12-3
――本人曰く、「神野のお祈りのために」だそうである。
二人に先んじてお祈りを済ませてきて、近場の展望デッキで休んでいたのだが、そろそろ帰ろうとしたときに、鉢合ったというわけである。思わず新米のようなガッチガチの気をつけの姿勢をしてしまったが、彼からは苦笑されながら止められた。
「おいおい、今はよしてくれ。もうその立場ではないのだ」
「あ、あぁ……す、すみません。反射的に……」
「予告もなしにいきなり現れといて「やらなくていい」ってのが無理な話でしょ……」
呆れた表情を浮かべてこめかみを押さえる蒼波。身分が身分とはいえ結局は自分の父なので、羽浦ほど過剰に肩を震わせることは無かったが、代わりに、その肩を落として「なにしてるのよ……」とため息をついていた。
「まあまあ、そう言わずに。二人とも、彼のお参りか?」
「まあね。今じゃ、お参りしてくれる人なんて私たち以外あんまりいないし」
「全く、残念な話だな。彼は悪くない人間だと思っていたのだが……」
そういうと、彼は湖のほうに向き直り、意味深長な微笑みを水面に向けていた。ただ、それを目で追う彼女の視線は妙に複雑なものだ。その“悪くない人間”だと思っていた彼に、自らの青春を潰されたようなものなのである。それに加えて、例の意図不明の熱核兵器の件ときた。神野に対する心持ちは、今もなお整理がついていない。
すると、何を思ったか、彼は自らの娘のほうに顔を向け、懐から一千円札を渡した。
「ほれ」
「……は? なに、この歳になってはした金のお小遣いでもくれるっての?」
「そうじゃない。ちょっとジュース買ってきてくれ。霊園近くに自販機あったはずだから」
「えぇ!? また来た道戻れっての!? 自分で行ってよ!」
「頼むよ、この通りだ。おつりはお前にやるから。な?」
「いや、だからこんなはした金貰っても――」
「頼む! この通り!」
そういって、彼は顔の前に手を合わせて頭を軽く下げる。時折「チラッ」と小さい効果音を口で発しながら、娘の心底嫌そうな顔を見てご機嫌を伺っている。
ただ、頼まれた以上断りきれなかったらしく、深くため息をついて一千円札を摘まむように取りながら、諦めたように聞いた。
「……んで、何買ってくればいいの? 一本しか買わないからね」
「何でもいい。故郷の味が恋しいからな、リンゴジュースで」
「リンゴね。雄ちゃんは何か飲む?」
「んー……、俺はココアでいいや。あったかいやつで」
「はーい……」
注文を受けると、また深いため息をついて「なんで私が……」等と文句を垂れ流しながら、今来た道を戻っていった。娘のその背中を見送ると、蒼波は羽浦のほうを見て優しげな笑みを浮べながら言った。
「――少し、歩かないかね」
彼女が行った方向とは真逆の、北のほうに首を「くいっ」と一瞬かしげながら……。
「――で、何用なんです? 男二人で相談事でも?」
通路を北に向かってゆっくりと歩きながら、羽浦は蒼波に問いただす。やはりか、といった様子で小さく笑うと、感心するような目を彼に向けた。
「やはり、わかるか?」
「露骨過ぎますよ。自販機はここから近いところでも往復10分はかかります。それに、こんな寒い冬にジュースはないでしょうし、それまで待つまでもなく北に向かい始めた。典型的な時間稼ぎです。……わざわざ、自販機でジュースを買わせるという名目で咲を俺たちから引き離したんでしょう?」
「完璧だ。人事評価通りのようだな」
「過剰評価な気がしないでもありませんが」
「謙遜するな。例の紛争での君の活躍は聞いているさ」
蒼波は誇らしげな表情を浮かべる。紛争における戦闘経過などはほぼ全て記録され、彼の目にも入ることとなった。当然、神野が熱核兵器を腹に抱えて特攻を仕掛けようとしたこと、そして、羽浦が、それを阻止するべく奮闘し、自らの娘を導き無事起爆を阻止したことも。それまでにも、様々な場面で彼の指揮管制は高い評価を受けていたことは、警戒航空団の任務評価からわかっていた。羽浦のことを気にかけていた蒼波が、浜松に頼んで見せてもらっていたのである。
