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Guardian’s Sky ―女神の空―  作者: Sky Aviation
第12章 ―数ヶ月後 A few months later―
88/93

12-2

≫1時間半後 埼玉県 山口貯水池≪




 羽浦の誘いを受けて、互いに上官に許可を取った二人は、1時間半の時間をかけて電車を乗り継ぎ、埼玉県の山口貯水池にやってきた。程よく夕焼け色にそまった空の色が、狭山湖と称されるとおり湖のように貯まっている貯水池の水面に描写され、冬であるにもかかわらず幻想的な風景を演出している。

 ただ、二人の目的地はそこではない。制服の上に分厚いジャンパーを羽織った二人が、冷たい白い息を吐きながら向かう先は、その貯水池に隣接している、とある霊園だった。どこか厳粛な空気が漂うこの場所には、様々な形状、大きさの墓が整然と並べられていたが、羽浦はそのうちの一つの墓の前で立ち止まる。

 事前にコンビニで購入しておいた線香を取り出して準備していると、蒼波が「あっ……」と小さく呟いた。


「……この墓って……」


 羽浦の意図に気がついたらしく、墓を指差しながら羽浦のほうを見る。彼は、「そういうこと」と小さく微笑みながら返し、その手に持っていた線香に火をつけ始めた。



 その墓の中央に縦長に聳え立っている和型石塔には、『神野家』と習字体で彫られていた――。



「――ここに奉られてたのね、あの人」


 横長の石造りの線香台の前にしゃがんで手を合わせて祈る羽浦の隣で、蒼波は慈悲を込めた優しげな表情を墓石に向けていた。

 彼の宗派に合わせて、3本の線香を寝かせるように置いている。ご冥福を祈り終わると、羽浦はやおら立ち上がって言った。


「自衛隊からの離反者ってことで、さっきの追悼式は勿論、防衛省の慰霊碑にも奉られなかったからな。自衛隊からあの組織に加入した人間はいないという建前上、防衛省として彼を奉る場所を特別に用意するわけにも行かず、このこじんまりした霊園に安置って寸法よ」


 そう語る羽浦の墓石に向けられた目線は、どこか同情的な念もあった。その横で、今度は蒼波が線香を3本束ねて寝かせ、その仏壇の前にしゃがんで手を合わせて静かに祈り始める。



 ――あの空戦の後、神野は一部の機体の残骸とともに、遺体として引き上げられた。攻撃を受けた際、機内で飛び散った小さな破片や銃弾そのものが体を貫通していたらしく、文字通り穴だらけだったようである。死因は、銃弾を受けたことによって人体が“破壊”されたことによる出血性ショックとされた。


 後に行われた防衛省の調査によれば、あの人の計画は相当前から練られたものらしく、正確な時期は不明だが、少なくとも5年は見たほうがいいとのことだった。事前に幾つかの自衛隊の秘密情報を渡しつつ、自らも合流するべく、時折関係者と接触してJ-20の情報を貰っていた。また、合流時期が近づくにつれて、電話でのコンタクトも増えていったという。

 そして、開戦初日。うまいことスクランブルのメンバーに入った神野は、その旨を組織に知らせて、撃墜担当の機体を差し向け、要撃として神野を自然な形で空へと誘い出し、撃墜。最後に、彼にトドメの攻撃をしなかったのは当然の話だ。いわば、“生け捕り”が彼らに与えられた任務だったのだから。

 適度にコックピットには当たらないよう調整された精密な攻撃と、神野の高度な演技によって“死んだ”と思い込ませながら、指定された回収ポイントの近辺で緊急脱出した。下が低気圧だったのは、彼らにとっては幸運とも言えるだろう。しかも、スコーク77が発信されないよう巧妙に細工された上でだった。基地にいた整備員の中にグルがおり、彼が整備の時間を使って隠れて手を加えていたのだ。

 その後は極東革命軍の潜水艦に回収され、一旦近くの下地島に上陸する。同日に極東革命軍が占領した後は、管理部で匿ってもらった後、交戦禁止令によって撃墜されない状況を作り出した上で、厳重な警護の下、輸送機で天摩山基地に向かって合流するという流れだった。ソードらが見たあの要人は、間違いなく神野だったのだ。


 その後の彼は言及するまでも無い。J-20の操縦法を頭に入れつつ、対日本戦の指揮を執っていた。結局、多くの面で彼の計画に日本は踊らされたというわけである。


 そんな神野は、結局どういう扱いになったのか。羽浦の言うように、政府は、表向きは自衛隊からの離反者はいないという体で済ますことにしたようであった。わざわざそういう建前を作ったのには理由がある。

