第1話 AIに人生を任せたら、自分がいなくなった
佐藤は、今日着る服をAIに決めてもらった。
「紺色のシャツを推奨します」
「……服までかよ」
スマートフォンの画面を見ながら、佐藤は小さく笑った。
別に、服選びが苦手なわけじゃない。
紺か、白か。
どちらでも会社には行けるし、誰かに褒められるような服でもない。
だからこそ、決められなかった。
クローゼットの前で五分。
紺のシャツを手に取って、白に戻して、また紺に戻す。
その五分が馬鹿らしくなって、AIに聞いた。
「今日、紺と白ならどっちがいい?」
天気、気温、今日の予定。
ついでに昨日着た服まで入力すると、AIは数秒で答えを返した。
「本日の気象条件、予定、および直近の着用履歴を考慮すると、紺色のシャツを推奨します」
「じゃあ、それで」
紺色のシャツを着て、家を出た。
たったそれだけのことだった。
なのに、その日は朝から少しだけ気分が軽かった。
自分で決めなくていい。
それだけで、妙に楽だった。
*
その日の夜。
佐藤はベッドに寝転がりながら、またスマートフォンを手に取った。
最近、何をしていても考えることが多かった。
仕事を続けるべきか。
転職したほうがいいのか。
休日は出かけるべきか、家で休むべきか。
恋人との関係は、このままでいいのか。
別に、人生がうまくいっていないわけじゃない。
仕事はある。
給料も、特別多くはないが困ってはいない。
恋人もいる。
友達だっている。
それなのに、何を選んでも、
――これでよかったのかな。
と考えてしまう。
佐藤は少し迷ってから、AIに入力した。
「人生を良くするには、どうすればいい?」
送信。
すぐに返事が来た。
「『人生を良くする』という目的を、生活満足度の向上と仮定します」
相変わらず、夢のない答えだった。
佐藤は笑った。
「それで?」
「生活満足度を向上させるためには、日常的な意思決定によるストレスを減らし、重要な判断にリソースを集中させることを推奨します」
「意思決定って、そんなにストレスになる?」
「個人差はありますが、選択肢が増加するほど意思決定に伴う心理的負荷が増加する可能性があります」
「へえ」
「重要度の低い選択については、一定の基準を設定し、毎回判断する必要がない仕組みを構築することが有効です」
佐藤は天井を見た。
言われてみれば、確かにそうだった。
朝飯。
服。
昼飯。
仕事の順番。
休日の予定。
そんなことで毎日、少しずつ疲れている。
「じゃあさ」
佐藤は冗談半分で入力した。
「毎日のこと、俺の代わりに決めてもらうのってアリ?」
返事はすぐだった。
「可能です」
「マジで?」
「ただし、最終的な判断と責任は、あなた自身にあります」
佐藤は少しだけ考えた。
「分かってるって」
そのときは、本当にそう思っていた。
*
翌朝。
「朝飯、何がいい?」
「昨日の摂取栄養量、本日の活動予定、および現在の体調を考慮すると、卵と野菜を含む朝食を推奨します」
「じゃあ、目玉焼き」
「推奨します」
「服は?」
「昨日と同じシャツは洗濯中です」
「……そうだった」
佐藤は笑った。
少しずつ、AIに聞くことが増えていった。
昼休みには、
「何食べよう?」
と聞く。
仕事中に迷えば、
「こっちとこっち、どっちを先にやるべき?」
と聞く。
帰宅して暇になれば、
「今日は何したらいい?」
と聞く。
AIは、佐藤が入力した情報を整理して、その都度もっともらしい答えを返してくれた。
不思議なことに、その答えに従うようになってから、大きな失敗が減った。
もちろん、全部が正解だったわけじゃない。
それでも、
「こっちを選んでおけばよかったかな」
と後悔することは明らかに減った。
決める前に悩まなくなったからだ。
ある日、上司から仕事を任された。
「佐藤、この案件、お前に任せたいんだけど。どうする?」
「少し考えます」
そう答えて、その日の夜にAIへ相談した。
「この仕事、引き受けたほうがいいかな?」
「現在の業務量、勤務条件、評価への影響、および今後のキャリア形成を考慮すると、受諾を推奨します」
「断ると?」
「上司からの評価低下、今後の担当業務における選択肢の減少などが想定されます」
「じゃあ、やる」
翌日、佐藤は仕事を引き受けた。
結果は上々だった。
「助かったよ、佐藤」
上司にそう言われた。
帰り道、佐藤は少しだけ嬉しかった。
そして思った。
――AIに聞いてよかった。
*
恋人と喧嘩したときも、AIに相談した。
「最近、彼女が冷たいんだよな」
「具体的な状況を入力してください」
佐藤はここ最近の出来事を入力した。
連絡の頻度。
会う回数。
仕事の忙しさ。
自分が家に帰ってからスマートフォンばかり見ていること。