「君らのような活躍した人間には、ぜひとも勲章の一つや二つでも差し上げたいのだが、この国の人間は、戦場で活躍した人間が英雄扱いされることを良しとしないものでな。許してくれ」
「身の丈に会わない勲章はつけないに限りますよ。防衛記念章で十分です。……というか、そんなに良く書かれてますか?」
「まさしく、女神の目に相応しい働きだったと。君のとこの指揮官がそう書いてるぞ?」
「仕事をしたまでです。彼らは、空の上では基本的に孤独ですから。私がそれを影から支えなければなりません」
「君みたいな人間が自衛官であってくれて嬉しいよ。君のような人間が幹部として成長してくれれば、私も安心して身を引くことができる」
「少々、納得のいかない身の引き方ですけどね……」
そう言って、羽浦は表情を少し曇らせた。
蒼波は先月、統合幕僚長の職を辞した。本来の任期より早い、たった半年での辞職となったが、その理由は、紛争に関わる政治的判断によるものだった。
情報提供者だけとはいえ、極東革命軍に与する自衛官が出てしまった。公表はされていないが、神野の件もある。政権だけでなく、防衛省・自衛隊に対する批判も発生し、どうにかして誰かが責任を取らなければならなくなったのだ。これ以上の批判は野党の付け入る隙を与えかねないとして、見える形で責任を取ったことを示す必要があった。
……いうなれば、彼はそのために、“人柱”になったというわけである。
「表向きは戦後処理に伴う人事調整としていますが、あれでは事実上の生贄です。官邸や市ヶ谷へのダメージを軽減するためとはいえ、こんな形で職を降ろされるなんて……」
「まあ、そういうな。今は戦後処理に集中しなければならないことを考えると、これ以上の混乱を避けねばならないのは事実だ。いずれにせよ、私はこの職の任期を終えれば引退する身。辞める時期が多少早まっただけに過ぎないし、大したダメージではない。私の首で政情が少しでも安定するなら安いものだろう」
「それはそうですが……」
「気持ちはありがたいが、何事も理想通りにはいかん。なに、大郷さんがうまいこと手を回してくれて、代わりのポストは用意してくれた。暫くはそこに納まるさ」
蒼波はそう宥めるが、羽浦の表情は晴れなかった。政情安定化のための事実上の生贄になったことに関しては、大郷も気の毒に思ったらしく、代わりに、ちょうど空いていた一人分の防衛大臣政策参与のポストを提供することで手を打っていた。自衛隊を退官した上で、一時的に防衛省顧問となった後、来年からそのポストに納まる。高レベルで防衛大臣を補佐する役割には違いないので、蒼波もこれで納得していた。
ただ、引き際というものがある、と羽浦は頑なだ。自然と語気が強くなる。
「咲も怒ってましたよ。貴方には普通に退官してほしかったと」
「いつかわかってくれる日が来ると信じているさ。私の自慢の娘だ。家族の絆を舐めてもらっちゃ困るよ」
「……にしては、割と距離置かれてますが……」
「まあ、何だかんだいってまだ年頃の女性だし……。でも、そこがまた可愛いんじゃないか。わかるかい?」
「いえ、その……自分、子供持ったことないので……」
距離置かれているはずの愛娘を自慢するようなそのドヤ顔に、羽浦も若干引いてしまう。これが親バカというものか。彼女も別段嫌っているわけではないし、関係は良好であるらしいことは色々と聞いていた。どうも、明確な反抗期らしい反抗期がなかったらしく、代わりに、先ほど嫌そうな顔をしたときのような、程ほどに距離を置く姿勢が高校時代からずっと続いているのだという。
それゆえか、問答無用で愛娘を愛でることが普通にあるようで、中学時代の授業参観のとき、彼が参観に来たと思ったら若い母親のように手を振っていて、逆に彼女のほうが赤面しながら頭を抱えるという場面があった。彼女曰く、彼はあの後、同行していた妻から“説教”を喰らったらしい。
その延長線上か、例のヒロイックな出会い以降仲の良かった羽浦を褒めちぎることもある。先ほどのものもそうだった。
