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クロエとイザーク~新婚旅行は甘くない・後編

ラブ甘は苦手なのですが、やはり砂糖を吐くほどの甘いひと時を表現しきれませんでした。

 クロエ達の新婚旅行は、運が良いのか悪いのか、秋の収穫祭シーズンに重なってしまった。観光客が各地から訪れ、宿泊施設はどこもいっぱいで予約が取れない状況だった。

 それでもイザークは旅程を組み、以前自分が視察に出た時に世話になった貴族に手紙を出し、屋敷の離れを借りる事にした。今回は新婚旅行であり、領主による領地の視察でもあるのだ。どの貴族も快く引き受けてくれた。寧ろ、領主夫妻を揃って迎え入れる事は大歓迎だった。


 そしていよいよ、出発の日の朝、階下からは早朝からずっと香ばしいパンの焼ける匂いがしていた。


「クロエ、朝から何を作っていたんだ? 久しぶりにお前の焼くパンの香りがして、王都の工房に居る夢を見てしまった」


 クロエは領主となってから、家事は一切やらせてもらえない。研究に集中し過ぎてやる時間も無かったのだが、たまの休みに料理をしようとして、料理長に叱られた事もある。今や使用人を多数抱える屋敷の主人となったのだから、それも当然だ。クロエ自身は身の回りの事など自分で出来るし、イザークの世話も余裕で出来る。何でも自分でやろうとして、執事には人を使う事を覚えて下さいとお願いされる始末だ。


「おはようございます、イザーク様。料理長に無理を言って、お弁当を作らせてもらいました。イザーク様の好きな物をたくさん詰めましたから、お昼を楽しみにして下さいね」


 食卓にはクロエが作った料理が並んでいた。イザークはそれを見て頬が緩んだ。大きな屋敷で専門の料理人が作る物を食べる事には子供の頃から慣れてはいるが、クロエと二人きりで、狭いダイニングで食べる食事は、それまでに感じた事もない、何とも言えぬ幸福感に満たされて、イザークには至福の時だった。

 二人はその頃を思い出しながら自分の席に座った。


「俺はお前の作るパンが好きだ。たまにはこうしてお前の作る料理を食べたいものだ」

「だったら私専用の小さなキッチンをどこかに作ろうかな」

「その必要はありません、クロエ様がこれほどまでに料理上手だとは知りませんでした。キッチンはいつでも使って下さい。その代わり、レシピを教えて頂きたいです。パンを家で焼くだなんて、目から鱗が落ちました」


 料理長はクロエのパンのレシピをノートに書き止めていた。貴族の屋敷では、パンはメイドが行きつけのパン屋に買いに行くのが一般的で、家で焼くというのは聞いたこともなかったらしい。焼きたて熱々のパンを味見して、料理長の常識は覆されてしまった。この日を境に、ヘンドリクス伯爵の屋敷からは早朝に香ばしいパンの焼ける匂いがするのが日常となった。


 イザークはクロエの作った朝食に舌鼓を打ち、久しぶりに満足出来たようだ。と言っても、普段料理人が作る物より質素で品数も少ない。焼きたてのパンとスクランブルエッグ、カリカリに焼いたベーコンと、野菜たっぷりのスープ。それだけなのに、今となっては逆にそれこそが贅沢に感じるのだから不思議だ。


「残った料理は皆で食べて下さい。料理長、旅行から帰ったら他のパンのレシピも教えますね」


 クロエとイザークは家礼に留守を頼み、使用人達に見送られて馬車を出発させた。


「イザーク様、まずはどこへ行くのですか? 勉強不足で領内の事を良く知らないので、まっさらな白地図を持って来ました。これに観光地や名物なんかを書き込んで行こうと思います。えへへ、こんな事初めてなので、とてもワクワクします。私、浮かれすぎですか?」


 イザークは子供の様にはしゃぐクロエに会心の笑みをもらした。


「楽しそうでなによりだ。サシャ村から各農村を回って、小さな収穫祭に参加してこよう。農民には我々が行くことは伝えていないから、一般人の振りをして楽しませてもらおうと思うが、どうだ?」