 紛争が終結した後、国連を中心にした多国籍調査団が組織され、大規模な調査が行われた。北朝鮮の『天摩山基地』にも乗り込んでの入念な調査の中で、極東革命軍の国籍構成が、想定以上に多国籍であることが判明した。

 中国や北朝鮮のみならず、情報提供者として、韓国、台湾、アメリカ、ロシアときて、あろうことか、日本からも、協力者がいた。日本を含む当該各国は直ちに調査を行ない、すでに逮捕者も出ている。日本でも、特定秘密情報を提供した等として、先述の整備員の他、五人の元自衛官が逮捕されたニュースが話題になっていた。その全てが、かつて要職についていた幹部であり、防衛省の受けた衝撃の大きさは察するに余りある。


 しかし、それだけではない。台湾からは、軍に所属する数名の技術者が極東革命軍に加わり、基地で機体の整備や改修などを手がけていたという中間調査結果まで飛び出したことで、日本のメディアや世論は大激論となった。「まさか、自衛隊からも出ているのか」という話題である。

 言うまでも無く、神野という天才パイロットが極東革命軍に参加しており、しかも、組織の中心的地位に立っていたというのは、現場にいる自衛官なら誰もが知っている話である。だが、とんでもない政治的スキャンダルになることを恐れた官邸と、ただでさえ情報提供者の発覚で痛手を負っている自衛隊のイメージが、さらに大きく低下しかねないことを危惧した市ヶ谷の思惑が一致したことで、表向きは「情報提供者はいたが、加入者はいない」という形に落ち着いたのだ。


 それ故に、神野がそれ以上表舞台で世間を賑わすことはないであろう。この都心から離れた郊外の霊園で、ひっそりと没後の時間を過ごすことになるわけである。自業自得といえばそれまでなのだろうが、道を間違えた“愛国者”の最後として考えると、少々気の毒に思わなくはない。二人の目は、それがにじみ出るように慈悲の心を交えていた。



 ――だが、空の上ではあれだけ彼と敵対していた二人が、ここまで同情的で、どこか困惑した様子である理由は、これだけではない。蒼波が祈り終えて立ち上がると、墓の石塔を見ながら羽浦に訊ねた。


「……ねぇ、雄ちゃんも見た? 例の中間報告」

「国連の国際原子力機関(IAEA)が出したやつだろ? 本当は俺に見る権限はないんだが、重本さん、前に会ったから知ってるだろ? あの人が根を回してくれてな。翻訳されてないオリジナル版が見れた。そっちも?」

「ええ。こっちも、近藤さんが上に掛け合ってくれてね。でも……、信じられる?」



「――遼ちゃんが、核を“意図的に起爆させなかった”って……」



 怪訝そうな目線を羽浦に向けるも、「俺に言われても」といった困った表情で目線をそらしている。


 国連調査の過程で、撃墜した機体の中に熱核兵器が搭載されている情報を掴んだIAEAは、国連調査団による調査の一環として調査官を現地に派遣し、水没した機体を徹底的に調べ上げた。

 その結果、確かに破壊されて沈底した機体の中に、熱核兵器と思しき大型爆弾を発見した。幸運にも、傷がほとんどなく、放射性物質が漏れている様子も無い。米軍協力の下で直ちに水中で応急的な解体処理が施され、そのまま調査を名目に米軍に回収されたが、その途中で、あるとんでもない事実が発覚していた。


 コックピットに後付けで接続されていた起爆用の電線回路が、“生きていた”のである。


 当然、水没した際に使えなくなったが、回路そのものに大きな損傷は無く、IAEAが実施したシミュレーションの結果、少なくとも、撃墜されて水面に激突した段階では、起爆回路は十分動作することが可能という結論に至った。


 直接的な死因は、銃撃を受けて人体が破壊されたことによって起きた出血性ショックである。しかし、人間の体というのは、人体を破壊されてもすぐに死ぬことはないようにできている。足が吹っ飛ぼうが、腹に大穴が開こうが、人体が上下に分裂しようが、心臓を打ち抜かれようが、死ぬまでには数秒から数分かかるといわれている。日本で起きたとある航空事故の生存者の手記には、ある乗客が頭から飛び出た脳みそらしきものを指差し、頭の中に入れるよう言ってきたが、まもなくして死亡したという内容の記述がある。