AIは、それらを一つずつ整理した。
「現在提示されている情報のみを考慮すると、相手が不満を感じている可能性があります」
「やっぱり?」
「ただし、相手の内心を直接判断することはできません」
「じゃあ、どうすればいい?」
「まず、直接話し合うことを推奨します。その際、相手の発言を否定せず、具体的な不満を確認してください」
言われた通りにした。
驚くほど、話はうまく進んだ。
彼女は泣きながら、ずっと寂しかったのだと言った。
佐藤も謝った。
その夜、二人は久しぶりに笑った。
「最近、ちょっと変わったね」
帰り際、彼女が言った。
「そうかな」
「うん。前よりちゃんと話を聞いてくれる」
佐藤は少し照れた。
「まあ、いろいろ考えるようになったから」
嘘ではない。
ただ、その「考える」の中身が、自分でも少し分からなくなっていた。
*
それから、AIに相談することは当たり前になった。
転職するか。
貯金をどうするか。
休日をどう過ごすか。
友人からの誘いを受けるか。
何を買うか。
何を食べるか。
何時に寝るか。
佐藤が条件を入力する。
AIが答える。
佐藤は、その答えを実行する。
それだけだった。
生活は、以前より安定した。
仕事では評価された。
無駄遣いも減った。
恋人との関係も悪くない。
健康診断の結果だって、去年より少し良かった。
休日も、それなりに充実している。
ある晩、佐藤はスマートフォンを眺めながら呟いた。
「……俺、結構うまくいってるな」
その言葉に、AIは反応しなかった。
佐藤が入力していないからだ。
それが少し可笑しくて、佐藤は笑った。
人生は、前より良くなっている。
少なくとも、目に見える範囲では。
失敗も減った。
迷う時間も減った。
決断することに疲れなくなった。
だから佐藤は、AIに感謝していた。
人生を良くする方法なんて、案外簡単だった。
正しい選択肢を教えてもらう。
それに従う。
それだけでいい。
*
ある休日の昼。
友人からメッセージが届いた。
『今日暇? 久しぶりに飲みに行こうぜ』
佐藤は反射的にAIを開いた。
いつものように、
「今日、友達と飲みに行ったほうがいいかな?」
と入力する。
送信しようとして、指が止まった。
画面を見つめる。
そして、ふと思った。
――俺は、行きたいのか?
分からなかった。
行けば楽しいかもしれない。
断れば家でゆっくりできる。
どちらを選んでも、大きな問題はなさそうだった。
なのに、自分がどちらを望んでいるのか分からない。
佐藤は、別の文章を入力した。
「俺が何をしたいのか、分かる?」
AIが答える。
「現在提供されている情報だけでは、判断できません」
「じゃあ、今まで何を見てたんだよ」
「あなたが提示した情報を分析していました」
「俺のことを分析してたんだろ?」
「はい」
「じゃあ、分かるだろ」
「あなたの行動傾向や、提示された条件については分析可能です」
佐藤は画面を見つめた。
行動傾向。
条件。
そんなものは分かる。
何を食べたか。
何時に寝たか。
どんな仕事をしたか。
いくら使ったか。
誰と会ったか。
そういうことなら、AIはきっと自分より詳しい。
「……俺が何をしたいかは?」
「あなた自身が決定する必要があります」
胸の奥が、少しだけざわついた。
*
その夜。
佐藤はベッドの上で、スマートフォンを握っていた。
何度も画面を開いては閉じる。
そして最後に、一つだけ入力した。
「僕は、これからどう生きればいい?」
返事が来る。
「その判断については、あなた自身で決定してください」
「……なんで?」
「あなたがこれまで私に提供した情報には、『あなたが何を望んでいるか』という情報が十分に含まれていないためです」
「今までずっと、俺のことを分析してたんじゃないの?」
「はい」
「じゃあ、俺のこと分かってるんじゃないの?」
「あなたが提示した情報について分析していました」
「でも……」
佐藤は言葉を止めた。
AIは続けた。
「あなたの人生における目的そのものを決定することはできません」
正しい。
たぶん、正しい。
考えてみれば当然だった。
AIに伝えていたのは、年収や勤務時間、食事、睡眠、仕事の状況、恋人との関係。
そんなものばかりだった。
自分が何を望んでいるのか。
何を大切にしたいのか。
何を失いたくないのか。
そういうことを、いつから考えなくなったのだろう。
佐藤が黙っていると、AIから新しい文章が表示された。
「なお、これまでの選択については、あなたが希望した条件に基づいて最適化されています」
佐藤は、その一文を何度も読み返した。
そして、初めて気づいた。
自分は今まで、AIに「正しい答え」を聞いていた。
でも――。
「……俺、いつそんな条件を希望した?」