「収穫祭! 素敵です。王都の収穫祭には子供の頃、一度だけ父さんと行った事があります。屋台がたくさん出ていて、そこには飴の中に果物が入っている綺麗な食べ物があって、私それが食べてみたくて父さんにおねだりしたんです。でも買ってもらえませんでした……」

「わかった、どこかで売っていたら、俺が買ってやろう」


 イザークは新婚旅行についてはまったく考えていなかったが、今回クロエが言い出してくれて本当に良かったと心から思った。まだ出発したばかりだと言うのに、クロエの見た事も無い表情をいくつも見る事が出来たのだ。眼福である。

 最初の村に着いたのは出発して一時間後の事だった。本当に小さな農村で、祭りと言っても広場に集まって焚き火を囲み、音楽に合わせて輪になって歌って踊るだけのシンプルなものだった。クロエは馬車を降りて、その様子を眺めていた。すると、村の青年が寄ってきてクロエを輪の中に入れてくれた。


「あんた可愛いな。どこから来たんだ?」

「えっと、シレーネから来たの」


 ヘンドリクス伯爵領の中心地はシレーネという街だ。そこに領主の屋敷や行政機関など主要な施設が集中している。農民にとっては大都会に感じる規模だが、王都の三分の一も無い大きさの小さな街である。


「おおー、やっぱり都会の女の子は違うなー。彼氏は居るのか?」


 村の青年はクロエを気に入り、音楽が変わると同時に密着してダンスを踊った。それを見たイザークがどうなるかは、まぁ、言うまでもない。一般人の振りをするために、クロエの事はアリア、イザークの事はエドと偽名を使う事にしたのに、それを忘れて名前を呼んでしまった。


「俺の妻に馴れ馴れしく触れるな。行くぞクロエ」

「へ? クロエ? も、もしかして……その銀髪、クロエ・ヘンドリクス伯爵様ですか!?」


 驚く青年の声を聞き、祭り会場は騒然となった。まさか領主様がこんな小さな村の祭りに参加してくれるなんて思いもしないだろう。村長が杖をついて、男性に支えられながらクロエとイザークの所までやって来た。


「イザーク様、ご無沙汰しております。この方がご領主のクロエ様なのですね。はじめまして、わたくしは村長のザビと申します。ご夫婦揃って祭りに参加して頂けるとは、この上なき幸せにございます。今までにこの様な事は経験がなく、何のおもてなしも出来ませんが、楽しんで頂ければと思います」

「村長さん、はじめまして、クロエと申します。とても素敵なお祭りですね。笑顔で踊る皆さんの様子を見ているだけで、幸せな気持ちになります」


 クロエの天使の微笑みは、そこに居る男性達を一瞬で魅了してしまった。イザークは村長に暇を告げてクロエの手を引き、馬車に戻ると、御者に馬車を出すよう指示を出した。


「どうしたんですか? イザーク様、怒ってます?」

「怒ってなどいない。先を急がなくては、このペースで進んでいたら時間が幾らあっても足りないぞ。それにな、俺以外の男に、無防備に身体に触れさせるな」

「ええ? じゃあ、次があったらイザーク様が一緒に踊ってくれますか? 一応、ダンスは魔法学園で習ったんですよ。あまり上手じゃありませんけど」

「踊ってやっても良いが、先ほどの様な踊りは知らぬ。皆好きなように踊っていたように見えたが」

「そうですよ。型なんて無いんです。だから間違える事もありません」


 次の村に着くと、最初の村から噂が流れたのか、なぜか領主夫妻を歓迎してもてなす為の席が設けられていた。


「こういうのは、止めて欲しかったな」

「用意されてしまっては、寄らないわけには行きませんね。降りて挨拶だけでもしてきましょう」


 次の村も、その次の村も、村の入り口で村人が整列して待っていた。誰かが馬でも使って知らせて回ったようだ。クロエは歓迎してくれる村人にあいさつをして回り、領主としてのささやかな務めを果たした。


