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第1話 ワンダフル・ワールド

「はぁ……」


 あるサラリーマンの男は、電車の吊り革を握りながらため息をつく。時刻は二十三時四十五分あたり。あと十五分もすれば、今日が終わる。今乗っている電車は、自分の住居の最寄り駅まで到達する本日の最終電車だ。


(今日も結局終電か……)


 昨日も同じセリフを呟いた気がする。携わる業務は主に事務が中心で肉体を使った仕事ではないので、露骨に筋肉にダメージがあるわけではないが、脳をはじめわかりづらい疲労感が蓄積していた。正直十八時以降は朝と比べて思考力が半分未満に落ちると思う。

 今から帰って夕飯を食べずに寝ても、始業時間の九時に間に合わせることを考えるとこの疲労回復は難しそうだ。それで結局休日を丸々文字通り休むことで回収するハメになる。だがその休みも高確率で仕事デーになるので、ひたすら休めない。


(定年までこれが続くんだろうか)


 年齢ももう三十半ばだ。恋人が最後にできたのはいつだろう。今や恋人どころか仕事が忙しくて数少ない友人とも疎遠になってしまった。


(これじゃ〝生きている〟のではなく、ただ〝死んでいないだけ〟でしかないな)


 かといって転職する気力も時間もない。この年齢になれば次が見つかる確率も低い。

 そんな彼の数少ない楽しみの一つが、このスキマ時間にスマートフォンで読めるウェブ小説だ。特に異世界転生モノというジャンルが、今の自分にとても刺さってしまっている。


(お、最新話が更新されてる)


 スマートフォンを操作し、小説投稿サイトを開く。そしてお気に入りのアマチュア投稿小説のページを開いて読み始める。こうしたサイトで小説を掲載しているのはアマチュアだが、中にはプロレベルものもあり、思わず惹きつけられることもしばしば。


(やっぱノンストレスで、やりたいことが詰まってるのはいいな……)


 異世界転生モノ。あるいは異世界転移モノ。才能も資産もなければ容姿も良くなく、うだつの上がらない人生を送っていた地球人の主人公が、ある日突然ファンタジーな異世界にワープしてその先で異能に覚醒したり、あるいは事故や事件で死亡したのち恵まれた容姿と才能を持って生まれ変わり、大活躍してヒロイン達にモテモテになるストーリー。

 

主人公と似た境遇に共感できるし、そんな自分が体験したい理想を疑似体験できる。

まさに〝最高〟である。

 生まれ変わるか、その身そのまま異世界にワープするかの違いはあるが、概ねどの投稿者の作品も大筋は似ている。それだけ人気――世の潜在的なマジョリティが心の底で求めている需要のパターンなのだ。安定した様式美に、安心感すら覚える。

 ――と、そうこうしているうちに、電車は最寄り駅に到着した。


(集中していると、つまんない電車の時間もあっという間だな)


 続きは後で読むとしよう。そう思い、スマートフォンをポケットにしまって電車を出た。


 駅の改札から出てくると、すぐ目の前に住宅街。快速や急行の止まらない小さな駅なので、駅ビルやロータリーはおろか駅前商店街もない。だからか特にこの時間人通りはほとんどなく、否応なく孤独を味わえる。しかし今歩いているこの道、狭い住宅街だというのに、大通りへの近道なせいか車の通りが比較的多く、中にはスピードを出すものもいる。

 もう少しで我が家――築四十年のボロ賃貸アパートを目指して帰路を歩いていると、背後から怒り狂ったようなうるさいエンジン音。


「ったく、うるさ……――え?」


 振り向くと同時に、男は宙を舞った。


(何が――)


 突然のことで何が何だか状況が把握できなかったが、事実だけ述べると視界の上方に本来地面にあるはずの停止した車が映った。標準より車高の低い黒のミニバンで、いかにもマイルドヤンキーが乗ってそうな印象のものだ。


(ああ、俺が逆さまになってるのか……)


 なんて変に冷静に思考を巡らせていると――。


 グシャリ。


 自分が地面に落ちる音がした。そのとき初めて車に轢かれたのだと理解する。

 痛みは麻痺しているのか皆無だが、いやに寒気が襲う。


(もしかして、俺……死ぬ……?)


 その事実も実感がまだ追いついてないせいか、冷静に受け止められた。もっと恐怖からみっともなく生にしがみつくものだとばかり思っていたが、意外にも自分の場合はそうはならなかった。あるいはこんな死んでないだけの人生に未練がないだけかもしれない。


(もし死ぬなら……転生モノみたいに……)


 生まれ変われたら、いいな。


 そして今度は楽しくて幸せな人生を生きたい。

 ぼんやりとそう思いながら、自分はその取るに足りない生涯を終えるのだった。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 ベルスラ暦六一九年――。


 窓のカーテンの隙間から差し込む朝の日差し。優しい温もりに当てられて、少年は目を覚ました。


「〝前〟の夢か……」


 夢で見たのは、まだ地球という星の日本という国、東京という街でサラリーマンをしていた頃の自分。ミニバンに轢かれて、呆気なく最期を迎えたうだつの上がらないモブ男。

 少年は上体を起こし、別の自分となった己の手のひらを見つめる。


(もう〝こっち〟に〝来て〟、十五年か)


 手のひらから辿るように自身の肉体に視線を這わす。一糸まとわぬ男体。くたびれた中年の身体ではなく、若々しい肉体だ。うなじの見えるすっきりした黒のフサフサな短髪、肌もツヤツヤで程よく筋肉もついており、きっと〝サラリーマン時代〟の自分がどれだけ求めても、もう手に入らないものだろう。


「ん……」


 そのとき自分のものではない声が横から聞こえた。視線をそちらに向けると、自分と同じように一糸まとわぬ女体が、共同で使っていた大きめの肌掛けの下に眠っている。


「あ、おはよう、ヴァルくぅん……」


 隣で寝ていた同い年の少女が未だ半ば夢現といったぽやっとした顔で、少年の名を呼んで挨拶をする。毎朝必ず最初に聞く言葉だ。

 ヴァルカ・グラン。それがこの世界で授かった名前。地球にいた頃とは一文字もかすらない名前だが、さすがに十五年も付き合うとこちらが自分のものといった感覚になる。


「おはよ、リィナ。そろそろ準備しないと、学校に間に合わなくなるぞ」


 ヴァルカは昨夜も激しく求めあった、愛しい恋人の名を呼んだ。


「えぇ~……もうちょっとゴロゴロしよぉ~よぉ~」


 リィナ・レミーナは甘えるように、ヴァルカの腕にすがりつく。布切れも何もない直接の体温と十代の柔らかい肌が触れて、このままでは我慢できなくなりそうだった。


「だーめ。またふたり揃って遅刻なんてハメになるぜ?」


 すがりつく腕を引っこ抜き、厳しめに接する。これも毎朝のやり取りだ。


「ぶー。ヴァルくんのいじわる。孤児院にいるときから、そーだったよね。部屋の片付けしなさいとか、ピーマンは残しちゃダメとか、勉強をサボるなとかさ」


 さすがに目が覚めたようで、意識はっきりとリィナは頬を膨らませてこちらを睨んだ。


「いじわるしてるんじゃなくて、そうだな……教育ってとこか」


「むー。今さらヴァルくんに育てられるほど、幼くないもん……あっ、でも〝こっち〟は現在進行形でそうかも?」


 ニヤニヤとイタズラっぽく笑みを浮かべて、たわわに育った胸部のふたやまの脂肪を手で持ち上げた。確かに恋人になる前よりも、バストサイズは格段に上がったように思う。でもそれは成長期だからというのが理由だろう。


「お前なぁ……朝から下ネタはやめなさい」


「はーい! ……あっ、でも下半身は正直じゃん♪ 朝からイッポンいっとく?」


「これは生理現象だ!」


 ――なんてやり取りをしていたら、慌てて家を出ないと間に合わない時間に。ふたりは朝食のトーストを味わう間もなく胃袋に放り込むと、学園の制服を着て街の片隅に借りた賃貸アパートから揃って飛び出した。


 王都リーリス。地球ではない世界〈レヴァンディア〉にあるフェリックス王国でもっとも大きく、かつ政治的にも経済的にも中心の都市だ。外壁に囲まれた都市であるゆえか、限定された空間に住民を収容するため、石畳の通りを挟むように四階前後の背の高い木枠の石造りの建物が並ぶ。そして振り返ればヴァルカとリィナが借りているアパート。その二階の角にある小さく狭い安価な部屋がふたりの住処だ。地球でいえばワンルーム程度の広さ。建物も設備も古くて、さすがに今すぐ壊れるわけではないが、窓の建付けは悪く、木の板を張っただけの床も抜けてしまわないか常に心配である。しかし住めば都という言葉が前世にあったが、今はもう居心地はそこまで悪くない。


 地球人が一般的に〝中世西洋ファンタジー〟と聞いて思い浮かぶ景色が、今ヴァルカの視界を埋め尽くしていた。


 改めて思う――。


 自分はアマチュア投稿小説で読んだような、異世界転生の当事者になったのだと。


(まさか本当にこんなことが起こるなんてな……)


 あの日、車に轢かれた自分が気を失い――というより死んだあと、次に目を覚ましたらこの世界で赤ん坊になっていた。しかし不運にも、生まれてすぐに片田舎の孤児院の門前に捨てられ、その施設で育つことになる。孤児院の育ての親達はとても優しい人ばかりだったので、何の不満もなく育った。