 つまり、人間というのは、頭(特に脳幹)や延髄が吹っ飛ばない限りは、“簡単に一瞬で死なない”。これは、人間の生死は、主に脳に血液(正確には酸素)が行き渡っているか否かに左右されているからであり、たとえ人体が真っ二つになろうとも、脳に血液が存在していれば、短時間は“生きること”ができるのだ。神野の場合、頭と首、心臓を含む胴体部の上2/3、左腕だけはかろうじて原型をとどめていたらしく、海面に激突するまではギリギリ体は動かせる状態にあったことが、報告内容でも言及されていた。


 ――つまり、確かに撃墜はされたものの、神野は、やろうと思えば熱核兵器を起爆させることができたというわけである。


 これほど恐ろしく、そして、不可解な事実は無い。あの時、自分たちは勝利を確信した。だが、神野は、それを一気に逆転させられる手段を、まだ残していたというわけである。神野が、海面に衝突する直前に起爆スイッチを押していたら……、そう思うと、今でも背筋が凍る。

 しかし、熱核兵器は起爆しなかったことも事実である。神野が、この起爆回路が生きているかを調べる術を持っていたかはわからないが、とりあえず押してさえいれば起爆するかどうかはわかるはずだし、それくらいは神野も承知のはずである。墜落直前、ダメ元で押して多くの人間を道連れにする選択肢も、彼にはあったのだ。しかし、目の前に並べられた事実は、現実は、神野がその選択を採らなかったことを示していた。


 起爆スイッチもスラストレバーに備え付けてたらしく、ちょっと指を動かすだけで簡単に押すことができた。激痛はあったはずだが、ちょっと指を動かして押すだけなら耐えられなくはないだろう。なぜ、しなかったのか。様々な状況証拠から見ても、何らかの理由でできなかった、などという奇跡が起きたわけではないだろう。


 ――そういった情報から、導き出される結論は唯一つ。理由はわからないが、神野は、押せる起爆スイッチを、自らの意思でもって“押さなかった”。これが、国連調査団IAEA派遣班が導き出した、中間報告の内容である。


 現在も調査中で、最終的な報告が何れ出る筈であるが、しかし、この部分が変わることは無いだろう。故に、二人は首をかしげたのだ。


「そうはいっても、国連が正式に出してる報告だからな……。これを疑ったらどうしようもない」

「あそこで起爆すれば、私たちは間違いなく巻き込めるし、空母はまだしも、周辺の駆逐艦や巡洋艦は確実に巻き添えにできたわ。それだけでも十分なダメージが見込めたはずなのに」

「わからねえな……。完全ではないにせよ、それでも十分、核が、日本のすぐ近くで爆発したという事実は大きなショックを与えることができたはずだ。彼の求める“改革”が、完全かどうかは別にしても前進はしていたかもしれない。その可能性を、彼は捨てたことになる」

「別の、それを押し込める何かを頭に浮かべて……?」

「うーん……」


 難しい表情を浮かべ唸る羽浦。蒼波とともに、自らの心の内で抱く疑問の答えを求めるように目の前の墓石を見つめるが、その石塔は、暮れてきた日差しの眩い光を綺麗に反射させるだけだった。

 答えが出ないまま、冷たいそよ風が霊園の地を流れていく。周囲の草木は音を立てながらゆっくりと揺れ、何もせず佇む二人の人間をつついていく。程なくして、少し呆れた様子で鼻で息をついた羽浦が口を開いた。


「……ただの自分勝手な解釈なのかもしれんが」

「うん?」

「もしかしたら……、止めてほしかったのかもな。あの人は」

「止めてほしかった?」


 蒼波は少し訝しんだ様子で、また羽浦のほうを振り返る。懐かしむような、どこか優しげな表情を浮かべた羽浦の目線は、神野の墓石から動かなかった。


「彼ほどの明晰な人だ。自分の理想があまりにぶっ壊れてることぐらいわかってたはずだ。でも、一度踏み込んでしまった手前、引くに引けなくなった。組織にも深く関わってしまい、今更逃げ出すなんてことをしたら、その組織から何をされるかわからない」

「だから、誰かに強引に止めてもらうことを求めて?」

「まあ、ただの都合のいい妄想でしかないんだが……、半年前、六本木に行ったときのこと、覚えてるか?」

「夕食のことならこの前の帝国ホテルの奴で上書きされちゃったわよ」

「あー、ハハ、それもそうか」


 そういう蒼波は、恨めしそうな表情を浮かべて頬をわずかに膨らませてた。まあ、何も言わずにドッキリ同然で行ってしまったのである。皆で口裏合わせて内緒にし、当日の朝になって突然、「帝国ホテルで宴会やるぞ。お前主役な」と言い放ったのだ。その時の、白目をむいて魂を口から放ち、今にも気絶しそうな蒼波の表情を思い出した羽浦は思わず吹き出しそうになるが、どうにか話を続ける。


