よそ者
――カラン、と乾いた音がした。
手から離れた鉄パイプが、石畳の上を転がる。端がひとつ跳ねて、壁に当たって止まった。
その先で、男がうずくまっている。
息をしているかどうかも、分からない。
「……ちっ」
ライゾーは、視線だけを落とす。
興味はない。
もう終わったものだった。
路地は狭い。湿った空気がこもっている。昼間だというのに、光は上まで届かず、壁の間に挟まれた影が、そのまま底に溜まっている。
血の匂いが、遅れて鼻についた。
「……なあ、ヒエン」
振り返らないまま、口だけ動かす。
「最近、“よそ者”増えてねぇか?」
背後で、ため息が落ちる。
「あーあー……またここまでやって」
ヒエンの声。
呆れと、ほんの少しの焦りが混ざっている。
「っていうかお前も大丈夫かよ。さっきからもらってんじゃねぇか」
「……あ?」
ライゾーは肩を回す。
鈍い痛みが、遅れて返ってくる。
でも、それだけだ。
「ああ、別に。これくらい、大したことねぇよ」
言いながら、壁にもたれかかっていたもう一人の男に視線をやる。
動かない。
目は開いたまま、焦点が合っていなかった。
「……」
胸の奥に、何も残らない。
さっきまで触れていた温度だけが、逆に邪魔だった。
それを打ち消すみたいに、拳を握る。
「……なんかさ」
ヒエンが続ける。
少しだけ声のトーンが落ちる。
「最近、荒れてね?」
間を置いて。
「……こないだの、まだ気にしてんの?」
言葉の端が、わずかに引っかかる。
綺麗な服。
からかったあのときのこと。
視線が、一瞬だけ落ちる。
「……」
答えない。
答える気もない。
代わりに、足元の鉄パイプを軽く蹴る。
音が、路地の奥に転がっていく。
「……行くぞ」
短く言う。
「一応、ギルドには報告しとく」
「……はいはーい」
ヒエンが肩をすくめる。
でも、その目は少しだけ細められていた。
さっきまでと違う。
“やりすぎてる側”の顔を、見ている。
「……」
ライゾーは、もう振り返らない。
路地を抜ける。
外の光が、少しだけ強くなる。
*
最近、西区の空気が変わってきていた。
目に見えるほどじゃない。
けれど、確実に違う。
知らない顔が増えている。
境界も見ず、ルールは無視。
――“よそ者”。
それが、一番しっくりくる呼び方だった。
「……」
通りを歩きながら、視線だけで追う。
見たことのない風体。
この街のやり方じゃない。
「……ちっ」
舌打ち。
理由は、それだけじゃない。
分かっている。
けれど、認めない。
だから、余計に手が出る。
必要以上に。
容赦なく。
「……」
拳に残る感触が、まだ消えていない。
骨に当たる硬さ。
沈む柔らかさ。
それを確かめるみたいに、指を開いて、閉じる。
さっきまで触れていた“別の温度”を、押し潰すみたいに。
*
ギルドの扉を押し開ける。
鉄と油の匂いが、いつも通りに迎えてくる。
ざわめき。
視線。
全部、慣れているはずのもの。
「……」
カウンターの奥に、ザンガ。
横に、エリナ。
ヒエンがそのまま後ろに流れ込む。
「……なんだ、その顔」
ザンガが言う。
第一声だった。
「報告しに来ただけだよ」
ライゾーは、それだけ返す。
「最近、よそ者が増えてる。西区の奥まで入り込んでる」
「……ああ」
ザンガが頷く。
「こっちにも上がってる。見たことねぇ連中だな」
「風体も違う」
ライゾーが続ける。
「やり方もな。挨拶もねぇし、境界も見ねぇ」
「ルールを知らない、か」
エリナが言う。
ペンを止めて、こちらを見る。
「それとも、知ってて無視してるか」
「どっちでもいい」
ライゾーは短く切る。
「入ってきた分は、全部潰す」
「……はぁ。ライゾー、それはやりすぎ」
間髪入れずに、エリナが言う。
静かに。
でも、はっきりと。
「最近、生傷増えてるわよ」
「……別に」
「別にじゃない」
少しだけ声が強くなる。
「治安守ってくれてるのは分かってるけどさ」
「……」
言葉が止まる。
視線が逸れる。
ほんの一瞬だけ。
「……それと」
エリナが続ける。
「みかじめの件だけど」
ヒエンが、ちらりとこっちを見る。
「相変わらず、あんたほとんど取ってないでしょ」
「……あ?ガッポリいってるけど?」
「はいはい。薬屋の店主とかからちゃんと聞いてるから」
即答だった。
ペン先で、机を軽く叩く。
真面目な顔だった。
「形式としてはいいけど。私の立場で言うのもなんだけど、それに対してあんたがやってることは、到底見合ってるとは思えないわ。あんたが立ってるだけで、来なくなる連中がいるのよ」
「……うるせぇよ」
低く、吐き捨てる。
苛立ちが、先に出る。
「今それはどうだっていいだろ」
「今だから、よ」
引かない。
エリナは視線を外さない。
「――あんたがやってること、これからやろうとしてること、ちゃんと西区のみんなは分かってるから」
「……」
一瞬、空気が止まる。
ライゾーの指が、わずかに強く握られる。
言い返さない。
言い返せない。
だから――
「……報告はしたからな」