 リィナはそこで出会った同い年の戦災孤児。気づけば惹かれ合って、今では恋人同士となっている。お互いが〝初めて〟の相手だった。


 そして十五歳になった今年の春、この王都にある〝学園〟の試験に受かったふたりは、孤児院から自立して王都に移り住んだ。もちろん、借りたアパートで同棲中。この世界では十五歳で成人なので結婚していてもおかしくないが、今はまだ学生ということもあってしていない。特に明確にいつというのは決めていないが、こういうのは卒業後でいいだろう。今の時点でもう十分幸せなせいか、互いに先のことなんて何も考えていなかった。


(最高の異世界転生になった――)


 そう思える毎日を今は過ごせている。


「ちょっと! 何ボーッとしてるの! このままじゃ、チコクチコク!」


 道の先をゆくリィナが、立ち止まるヴァルカに振り返った。ポニーテールに結ってもなお、臀部まで届く長い金髪が美しく揺れる。


「おっと、そうだったぜ」


 街を眺めて感慨にふけっている場合ではない。


(一秒でも多く、この〝生きている〟人生を堪能しなければ)


 ヴァルカはリィナに追いつくと、右手で彼女の左手を拾った。


「んじゃ、ちょっと走るか!」


「うん!」


 若きカップルは、手を繋いで朝の街を駆け出した。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 ――セイラム魔道学園。ヴァルカ達の通う三年制の学び舎だ。王宮並みに広大な敷地と歴史ある古く巨大な城を校舎に持ち、国どころか大陸有数の規模を誇る。この世界に義務教育はないが、満十五歳を迎えた者が任意で試験を受けて合格すれば入学でき、学びの機会を得ることができるのだ。その学びの範囲は、前世でいう数学や国語といったものだけではない。学園名の通り、この世界にしかない分野を学ぶこともできた。


 それが〝魔道〟である。


 簡単にいえば、前世でのファンタジージャンルの物語に出てくる王道の異能――魔法のことだ。武道や芸道のように体系化されているがゆえに、〝魔道〟と称されている。

 しかしかつてはこの世界にも、〝魔法〟と呼ばれるものも存在していた。それは祭壇など特殊な場所で、魔力を人間ごと丸々生贄として捧げることで自然界の〝法則〟に干渉し、超常的な現象を引き起こすというものだ。しかし扱いの難度が高く、犠牲を必須とし、さらに発動率も効力も不安定だったとのこと。それが後世で安全性・安定性と手軽さを重視して体系化され、〝魔道〟として成立した。現代ではよほど未開の部族とかでない限り、〝魔法〟を使おうとする者はいない。


「一年A組、揃ったな。これより、魔道演習を行う」


 中庭を横断した先の学園敷地の奥には、大きな屋内訓練場がある。中央に直径五十メートル――この世界の表現でいうなら五十メェト近い円形ステージを持ち、高さ十メェトほどの位置で天井が空に蓋をしていた。一言で言えば、ステージの位置以外は前世の学校でいう体育館のような建物だ。


 そんな訓練場に集められたのは、ヴァルカやリィナの所属するクラス一年A組。ステージ脇にふたりを含むクラス総勢五十人が集まり、担任の女教師のノア・メーアに視線を向けている。ちなみに一年生のクラスはE組まで存在する。


「――ミーシャ・レスレメル!」


「はい」


 メーア先生に呼ばれた女子生徒、ミーシャさんが返事した。


「演習の前に前回の講義のおさらいだ。魔道の発動プロセスについて説明してみろ」


 男っぽい口調でメーア先生はミッションを言い渡す。すらっと背が高く、キリッとした目付きに長い黒髪。かっこよさと美しさが同居した妙齢の女性だ。これで勤めてまだ三年ほどらしいが、放つ雰囲気はベテラン――というより、鋭い目付きのせいか少し怖い。


「……体内で〝魔力〟というエネルギーを〝術式〟で変換し、それを体外に放出することで〝魔道〟として発動します」


「そのとおりだ。人は体力や精神力と同じく、魔力というエネルギーを持つ。人によって魔力の〈最大貯蔵量〉は異なるが、これを術式変換で消費することで魔道となる」


 体力や精神力とは異なる体内のエネルギー概念。これは前世の地球人にはなかった肉体の機構だ。そういうところが異世界らしいとヴァルカは感じる。

 メーア先生は右腕を突き出して、手のひらを視線とともにステージに向けた。その先の中央には訓練用ダミーが横一列に五つ並んでいる。十字に重ねて接点を紐でくくった木の棒に、藁を束ねて布で包み、人型に見立てたものだ。微量に淡く光を放っており、強化系の魔道で頑丈になっているのがわかる。


「《火よ、球の塊となりて、我が敵を退けたまえ》!」


 そう詠唱すると、手のひらの直前に前世でいう野球ボールほどの火球が突如発生した。

 そして――。

 ドォン!

 手からひとりでに発射された火球は、猫から逃げるネズミのごとき速さで訓練用ダミーに衝突し、小さな爆発を起こした。ダミーは魔道による頑丈加工で傷ひとつないが、実際に人の身で受ければ大火傷は必至。

 おおっ! と生徒達の中から感嘆の声が上がる。新入生の我らにとって、たとえ初級魔道でも見事な発動には芸術品を見るような感動があった。


「……とまあ、こんな具合か。以前講義で教えた〈ファイヤーボール〉という初級魔道だ」


 そこで先生は人差し指を立てて一を示した。


「ここで一つ注意だ。基本的に魔力は使えば消耗し、肉体は疲弊する。貯蔵量が多かろうが少なかろうが、魔道を使いすぎればやがて枯渇し、処置を怠れば最悪死に至る。そうなる前に睡眠や食事といった休息を取って回復することだ」


 「「はいっ!」」と生徒達は口を揃えて答えた。


「さて、リィナ・レミーナ」


 突如先生に名前を呼ばれたリィナが、「はいっ」と返事する。


「魔力を魔道に変換する術式を、体内で組み上げる際には何が必要か答えろ。今私が〈ファイヤーボール〉を使用した際にやったことだ」


「え、詠唱です。人は術式を言葉に置き換えた〝呪文〟を唱えることで、体内で魔力を変換できます」


「正解だ。そして補足をすると――」


 再びメーア先生は視線とともに、右の手のひらをステージのダミーに向ける。

 すると、何も詠唱していないのに静かにさっきと同じ火球が起こった。

 そして、再びダミーに向けて発射。

 ドォン――。

 威力も変わらず、さっきと同じように小さな爆発が起こった。


 パチパチパチと今度は生徒達の中から、自然と小さな拍手が起こる。

「慣れればこうして、無詠唱で発動することもできる。頭の中で呪文を一瞬でイメージとして浮かべる方法だ。難度の高い魔道ほど比例して無詠唱のコツも難しくなるが、戦場では多くの魔道使いが無詠唱を基本戦術としている。当然、発動が速いからだ。だが……」


 視線を生徒達に戻して、


「今のお前達には、初級魔道すら魔力のコントロールが難しく、詠唱があっても失敗率は高い。無詠唱など、夢のまた夢だ。今は着実に基礎の詠唱から経験を積んでいけ」


 と戒めた。初級者ほど熟練者に憧れて、基礎を疎かに応用や我流に挑みたがる。しかし建物に基礎があったほうが良いように、基本があってこその発展なのだ。

 それからA組は訓練用ダミーと同じ数の五組に分かれて並び、授業は順番にひとりずつ〈ファイヤーボール〉を撃って命中させる実践パートへと移る。

 ここでひとつ言っておくと、現状ヴァルカにとって順風満帆な異世界転生だが、あわよくばこれも十全であればなお良かったというものがある。


「《火よ、球の塊となりて、我が敵を退けたまえ》――〈ファイヤーボール〉!」


 ヴァルカは自分の番になるとステージの上に登り、ダミーに向かって両手を突き出して、詠唱後に魔道名を唱えた。この世界では魔道に杖は必須ではない。基本的に身体ひとつで発動可能だ。ただ杖を使用するという概念自体は存在し、前世でよくあった魔道発動の要というよりも、より威力を高めたり無詠唱でも成功しやすくしたりといった、補助を目的とした位置付けである。いずれ授業では杖の扱い方も習うらしいが、発動の練習を主眼に置いた今回の演習では誰も持っていない。

 ヴァルカの〈ファイヤーボール〉は上手く発生して発射されたものの、それはメーア先生のそれに比べて飴玉程度の大きさ。それもダミーに届くことはなく、途中で燃え尽きるようにすぅっと消滅してしまった。

 そう、魔道を使う才能に恵まれなかったのだ。そうヴァルカは考えている。


「ハハハ! ダッセーの! 火の粉じゃねーか!」


 隣の列から笑い声が聞こえたので視線を向けると、同じクラスのラルゴ・エルーロンがこちらを指差して愉快そうにしていた。


「うっせーな。これからデカくなるんだよ!」


 とその場で言い返す。


「んなわけねーだろ、授業聞いてなかったのかよ! 魔力の一度の〈限界変換量〉は人によって決まってて、鍛えようが一生変わんないって先生も言ってたろ!」


 〈限界変換量〉。魔力は術式によって体内で変換されることで魔道となるが、その一度に変換できる限界量には個人差がある。一度に大量変換が可能な者もいれば、極少量しかできない者もいる。ヴァルカは後者だった。

 変換量が違うと何が違うのか。同じ魔道でも術式で変換できるエネルギーの量が違うので、威力や効果に差が出てしまうのだ。当然多いほうが強くなり、少ないほうが弱くなる。

 例えば数字を用いて説明すると、初級火属性魔術の〈ファイヤーボール〉が発動するのに、必要な最低魔力量を仮に数値を当てはめて三魔力とした場合、ギリギリ三魔力変換したものと余裕を持って五魔力変換したものとでは、後者のほうが威力は大きくなる。もし使い手の〈限界変換量〉が三魔力の場合、四魔力以上の変換ができないので、永久に五魔力まで変換できる人の威力に及ぶことはできないのだ。加えて中級火属性魔道の〈ファイヤーアロー〉を仮に必要な最低魔力量を五魔力とすると、発動すらできず不発に終わる。もし二魔力しか変換できない才能の人の場合は、〈ファイヤーボール〉すら使えない。