「君が自衛官でよかったよ。咲を守ってくれたことに関しては、親として頭を下げさせてほしい」
「ご勘弁を。それに、守られたのは俺も同じです。アイツは、凄腕のパイロットになりました。素晴らしい娘さんをお持ちになられて、さぞや鼻が高いことでしょう」
純粋に彼女を称えたつもりだったが、しかし、それを言った瞬間、今度は蒼波の表情が少し曇った。「まあな……」と口にしながら、その目線を、湖の方角にある空に向けた。
「君には話したかな。本当は、私は咲が自衛官になるのに反対だったと」
「……咲から聞きました。ただ、理由までは」
「そうか……。まあ、この機会だ。話してもよかろう」
遠い目をした蒼波を見た羽浦は、その意識を自らの耳に集中させる。湖のほうから流れてくる風の音に混じり、彼の、物思う暗い声が届く。
「時に……、君は、『トマス・モア』という人間を知っているかね?」
「防大にいた時に聞いたことがあります。イギリスの法律家にして、思想家。敬虔なカトリック信者で、現代にも繋がる『理想の世界』を考察した著名人だと」
「そうだ。そんな彼は、このような言葉を残していたのだ――」
「――『戦争は畜類がするにふさわしい仕事だ。しかもどんな畜類も人間ほど戦争をするものはない』」
「畜類、か……」
ユーモアを持つ彼らしいストレートな表現である。人間という名の畜類が、他の畜類の比しない規模で戦争をする動物だと表現している。人文主義の観点から理想の世界を追い求めていた彼らしい戦争観だ。言葉はキツいが、言っていることは大して間違っていないと、蒼波は娘の身を案じながら言った。
「咲が自衛隊になると言ったとき、私は断固反対だった。君も、例の紛争を経験したならわかったろう? 戦争は、時としてルールを消し去る」
「戦時国際法があってもですか?」
「そうだ。宣戦布告という文化が完全に死んだことは言うまでも無く、化学兵器禁止条約に署名していながら、密かに化学兵器を使っていた中東の国とそれを支援していた大国もいる。かと思えば、根拠不確定の情報を元に大量破壊兵器捜索と称して戦争を仕掛けた覇権国もいる。何時しか、戦争のルールは、戦争を規制するものではなく、その国が仕掛けた戦争を“正当化する理由付け”に使われ始めた。あまりに儚く、脆く、強制力がないルールは、戦争する主体によっては簡単に無視することができる。無視しても大きな損害がないと判断されれば、容易に、かつ、あっけなくだ。その時……、戦場で起きるのは、何だと思う?」
「……なんです?」
「簡単さ。秩序立った戦争ではない。“ただの動物同士の殺し合い”だ」
そう語る彼の目は、どこか軽蔑の意味合いも含まれているように羽浦は感じた。
防大をトップの成績で卒業し、エリートコースまっしぐらで過ごし、時には海外とのパイプ役や情報収集役まで買って出た彼が見てきたのは、戦争の裏にある醜い現実だった。海外で行われる戦争の実態。好き放題の戦場に、それを後追いするだけのルール。そこに、合法的な殺傷を伴う政治活動の一環としての“戦争”はなく、ルールのない野生の世界同然の“動物同士の殺し合い”としての“狩場”があるに過ぎなかった。まさしく、モアが言うところの“畜類の行為としての戦争”というわけである。
その時の彼の脳内には常に、モアの言葉とともに、共和制ローマの政治家『マルクス・トゥッリウス・キケロ』の残した、ある言葉が存在していた。
“When arms speak, the laws are silent. ――武器がものを言うとき、法律は沈黙する”
彼の言葉は正しかった。法律でどれだけ規制しようと、結局、強大な力の前には無力だ。力に与するようになっただけ、よりたちが悪くなったかもしれない。
それでも自衛官であり続けたのは、そんな現実を日本に味合わせたくなかったからであり、そして、自らが溺愛する愛娘たる咲が自衛官になるのに反対したのも、そんな現実に身を投じてほしくなかったからだった。物悲しそうなその表情が、咲に対する思いの複雑さを物語っている。