「あの時、お前が追加の飲み物取りに行ってたとき、彼が相談してきたんだよ。国を守ることはどういうことなんだと」

「遼ちゃんが?」

「ああ。お前にすら話さなかった、男同士の相談事ってやつだ。愛国心なるものがその土台となるにしても、その愛国心すらわからなくなっていたみたいでな。それで、咲はこう言ってたぞって、参考資料を提供するつもりで相談に乗ってたんだ」

「初耳ね。そんなことあったなんて。でも、それがどうしたの?」

「そのときの彼の表情……、本気で、悩んでるみたいでさ。なんというか、これから日本をぶっ壊しにかかるような人の顔じゃないんだよ。正直、演技にしては出来過ぎてる」


 羽浦は、六本木での食事時の記憶を呼び出し、静かに懐かしむように目を細めた。

 事前に明らかになっている情報に拠れば、正確な時期は不明であるが、六本木で食事をしていた頃には極東革命軍とコンタクトを密にとっており、電話記録も残っていたらしい。食事をともにした彼は、もはや空自の人間ではなく、極東革命軍の人間であったのだ。

 だが、彼のあの表情は、演技の可能性を考慮しても、仮にもこれから敵対する人間に向けるものとは思えない、思い詰めたものだった。東京の煌びやかな夜景を眺め、答えを求めるように相談を持ちかける彼の顔からは、妙な必死さを窺い知ることができた。

 思えば、その時に気づくべきだったのかもしれない。普段の彼がやるような表情ではない、その奇妙な顔を見たその時に、もっと深く聞き出すべきだったのかもしれない。しかし、今更そう思っても後の祭りであるし、そもそも、真実を教えてくれるかも分からない。彼の立場から考えれば、開戦数ヶ月前になっていきなり組織を離れる、ということが許されるとは到底思えないのだ。


 ただ……それでも、この不可解な事実に一応の筋が通りそうな理由をつけるとすれば、そんなところなのではないか。「ただの妄想だよ」と自嘲しながら念を押す羽浦は、さらに続けて言った。


「いずれにせよ、俺たちは彼に助けられてしまったのは間違いない。……半分くらいは不可抗力なんだが、正直、まんまとしてやられた、って気分だ。結局、最後の最後まで、あの空は彼の手中にあったんだ」

「でも、肝心の真実は闇の中……、か」

「死人に口なし。イタコでも連れてこられればまた違ったんだろうがな」

「あれってただの心理カウンセリングかなんかなんじゃないの?」

「だとは言われてるんだが……、まあ、会ったことがないものでなぁ」


 死者の霊を憑依させ、その霊の声を現世に残った者たちに届ける仲介者たる存在、イタコ。青森県は恐山で行われる“恐山大祭”の際にここを訪問すると、『イタコの口寄せ』と称して死者の声を聞く機会が与えられるのだ。

 今では絶滅危惧種なイタコ。この際、彼の声を持ってきてくれるならぜひとも樋口さん一枚を投げてでも口寄せをお願いしたいところだが……。しかし、霊になった彼が本当のことを語ってくれるとは限らない。結局、真実は文字通り墓まで持っていってしまったのだ。


「……遼ちゃん、何を思ってたのかな……」


 そう呟く蒼波の表情は儚さを醸し出すような暗いものだった。答えを求めるように、線香の煙が細く昇る線香台に目を向けるが、当然ながら、何も答えることは無い。ただただ、灰色の細い煙を空気中に吐き出すだけだった。

 彼はもう亡くなった。政治的な思惑から、彼は歴史の闇に葬られることが確定し、彼のことを覚えている人間も、その秘密を自分の墓まで持っていくことが義務づけられた。彼は一体、何を思い、何を考えて、あのような行動に出てしまったのか。もはや、それを確かめることはできそうにない。

 勿論、彼のやったことは決して許容されるものではないし、一人の女性の心を弄んだということも考えれば、このような結果になっても“因果応報”と評するほかは無い。羽浦も蒼波も、別に彼を許したわけではないのだ。しかし、どこか、まだ明かされていない彼の真意を感じてしまい、気がつけばそれを求めようとしている。無意味なことだとわかっていても。それを知ったところで、大して自分たちのためにはならないだろうとはわかっていても、だ。