 逆に〈限界変換量〉以内なら魔力コントロール力次第で、好きなだけ変換する魔力量を自由に込められる。十魔力変換できる人間なら、三魔力で発動できる〈ファイヤーボール〉を三から十の間で変換量を調整し、臨機応変に威力を変動させることができるのだ。


 そして補足すると同じ魔力変換量でもより中級、上級といった魔道のほうが、威力や効果は大きい。五魔力を変換した〈ファイヤーボール〉と〈ファイヤーアロー〉とでは、後者のほうが強いのだ。つまり〈限界変換量〉が少ないと、威力や効果が弱いばかりかできることも少なく、魔道使いとして致命的な欠点だった。仮に魔力の〈最大貯蔵量〉が多い魔道使いでも、宝の持ち腐れとなってしまうのだ。


「同時に魔力コントロールが上達すれば、少ない限界量でもちゃんと威力は増えるとも言ってただろーが!」


「それって発動効率やそもそもの習得のしやすさだったり、今みたいなマイナスがコントロールがまともになったおかげで、変換量に相応しい威力――つまりプラマイゼロになるってだけだろ? もう諦めろって、劣等生! 〝持ち腐れ〟のヴァルカ!」


「てめっ、その呼び名やめ――」


「私のヴァルくんにウザ絡みしてんじゃないわよ!」


 突如ヴァルカの並ぶ列とラルゴの並ぶ列の間に入ってきたのは、リィナだった。

リィナは腕を組んで仁王立ち。しかめっ面である。どうやら自分の列を抜けてきたらしい。


「ちっ、ヴァルカの女か。事実を言ったまでだろ?」


 リィナの登場にラルゴはあからさまに嫌な顔をした。


「〈最大貯蔵量〉は彼が学年トップなのよ!? 彼を湖とすれば、あんたなんか水溜まりもいいとこじゃない!」


「あたしのラルゴを水溜まり呼ばわりなんて、いい度胸ね!」


 ラルゴに向けられたはずの言葉の返事が、少女の声として別のところから飛んできた。


「……出たわね、ビビ」


 ビビ・カーラ。ラルゴの恋人だ。どうやら彼女も、自分の列を抜けて駆けつけた模様。赤髪をツインテールに結んだ少女で、リィナに負けず劣らず気が強い。

 確かに〈最大貯蔵量〉は、学年トップ――らしい。魔道を学ぶ学園ということもあり、入学時に〈最大貯蔵量〉を検査する機会があったのだが、そこで学年トップだったことが判明した。測定には触れると特定の色で発光する、ボーリングの球ほどの大きさの水晶を使う。色の種類は〈最大貯蔵量〉によって異なり、それで識別するのだ。色には〝少ない〟とされる区分けから白色、灰色、緑色、青色、赤色、黄色、もっとも〝多い〟とされる区分けで黒色の七段階。基本この年齢だと大半が灰色か緑色で、稀に青色がいる程度なのだが、ヴァルカはただひとり黒色だったのだ。


(あのときは嬉しかったんだけどな……)


 当然そのときは喜んだ。しかし直後に〈限界変換量〉を測定する水晶により、同じ七段階の光で一番下の白色が出たことにより、その喜びは絶望へと変わった。


「結局どんだけあっても、使えなきゃ一緒でしょ? だから〝持ち腐れ〟なんて、呼ばれてるんじゃない。〈最大貯蔵量〉は鍛えれば上限は上がるけど、そうじゃない〈限界変換量〉に未来はないわ!」


「うぐ……」


 ビビの言う通りで、これはヴァルカすら理解している正論だ。それだけに彼を庇うつもりで出てきたリィナは言葉に窮してしまう。

 そこが畳み掛けるチャンスを見たビビは、嘲笑を浮かべて煽るように言った。


「あ、ごっめ~ん! つい思わず論破しちゃった? あたしってば頭がいいからすぐ相手を黙らせちゃうのよね。劣等生についてる無能オンナに、ホ・ン・キ出しちゃってぇ……ちょっと大人気なかったかしら?」


「ハァ!? 私はともかく、彼を〝劣等生〟呼ばわりしないで! 算術とか座学も学年トップだし! あんた達じゃ、座学で彼の足元にも及ばないじゃない!」


 確かにリィナの言う通り、魔道以外の分野――前世でいう基本教科のような座学も学年トップだ。だがこちらは前世で大人だったアドバンテージがある上に、この世界では商人くらいしか日常生活で数学などを扱う機会がないので、習う内容も前世での小学生レベル――つまり数学よりも算数といった具合だ。才能ではなく、単にイージーモードに浸っているだけなのだ。だからヴァルカ自身は、あえてひけらかすようなことはしていない。


「ま、魔道以外がトップだからって何よ!? 商人にでもなる気!? ここは魔道学園よ!」


「ったく、ああ言えばこう言う……!」


 リィナとビビは互いに、ほぼゼロ距離まで顔を突きつけてにらみ合う。しかし周囲の生徒達は「またやってるよ~」といった反応で、慣れきった様子だ。確かにこのやり取りは毎日のように見る。もはやA組の日常風景だった。

 ヴァルカの横にこっそりとラルゴが近づいてきて、耳打ちしてきた。


「おい、お前のオンナ、どうにかしろ!」


「お前こそ、ビビ止めろよ……! あの状態のリィナは魔獣より怖いんだぞ」


「それはこっちも同じだ……! つか、これ、俺らの喧嘩だったはずだよな……?」


「……だった、はずだ」


 当事者そっちのけで、にらみ合う恋人達に呆れるヴァルカとラルゴ。男連中はすでに、クールダウンしてしまっていた。これもいつものパターンである。


「あんたこそ、論破されたのに噛みついてきて……! こうなったら魔道で決闘よ!」


 ついに互いの両手を掴み合い、取っ組み合いを始めてしまう。


「受けて立つわ! ステージに上がりなさい!」


 あ、これはさすがにまずいと、彼氏組は気付いた。どちらも文句なしの美少女なので、そんなふたりが並び立つ姿は、壮麗といってもいいかもしれない。しかし実力行使に出ようとしている今、のんびり見守っている場合ではなかった。


「さすがに止めるぞ、ラルゴ!」


「ああ、ここは一時休戦だ!」


 まあ、元々ヴァルカとラルゴは、根っこから険悪な関係というわけではない。言うなれば喧嘩友達のようなものだ。


(なんだかこいつらとは、腐れ縁になるような気がするんだよな……)


 それは卒業後も。

 ヴァルカがリィナに、ラルゴがビビに駆け寄ると同時に、メーア先生がいつもの怖い顔をもっと怖くしてやってきた。


「騒がしいと思えば、またお前らか。自分の列を離れて何をやっている?」


 ドスの利いた声に、ヴァルカとラルゴはもちろん、リィナとビビも一気にクールダウンして素に戻った。


「メ、メーア先生……」


「今の授業に決闘は盛り込まれてないはずだが?」


「うぐっ……で、でもビビのやつがヴァルくんのこと……!」


「リィナがラルゴのこと……!」


「そこまでだっ!!」


「「はいっ!!」」


 当事者四人が一斉に震え上がると同時に、大きな声で返事した。


「我々は何のために魔道を習っている? ビビ・カーラ、答えてみろ」


「え、えっと……国を守る魔道兵になるため……です」


「そうだ。もっといえば、私達の魔道は世界を侵さんとする魔獣どもを狩るためにある。喧嘩のためなどではない。わかっているな?」


「……はい」


 今度は震え上がることなく、真摯な目付きでビビは頷く。


「一年A組! 集合だ!」


 メーア先生は訓練に勤しむ生徒達の手を止めて、集合をかけた。その号令に従って残り四十六人がメーア先生とヴァルカ達を囲むように駆け寄ってくる。


「整列はいい。その場で聞け。いい機会だからこれから実際に魔道を覚え、使っていくのにあたり、今一度我々が学ぶ意義について話しておく」


 生徒達を見回し、彼女は全員に語りかけるように言葉を続けた。


「ここからは少し歴史の授業のおさらいになるが……約二十年前、この世界に突如として魔道を扱う生物群――〝魔獣〟なる存在と、ダンジョンというやつらの巣と推定される地下構造物が発生したのは教えたよな?」


 そう、これは意外だったが、異世界ファンタジー世界によくあるダンジョンや魔獣といったものは、実はこの世界ではつい最近まで発見されていなかった。普通の犬や猫に鳥、熊や猿といったいわゆる動物と呼ぶ存在はいたが、魔道を扱えるのは人間だけだったのだ。しかし自分が生まれる少し前、突如として魔道を扱う魔獣という存在が出没し始めた。


(まあ、俺はまだ見たことないけど……)


 というか、まだこの国には魔獣は現れていないので、誰もその姿を見た者はいない。噂や人づてに聞くだけだ。


「魔獣はそのすべてが人類にとって未知の塊であり、そして我々人類の絶対的な敵だ」


 話によると積極的に狙って人類を襲うらしい。従来の動物は前世もそうだが、当然人を襲うこともある。しかしそれは護身のためだったり、捕食としても基本動物は人を恐れるので確率は低い。一方魔獣は従来の動植物よりも優先して人を襲い、殺し、食らう。それも微塵も恐れず躊躇わずに。


