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第二話 忘れたかった記憶

第二話 忘れたかった記憶

 2014年7月のある日。

 太陽が沈む中、二人の少年が声を荒げ合う。


「お前が悪いんだろ!なんで俺が悪い奴扱いされなきゃいけないんだよ!」


「だ、だって君が僕を見捨てたんじゃないか!」


「は!?なんだよそれ。そんなの知らねえよ」


「じゃあなんでよ。君はあの時僕と目が合ったよね?何もなかったように走っていったよね?助けだって呼んではくれなかったよね!」


「……俺だって!……無理だったんだよ……」


「君は言ってくれたじゃないか。『俺たちはずっとずっと親友だって、何かあったときは助け合おうな』ってさ!」


「っ……そ、そんなの覚えてねえよ!そもそもお前の家の事情なんか知ったことねえよ!お前といるとこっちまで怖い目に遭うんだよ!……親友とかどうでもいい!!!」


「……え……」


 必死に感情を抑えていた少年の何かが決壊した。

 大切なものを失ってしまった。


 足元に、ぽつぽつと雫がしたたる。


「あ、いや……っ……その」


 もう一人の少年は振り下ろした刃を否定しようとするが、黙り込んですぐに下を向いた。


 ただ去っていく少年の、幼馴染の、親友の足音を聞くことしかできなかった。



 ◇



 閏には幼馴染、いぬい 乖斗かいとがいた。


 実家同士が近かったため、同じ幼稚園に入園したことをきっかけに二人は知り合った。


 乾は3歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られた。


 離婚や育児、片働きになったことのストレスで母親は酒に溺れることが増え、乾が小学校に進学した時には退職し、少ない生活保護金を現実逃避の資金にあてていた。


 閏は物心つく前に父親が癌で亡くなり、女で一つで育てられていた。


 生まれた時から父親がいなかったことや、母親が自分の身以上に息子を大切にし続けたためか、閏はそれを悲しく思うことは無かった。


 学校で休みの日に父親と出かけた話を友達から聞いた時も、それがどんな体験なのかは気になったが、それを母親に話すことが何となく良くないことだというのは幼いながらに理解していた。