「絶対に入れないつもりだったが、やけに執着するものでな。なぜそこまでこだわるか聞いたのだ。そしたら、「自分も大好きなものを守れるようになりたい」と。まるで若い時の私のようなことを言ってきてな。あんな本気の目をされたら断れん。結局、私のほうから折れたというわけだよ」
「国を守ることに対する思いは、私も聞いたことがあります。自分なりの結論を出した上で、それを実践したいと」
「ああ。だが、実際はそれだけじゃない。咲には、憧れがあったんだ」
「憧れ? 何ですそれは?」
「おいおい、君なら大体察していると思っていたのだが……」
そう呆れたような笑みを見せる蒼波だったが、本当にその正体がわからず、困った様子で首を傾げるしかない。しょうがないな、といった様子でため息をつきながら、彼は言った。
「……君だよ。羽浦君」
「えッ……、私ですか?」
「そうだ、君だ。かつて君は、咲を救ったことがある。あの大の男二人に、一人で立ち向かった。あれは、咲にとって大きな憧れとなり、目標になったんだ」
「目標……」
「咲は、君を自らの前を進む、自分が目指すべき存在と定義づけ、そのために人生の若い時代を捧げる覚悟を決めたのだ。それだけ、君は咲にとって、大きな存在になったのだよ」
そうかたる彼の顔は、どこか誇らしげだった。小学校3年生の時にあった、衝撃の出会いの記憶。その時の蒼波にとって、凶悪な男二人に単独で立ち向かう羽浦の姿は、まさしくヒーローのように見えたのだという。あれ以来、自分もそんなことができる力を持ちたいという夢を持ち続け、それが、自衛官になるという選択に執着させたのだと、彼は懐かしむような顔で明かした。
一言もそんな話を聞いたことがなかった羽浦は、軽くこそばゆい思いを抱く。目標とされることは悪い気はしないのだが、そこまで高尚な立場であることを一切自覚せず、今までの人生を生きてきた。身近な友からそのような視線を受けていたことに今まで気づかなかった自分の鈍感さに呆れ果てながら、ふと、紛争最終日の、あの空戦を思い出す。
「(まさか、あんなに無茶してまで俺を助けようとしたのって……)」
あの時のお返し、もしくは、意趣返しとでもいおうか。E-767ごと落とされそうになったあの状況に、自らが人生で初めてピンチになった、あの誘拐未遂の場面と重ねたのだろうか。となると、そのときの彼女の脳裏には、今度は自分の番だという意識が強く残っていたのかもしれない。
そう考えると、彼女もやはり変わっていない部分だけでなく、成長した部分もあったのだなと、不思議と育て親になったような心境になった。追いかけられる存在であった自分が、いつの間にか、追いつかれて並ばれていた。妙に誇らしく、頼もしさを感じていると、二人は、通路北端にある東屋付きの展望デッキに到着した。
ここからは夕日と水面、さらには周囲を囲む森林とのコラボレーションが美しく見える場所であり、幸い天気がいいこともあり、かすかにではあるが、富士山も見える。
「見たまえ。この美しい風景を。我々が守ろうとしていたのは、まさしくこれなのだ。この風景のように、美しく、整っていて、一方で、儚く、脆い。そんな存在を守るのが、我々自衛官だ」
「ちょうど同じことを考えていました。形作るのには大きな時間と条件が必要なのに、壊れる時は一瞬。しかも、誰でも壊せる。そんなか弱い存在を守っているのが、自分たちだと」
「そうだ。そしてそれは、平和を願う人の心そのものの集合体でもある。……ただ」
「?」
彼は少し言いよどんだが、しかし、自嘲気味に笑みを浮べてさらに続ける。
「……自分も、いい加減に親バカだなぁとは思うのだが、その……。咲の、心の内とも重なってしまってな」
「咲の?」
「ああ……。咲のその憧れ、目標を追う強い思い、決意、覚悟。それは崇高なものであるに違いないのだが、しかし、一方で、脆いものにも見えてしまうのだ」
「というと、どういうことです?」
「つまりだ。それらは、今の自分を形成する上での主柱にある。大黒柱が崩れたら家が簡単に崩れるように、そういった思いが一旦崩壊すると、咲は、自分を見失いかねない。実際、アイツは一度見失いかけた」