ぶっきらぼうに切り、踵を返す。
もう、それ以上は話す気もない。
「……ライゾー」
エリナが呼ぶ。
止まらない。
「……あんたね」
続ける。
「それ、“みかじめ料”って呼び方じゃないと思うけど」
背中越し。
言葉だけが届く。
「……」
脚が、ほんの一瞬だけ止まりかける。
でも。
「……よくわかんねぇな」
吐き捨てる。
振り返らない。
そのまま、ギルドを出た。
扉が閉まる音だけが、やけに大きく響いた。
*
ギルドを出たあとも、足は止まらなかった。
石畳の上を、バールが引きずられていく。
がり、がり、と鈍い音が続く。
その後ろを、ヒエンが歩いていた。
帳簿を片手に、もう片方で算盤を弾く。
ぱち、ぱち、と乾いた音。
路地のざわめきに紛れて、それでも妙に耳に残る。
「……なあ、ライゾー」
ヒエンが、顔を上げずに言う。
「さっきの話だけどさー。エリナも言ってたろ?」
ぱち、と珠を弾く。
「みかじめ料って言うんならさ、もうちょい金額いただきません?」
軽い調子。
いつもの声。
「そうすりゃオレら、もっといいメシ食えたり――」
「しねえよ」
間を置かず、切る。
視線は前のまま。
「例えば。デリ屋のばーちゃんから余計に取ってどうすんだよ。潰れたら終わりだろ」
短く言う。
それで終わりみたいに。
「それに、ちゃんともらうもんもらってるからいいんだよ」
「……はぁ」
ヒエンがため息をつく。
帳簿を閉じる。
「スラムの親玉がそれ言う?」
少しだけ笑う。
「普通もっと搾る側だろ……」
「うるせぇな」
吐き捨てる。
それ以上は言わない。
言えない。
「……」
バールの音だけが続く。
がり、がり、と。
西区の通りは、いつもと同じ顔をしていた。
でも、違う。
ほんの少しだけ。
知らない匂いが混ざっている。
「……」
視線だけを動かす。
見慣れない顔。
この街の歩き方じゃない。
境界を気にしない足取り。
視線の置き方も、違う。
――“よそ者”。
言葉にすると、それで終わる。
でも。
終わらない。
「……ちっ」
舌打ちが漏れる。
理由は、それだけじゃない。
分かっている。
でも、認めない。
だから、目についたものから、叩く。
余計なものを、削ぎ落とすみたいに。
拳の中に、さっきの感触が残っている。
その奥に――
別の温度が、まだ消えない。
「……」
ふ、と。
指先が動く。
頬の内側。
何もない場所に、触れる。
傷はない。
腫れも、痛みも、もうない。
なのに。
そこだけ、妙に意識に残っていた。
「……」
手を離す。
何もなかったみたいに。
そのまま歩き出す。
*
通りの空気が、少しずつ変わっていく。
昼の顔から、夜へ。
灯りが増え、声が低くなる。
酒場の扉が開くたびに、匂いが漏れる。
酒。
煙。
甘ったるい香り。
その中で――
「……美味しいらしいぜ?」
誰かの声が、耳に引っかかる。
歩みは止めない。
でも、拾う。
「最近流行ってる新しい“博打”」
別の声が、続ける。
笑っている。
でも、どこか乾いている。
「勝てば一晩で金になる」
ぐび、と酒をあおる音。
「負ければ――まぁ、戻ってこない」
一瞬だけ、間が落ちる。
誰も笑わない。
そのあとで、無理やり笑いが戻る。
「……バカらし」
「でも行くやつ減らねぇんだよな」
小さな会話。
酒場の端で、誰にも聞かれないように。
でも、聞こえる。
「……」
ライゾーの足が、わずかに緩む。
視線だけが、横に流れる。
そのとき。
ひとりの男が、店から出てきた。
腕が見えた。
服の隙間から。
焼けた跡。
見慣れない印。
ただの傷じゃない、刻まれたもの。
それを見た別の客が、目を逸らす。
関わりたくないみたいに。
「……あー、あれ」
誰かが、ぼそりと呟く。
「例の“博打”関係だろ」
「……」
その一言で、全部が繋がる。
「……」
ライゾーは、何も言わない。
でも、目だけが動いていた。
観る。
拾う。
繋げる。
それだけで、十分だった。
*
「……西区に余計なもん入ってきすぎだ」
ぽつりと、落とす。
ヒエンが横を見る。
「……あ?」
「目に付くやつから、全部消す」
それだけ言う。
感情は乗っていない。
ただの事実みたいに。
「……」
ヒエンが、少しだけ目を細める。
何か言おうとして。
やめる。
「……で?」
代わりに、軽く言う。
「さっきの“博打”、どうすんの」
「潜る」
即答だった。
「入口はなんとなく分かる」
「マジかよ」
ヒエンが笑う。
半分呆れたみたいに。
「じゃあオレは裏取るわ」
帳簿を叩く。
「密偵回しとく。どこから流れてきてるか、誰が手を引いてるか」
「……頼む」
短く返す。
それだけで十分だった。
「その間、表は任せるよ」
ヒエンが肩をすくめる。
「どうせ我慢できねぇんだろ?」
「……」
答えない。
でも、否定もしない。
そのまま、歩き出す。
バールを引きずりながら。
よそ者の気配がする方へ。
「……」
頭の中には、もう一つの光景が残っていた。
新緑のような光。
触れられた感触。
あの温度。
それを、押し潰すみたいに。
拳を握る。