 特に共通の趣味などはなかった二人だが、互いに自然と惹かれ合い、小学校に入学した時には親友と呼び合う仲になっていた。


 また二人が入学した小学校は市内でも生徒数が最も多いマンモス校だったが、偶然かはたまた約束された邂逅だったのか、第1学年から第3学年まで同じ教室で時を過ごした。


 放課後は閏の家に乾と直接帰宅し、日が暮れるまで遊ぶのが日課になっていた。


 当時の学校では最新のゲームハードが流行していたが、貧乏だった二人は当然持っていなかった。


 そのため家ですることは、たわいもない会話だったり、テレビでスポーツ中継を観戦したりと、金のかからないことばかりしていた。


 乾は自宅にテレビがなかったので、野球の試合を見ていた時は興奮で座布団を蹴とばすほどだった。


 そんな時間が二人にはたまらなく幸せだった。


 夕食を食べていくことも多々あった。


 閏の家庭もかなりギリギリであったが、普段主張の強くない息子がどうしてもと頼んできたため、母親もそれならと得意の料理をふるまっていた。


 夕食も食べ、7時頃になると乾は毎日ふかぶかと頭を下げ、閏の家を立ち去った。


 乾の住むアパートまでは徒歩二分弱程度だったが、閏はすこしでも一緒にいようとついていった。


 乾はぼろぼろの二階建てアパートの一階に住んでいる。屋根の一部が最近の台風の影響で吹き飛んでいる。


「じゃあね馴くん!また明日」


「また明日な!」


 元気に別れを告げる閏だったが、乾の表情が若干曇るのを見逃してはいなかった。




 そんなある日の。


 いつものように二人は乾のアパートに向かって歩いていた。


 アパートの屋根が見えてきた頃だった。



「おい!!!」


 怒号が響いた。


 急いで駆け出す二人。

 見ると、長身でがたいのいい男三人の集団が乾の部屋のドアを殴っていた。


 なにがなんだかわからなかった二人は、それを近くの物陰から息を殺して覗いていた。


 5分ほど経つと、集団は近くに止めていた車に乗り込み去っていった。


 少年二人は、蛇睨みを間近で見てしまった蛙のように、しばらく動けずにいた。


 閏は脅威はすでに去ったが、その場で別れの挨拶をし、走って家に逃げた。


 まだ幼かった閏には、あまりにも衝撃的な記憶として刻まれた。


 車に乗りこむ一人の男と目が一瞬合った時、その目は到底人のものには思えなかった。




 あの日から閏は、乾のアパートについていくのをやめた。


 乾も閏の気持ちを察し、何も言わず、頭をふかぶかと下げた。


 いつもと変わらぬふるまいだったが、玄関の地面を見つめる表情は雨雲に覆われていた。


 その雨雲に、閏は気づかなかった。




 乾が帰って約30分が経った時、閏は乾が大切にしていた鉛筆が机の上に忘れられていることに気が付いた。


 さっきまで、あらかじめ配られていた夏休みの宿題をいっしょにやっていたので、その時に出しっぱなしにして帰ってしまったのだ。


 明日渡そうと思ったが、大切なものだから早めに渡してあげようと、閏は靴のかかとを踏みながら乾のアパートへ向かった。


 アパートへ着くと、乾の部屋のドアが開きっぱなしになっていたのだ。


 何があったのかと駆け寄り、ドアをのぞき込んだ。

 

 閏の視界に入った風景。


 あの男達が、乾の母親と思われる人の腹を無表情のまま蹴り、顔を何でもないことのように殴り、淡々とこの世の終わりのような言葉を浴びせていた。


 閏の両手が無意識に震えはじめ、息が一瞬止まるが、すぐに荒くなる。


 あの時以上の恐怖が襲い掛かった。


「い、い……たいっ……」


 か細い声が耳に届いた。


 眼球だけを動かす。


 そこには髪を引っ張られている乾がいた。


「た……たす……け……


 親友の助けを求める声を聞き終わる前に、閏の足は勝手に動いていた。


 必死になって家へと走った。


 家に着くと真っ先に布団にくるまる。体はガタガタと震えている。


 クマゼミの鳴き声が、逃げ場を塞ぐように響き渡っていた。




 翌日。


 閏が複雑な感情で教室の扉を開けると、痣だらけの乾が席に座っていた。


 その周りを数人の生徒が囲い、悪意のない残酷な質問攻めが行われている。


 閏はその様子を遠くから見つめることしかできなかった。


 その日、担任は痣のことを聞くために乾と別室で面談をしていたため、代わりの教師が授業を行った。


 いつもと違う授業に心を躍らせている生徒が多い中、閏だけは何も考えることができずにいた。


 帰りのホームルームには乾と担任も参加していた。


 担任のやつれた表情から、無意味な時間を過ごしたことが伝わってきた。


『さようならー』


 ランドセルを担ぎ我先へと教室をかけ出る生徒を横目に、閏はふとポケットに入れておいた鉛筆のことを思い出した。


 乾の席を見るが、もう姿はない。


 急いでランドセルに教科書を詰め込み、あとを追う。


 下駄箱の靴がすでにないことに気づき、スピードをあげる。


 少しの罪滅ぼしになることを願っていた。呼吸のリズムが崩れる。


 必死に家の方向へ走った。


 人通りの少ない道に入った時、前に乾の後ろ姿が見えた。


「待って、乾!」


 閏が声をひねり出す。


「あ、あの鉛筆忘れて帰ったよね。これ返そうとおもって」


 作り笑顔で台本通りにセリフを言う。


 乾はゆっくりと振り返る。その表情は大切な何かを失いかけているようだった。


「昨日、うちに来たよね」


 乾が震えた声で言う。


 閏は固まって動けなくなってしまった。


「やっぱり閏くんだったんだ」


 乾が体を震わせながら言う。


「なんでどこかへいってしまったの?僕怖くて……怖くて……動けなかったんだよ?」


「……ごめん」


「なんでよ!なんでなの!?なんで!?僕達、親友じゃん」


 乾の言葉の全てが、閏が隠していたかったものの急所を何度もつく。


 閏の限界が来た。




 それから二人は初めての言い争いをした。


 夕暮れ時、悲しくも辛い主張が飛び交った。




 いくらか時間が経った。


 そこには下を向き、手に握る鉛筆をただ見つめる閏だけが立ち尽くしていた。


 夜、閏は布団の中で親友との初めての喧嘩を思い出す。


 初めての乾との言い争いに痛みを感じながらも、少しばかり気が楽になっていた。


 結果として互いに不満を言い合う機会となったが、より深く乾のことを知れた気がしていた。


 だからこそ親友という存在の大切さを改めて理解しなおすことができた。


 閏は明日は必ず謝罪することを決心し、眠りについた。



 翌日。


 閏は震える手で教室の扉を開けた。


 教室を見渡すが、いつもより早く来すぎたせいか生徒があまりいない。


 席に着くと、乾が来るまでの間、鉛筆を強く握り何度も何度も練習をした。


 しばらく経ち、教室も騒がしくなってきたころ、担任が扉をガラガラと開け、教壇の前に立った。


 喋っていた生徒が席に着く。


「えー、今朝警察から乾 乖斗くんが亡くなったと連絡がありました」


 コト、と乾いた音が床に響いた。


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