第5話 ヴァルカはミーシャに依存する。
昼前になって、ヴァルカは目覚める。
(寝すぎたか……)
眠っているミーシャさんを起こさないように、静かにベッドから降りた。安らかなその寝顔にこちらも安心感を覚える。三年前助けられたときは自分も彼女も失ったものが多すぎて、その傷口の痛みを少しでも和らげるために、互いにすぐそばにあった温もりに縋った。本来恋愛感情の延長にあるはずのその行為に愛はなく、ただ今を〝すぐそばに誰かがいること〟の安心感で塗りつぶすことで、その場しのぎの束の間の現実逃避に至ったのだ。
自分の場合は、ミーシャさんの中にリィナを見てしまっていた。
(別に似ているわけじゃないのにな……)
性格も好き嫌いも外見も全然違う。ふとした瞬間の微笑み方すらも。しかしそうやって無理やりリィナに見立てることで、なんとか心の平穏を保っている。
(すまない……ミーシャさん、リィナ……)
リィナを裏切り、そしてミーシャさんを本人として尊重せず代用品として扱ってしまう。
それを彼女が許すからといって甘えてしまう。
弱いことに、打ち勝てない。
最近は演技も上手くなってきて、特に自分の好む〝リィナの仕草〟の再現はほとんど記憶の中の彼女そのままだ。
その優しさに、溺れる――否、入水しているような感覚に陥っている。
決して健全ではないし、仕方ないとずるずる流され続けて良いものでもない。
(いつかやめねばと思っているが……)
当時を思えば、ミーシャさんはだいぶ落ち着いたように思う。時間が痛みを和らげてくれたのもあるだろう。
(最初は一時も離れようとしなかったからな……)
あのまま潰れずに、こうして日常に戻れた彼女は強いと思う。
今なお過去に囚われて、戦場に取り憑かれている人間なんかと比べて。
魔獣達は自分やミーシャさん、数多の人々の人生を、未来を、何もかも変えてしまった。
その理不尽に対し、報いを与えねばならない。自分にはそれが容易ではないが、不可能でもない力がある。だから、やらねばならないのだ。
(……つくづく心とは度し難いものだ。間違い続けていることは、わかっているのに)
ミーシャさんとのただその場しのぎに甘え合うだけの関係も、多くの復讐を背負って果たそうとする生き方も。
本当に間違い続けている。でも正解はわかっていても、正しくはあれない。
きっとこの関係も、こんな人生を送らないことも選べるはずなのだ。
(人は、どうしようもなく感情の生き物だ)
でも、心が、正解を選ぼうとしない。
「……そろそろ、行くか」
義手を装着する。もうこの腕とも三年の付き合いで、装着時非装着時の感覚にはだいぶ慣れた。魔力を少し込めると、本物の手や腕のように思い通りに動くのは便利である。
左右の両腕が揃った状態で着替えを進めていった。武器として以上に義手としての性能も高いおかげか、スムーズだ。
最後に壁にかけてある黒マントに手を伸ばす。しかし直後、戦場に行くわけではないことを思い出して引っ込めた。街中に対魔道装備は必要ない。
(嫌な癖だな……)
そうして普段着姿になると、まだ起きぬ同居人を背に部屋を出たのだった。
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(アウロラ共和国に定住して、もう三年か……)
アパートの建物を出て、首都セトの町並みを眺める。さすが列強の一つと言われただけあって、フェリックス王国よりも発展していて都市自体の規模が大きく、建物はより高層建築であり、人口も多い。しかし細かいところを見てみると舗装された道路の小さな陥没やヒビ割れがそのままだったり、壊れた街灯もなかなか修理されていない。博物館はすでに閉鎖されており、公園も植物の手入れが入っていなかったりと、細かいところで予算を割けていないのがよくわかる。
それもこれも西側のヴェスパー王国と隣国のフェリックス王国がない今、この国がいわば対魔獣との〝前線〟の一つとなっているからだ。国土が広いことと運良く首都が最前線の国境沿いと真逆の方角にあることから、首都に至っては疎開の必要もなく比較的怯えや不安を必要としない日常を送ることができている。しかしそれを維持するために国の財布の中身はどんどん削られていた。もちろんその費用には、一般国民のパニックを防ぐための情報コントロールも含まれるだろう。かつてのフェリックスのように虚偽を広めて平和を演出するような〝詐欺広告〟というほどではないが、意図的に戦場や魔獣に関する情報は国民に伝わる頃には矮小化されたりカットされたりしている。
しかしそうしたところに目をつぶれば、首都に戦争中を思わせる緊張感は少ない。目抜き通りを歩けば、幼い子供を引き連れて母親が食事処に入っていくのを見かけるし、公園で遊ぶ子供達や仲良く犬の散歩をする老夫婦もいる。
(こうしてみると、戦場が嘘のようだ)
否、三年前の自分も同様だったではないかと自嘲気味に笑う。日常にまだ戦場が至っていない人は、その実感がないのだ。良くも悪くも。
だが、こうして一見平和そうな光景にも、〝予算削減〟以上の戦争の片鱗は見て取れる。
若い男女が少ないのだ。特に男性が。
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それからやってきたのはセトの中心部からやや外れた場所にある、〝国立魔道研究所〟の施設だ。さすが国の最先端の魔道研究が行われていることから、所内の秘密を守らんと敷地は高さ五メェトの外壁に囲まれており、幌馬車が四台は横並びに同時に出入りできるほどの幅を誇る北側正門の鉄製柵状門の両脇には、兵士がそれぞれ交代制で常に警備している。彼らは腰に剣を携えているが、先日ともに戦ったアルフォンスのように強化魔道などは使えず、有事の際には剣と己の肉体だけで戦う者達だ。
魔獣との戦争が日常化するこの世界では、兵士としては戦場で魔道を使えるのが最低限であり、そうでない者はこうして後方で警備や都市の治安維持任務に当たっていた。しかし決して弱いわけではなく、魔獣のような大集団ではない侵入者程度なら、その鍛え上げられた肉体で十分阻止可能だ。
回り込んでヴァルカは西側にある通用門に向かう。基本的に〝関係者〟の出入りは正門ではなく、こちらから行う。正門に比べると鉄製門は幌馬車が一台ギリギリ通れるほどの幅でこじんまりしているが、出入りを監視する兵士がしっかり二人両脇に立っていた。
ヴァルカは兵のうち、右側の門番に話しかけた。
「……こちらを」
ポケットから一枚のプレートを出して提示する。
「どうぞ、お入りください」
もう一人いた門番が門を開くと、ヴァルカはプレートをポケットに入れて促されるまま敷地に入った。
先ほどのプレートはこの施設の関係者であることを示す、いわばゲスト用の入場許可証である。これから会いに行く相手から、〝頻繁に出入りするなら〟と渡されていた。
敷地内にはちょうど前世で使っていた文字の〝コ〟を描くように、三つのレンガ造りの六階建て研究棟が並んでいる。ヴァルカは南側にある〝コ〟でいう二画目の建物に入った。
その二階の階段上がってすぐ右手の部屋に、ようやく目指していた到着地点の場所名をドアプレートに見る。
〝執務室〟という文字と、人物名。
「ドリス・アシュクロフト……」
そう女性の名前が刻まれていた。