「最初にこれらが確認された場所はどこだ? ラルゴ・エルーロン」


「はい……西の果ての大陸にある国――〝プリマス〟王国です」


「正解は〝プリムス〟王国だ、馬鹿者。以前の講義で言っただろう?」


「すみません……」


「その国が攻められた当時は、まだ魔獣のこともダンジョンのことも深く知られていなかった。ゆえに未知の群勢の蹂躙を許し、わずか一週間で王都が――プリムスは滅んだ。その隣国ヴィリディス共和国も翌月には更地になった。その当時の魔獣の群勢はざっと見積もって、二十万に近かったと言われている」


 国の滅亡。戦争や革命によって国が滅びることはなくもないが、人ではない万単位の存在によって滅ぼされるというのはこの世界ならではだ。しかしそれはこの世界にとっても初めてのことのようで、皆不安と緊張の面持ちでごくりと息を呑む。


「やつらは人々を襲い、殺し、食らい尽くし、そして乗っ取った領域に次のダンジョンを造って拠点とする。さらに繁殖しているのか……数を増やしながら、じわじわと人類の生活圏を侵略し、現在はこの世界の六割近くがやつらの手に落ちたと言われている」


つまり人類の生存圏は残り四割強。自然とヴァルカの表情は険しくなる。


「なぜ突然この時代我々の前に現れ、我々の領域を侵略しているのか? なぜ今まで姿を見せなかったのか? 逆にあの万を超える群れが、なぜ今までこの歴史上一匹も我々に見つからなかったのか? ダンジョンなんて地下構造物、いつどのようにして造ったのか? やつらについては、ほとんど何もわかっていない。未知の独自の生態系を持ち、人類との意思疎通も不可能だ」


 ヴァルカは前世で見たゾンビ映画を思い出した。数の暴力をもって、生きた人間を襲ってくるさまは似ている。

 皆の不安と緊張が募るのを見て、先生は途中で話を止めた。


「……すまん。不安にさせたな。お前らはこの国もいつか攻められるのでは? と思っただろう。だが、もちろん人類もずっと指をくわえて、状況を眺めていたわけではない。二十年……完全ではないにしろ、魔獣を研究し、魔道も発展させて対処できている。さらに人類は様々な国と国が対魔獣で一致団結している」


 安心したのか、生徒達の中から「お~」という安堵と感心の声が上がる。


「それにこの国フェリックスは最初の発生地プリムスから遥か遠くの東に位置し、オマケに周囲を広大な列強に囲まれている。オリエンス帝国、アウロラ共和国、ヴェスパー王国だ。本来であればフェリックスのような規模も国土も小さい国は三ヶ国の板挟みになるのが常だが、今では天然の〝壁〟によって守られている。西側ヴェスパー王国の国境にはたびたび魔獣の群れが押し寄せているらしいが、現状一匹も国内への侵入を許していない」


「なら……!」


 とクラスの誰かが言いかける。恐らく〝安心ですね〟とでも言おうとしたのだろう。しかしそれを察してか先生は遮った。


「……とはいえだ。だからといって惰眠を貪っていい理由にはならん。今人類が一致団結しているこのときに、我々は安全圏にいるからこそ、〝できること〟をせねばならない」


「それが……魔道使いの訓練ですか?」


 その質問はリィナからだ。


「そうだ。フェリックスは、対魔獣のために築かれた人類団結の輪〝世界連合〟の所属国だ。平和だからといっても、その一端を担う以上協力せねばなるまい。いや、平和だからこそその〝余裕〟をもって貢献しないといけない」


 前世では世界規模の連合は珍しくないが、この世界においていわゆる国連のような組織は初めてのようだ。


「確かに仲間として手を組んだのであれば、助けられる余裕のあるときは助けるべきですね。逆にいざってとき助けてもらうためにも」


 そう言うのはビビだ。


「そのとおりだ。その助け合いのために、この国は今魔道使いの強化に力を入れている。我々のことだな」


 もちろん対魔獣のためだけではないだろう。もしいつか人類が魔獣との戦争を終えたら、次はまた人類同士の争いの世に戻る可能性が高い。人類とはそういうものだ。いくら世界連合なんてあっても、そのまま一致団結して世界平和になるとは限らない。そこを見据えて、この国に限らず、各国は対人類も考慮した軍備強化を今から図っているのだ。


「お前達は卒業後、ほとんどがこの国の軍か世界連合軍に所属し、この学舎で学んだ術式を魔獣どもに向けて振るうことになるだろう」


 この学園は今や未来の魔道特化軍人養成学校である。かつてそれはあくまで選択肢のひとつで、主に研究者や国内外の魔道関連産業の従事者育成が目的だったが、今では完全ではないものの逆転してしまった。


(今のところこの国は安全だから実感はないけど、やっぱ戦時中なんだな……)


 そのうち国境沿いまで攻めて来たりしないだろうかと不安になる。


「幸い、この国の魔道使い――魔道兵はいずれも才能豊かで、他国よりも一歩二歩先をいっていると国は謳っている。すでに前線に出ている者達はヴェスパー国境で、次々と戦果を上げているそうだ。そういう意味では、お前達の出番はしばらくないかもしれんな」


 自国の魔道使いの優秀さとその実績を聞いて、皆の表情が見る見る明るくなっていく。


「……だが、忘れるな。仮に入隊してすぐ前線勤務にならなくても、いずれはなる。そのときここでの学びは必ずやお前達を守り、魔獣殲滅の力になるだろう――わかったか!」


「「はい!」」


 先生の熱い言葉に生徒達は一斉に声を張った。


「……よろしい。では今後の予定の話をしよう。来月はより実戦を意識して、初のクラス内チーム対抗総当たり戦を開催する。覚えた魔道を用いて、五対五で模擬戦をしてもらう」


 模擬戦と聞いて生徒達に緊張が走る。


「なに、安心しろ。常に主審副審の複数の教師が審判すると同時に、受けた傷は我々が責任持って治癒魔道で癒してやる。それとチームメイトは今回好きに組んでいい。当日までに仲間を集めておけ。五人に満たないチームは、私がくじ引きで決める」


 それから先生の視線はヴァルカ達――というより、主にリィナとビビに向いた。


「決着は然るべきときにつけろ」


 生徒のやる気を促す目的もあるのか、リィナ達を焚き付ける。育てるためなら生徒同士の対抗心も利用する教育者だ。

火を灯されたリィナとビビは黙って睨み合う。ヴァルカとラルゴと異なり、このふたりは根本的に相性が悪い。


「……負けないから、ビビ」


「こっちのセリフ。勝って土下座させてやるわ」


 そうバチバチ火花を散らす横で、ラルゴは再びヴァルカに耳打ちする。


「これ、俺らの喧嘩だったはずだよな……?」


「……だった、はずだ」


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 昼休み。ヴァルカはリィナと昼食を終えたあと、教室に戻る途中の廊下を歩いていた。

 クラス内対抗戦のルールはシンプルで攻撃系の魔道を阻止されずに、制限時間内でできる限り多く相手チームのメンバーに命中させるというもので、時間切れになった際命中数から自身らの被弾数を引いた数値を相手と比較し、大きいチームのほうが勝利となる。

 

この対抗戦において、一体自分はどんな役割が担えるだろうか。

 ヴァルカは悩んでいた。魔力が多いだけで使えない自分は、たいして何もできない。


「俺、マジで役立たずになりそうだな……」


「ヴァルくんはヴァルくんのできることをすればいいんだよ」


「俺にできることか……」


 一応自分が過去習得した魔道はすべて使っていいという自由さだが、一部入学前から家庭教師を付けていたような裕福な生徒を除いて、今のところほとんどは授業で習ったばかりの〈ファイヤーボール〉のみだろう。

 自分も〈ファイヤーボール〉しか使えない。それも使いこなせているわけではない。


「少なくとも、前に出ることじゃないな……」


「んじゃ、私が前線に出てヴァルくんは後ろでサポートかな!」


 女の子に守られる側になるのは、男として少し不服だ。できれば自分が守る側になりたいのが、男としてのプライドである。しかし――。


(実際リィナのほうが〈限界変換量〉も多いし、魔力コントロールも上手いんだよな。サボってるように見えて、〈ファイヤーボール〉の発動も実は上手いし)


 きっとクラスでも上位の魔道使いだろう。


「後方支援といっても、俺は〈ファイヤーボール〉も満足に撃てない人間だぞ?」


「次の授業は治癒魔道って言ってたし、それを使えるようになれば十分だよ」


 対抗戦はできるだけ多くの攻撃系の魔道を命中させることが大事だが、一方で仲間に治癒魔道をかけることに成功すると、相手がその生徒に命中させた回数を、一回分減らすことができるというルールも存在する。確実な傷の回復は主に先生がやってくれるので、生徒達がこの魔道を使うのは主に被弾数のカウントを減らすことにある。


 なので〈限界変換量〉に関係なく、発動さえできれば十分ではあるのだが、それすら〈ファイヤーボール〉の魔力コントロールが下手な自分に、果たして可能なのか自信がない。


「先生も言っていたじゃん。魔道は人を選ぶ……使い手との相性があるって。〈ファイヤーボール〉が苦手でも、治癒魔道のほうは得意かもしれないし」


 そう言って、ポジティブに希望を持たせようとしてくる。他の誰かではない彼女の言葉であるせいか、不思議と心の底から〝そうかも〟と自信が湧いてくる。


「……そうだな。それにルールには、〝過去習得した魔道はすべて使っていい〟ってのがある。あと一ヶ月も期間はあるし、他に何か身につけられないか、いろいろ市販の魔道書とかも漁ってみるよ。教科書に載ってないやつとか習得できるかも」