「え?」
「わからないかね? 今までの目標は君だったが、そこに、神野という新たな存在が生まれた。そして、神野にも精神的な愛情を向けるという形で自分を形作る主柱に加えていたが、それを失ったとき……、咲は、どうなっていたかね?」
「それは……」
神野が、まだ咲の彼氏として周囲に認められていた当時。神野が初戦で、偽装ではあるが撃墜された時、大いに動揺していたのは今でも記憶している。そして、その後、大きな過ちを犯しかけたことも……。
あれだけが、咲を咲たらしめているわけではない。あくまで、そのうちの欠片を失ったに過ぎないのだ。しかし、それでも、彼女は大いに精神的に崩れかけた。そこに、脆さがあるのだという。
「戦闘記録は見させてもらったし、咲の様子は、同僚の伝を使って色々と聞かせてもらった。半分ほど懸念していたことが現実になってしまったように思っている。そういった思いを捨てさせるわけには行かないが、かといって、このままでいては、またどこかのタイミングでどれかが欠けた時、同じことが起きかねない」
「私のことはもちろん、国や、誰かを守る思いそのものにも何かあったら……」
「うむ。その時は、例のハイジャック事件のときと同じことが起こるやもしれない」
そ、それだけは……。羽浦はかすかに冷や汗をかいた。あのような目はもうごめんだ。彼女も、好き好んで二度も同じことをするわけではないだろうが、何が起こるかわからない。
「そこで、だ」と、蒼波は目の前の景色に向けていた顔を、羽浦に向けなおした。
「……咲の父親として、頼みたいことがある」
「なんでしょう?」
羽浦も答えるように向き直ると、蒼波は、一層真面目そうに顔を引き締めて言った。
「――娘を、咲のことを、頼めないだろうか? 君が、ベストな選択だと思っているのだ」
羽浦の心臓が一瞬跳ねた。この言葉が意味するところを理解しないほど、彼も鈍感というわけではない。しかも、相手の父親から直にお願いされた。これほど、大きな“チャンス”はない。
ただ、不安が無いわけではないのだ。自分がベストな選択肢であるからこそ、その責任の重さが、身の丈にあっているか自信が無かった。
「……私で、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。必要なら私もアドバイスしよう。これでも父親だ。“先輩”として何か手助けできることはあるはずだ」
「ですが、はっきり言って、私にそこまでの覚悟と度胸があるかといわれれば、その……」
「心配するな。誰もが最初は不安だ。だが、そういったものは後からちゃんとついてくる。何も一人で乗り越えろなどというわけではない。咲も、君に付いてくれる」
「……」
「どこか危なっかしくて、マイペースで、かと思えば自分にバカ正直で猪突猛進な奴だが……。一人の親として、咲を安心して授けられる人間は、君しかいない」
「私、だけだと……」
「……厚かましいお願いであることは重々承知している。ただ、私は君に、娘を守ってやってほしいのだ。そして、私に代わって、強く、戦争という現実にしっかりと向き合える自衛官になる、手助けをしてほしい。……頼む。この通りだ」
そういうと、蒼波は自衛官らしいきりっとした姿勢になり、そのまま頭を深々と下げた。娘を誰かに授ける覚悟は、親としては相当な覚悟がいる。親としても、娘の人生の伴侶選びには必死だった。そんな蒼波にとって、羽浦は、ただ一人信頼できる、娘と同世代の人間なのだ。
頭を下げられて慌てた羽浦が無理に頭を上げさせるが、その顔の本気さを見て、言葉を詰まらせてしまう。一人の親が、年長者としてのプライドを捨ててまで頭を下げて懇願してきた。これがどれほど重い意味を持つのか、理解できない人間ではない。
「……」
羽浦は次の言葉が出てこなかった。こういう時、なんて返せばいいのか。これっぽっちも頭の中でシミュレーションしていなかった。回答の内容に迷っていると、
「――ぅうおおおおおいいいい!!??」
