第四章⑨
錦景の夜七時を回って喫茶マチウソワレには続々と女子が集まってきていた。今宵席はない。フロアには円卓が並んでいる。円卓の上には業務スーパでキロ当たり五百円の若鶏もも肉をカットして揚げた、カラーゲがピラミッドのように巧いこと積み重ねられていた。今でも料理部が調理場で総力を挙げて揚げている。女子たちは小皿を持ち、カラーゲに手を出し、頬張る。今宵は立食パーティである。球宴の前夜、普段、マチソワに訪れない女子も集まり、まさにかしましい。
散香、泉波、芳樹野、それから大森はおしるこの片づけを終え、出張所からマチソワに戻り、料理部部長の簡単な労いを受け、事務所に戻った。散香は稼いだお金を数え始めた。泉波と芳樹野は化粧を直し合っている。大森は鏡の前で髪をポニーテールにして、事務所から出て、調理場へ向かう。カラーゲのいい匂いに意図せずともお腹が鳴る。大森は料理部のお姉さまに近づき愛嬌のある顔を向けて食べさせてもらった。カラーゲ、うめぇ。
カラーゲに幸せな気分になりながら、大森は調理場の奥の方、静かな方へ向かう。そっちのほうには麺台があって、二年生でフランスからの留学生のエマ・シエンタとエイコがいた。二人ともパティシエの格好。麺台の上には背の高い白いケーキ。見上げるほどである。エイコは真剣にクリームを塗っている。エイコの鼻先にはクリーム。
「うわぁ、宇宙まで届きそうだねぇ、」大森は自分の鼻を指さしながら言う。「クリームついているよ」
「え?」エイコは初めて大森に気付いた感じでつり目を向けてくる。「どこに?」
「鼻」
「え、ついてないじゃない、」エイコの指はクリームの数ミリ上を動いている。「ちょっと、とってくれない?」
「え、私が?」大森は少し照れる。
「なんで、照れるのよ」
「おしるこ、どうだった?」シエンタがティッシュでエイコの鼻先を吹きながら言う。「大失敗だったでしょ? はいはい、お疲れさまでした、あんことお餅の在庫の山、はたしてどうやって裁くんでしょうねぇ、喫茶のメニューにしようっていうのはなしよ、絶対になしよ、だって季節はずれだもの、おしるこなんて季節はずれよ、だから売れないのよ、だから最初から私が提案した八ツ橋にしていれば、そもそもね、大森さん、私は散香の経営方針が、」
「いやぁ、それが予想に反して大成功で、明日の分の在庫もなくなっちゃって、嬉しい悲鳴ってこういうことなんですねぇっていう感じでしたぁ、今度料理部のメンバでもんじゃ行きましょうねぇ」
シエンタは罰の悪そうな顔で頷いた。「……ああ、そう、そうだったの、まあ、よかったんじゃないの、ええ、いいわね、もんじゃ」
「朱澄ちゃん、ケーキは完成?」
「うん、ロウソクを立てたら、でも、完成度が高すぎて、なんていうか、なんていうか、もっと小さいのでもよかったかなぁ」
「凄いでしょ、大森さん、このケーキの高さ、」シエンタはケーキをうっとりと見上げながらブロンドの素敵なロングヘアを払う。高ければいいと思っているように見えなくもない。しかし彼女の腕は一流だ。「まあ、私の素晴らしいアドバイスがあったからこそですけれど」
「ほとんどシエンタが作っててくれたから」
「そんなことないわよ、ケーキはクリームの塗りが命、塗りがケーキの全てと言っても過言ではないわ、だから、例え私がこのケーキの八割を完成させていたといっても、クリームを塗ったのは朱澄さんだから、このケーキは朱澄さんのケーキ、素晴らしいわ、万物創世に匹敵する、エネルギアを感じる、ああ、ぞくぞくしちゃうわぁ」
「おおげさよ、でも、ありがとう、シエンタのおかげで素敵なプレゼントが出来た」
「いいえ、」シエンタは首を横に振る。そしてエイコの手を取りフランス貴族のまなざしで言う。「それよりも、頑張るのよ、朱澄さん、頑張って気持ちを伝えるのよ、あなたの素敵な未来を祈っているわ」
「うん、ありがと」エイコはニッコリと微笑んだ。
それを見るシエンタは小声で言う。「……ああ、私にも、あなたみたいな素直さがあればぁ」
「え、なんですか?」大森はクリームをチュパチュパしながら聞く。
「な、なんでもないわよ、」シエンタは腕を組んで、なにやら頬をピンク色に染める。そして遅れて、大森を睨む。「大森さん、お行儀が悪くってよ!」
「今、何時?」エイコが大森に聞く。
大森は市松模様の素敵な腕時計を見て答える。「七時五十二分」
「え、もうそんな時間? 急がなきゃ」
「九時までなんだっけ?」
「うん、九時までに帰らないと」
エイコは調理場の隅に移動して、誰かに電話を掛けていた。