 市販の魔道書には教科書に載っていないような魔道の習得方法が、載っていることもある。もちろん法で規制されていて、危険な魔道が載った本は市場に出回らないが、〝学校では習わない魔道〟というフレーズはとても興味がそそられる。実際学園の教科書で習う魔道は基本的なものばかりで、全魔道からすると極僅か。多くの生徒は、自然と載っていない魔道も模索し始める。学園側もそんな主体的な学習を歓迎しており、卒業生の多くはその過程で自分に向いた魔道系統と出会い、特化させていくとのこと。


「うんうん、その意気だね!」


 実際、自分のように手札を習ったばかりの〈ファイヤーボール〉だけにせず、いろいろ検討してみる生徒は多いだろう。あるいはより〈ファイヤーボール〉を上手く扱えるよう、特化させる考えの者もいる。そして今回の対抗戦で、それらの行為は禁じられていないことから、事前に〝自主練〟させることも学園側の目的のひとつと思って良さそうだ。


「それより問題はチームメイトだな。五対五なら、あと三人必要だ」


 そう呟くヴァルカに対し、リィナは楽観的な様子だった。


「あ、そこは大丈夫」


「え? それってどういう――――」


「リィナ! ヴァルカくーん!」


 ふと後方からふたりを呼ぶ女性の声。振り返ると、三人の女子生徒が駆け寄ってきた。

 マヤ・アイマットとシーナ・ロズワイヤー、そしてさっきメーア先生に当てられていたミーシャさんだ。今声をかけてきたのは、ツーサイドアップの髪型が特徴のマヤさんだ。


「やっほ、バカップルさん。相変わらず仲いいね~」


 この三人はリィナと特に仲の良い友達グループだ。自分とラルゴのような喧嘩友達ではなく、純粋に友情を築いている。自分が用事とかで一緒にないときは、彼女はだいたいこの子達と行動していることが多い。


「さ、捜して……ました……この五人で作戦会議したくて……」


 気弱そうな黒のロングヘアの少女シーナさんが、おどおどしながら提案する。こちらが目を合わせると、人見知りなのか顔を赤くして逸らされてしまった。


「そだね! 昼休みまだちょっとあるし、中庭で話しちゃう!?」


 〝この五人で〟という言葉からして、この場にいる自分も含まれていることがわかる。しかしまだ話が見えてこず、ひとり怪訝な顔をしていると、


「ん……あれ。ヴァルカくん、ひょっとしてまだ聞いてない?」


 薄桃色のボブカットヘアの少女ミーシャさんが、こちらの様子に気づいた。表情変化が乏しく抑揚なく話すので、やや感情の読み取りにくい子だ。

 その言葉から何かを察したマヤさんは、リィナを睨んだ。


「ちょっとリィナ。もしかして彼にまだ話してないの?」


「あはは……。ごめんね、ヴァルくん」


「何の話だ?」


「……私達三人と、対抗戦のチームを組むって話」


 本来リィナが言うべきだろう言葉を、ミーシャさんが代行した。


「聞いてないぞ」


 とヴァルカの視線はリィナへ向く。


「だ、だから、〝ごめんね〟って言ってるじゃん!」


 どうやらチームメイトの問題は、すでに解決していたようだった。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 放課後、夕方――。ヴァルカはひとり図書室に向かっていた。リィナはマヤさん達と女子会と称して、すでに下校。最近評判のカフェでスイーツを堪能するらしい。

 一方で自分はというと――。


(教科書以外の魔道書といえば、やっぱ図書室だよな)


 ひとり魔道の勉強に時間を充てることにした。自分でも使えそうな魔道の載った魔道書があれば借りて、ひとり習得のために特訓だ。


 一応女子会にも誘われたが、さすがに断った。それは勉強と特訓をするからというのもあるが、単純に自分がいるとできない女同士の会話というものもあるだろうからだ。リィナには友達との時間も大切にしてほしいのだ。あとそもそも自分は女子じゃないし。


「しかし結局、作戦会議って言いながら、九割は関係ない話だったな……」


 〝女三人寄れば姦しい〟という言葉が前世にはあったが、まさにそのとおりで、作戦会議なんて最初の五分くらいしか成立せず、残りの昼休みはすべて最近流行のファッションやスイーツ、音楽といった話題に消えていった。しかもその五分の会議もさっきの授業でのリィナとビビの喧嘩の話題が中心で、ギリギリ魔道に関係あるというだけだ。なお、ヴァルカはほとんど女子独特の勢いやテンポ、流れに参加できず付いていけず、愛想笑いで相槌を打つだけの置物であった。


 まあ、まだ一ヶ月も猶予はあるのだから問題ないだろう――と思うことにした。

 ――そんな図書室への道中、ある人物と出会った。


「あ、ミスター・グラン」


「トレーユ先生」


 背中まで伸びたブラウンヘアを揺らし、白衣のように白いローブをまとうその女性は、保健室の養護教諭フィスティス・トレーユ先生だ。来月の対抗戦で治癒魔道担当を受け持つ審判のひとりで、メーア先生の同期でもある。メーア先生をかっこいい系とすれば、トレーユ先生は大人の色気を醸し出す美人系と言っていいだろう。


「ちょうど、貴方を捜してたの!」


「え、俺をですか?」


 一体何の用事だろう。思い当たる節がなく、ヴァルカは考え込むようにして腕を組む。

 そんな彼に彼女は、童貞であれば一発陥落必至の妖艶な微笑みを浮かべながら、すっと手のひらを上に差し出した。


「お金貸ーして」


「嫌です」


「答えるの早いわよぉ!」


「いやいや、出会い頭に生徒に何お願いしてるんですか……! というか、このために俺を捜してたんですか?」


「そうよ」


 と悪びれもなく答えるダメ教師。


「この前貸したからって、調子に乗らないでください」


 以前階段で躓いて転んで保健室で治療を受けた際、〝今月ピンチなの~!〟と泣きつかれて仕方なく貸してあげたのが良くなかった。それで〝あ、こいつはせびれば貸してくれるやつだ〟認定を受けたのだろう。


「先生にその言い方はダメでしょ?」


「生徒から借金するのはもっとダメでしょう……」


「……いけず」


「だいたい、前に貸した千ノームも返してくれてないじゃないですか」


 〝ノーム〟とはこの国の通貨単位である。千ノームは平民がこの王都で外食した際のだいたい一食分の値段だ。そこまでの金額ではないが、実はまだ貸したままである。


「いやだって、他の生徒にも返さないといけないし……」


「どんだけ借りてるんですか……」


「貴方は今までに食べた童貞の数覚えているの?」


「俺は男なのでそもそも食べたことがありません」


「じゃあ、処女は?」


「…………一……ですけど」


 もちろん、リィナのことである。


「私は食い散らかした童貞男子の数なんて、覚えてないわね!」


 と、なぜか誇らしげなトレーユ先生。


「いや、何の話ですか! つか、生徒に手出してるんですか……?」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がする。


「……今のは忘れて。で、いくら貸してくれるの?」


「なんで貸す前提で話進めてるんですか。そんな気は――」


 と、そこで考えてふと言葉が止まる。

 待てよ、と。

 ヴァルカの中に貸すメリットが途端に浮かぶ。別にもしかしたら借金をダシに彼女とワンナイトラブできるのでは――なんて思ったからではない。自分はリィナ一筋である。


「……確か先生って、趣味で古い魔道書をコレクションしてましたよね? 保健室にも置いてあるし」


「ええ、そうだけど?」


 この前保健室で治療を受けた際、本棚に並んであったのだ。興味があったので聞いたところ、学園所有のものではなく私物だという。それらは彼女曰く、今ではもう一般の本屋や学園の図書室はもちろん、魔道書専門店でも手に入れるのは難しいものらしい。


「あれ、市販の魔道書には載ってない珍しい魔道とかもあるんですか……?」


「まあ、そうね」


 思ったとおりだと心の中でガッツポーズ。もしその魔道書を借りてあわよくばクラスメイトの知らない珍しい魔道を習得できれば、ラルゴどころか他の生徒も対処法を知らず無双できる可能性だってある。


「一冊貸してもらえませんか? 今度対抗戦があって――」


 そう言いかけると、トレーユ先生は合点がいったという顔で顎下に指を添えた。


「ああ、なるほど……。対抗戦でクラスメイトを出し抜くために、新しい魔道を身につけたいって話ね? おまけにあまり知られてないものなら無双できると」


 似たような要求は過去にもあったのだろう。すぐにこちらの考えに気づいたようだ。


「そういうことです。〈ファイヤーボール〉以外に上手く扱える魔道をひとつでも身につけて、対抗戦に臨めたらなと」


「……まあ、魔道は人を選ぶって言うし、運良く貴方にとってピッタリな魔道が載ってるかもしれないわね」


「だったら――」


「ダメよ。大事なコレクションを人に貸すと思う?」


「この前貸した千ノーラ、俺にとって大事なお金じゃないとでも?」


 お金はいくらであろうと大事なものだ。


「千ノームぽっちと私のコレクションを比較するなんて――」


「生徒からお金を借りていること、学年主任や教頭先生あたりに報告しますよ? 証拠はありませんが、貸してる相手が多いなら調べりゃすぐバレるでしょうし、そこから――」


「それはヤバイからやめて」


「なら……いいですよね?」


 ニヤリとするヴァルカに対し、トレーユ先生は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「教師を脅すなんて最低ね……」


「何人もの生徒から、借金するような先生に言われたくありません」


「はあ……まあでも、そういう小賢しい子、嫌いじゃないわ……元彼もそんな感じだったし。明日保健室に来なさいな。貴方に合う一冊を見繕ってあげる」


 また今聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするが、スルーすることにした。


「わ、わかりました」


「それと二千ノーラ、準備しておいてね」


(やっぱり借りるのは借りるんだな……)