 夕暮れの日差しがより赤く染まり、風もより冷たくなってきた。分厚いジャンパーを羽織っているとはいえ、ここにずっと立ちっぱなしでは冷えてしまう。


「……少し歩こうか。せっかく狭山湖に来たんだ。天気もいいし、富士山はギリギリ木の陰に隠れるかもしれないけど、綺麗な夕暮れは見られるはずだ」

「そうね。考えてみれば、ここに来たの初めてだし」


 そういうと、二人は墓の前で一礼し、かつての同僚に別れを告げて、霊園を後にした……。



 ――すぐ近くにある堤体の上に作られた南北に伸びる歩行者用通路に出ると、羽浦の読みどおり、綺麗な夕暮れが空を支配していた。その下には、穏やかに波打つ貯水池の水面が広がっている。 

 池の方角から流れてくるそよ風を顔肌に受けながら、その夕暮れと、その空を反射する水面とのコラボレーションに精神的な安らぎを感じながら、北のほうへ向けてゆっくりと並んで歩く。


「綺麗ね……、ただの人工湖のはずなのに」

「人工だからこそさ。こういうことも、人の手でならできるってことだ」


 その風景は、絶妙なバランスでもって保たれた幻想的なものであった。小さな意思一つでも投げ込めば、水面は波打ち、せっかくの綺麗な光の反射は大きく歪んでしまう。それらは、元に戻るまで長い時間をかけてしまうが、戻った時には、最初の光景とは変わっている……。

 どこか示唆的なその風景に、羽浦は、ふと、先の追悼式の、遺族のことばを思い出した。立ち止まって、湖に面する側の手すりで両手で掴んで湖と向き合うと、その水面と空を目で追いながら口を開いた。


「俺たちが守っているのは、こういうものなんだろうな。ちょっとの異物が紛れ込むことで簡単に崩れてしまう、平和な世界。この水面のように、幻想的でありながら、ちょっと手を加えるだけで簡単に崩れかねない、儚い存在。……遺族代表に出たあの子の父親が、不器用ながらに守ろうとした息子も、そのはずだ。幸い、あの子はそれに気づいたようだな」

「あの子のことばは素晴らしかったわ。ちょっと想定外だったみたいだけど、間違いなく御霊にも届いたと思う」

「ああ。あの子の親父さんも、これで少しは救われたろう。あの子がどんな将来を歩むかはわからないが、今はもう安心して寝られるはずだ。あの子が言っていたように、人の命っていうのは、本当に一瞬で消える。絶妙なバランスで一つの芸術として成り立っている、この風景のように」

「あの子の言ったように、あとは、私たちが引き継ぐ番ね」

「そうだな……。あとは、生き残った俺たちの番だ」


 前向きなあの追悼のことばの最後。「あとは、僕たちが引き継ぎます」というあの言葉を、羽浦と蒼波は気に入っていた。追悼のことばでありながら、最後はしっかりと、前向きな姿勢を示す。それだけではない。自分たちが率先して動くという意志も込められていた。自分たちも、その引き継ぐ人間の一人なのだ。その自覚と責任を、自らの職に生かさねばならない。気が引き締まる思いが、二人の胸の内に過った。


「(一度崩れたら直せない、この風景いのちを守る。それこそが、自衛隊の本源的な役目なんだ……)」


 今は亡き神野に、あの子のことばは届いただろうか。届いたとして、どんな思いで聞いていたのだろうか……。

 羽浦は、考えればきりがないことは早々に頭から追い出し、また足を動かし始めようとした。


「――ん?」


 ふと、北のほうから近づいてくる一人の影。少し背は小さいが、どっしりとしていて、威厳を感じられるその影は、羽浦たち同様ジャンパーを羽織り、ゆっくりと羽浦たちのほうに近づいてくる。

 ……その頭には、航空自衛隊の制帽が被せられていた。


「……あッ!」


 最初に気づいたのは蒼波だった。「なんでここに!?」といわんばかりに目を見開いて驚いていた彼女の声に答えるように、その影の主は優しげな声を返した。


「見覚えのある影だと思ったら……、やはり、二人だったか」


 そういって、頭に被せていた制帽をとる。その瞬間、羽浦も「なッ……」と、思わず声を出してしまい、反射的に、背筋を鉄柱のように伸ばして気をつけの姿勢をとった。その横から、蒼波は、驚いた様子で声を張った。




「お、お父さん……ッ!?」




 お父さんと呼ばれた彼、『蒼波謙二』は、


 そんな気を張った二人を見て、思わず困ったような苦笑を浮べていた……

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