じられた。

 ガラス越しであることも相まって、確証は無い。だがシロには確かに見覚えのある色だった。


――血液?


 それは人間の血液が乾いた色だ。

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