「誰かが俺達の事を知らせているようだな。祭りをしていない村まで待ち構えているではないか」

「良いじゃないですか。こうして領民の顔を見ることなんて中々無いと思いますよ? 私も顔を知ってもらえて嬉しいです。名ばかりの領主ですから、祭りの盛り上げ役位にはならなくちゃ申し訳ないです」


 イザークは御者に行き先を伝え、今度は村ではなく、高台の見晴らしのいい場所にクロエを連れて行った。遅くなってしまったが、そこでランチタイムにするつもりだ。

 馬車を降りたクロエはその景色に感動した。


「イザーク様! 私、山に登ったの初めてです! 高いところから村を見下ろすと、全然違う景色なんですね。とっても綺麗です。ここでお弁当を食べたら、きっといつもの何倍も美味しいと思います」


 クロエは持って来たブランケットを草の上に敷き、お弁当を広げた。御者と従者のためにも別で作って来た物を渡し、イザークにはブランケットの上に靴を脱いで座るよう指示した。地面に座るなんてことは子供の頃以来というイザークは、一瞬躊躇したが、クロエが座るのを見て隣に座った。ゴツゴツと痛いかと思えば、意外に草の上は快適で、イザークは靴を脱いで寛ぎ、クロエのお弁当を食べ始めた。


「イザーク様、美味しいですか? から揚げ、久しぶりですよね? それにサンドイッチの中身はベーコンとレタスとトマトです。後は、タマゴサンドと……」

「説明しなくてもわかってる。お前も早く食べろ。腹が減っていただろう? ほら、口を開けろ」


 イザークはクロエの口に小さめのから揚げをひとつ押し込み、満足気に笑った。から揚げはクロエの口には大きすぎて、まるでリスの様に口いっぱいに頬張らせてしまった。モグモグと咀嚼する様子を、目を細めて見つめる。イザークと目が合ったクロエはニッコリ笑い、お弁当を味わいながら高台からの眺めを楽しんでいた。

 秋の風は心地よく、サヤサヤと辺りの草木を揺らし、クロエの銀髪は風になびいて輝いていた。


 イザークはその横顔を見ながら、クロエが事故で身体を失った時の事を思い出す。まさか、その後にこんな幸せな時間が訪れるとは夢にも思わなかった。人形となってしまった後は、クロエは食べる楽しみを失い、体が疲れないと言って暫くは眠る事も無かった。それから徐々に人間らしさを取り戻す様子を見てきたが、完全に肉体を取り戻せるとは思わなかったのだ。魔力供給ではかなり無理をしたが、それでも自分のした事に後悔は無かった。

 その後のクロエからの、魔力のお返しには相当参ってしまったが。

 まさか、異性からの魔力供給に、あれほどの性的な興奮作用があるとは思わず、目の前のクロエを襲ってしまいそうになった事は内緒だ。あの時すぐに台所に追いやらなければ、いかにイザークでも危ないところだった。初めはクロエが言ったようにザワザワと不快感を感じたが、その後は……想像にお任せする。


 お弁当を食べ終えたイザークは、コテンと横になり、クロエの膝に頭を乗せる。これほど寛いだのはいつ振りだろうか。クロエはイザークの頭を優しく撫でる。


「クロエ、検査の結果はどうだったのだ? もう結果は出たのだろう? 魔法陣は完全に消えたが、人体は繊細だ、身体は完全に元に戻っていたのか?」


 クロエはイザークを見てニッコリ笑った。骨格だけは特殊合金のままではあるが、細胞から血液から、サンプルを採って徹底的に調べた結果、魔力の流れにおかしな所も無く、完璧に元のクロエに再生していた。


「イザーク様、今の私なら……その、ええっと……」

「何だ?」

「先月から月の物も再開しましたっ、妊娠も可能ですっ」


 クロエはこれが言い出せずに報告を躊躇っていたのだが、目をぎゅっと瞑って、思い切って言ってみた。イザークからは何の反応も無い。チラッと下を見ると、イザークは真顔で放心状態だった。