通路のほうから、ドでかく突き刺さるような女性の声が鳴り響いた。二人が一斉に向いた発声源にいたのは、顔を引きつらせて白い息をひっきりなしに吐いていた蒼波(咲)の姿だった。缶を3つ両手で抱えながら、ズカズカと迫り来るように歩いて近づきながら、彼女は全力で抗議した。
「ジュース買ってきたから戻ったらどこにもいないから探したじゃん! デッキ行ってるなら先に言ってよ!?」
「あぁ、すまんすまん。ちょっと話し込んでてな」
「言っとくけど俺無罪だからな」
「え、ひどい」
「どっちでもいいわよ……。はあ、もういいわ。はいこれ、リンゴとココア」
心底呆れたような表情を浮かべながら、二人に注文どおりの品を差し出す。羽浦はその場で飲み始めたが、父のほうはその場で飲まずに、ポケットに仕舞い込んだ。
「じゃ、そろそろ行くから」
「あれ、もう行くんですか?」
「次の仕事が立て込んでてな。そろそろ戻らなければ。……あ、そうだ」
「ん?」
ふと、思い出したように彼は娘のジャンパーをさして、
「すまん、ちょっと貸してくれ」
「はあ? なんでよ」
「いいからいいから」
理由も明かさずジャンパーを要求する。渋々ジャンパーを抜いで彼に貸すと、自分の着ていた薄いほうのジャンパーを脱いで、彼女に渡した。
……と思ったら、
「……じゃ、俺はこれでッ」
「ッええええ!!!???」
そのまま、逃げるように走って去ってしまった。その逃げ足、まさしくあぜ道になれた忍びの如し。別れ際、「とにかく、さっきの話頼んだぞ!」と言い残し、通路には向かわず北の林に囲まれた細道に消えていった。呆気にとられて追うことすら忘れていた娘のほうの蒼波は、ハッと思い出したように再び叫んだ。
「うぉぉおおおいいい!!?? あんのクソ親父ジャンパー変えただけでさっさと逃げやがったんだけどォォオオオ!?」
「そんなに寒かったんかな……」
「ほなら最初っから厚いの着てくればいいでしょうがあああ!!! ふざけんなあのクソ親父ゴラァァァアアアアアア!!!」
怒りの絶叫が狭山湖に木霊する。意味も無くジャンパーを変えてさっさと逃げていくその行動。蒼波に言わせれば、単に「親がバカやらかしただけ」にしか思えないのだが、しかし、先ほどまでの話を聞いていた羽浦にとっては、これは一つのメッセージに思えた。
「(さっさとやれ、ってことなんだろうなぁ……)」
ぜえぜえと息を吐きながら、しかし寒そうに体を震わせている蒼波を見て、羽浦は小さくため息をついた。一応、渡されたジャンパーに袖を通すが寒そうにしている女性に対して、男性がすることは一つだけ。つまりはそういうことなのだろうと、「(そんなんするキャラじゃないんだけどなぁ……)」と内心で愚痴りながらも半ば諦めた羽浦は、自分のジャンパーのファスナーを下げると、
「……入るか?」
「……、え?」
両手を広げて蒼波が入るスペースを作った。要は二人羽織りである。お互い、今まで一回もしたことがなかったのだが、片方が薄いジャンパーで我慢するのは避けたいとして、すぐに羽浦が考え付いたのがこれである。
背に腹は変えられないと思ったのか、多少赤面しながらも、「……お邪魔します」と呟きながら、彼の腕の中に納まる。前の部分をジャンパーで閉じて、できる限り強く腕を締めた。
「……きつくね?」
「別に。あったかいからちょうどいい」
「そか。今はちょっと風があるから、このまま暫くあったまってから移動しようか」
「そうね……」
蒼波は俯きながら、買ってきた缶コーヒーを両手で持ってちまちまと飲み始める。羽浦も、飲む時はジャンパーを持つ片手を蒼波に代わりに持ってもらいながら、少しずつ喉に入れる。何ともいえない、傍から見ればシュールな光景を演出していると、蒼波が思い出したように聞いた。
「そういえば、さっきまで何の話してたの? 父さん、帰るときなんか言ってたけど」
「ん……?」
羽浦はまたココアを喉に通しながら少し考え、小さく微笑んでため息をつきながら返した。
「……いや、ただの男同士の“約束”だよ」
羽浦は、優しい微笑みを目の前の水面に向けていた……




