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第31話 首、ちゃんと洗ったか

 アルフォンスの捕食に、エステルとドリス博士は、思わず目を背けた。


「アルフォンス……」


 もう戻らぬ命の名を呼び、弱々しく右手を伸ばした。だが、それが彼の何かを掴むことはもう叶わない。


「…………」


「はぁ、ごちそうさまでした。抵抗するから時間かかっちゃったけど、美味しかったぁ!」


 その場にそぐわない明るさで、ハリボテのリィナは満足そうに笑顔になる。


「あ、でも安心してね。私、この見た目気に入ってるから、彼にはならないよ?」


「……」


 ヴァルカは言葉を返さず、ただうつむく。


「じゃあ、次はヴァルくんかな? ふふ、ひとつになるの、楽しみぃ~!」


 やはりヴァルカは何も返さない。それを不満に思ったのか、偽物は頬を膨らませて不機嫌そうに口を尖らせた。


「ねえ、何か反応してよ? 愛しい恋人がこんなにも話しかけてるのに」


 というと、ここで初めて彼は言葉を返した。


「……違う」


「〝違う〟……?」


「貴様は、私の恋人でも……リィナですらない」


 そうして、ヴァルカは立ち上がる。そんな彼をドリス博士が心配そうに見上げた。


「ヴァルカ……」


「……心配かけたな。私はもう大丈夫だ」


「大丈夫と言っても……ここから何をする気じゃ? 〈スペムノンハベット〉はないし、ワシらにはもう……」


 勝てる策がない、そういう諦めを帯びた顔をドリス博士はしていた。その頭をヴァルカは安心させようと、優しく撫でる。


「……蛇口がなくとも、水を出す方法は知っている。止めることを考慮しなければな」


「まさか自力で起こす気か……? 〈オーバードライブ〉を」


「一度はできたんだ。不可能ではないはずだ」


 今なら――アルフォンスの言葉をもらった今なら、〝仇〟を前にした今なら、できそうな気がした。


「バカか! 自力での〈オーバードライブ〉は、魔力が尽きるまで収まらん! こんなとこじゃ、設備の揃っていた前回のようには助けられんぞ!」


「……今度は死ぬかもな。でもやらないと私達だけじゃない。ここまで失ったすべての命に、顔向けできない」


「お主……」


 思い出せ、かつての三年前を。かつて受けた屈辱を。悲しみを。罪悪感を。


「そもそもだ。なぜ、こっちが諦めてやらねばならない。未来を諦めるのは向こうだ」


 思い出せ、あの悪夢を。すべてを奪われたときの理不尽を。

 どうして、一方的に奪われなければならないのか。

 こっちは何もしていないのに。

 みんな平和に暮らしていただけなのに。

 自分達がわざわざ、それらを捨ててやらないといけない道理はないはずだ。

 全部あいつらが悪いのに。

 自分達はただ生きていたかっただけなのに。

 心の底の怒りが、憎しみが、殺意が、復讐の炎が燃え上がろうとする。

 そして――――。


〝ダイスキ〟


不意に蘇る、彼女の最期の言葉。

途端、体内の中で堰を切ったように、魔力が膨れ上がるのを感じたのだった。


(……憎しみに、愛は不可欠か)


「ヴァルカさん……」


 エステルの〈シムラクラム〉は、ヴァルカの身体中からまるで煙のようにゆらゆらと放出される魔力を観測する。

 それから術者は身体の奥で、焦げ果てるほどに迸る魔力を感じながら、目を閉じて静かにかく告げた。


「――――〈オーバードライブ〉」


 と。

 すると――放出されていた魔力はどんどん収束していき、やがて身体全体を淡く金色の光が包み込む。同時にまぶたをゆっくり開けると、赫く染まった両瞳が姿を現した。


「……いくぞ、ハリボテ」


 見据えるのは、ダンジョンの主たるスライムの魔獣。


「何をしたのかわからないけど、ヴァルくんの魔道の才能じゃ、私を倒すなんて不――」


 が、しかし、


「え……?」


 その表情は、すぐさま驚愕に変貌した。

 気づけば一瞬で、すぐ後ろにヴァルカが立っていたのだから。


「な、なんで……? ヴァルくんの〈シフト〉はそんな距離じゃ……」


「それはもう、三年前の話だ」


 長くはないけど、決して短くもない。


「……!」


 一瞬で、〈インフィルトレーター〉は無数の触手を背中から伸ばし、そのまま背後のヴァルカを串刺しにした。


「ぐふ……!」


 が、しかし、そのすべては急所を外している。それは偶然ではない。


「やはり……お前はすんでのところで……私を殺せないな……!」


「何を言って……」


「さっきも接近したとき、殺すのではなく〈スペムノンハベット〉を壊すに留まった」


「それは……!」


 ヴァルカを貫く触手の先端が、再度――それも頭部を貫こうと強襲する。

 が、しかし、触手はすべて、頭部にミリメェトの隙間を残して急停止した。まるで躊躇うように。


 魔獣にだって、感情はある。

あまり注目も関心も持たれないが、事実だ。知能は低く、〈コマンダー〉の指示がないと動けない生き物だが、そこに心はある。かつて三年前、わざわざこちらを殺さずに左腕だけ奪って、もがき苦しむ様を眺めた〈ポーン〉に心がないとは言わせない。あのときは半信半疑だったが、今となってはあれが〝嘲り〟であったと断言できる。


 感情のある生き物が、記憶の影響を受けないわけがない。不運なのは、慣れていない人間の記憶を扱ってしまったこと、そして何より敵対する相手の恋人のものを、ピンポイントで持ってしまったことだろう。

 そんな拾った他人の人生に引っ張られるようなハリボテに、一時期とはいえ殺しを躊躇っていた自分が本当に滑稽である。


「ああ、殺せないさ……。引っ張られてるんだろう、リィナの……私を愛する記憶に!」


「……!」


 リィナが自分を愛している確信があったらこその確信。

 こいつに、自分は殺せない。中途半端に記憶のせいで躊躇いが生じているのだ。

 ヴァルカの右腕が、人型を形成する〈インフィルトレーター〉の首根っこを掴む。


「うぐ……!」


「これで終わりだ」


「ま、待って……!」


 背負った皆の無数の憎しみと、


「やめて、ヴァ――――」


 受けた理不尽を、

 すべて叩き返す――――。


「首、ちゃんと洗ったか」


 次の瞬間、体内の魔力のほぼすべてを注ぎ込んだ、ありったけの〈ファイヤーボール〉がスライム状の肉体を駆け巡った。


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