 我に返ったイザークは、突然起き上がって向こうを向いた。耳が赤いことから、どうやら照れているのだろう。クロエはイザークに背後から覆いかぶさる様に抱きつき、頬を摺り寄せる。イザークの顔は熱く、照れて少し赤くなっていた。


「お前の口から、その様な言葉が出るとは思わなかった。子供が欲しいのか?」

「はい、実は子供は諦めていましたけど、問題ない事がわかったので、出来れば3人くらいは欲しいです」

「そうか」


 イザークはクロエに唇を寄せる。主たちの様子を微笑ましく見ていた従者と御者は、回れ右して馬車の陰に移動した。

 昼食を終えたクロエ一行は、今日の宿泊先である男爵の屋敷に向った。男爵はクロエ達を歓迎し、新婚夫婦のために、イザークの希望した離れではなく、屋敷で一番良い部屋を用意していた。イザークはクロエに子供をおねだりされた今、遠慮なくクロエを抱く事はできるが、他人の屋敷で初夜というのも何だか複雑な心境だった。

 男爵家からの結婚祝いと称した豪華な食事会を済ませた後は、男爵夫人が気を利かせたムード満点の部屋で就寝の時間だ。


「イザーク様、そんなに端に寄っては落ちてしまいますよ?」

「いいのだ、この旅行が終わるまで、こうして眠る。お前は気にせず、ゆっくり体を休ませなさい。明日は湖まで行ってボートに乗ったり、周辺を散策したりで疲れるだろうからな」


 果たしてイザークの修行僧魂はこの旅の間、抜け落ちる事無く無事に屋敷まで帰り着けるのか。昼間はクロエが子供の様にはしゃぐ姿に癒されて、夜は他人の屋敷の客室で、手を伸ばさずにいられない程愛らしい妻の寝顔に悶絶する。イザークにとっての五日間の新婚旅行は、外から見るほど甘くはなかった。


 帰路につく馬車の中では、文字で埋め尽くされた白地図片手に、クロエが暢気にこの旅の感想を述べていた。


「イザーク様、旅行楽しかったですね。泊めて下さった貴族の方達もとても親切でしたし。でも残念なのは果物の入った飴が無かった事です。やっぱり王都の様に大きなお祭りじゃないと、屋台はあまり出ないんですね。シレーネのお祭りは今日からですよね? 帰りに寄ってみませんか?」

「ああ、少し顔を出さねばならないからな。きっとシレーネなら飴の屋台も出ているだろう」


 ニコニコ笑うクロエは本当に幸せそうだ。この旅行の初日に夫をその気にさせておいて、自分は無邪気に旅を楽しんでいるのだから。

 そして急に大人しくなったかと思えば、クロエは疲れてウトウトしていた。


「まったく、俺の気も知らないで……クロエ、今夜は覚悟しろよ?」


 はしゃぎ過ぎて、イザークに凭れ掛って眠るクロエは、この時、幸せな夢の中にいた。


 イザークに似た小さな男の子を追い掛け回して、高台の見晴らしのいい場所でピクニックを楽しんでいる。広げたブランケットの上ではイザークが本を読みながらクロエ達を微笑ましく見守っていて、何故かアリアとエドモンドもそこに居た。





 これが現実のものとなるのは、まだ少し先の話。

これが本編の本当の最終回という感じで書かせていただきました。


おまけ話は、追々書くと思います。

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― 新着の感想 ―
この作品も、他の作品も引き込まれました! とても楽しく面白くハラハラでした。 これからも楽しみにしていますね!!
[良い点] 途中、ハラハラと手に汗握る展開もあり、とても面白かったです。 アリアがエドモンドをコテンパンに口説く所も読みたかったです。 聡明なアリアはどんな風に、女に懲りてるエドモンドを追い詰め、結…
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