番外編9 この大切な日々を
戦いが終わった俺たちは、ひとまず岩場で合流した。みんな相変わらず裸にバスタオルのみをまとった姿なので、目のやり場に困る。
巨大カピバラの埋まった岩山を呆然と見つめながら、黒乃が口を開いた。
「あはは……。せっかく、のんびりしに来たのに……なんだか、いつも通りの感じになっちゃったね」
それにはアンリも同意する。
「そうですね……でも、わたくしたちらしいです」
そうしていると、理子がカメラの前に身を乗り出した。
もちろんバスタオル姿のままで。
「今日の配信は、ここまで……バイバイ」
カメラに向かって小さく手を振ると、ドローンの電源を切った。
意外だ。こういうアクシデントの後こそ、撮れ高のためにって配信を続ける主張をすると思っていたが。
「配信を続けなくていいのか、理子?」
「勝手に終わらせてごめん」
「いや、俺は構わないけど……」
パンダ頭を脱ぎながら、黒乃とアンリのほうをチラリと見ると、彼女たちもうなずいて同意を示した。
「まだ配信したいなら、動画を立て直すけど……プライベートな時間も大事、だと思う」
「……そうだな」
理子なりに気を遣ってくれているらしい。
「大丈夫……撮れ高は十分。……神回だったと思う」
「たしかに。我らがスポンサーのミミズク氏がそう言うなら、いろんな意味で体を張った甲斐があったな」
スポンサーという言葉に満足げな理子ことミミズク。
配信の緊張から解放されて和やかなムードになった俺たちの中で、アンリが提案する。
「また汗もかいてしまいましたし、改めて温泉に入りましょうか……?」
黒乃が「賛成!」と小さく飛び跳ねる。いろいろ見えそうで際どいし、胸も少し揺れていたので、なんだかこっちが恥ずかしくなって俺は軽く目をそらした。
理子がしたり顔でうなずいていた。
「とは言っても……」俺は温泉の壊れた大岩に目をやる。「境にしてた岩が壊れちゃったな。……これだといっしょには入れないし、やっぱり俺は待ってるよ――」
その言葉を言い切る前に、黒乃が俺の腕を掴んだ。
「黒乃?」
「いまさら真央くんだけ仲間はずれなんて、あり得ないよ」
反対側の腕を、アンリがぎゅっと握る。
「お、おい……」
「黒乃先輩の言う通りです。師匠、いっしょに入りましょう」
待て待て待て、そんなに近寄るな。
男にはいろいろと生理現象があるんだぞ。今もなんとか理性で抑え込んでいるだけで――。
「わたしは……推しと少しでもいっしょにいたい」
理子が歩み寄ってきて俺を見上げる。
「わ、わかったから、もう少し離れて――」
「ふふ。じゃあ、行こう! 真央くん」
黒乃とアンリに両腕を引かれて、俺はそのまま温泉へと入った。
「……かけ湯くらいしろよ」
「あははっ。お湯も流れてるからすぐ綺麗になるし、私たちだけだから大丈夫だよ」
俺と黒乃とアンリに続き、理子もざぶんと温泉に飛び込んだ。
そうしてなんだかんだで、四人いっしょになってダンジョンの秘湯を満喫することになった。
密着したままはさすがに恥ずかしかったから、みんなから少しだけ離れた位置で俺は入浴することにした。
「いいお湯ですね……」アンリがささやく。
「だな……」
癒される。ほのかに硫黄の香りがするお湯に浸かっていると、体が心地よくほぐれていくのを感じる。
道中はいろいろと大変だったけど、たどり着いてしまえば、素晴らしい体験だったと思う。
「来てよかったな、本当に」
なんて、俺がつぶやくと。
「うん」と黒乃。
「はい……」とアンリ。
「同意」と理子。
「いっしょに入るのは、やっぱりちょっと恥ずかしいけどな」
「そうだね。…………真央くん」
湯にのぼせたのか、黒乃が少しだけ赤面しながら、俺のほうへと近づいてくる。
アンリも。温泉の中を這うような体勢で近寄ってきては、二人は上目遣いで俺を見上げる。
細く魅惑的なスタイルの二人。お湯で濡れた滑らかな肌に、温泉の熱もあって、俺の思考はしばし真っ白になる。
だから、
「ありがとう……真央くん」
「――ふぇ!?」
いきなりそう言われて、変な声が出てしまった。
「な、なに? いきなり?」
「う、うん。ごめんね? でも、早く言っておかなくちゃって思ったから……」
何のお礼だろうか。
今日の俺の仕事は巨大カピバラを撃退したくらいで、そこまで褒められるようなことはしていない気もする。
すると黒乃は、ゆっくりと首を横に振ってから切り出す。
「ほら、新宿大深淵のこととか……」
「……ああ」
新宿の深淵ダンジョンで俺とアンリが戦い、黒乃の魂をなんとか助け出したんだったな。
俺としては、もう過ぎたことだったのだけど。それに。
「お礼なら、もうたくさんしてもらっただろ?」
「そう……かもしれないけど……。でも、真央くんには、それ以外でもたくさんお世話になってるし、……出会ったときから、ずっと助けてもらってるから」
だから、と黒乃は、はにかんだ笑みを浮かべた。
「真央くん、いつもありがとう」
「……っ」
今度こそ、俺は照れと恥ずかしさで顔が熱くなった。
すると、今度はアンリが口を開く。