 なんか前回より増えているけど、この際気にしないでおこう。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 ――かくして、一ヶ月後。対抗戦当日がやってきた。


 一年A組は訓練場に集まり、各々チームごとに固まってステージを囲んでいる。ステージ中央からは訓練用ダミーが撤去され、その代わり今はメーア先生が立っていた。


「これよりクラス内チーム対抗戦を開催する!」


 その宣言を生徒達は拍手して歓迎する。


「あらかじめいつどことどこが当たるかは、私のほうで組み合わせを決めておいた。さっき配った用紙を確認するように」


 手元の用紙を確認すると、さっそく最初の相手はラルゴとビビのチームのようだ。恐らくメーア先生の計らいだろう。


「最初からビビ達と当たるなんて、先生も粋な真似するよね~」


 自分のものではなく、リィナは横からヴァルカの用紙を覗き見た。


「ほんとにな。しかもいきなり第一試合だ」


 ヴァルカは顔を上げ、ステージを挟んでちょうど向かいに集まるラルゴ達のチームを見た。彼らもこちらを意識しているのか、目が合った。彼らのチーム構成はラルゴとビビ、そして彼らと仲の良い男子生徒二人と女子生徒一人。


「事前調査ではラルゴはこの一ヶ月、〈ファイヤーボール〉特化で鍛えてきたって話だから警戒しないとね」


 マヤさんがすぐ後ろでしたり顔で腕を組んでいる。この一ヶ月彼女は魔道の特訓や勉強より、情報収集や作戦立案に力を注いできた。別の切り口でこの対抗戦に臨んでいるのだ。


「か、彼を中心に周囲でサポートする人達も……私は怖い……です」


 シーナさんはおどおどしながら発言した。というか、緊張しすぎてどこか青ざめているようにも見える。


「……大丈夫。私達がついてる」


 そうボソッと勇気づけるのはミーシャさんだ。その言葉にほっとした顔でシーナさんは「うん」と頷いた。


「〝あの魔道〟、ちゃんと使えるよね?」


 リィナがニンマリとした笑顔を向けてくる。不安からの確認というより、楽しみだといった具合の期待を感じさせる確認だった。


「もちろん。そのために練習しまくったからな」


 その答えを聞いて満足したのか、リィナはこくりと一度頷く。

 そのとき、


「どう? 魔道書、役に立ったかしら?」


 背後から笑みを浮かべながら、トレーユ先生がやってきた。してやったりといった顔だ。


「トレーユ先生……」


 結論から言おう。トレーユ先生から借りた魔道書は、ほとんど役に立たなかった。


 というより、完全にしてやられたのだ。


(このセンコー……熟練魔道兵向けの魔道書なんか渡しやがって!)


 載っていたものはどれも上級以上の魔道ばかり。これなら素直に市販の魔道書を買うか、図書室で王道に初級者用のを借りておけばよかった。

 脅されたことへの意趣返しだろう。


 ――が、


 数十個載っていた魔道。そのほとんどが試したものの一度も発動せず失敗したが、たったひとつだけ出会えたのだ。

 ヴァルカでも使える魔道に。

 それがリィナの言う〝あの魔道〟である。


 きっとトレーユ先生は、ひとつも習得できないだろうと思って、あの一冊を貸したのだろう。しかし彼女自身が言っていたように、魔道は人を選ぶ。唯一ヴァルカの詠唱に応え、発動したものがあったのだ。


「ま、被弾したら治癒魔道の〈ヒール〉飛ばしてあげるから、がんばってね~」


 と手をひらひらさせながら、彼女は事前の打ち合わせがあるのかメーア先生のほうに歩き去っていった。審判兼回復役は、メーア先生と彼女のふたりのようだ。

 そんな彼女の背中に、べーっと舌を出しているのはリィナである。


「べーっだ! ヴァルくんを甘く見たこと、後悔させてあげるんだから!」


 お金を借りた上に、嫌がらせ目的で上級者用の魔道書を貸したことを知った彼女は、トレーユ先生にご立腹だ。

 ちなみにヴァルカは先生に魔道を習得したことは言っていない。ネタバレは禁止だ。


「これより第一試合を開始する! 両者、ステージに上がれ!」


 メーア先生の声にヴァルカのチームとラルゴのチームが、脇にある階段からステージに上がる。両端にそれぞれ並んで立ち、中央に主審である先生が立った。


「制限時間は五分。使用魔道は無制限。ただし違法な魔道は禁ず。お互い、準備はいいか!」


「「はいっ!」」


 ステージ上総勢十名の生徒が、大きな声で返事した。

 合わせて先生が端まで後退する。


「よろしい! 第一試合、スタート!」


 その宣言とともに、対抗戦が始まった。


 開幕と同時にヴァルカ、リィナ、ミーシャさんの三人は、主に攻撃担当として前方に駆け出した。マヤさんとシーナさんは治癒担当なので、スタート位置で待機だ。相手の魔道に当たった際、彼女達のもとに下がって治癒魔道を受けることで被弾数カウントをひとつ減らす。重要な役割なので被弾して詠唱が妨げられたりしないよう、後ろでいつでも対応できる状態にしておかないといけない。


 攻撃担当が前に出るのは、今の実力では攻撃手段である〈ファイヤーボール〉が、五十メェト先の敵には届かないからだ。射程範囲内に収めるには、ある程度は近づかなければいけない。習得したばかりの一ヶ月前のクラスの平均射程は五、六メェトほど。クラス上位の魔道の成績である優秀なリィナでも、そこから一ヶ月かけて十五メェトほどまでしか伸ばせなかった。それ以上だとまるで熱した鉄板の上を滑る氷のように、〈ファイヤーボール〉がグラデーション的に消失していくのだ。


 相手も同じ考えのようで、ビビを後方に置いてラルゴ含む残り四人で向かってきた。


(ここまでは想定通りだな。マヤさんの調べによると、ビビは〈ヒール〉のほうがコントロールは上手く発動成功率が高いらしいから、後方に置くのは道理だ)


 こちらの作戦はこうだ。まずヴァルカを先頭に、その数メェト後ろでリィナとミーシャさんが続く。すると相手は高確率で、最初に射程に入るヴァルカを狙う可能性が高い。そのときヴァルカは、恐らくはまだ知られていないだろう〝あの魔道〟で相手を撹乱。その隙にリィナとミーシャさんが、〈ファイヤーボール〉を確実に相手メンバーに当てる算段だ。


 正直この方法は〝あの魔道〟を使った初見殺しでしかない。初回のみの驚きと意外性で相手の意表を突き、確度高めに一歩リードを取るというスタートダッシュだ。トレーユ先生の古い魔道書くらいでしか見ない、珍しい魔道だから成り立つ作戦。しかしあまり大きな実力差のない、入学して間もない同級生同士の模擬戦において、スタートダッシュのもたらす恩恵は大きいはず。


「《火よ、球の塊となりて――」


 ラルゴが思っていたよりも早めに呪文を唱えだした。恐らくこの一ヶ月〈ファイヤーボール〉の特訓に時間を費やして、他の皆よりも射程を伸ばしたのだろう。

 合わせて、ヴァルカも〈ファイヤーボール〉ではない魔道の呪文を唱え始めた。


「《虚空を運ぶ古き道よ、我が声に応え――」


 聞いたことのない呪文が聞こえたからか、一瞬ラルゴは困惑を表情に浮かべた。しかしそこで呪文をやめれば発動自体が失敗してしまう。そのまま最後まで言い切り、


「我が敵を退けたまえ》――〈ファイヤーボール〉!」


 同時にヴァルカも呪文を言い切った。


「彼方へと結び、誘い、導け。そしてその先への未知へと至らん》――〈シフト〉!」


 ラルゴは〈ファイヤーボール〉を、まっすぐヴァルカへと放った。さすが特訓の成果だろう、以前の演習ではクラスの誰もが出せなかった大きさ、スピード、射程を持つ素晴らしい出来栄えだった。

 しかしそれは――。

 シュッ、と突如射線上からヴァルカが〝消失〟したことで、たどり着く当てもなく虚空へと飛んでいく。


「なにっ!?」


 脚を止め、動揺するラルゴ、そして彼の取り巻きメンバー三人。彼らは人がいきなり消える魔道なんて、聞いたことがなかっただろう。

動揺していたのは彼らだけではない。その一戦を観ていたすべての生徒達が、未知の魔道の登場に言葉を紡げないでいた。

 直後、ヴァルカはその消えた場所から、三メェトほど左の位置に〝発生〟する。


「成功してくれてよかったぜ……転移魔道〈シフト〉! といっても、数メェトの移動が限界だけどな!」


     ★☆★☆★☆★☆★☆


「ほう……」


 ノア・メーアは笑みを浮かべた。まさか上級無属性魔道の〈シフト〉を習得してくるとは、と生徒の成長に喜びを覚える。市販の魔道書や図書室の本には載っていない、古く珍しい魔道だ。別に違法ではないのだが、ある理由から昨今の魔道書には載っていない。


(しかしどうやって習得したのだか――)


 と、ちらりフィスティス・トレーユのほうに視線を向ける。すると彼女は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。


 それですべて察したノア。


(なるほど、フィスティスか……。おおかた借金と引き換えにコレクションを貸したってとこだな)


 前例は多い。彼女はそのときいつも、〝まさか習得なんてできないだろう〟と上級魔道ばかり載ったものを貸し出すのだ。今回は当てが外れたようである。


(まさに魔道に選ばれたってわけか)


