第四章⑧
生徒会室から脱出ルートを通ってウタコは下の階の理科準備室に移動した。理科準備室には電気が付いていて、床にステップを踏みながら着地して室内を見回すと、まず何より、アルコール臭かった。
「ちょ、ちょっと、君ぃ、何してんのぉ!?」
ウタコは慌てて、理科準備室にいたセーラ服の女子に近づく。彼女はニジマスのホルマリン漬けを眺めながら椅子に座り、片手に透明な液体が入ったビーカを持ち、それを口に付けていた。つまり、飲んではいけないものを飲んでいる。ウタコはそれを引っ手繰るようにして、手を出した。しかし、彼女は手を離さない。彼女に近づくと、とてもお酒臭いことがよく分かった。
「あんたこそぉ、何してんのよぉ、勝手に天井からぁ、いきなり来てぇ、びっくりするだろぉ、」呂律が回っていない。そして「ひっく」としゃっくりをする。顔はほのかにピンク色だ。そして急に笑顔になる。得体の知れない恐怖を感じる笑顔だ。「むふふふ、むふふふ、むふふふ」
ウタコはおののく。彼女から離れる。「まさかお酒飲んでるの?」
「駄目なのぉ?」彼女は完全にアル中に見えた。
「駄目に決まってるでしょ!」ウタコはがなる。「まだ未成年なんだから!」
「未成年じゃないよ、」理科室へ通じる扉から現れたのは黒い異形の出で立ちの水園だった。口元を隠していた布は、今ははずしている。「その人、大学の内田先生、もうすぐ三十のアル中」
「誰がアル中だってぇ!」内田先生は急に立ち上がって水園を睨みつける。すぐに表情はとろけるチーズみたいにゆるむ。「ええ、誰がアル中だってぇ!」
「……アル中だ、」ウタコは未知の存在を観察しながら水園に聞く。「しかも、なんでセーラ服なんて着ているの?」
「ええ、私がセーラ服なんてきついって言うのか!?」内田先生は手のひらで机を叩く。
「いや、ギリギリ、」アウトかなぁとウタコは思う。一見して違和感はないけれど、よく観察してみると違和感が増す。「セーフですよ」
「はい、よくお似合いですよ」水園も頷いた。
「むふふふ、むふふふ、」アル中は機嫌をよくしたようだ。可愛らしいポーズを取っている。でも、アル中なのに変わりはない。「だよねぇ、まだ全然いけるよねぇ、むふふふふぅ」
「で、なんでセーラ服?」ウタコは水園に耳打ちして聞く。
「宴に出演なさるそうですよ」
「ああ、そうなんだ、……で、チミのその姿は一体なんなの?」
「ああ、これは香水売りの衣装です、中世、ヴェネツィアの方の香水売りはこういう格好をして、香水を売り歩いていたらしいです、モチさんに作ってもらいました」
「不気味だね、死神みたい」
「中世にヴェネツィアで、彼らが異形の存在であったことは間違いないでしょう、そういう存在が必要だったのではないかと思います、中世ってやっぱり世界規模でそういう時期だったのではないでしょうか?」
ウタコは聞き流していた。「……それで、今日は、その格好で香水を売り歩いているわけ? 軽音楽部の会場にもいたよね?」
「あ、やっぱり、目が合ったんですね」
「なんとなく、君とは目が合うよね、いや、君の考えていることは説明してもらわないと分からないけど、香水を売るって聞いたときも、この娘、変なのって思ったもん」
「今日はこんなことをしています、」水園はウタコに向かって名刺サイズのカードを渡す。ウタコは受け取り、そこに書かれた文字を読む。なるほど、こんなことを企んでいたのか。「いかがですか?」
「女子が好きそうな企みだ」
「そう仰っていただけると、幸せです」水園はうっとりと笑った。香水売りの衣装が彼女をずっと神秘的に見せている。
「香水はどこに隠したの?」
「さあ、どこでしょう?」
ウタコはニコッとはにかむ。「ああ、それじゃ、私、行くね」
「今日も逃げてるんですか?」
「当たり前でしょ」
「じゃあ、この衣装、貸しましょうか?」
「え、いいの?」確かに、目立つ青ジャージよりも、香水売りの黒い衣装の方が闇に紛れることが出来るだろう。「ありがとう」
「猫耳もありますよ?」水園は黒い猫耳を持っている。
「どうして猫耳なんで持ってるの?」
「いや、この衣装、被服部に作ってもらったんですけれど、モチさん曰く、猫耳をつけて完成だそうですよ、恥ずかしいし、なんだか違ってしまうので、私はつけませんけど、……生徒会長も、つけませんよね?」
「シイカちゃん、なんでそう言い切るわけ、だれが猫耳をつけないなんて言ったわけ?」