「わたくしも……ありがとうございます。……真央師匠」
「アンリまで……」
銀髪の少女の晴れやかな表情に、その美しさに思わず俺は目を奪われる。
「わたくしは、師匠と出会えて、たくさんのことを学びました。戦いのことも……こうした、楽しい時間も。大切な人たちといっしょに笑い合うことが、これほど尊いものだなんて……」
……。
それは、俺もだよ。
俺も、きみたちと出会えて――いっしょに笑い合えて――すごく楽しいし、救われている。
二人に囲まれて俺が言葉を詰まらせていると、今度は理子も俺たちのほうへと泳ぐようにして近寄ってきた。
きらりと光る瞳で俺を見上げる。
「推しのいる世界線に、わたしがいる……それだけで、わたしはしあわせ」
「……そんな大袈裟な」
「でも、本当のこと。そんな推したちとこうして冒険ができるなんて、これ以上の幸福は、ない」
そう断言する理子に、俺と黒乃とアンリは思わず吹き出してしまった。
それは、今世では――あるいは前世でも感じることのなかった、温かいひとときだった。
◆
湯上がり。
着替え終えた俺たちは、ダンジョン脱出魔法グア・テルマを使って洞窟の外へと出た。
服は泥だらけだが、すっかり乾いていたので不快感は少ない。
そこから山奥の獣道を抜け、ようやくたどり着いた穏やかな帰路。
もちろん高速飛行魔法グア・リベリトを使って帰ることもできたが、あえてそれは選ばなかった。名残惜しいから。もう少しだけ、みんなでこうしてしんみりした空気に浸っていたいから。
日が沈み、風がやさしく木々を揺らす夜の道。
冒険の後の心地よい疲労感とともに、俺たちは山を下っていく。星空のもと、虫の音を聞きながら。
そこで、ぽつりと理子が口を開いた。
「今日はおつかれさま……」
「ああ。お疲れさま」
「ダンジョン探索をがんばったみんなへのプレゼントがある」
肩にかけていた小型クーラーボックスを開いて、我らがスポンサーと言って差し支えないミミズクこと理子が取り出したのは――。
「はい、これ」
瓶入りのフルーツ牛乳だった。
それを見た黒乃が目を輝かせる。
「わあ! ちょうど甘いものが欲しかったんだ……! ありがとう、理子ちゃん」
「いいのか、理子?」
「もちろん。全員ぶんある」
「ありがたく、いただくよ」
アンリもフルーツ牛乳を受け取って、夜の風に銀髪をなびかせる。
「ありがとうございます。……風流ですね」
それには、俺も同意する。
「そうだな……」
騒がしい時間が終わり、別れが近づく、少しの物悲しさ。
そんな時間もまた、俺は好きだった。
それから、黒乃とアンリと理子。三人の少女と俺は、ぽつぽつと会話しながら、ともに笑い合って歩いた。
俺は少し後方を歩きながら、楽しげに帰路につく三人の背を見守る。
ふと――。
気づいたら、少しだけ目尻が熱くなっていた。
「……真央くん?」
振り向いた黒乃が首をかしげる。
「……泣いてるの?」
「え?」
言われて、俺は目元を拭った。
たしかに、涙を流していたようだ。
「どうしたの、大丈夫、真央くん?」
「師匠……」
「わたしの推し。どこか悪いところがあったら言って」
気づいたら、むしろ余計に涙が流れてきた。止まらなかった。
「真央くん……」
「……ごめん。俺は大丈夫……」
自分でも、どうして泣いているのか、ちゃんとはわからない。
だけど。
俺は、どうしようもなく好きになってしまったんだと思う。大切な仲間たちといる、この日々が。
「まさか、俺にまた、こんなふうに笑える日が来るなんて……思わなかったんだ……」
「真央くん……」
前世の俺は、勝手に信じて、裏切られて、すべてを失った。
だから、もう二度と心から笑える日はない。
今世では、ただ平和に、穏やかに生きられればそれでいい。それ以上を、望むことはない。
そう思っていたのに。
「やっと、好きになれたんだ……」
生きることを。この世界を。
そして、こんな毎日を全力で楽しんでしまっている、自分自身を。
それに気づいたら、なんだか気持ちが軽くなった。
心を縛っていた枷が、あるいは重りが外れて自由になったように。
俺はもう一度目元を拭って、心配そうに見つめる三人の少女を見回した。
「なんか、しんみりしちゃって悪い。みんな、これからもよろしくな」
すると、三人の顔がぱあっと晴れる。
「……っ。うん! こちらこそ、だよ。真央くん」
「もちろんです。わたくしのほうこそ、至らないかもしれませんが……末長く、よろしくお願いいたします」
「わたしは、これからも、あなたたちを推し続ける……」
そういって、三人は笑顔を見せる。つられて俺も笑っていた。
配信活動を始めてから。
ただのモブでいたいと思っていた俺の日常は、すっかり様変わりしてしまった。
けど、この大切な日々を守るためなら、もう少しだけTesting_Roomのパンダで居続けよう。
今度こそ、失わないために。
俺はこの少し騒がしいけど優しい、新たな日常を、全力で楽しんでいこうと思う。
これで、物語はいったん完結です。
ここまで読んでくださって、本当に、本当にありがとうございました!