 とはいえ、〈シフト〉自体は実は習得そのものは比較的容易で、入学一年目の学生でも相性さえ合えば難しくない。


(まあ、入口は緩やかな一方、その先は登山どころか崖を登るような難度ってとこがこの魔道の欠点だが)


 この魔道が上級たるゆえんは、習得難度の低さに対して魔力コントロール――まともに安定して扱う難度が高すぎる点。上級でも上位クラスなのだ。確かにこの魔道は変換量が多ければ多いほど、長距離を一瞬で瞬間移動できる。便利この上ない。しかしほとんどの魔道使いが身につけたところで、その人の〈限界変換量〉に相応しい本来の転移距離を発揮できないのだ。十全に使いこなせる者があまりに少なく、結果移動目的なら歩いたほうがコスパに優れており、実用性の面から一般の魔道書の掲載から省かれたという経緯がある。これが現在載っていない理由だ。


 だが彼は移動という方法ではなく、意表を突くという初見殺しにこの魔道を使った。自分のできることとその限界を考慮し、本来の用途とは別の使い方に転用したのだ。


「面白い生徒だな」


 ヴァルカは魔道の成功直後、その反動からか肩で息をしていた。魔力コントロールがシビアなだけに、その負担は疲労として跳ね返ってくる。それが魔道というものだ。

 しかし彼はそこで休むことなく、生じたラルゴ達の隙を活かすため、背後の女子生徒らに声を張った。


「リィナ! ミーシャさん!」


「任せて、ヴァルくん! 《火よ、球の塊と――」


 すでに射程範囲内まで走り終えていたリィナとミーシャは、作戦の成功を見て〈ファイヤーボール〉の呪文を唱え始めた。

 ノアは笑みを浮かべて、


「まずはグランらが一歩リード――」


 と、思ったそのときだった。


グォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――。


 突如、人ではない何かの唸り声が、低く響いた。


「なんだ、今の……鳴き声!?」


 とヴァルカ。

 聞こえたのはすぐ近く。あまりに大きな唸り声だったので、


「え、なに?」


「今のは……?」


 リィナやミーシャも当然反応しており、ステージ外の生徒達も動揺した様子で周囲を見回している。

 犬や猫の類ではない。その鳴き声らしき音は、どうやら地下から発せられたものらしい。

 その後、ヴァルカが視線を下に移動させると――。


 ドゴォォオオオオ――――――――ン!!


 同時に、ラルゴ達の立っていた直下から、何かが猛スピードで〝生えた〟。

 同時に、ラルゴ達が視界から一瞬で〝消え去った〟。


 無論、〈シフト〉のような魔道によるものではなく――――。


「一体何だ……!?」


 さっきまで彼ら四人が立っていた目の前に、謎の棒状の物体が真っ直ぐそびえ立っていた。それは天井までも突き破って、高さ十五メェトほどの高さで静止している。その物体は余計な模様なくすべてが白色に染められており、まるで大理石でできた建造物の柱であるかのようだ。


 その場の時が止まった。

 否、時が止まったかのように、皆が状況に認識が追いついておらず静止していた。さっきのヴァルカの〈シフト〉とは比べ物にならないほど、皆の意識を停止させている。


「これは……」


 いち早く我に返ったのは、ノアだった。そしてその謎の太い柱が、非生物的なものではないことをすぐさま察知する。


(まさか、こいつは――〈タイプ:ドアノッカー〉!!)


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 同じ頃、ヴァルカも前世から引き継いだ精神面での成熟さゆえか、他の若人達よりも少し早く冷静さを取り戻すことができ、取り急ぎ目の前の状況把握に取りかかれた。

 目の前のそれは柱などではなく、明確な生物、坑道掘削機のような大顎を持つ頭部と、大蛇のような細長い体躯の〝巨大な化け物〟――だと認識できた瞬間には、メーア先生が叫んでいた。


「お前達、離れろ!! 魔獣だ――――――――――――――――!!」


 ヴァルカも聞いたことのない大声で、彼女は声を張り上げる。


「いやゃぁぁああああああああああああああああ――――――――――――――――!!」


 誰かの悲鳴を皮切りに、生徒達は一心不乱に東西南北にある合計四つの出入り口に向かって、それぞれ駆け出した。

 皆の動きを見て、ヴァルカもリィナとミーシャさんのところに駆け寄る。彼女達は地面を突き抜けて登場以後、直立のまま動かず静止する化け物を見上げて放心状態だった。


「よ、よくわかんないけど、魔獣らしい! 俺達も逃げよう!」


 いささか他のクラスメイト達よりも精神年齢が上のヴァルカは、混乱時でも状況を見て冷静に物事に優先順位を付けて行動できた。


「え……あっ……で、でも、ラルゴ達が……」


 リィナは脳の処理が追いつかず、目の前の出来事に引っ張られて状況判断ができなくなっているようだ。

 ラルゴ達がどうなったか想像に難くない。あの掘削機のような化け物が突き出た位置と同じところに立っていたのだ。突き飛ばされたか、最悪あの大顎によって――。

 まだ今のところ彼らの〝その後〟は、自分もリィナ達も視界に入っていない。見てしまうときっと自分含めて、〝この場から逃げる〟という判断に支障が出るほど心にダメージを負うだろう。

 その前に。


「ラルゴ達のことはわからない。今はとりあえず、自分の身を優先するんだ!」


 正直なんだかんだで自分の手も震えていた。リィナの手を引こうと上げると、小刻みに落ち着きがない。

 それでも無理矢理に手を掴んだ。


「ミーシャさんも行こう!」


「……わ、わかったっ!」


 ミーシャさんはリィナよりも、比較的落ち着いているように見えた。あるいはあまり感情を表に出すのが上手くないから、そういうふうに見えているだけか。いや、内心混乱しているはずだ。それをなんとか意識的に、平常心を保とうとしているのだろう。

 一同は化け物に背を向けて、最寄りの東側の出口に向かって走り出した。マヤさんとシーナさんも自分達が逃げてくるのを見て、同じく東口目がけて走り出す。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 ノアは〈ドアノッカー〉を見上げて、顔をしかめる。


「なぜ〈ドアノッカー〉がこんなところに……!! 半径五十キロメェト以上は活動できないはず……!」


 ここから半径五十キロメェトというと、余裕でこの国の領土内だ。これだとまるで魔獣の群勢が、フェリックス王国に侵入できてしまっているようではないか。


(でもそんな情報、新聞にも国からも――――)


 そこまで言って彼女は自身の愚かさに、平和ボケに浸った緩慢とした脳みそを恨んだ。


(くっ……今は戦時中だったな)


 もし国が国民のパニックを恐れて、平和を〝演出〟していただけだったとしたら。


(この国の状況は思っていたよりも最悪なのかもな……)


 とりあえず、裏の事情に思いを馳せている場合ではない。

 ノアは取り急ぎフィスティスと目配せして、生徒達を校舎に避難させることを優先した。こういうとき気心の知れた学生時代からの仲は、アイコンタクトだけで次の行動ができるので良い。


(〈ドアノッカー〉が静かなのは、巷の情報どおり掘削の役割しか持たないからか? それなら都合がいい……。生徒達を今のうちに避難させよう)


 いかにも凶暴そうなあの巨体は、実はすでにもう役目を終えているということだ。魔獣はそれぞれ種類ごとに役割を持っている。そしてその役割以外の行動を取ることはない。


「お前達! 急いで校舎に逃げ――――」


 とそこまで言って、ノアは途中で言葉を止めた。

 生徒達がこの非常事態に訓練場から出て行こうとしない。否、出られないでいた。

 四方の出入り口から、別の魔獣が何体もゾロゾロと入ってきたのだ。〈ドアノッカー〉に比べると、サイズは人間に近い。が、その分、数がいた。


「今度は〈タイプ:ポーン〉か……!」


〈タイプ:ポーン〉。

 見た目は人間に似ている。だが、色白肌というより塗料を使ったように真っ白な肌色に、異様に長い手足、猫背のように背中が丸まっているにもかかわらず人間よりも背が高く、体長も二メェトは余裕で超えている。どう見ても人外だ。何より一糸まとわぬ肉体だが、体毛どころか男女を区別できそうな、性器や乳房といった器官が一見すると存在しない。頭部にも耳や鼻、目といった器官はなく、唯一付いているのは左右に大きく裂けた肉食獣のように凶悪な上下の顎と牙のみ。

 人間に似ているが、明確に似て非なるものと言い切れる化け物――魔獣の一種だ。


(くそっ……!)


 状況は思っていた以上に最悪だった。やつらが学園敷地の最奥にあるこの場に、出入り口からやってきたということは、逃げ込もうと当てにしていた校舎のほうはとっくに――否、そればかりか恐らく王都そのものも――――。


(とりあえず、今できることを……!)


 今のところ侵入してきたのは、合計二十体弱。各出入り口三体から五体といった具合だ。しかしこれだけということはないだろう。外にはもっと数がいる可能性が高い。


「お前達、私のところに集まれ!」


 今はとにかく外に出るより、集団で群れるしかなかった。

 しかし生徒達の中には、その場での抵抗を選んでしまった者が何人かいた。


「《火よ!」


「待て! 戦おうと――――」


 と、ノアは制止をかけるも、遅かった。実戦経験のない人間にできるのは、逃げることだけだ。素人が戦ったところで勝てる可能性は低い。魔獣は詠唱なんか待ってくれない。そのとある男子生徒は距離を作らず、目の前の敵に向かって愚直に呪文を口ずさんだ瞬間、〈ポーン〉のより速い無詠唱――初級風属性魔道〈ウインドカッター〉によってその命を刈り取られた。風の不可視の刃が、すぱりと声帯ごと首と胴を切り離したのだ。頭部は呪文を言い切ることも、なぜ戦場で魔道兵は無詠唱が基本なのかを実感する間もなく、血飛沫を上げながら地面に落下した。


 またある女子生徒は呪文を間違え言い直そうとした瞬間、直近の〈ポーン〉による氷の矢の魔道〈アイスアロー〉で顔面から後頭部にかけて貫かれ、またある男子生徒は背後にいた〈ポーン〉による〈ファイヤーボール〉で焼かれた。

 そうして、狩りが始まった。


「いやぁああああああああああああああああああああああ――――!!」


 挑戦者の末路を見た生徒達は、ノアのいる場所に向かって集まろうと駆け出す。しかしその〝敵前逃亡〟も、魔獣達は許さなかった。

 〈ポーン〉とは別の鳴き声が響く。


「グルルルルルルルルル――――!!」


 各出入り口の〈ポーン〉達の背後から、四足歩行の狼のような魔獣が飛び出してきた。それは一体や二体ではなく、少なくとも五体、十体近くいると認識した生徒もいた。

 その狼は〈ポーン〉と同様に犬や狼のようなシルエットをしているものの、全身を白の塗料で塗りたくったように真っ白で、体毛から耳や鼻や目、性器といった器官を持たず、まるで形だけ真似た〝狼のような〟物体であった。


 〈タイプ:チェイサー〉。その脚力で逃げる者を逃さず捕らえる役割を持った魔獣だ。

 その身を強化魔道の淡い赤色の光が包み込んでいた。〈ポーン〉と違って強化魔道を主体とする。それによりただでさえ狼のように速い脚力はより高まり、逃げようとする生徒に容赦なく追いついて背後からその牙を突き立てた。


「た、助け――――」


 ノアに向かって手を伸ばした女子生徒。しかし肩をすでに〈チェイサー〉の顎に挟まれて逃れられず、そのまま地面に倒れてしまった。

 グチャグチャ、ゴキゴキ――――。

 不幸中の幸いか、女子生徒は恐怖により気を失っていた。それにより少なくとも、生きたまま食われるという絶望と恐怖と苦痛の同時三重苦を味わうことはなかった。


 倒れた女子生徒に、数匹の〈チェイサー〉が群がり、服も皮も骨も内蔵も好き放題に引き千切ってはその胃に収めていく。

 餌食になったのは、彼女だけではない。同時に何人もの背を向けた生徒が、それぞれ〈チェイサー〉に捕まった。出入り口に――魔獣に近かった者から、その命を散らしていく。


「誰かお願い、助けてぇえええええええ!!」


「いやぁあああ死にたくない! 死にたくなっ――」


「お父さん!! お母さァァアアアアアアアア!!」


 そこかしこで飛び散る鮮血、弾ける肉塊、響く咀嚼音。

 一方〈ポーン〉は、逃げなかった――正確には、腰を抜かして逃げられなかったり、恐怖でその場から動けない生徒達に向かった。〈チェイサー〉は逃げる者に、〈ポーン〉は逃げぬ者に。

 その場に固まる生徒達に、〈ポーン〉はすっと腕を上げて、静かに〈ウインドカッター〉を放った。


「ひぃっ……! お願いっ、やめっ――」


 容赦も躊躇いもなく、文字通り目の前の肉体を分断する。


 また別の場所でも、


「ひっ、ひ、火よっ……! 火……!」


 尻もちをついた青色の髪の女子生徒は、じりじりと近づいてくる〈ポーン〉達のもっとも先頭にいる個体に両手を向け、〈ファイヤーボール〉を放とうとしていた。しかし恐怖で声が震え、焦燥で覚えた呪文が出てこず、上手く唱えられない。


 〈ポーン〉は女子生徒が恐怖で竦んで動けず、抵抗もしないことを理解しているかのように、余裕の足取りでゆっくり迫ってはその白き死神の手のひらを向けた。魔道を放つために。


「ヒィッ――」


 これでまたひとつ、命が散る。

 かと思われたそのときだ。


「ギギャッ!?」


 恐怖から目をつぶった女子生徒は、〈ポーン〉の鳴き声らしき声を聞いたあと、いつまでも命の終わりがこないことを不思議に思い、恐る恐る再び目を開けた。すると目の前に立っていた〈ポーン〉の胸に、先端の尖った一メェトほどの細長い槍状の岩が突き刺さっている。


「〈ロックスピア〉!」


 その声とともに、複数の岩の槍が頭上を飛来しては通り過ぎて、次々と〈ポーン〉の肉体に命中していく。


「大丈夫!?」


 駆けつけたのは、フィスティス・トレーユだった。


「トレーユ先生……!」


「立てるかしら?」


「それが……」


 腰が抜けて立てないことをトレーユ先生は察したようで、


「……仕方ないわね。貴方から借りた一万ノーム、これでチャラよ」


 青髪の女子生徒を庇うようにして、周囲を見回す。彼女を脅威と見たのか、〈ポーン〉達が集まってきた。


「魔獣を見るのは初めてだけど……こいつらが図鑑にあった〈ポーン〉ね。なるほど、役割は〝脅威の排除〟……だったからしら?」


 トレーユ先生は微笑みを浮かべ、次の魔道を発動させるのだった。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


 一方、ノアもあちこちで繰り広げられる惨劇、聞こえてくる悲鳴と助けを求める声にある判断をした。するしかなかった。


(くそ……! くそがっ!)


 あっちを助ければ、こっちが助からない。そうして優柔不断に迷っているうちに、あっちもこっちも次々と命が失われていく。すべてを助けようとしてしまうからだ。しかしそんな余裕はもはやない。


 生徒達の命に、優先順位を付けないといけない。

 この場に教員は二人。自分とフィスティス。彼女はすでにそのときの立ち位置に一番近い南側の出入り口に向かっていったが、今は〈ポーン〉の群れに囲まれている。

 集まれと言った手前、当初この場から動く気はなかった。だが、そうも言ってられない。


(あの狼の――〈タイプ:チェイサー〉が出てくるとは……)


 やつが出てきては、人間の脚ではもう逃げるのはほぼ不可能だ。

 もはや全員を助けることはできない。今できるのはひとりでも多く、助けること。

 頭ではわかっていても、心がそれを認めたくない。しかしそれでも無理やり言い聞かせ、自身はもっとも近い北側に救助に向かうことにした。

 そう思い、ステージから降りようと北側の出入り口に身体を向けたそのときだった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ――――――――。


 背後でやつが――微動だにしないことから、半ば存在を意識の外に置いていた〈ドアノッカー〉が、突如動き始めたのだ。


「……!」


 踏み出そうとしたその脚を止め、ノアは振り返る。すると今までじっとしていた〈ドアノッカー〉が、穴の中に引っ込んでいくのが視界に入った。


(何だ……? 〈ドアノッカー〉が動いている?)


 しかしそれは人を襲うわけではなく、ただ自分の掘った穴の中に戻っていくだけ。行動だけ見るとむしろ安心感すら誘うものかもしれないが、ノアの中にはひたすら不安感だけが募っていた。


(これ以上、何が起こる……!?)


 そこにはただぽっかり空いた、巨大な穴だけが残る。〈ドアノッカー〉は直径五メェト近い太さを持つ。したがって穴もそれに比例した大きさだ。

 その暗がりの向こうから、何かが近づいてくる音が聞こえてきて、ノアはその場から動けないでいた。

 そして、その穴の向こうから何かの手が、縁を掴んだ。


「……!」


 否、それは手に見えたが、極めて粘性の高い液体だった。ドロリと這い出るように〝逆流〟すると、ステージの上にその姿を見せた。


(〈タイプ:インフィルトレーター〉……!)


 透明度の高い、白半透明の粘液で構成された魔獣だ。一見してそれは動く液体の塊で生物には見えない。自身の肉体を不定形の粘液状にして、どのような小さい入口からでも目的の場所に潜入でき、さらに戦闘時は肉体を硬化させて防御力を高めることもできるという厄介な相手である。侵入を阻むような要塞などがある場合、隙間を見つけて先行して密かに忍び込み、中から出入り口を破壊して外の仲間を誘引する役割の魔獣だ。似た役割の〈ドアノッカー〉と違い隠密行動を得意とし、攻撃能力も持っている。


 この王都リーリスは、四方を高い壁に囲まれた城塞都市である。したがってこの〈インフィルトレーター〉がいてもおかしくない。恐らく王都での戦力が過剰になり、こちらに回されてきたのだろう。


(ということは、王都はやはり……)


 魔獣側の戦力が余るということは、もう趨勢は決したと見て間違いない。

 しかしそれは諦める理由にはならない。まだ生きている生徒達がいるからだ。

 ノアは躊躇せず、両手を向けて、


(〈トーネード〉!)


 両の手のひらから竜巻が放たれ、〈インフィルトレーター〉を襲う。今ノアが唱えた魔道は、自身が使えるものでもっとも火力の高い上級風属性魔道だった。生徒達を助けに行かないといけない以上、こんなところで無駄な時間を浪費している場合ではない。出し惜しみなしで〈限界変換量〉マックスの魔力を変換し、一撃必殺を意識した。


(やつの弱点は体内にある〝コア〟……!)


 あの液状の肉体の中には、人間でいう脳や心臓といった大事な器官を集約したような、コアと呼ばれる握り拳ほどの大きさの赤黒い球状の物体が浮いている。それを破壊することが、〈インフィルトレーター〉討伐の唯一の方法だ。


(肉体全体を巻き込み、切り刻むこの魔道なら……)


 〈トーネード〉による攻撃は有効だった。敵は硬化して防御力を高めたようだが、それでも風の刃がその肉体をズタズタに引き裂き、辺り一帯にその身の破片を飛び散らせた。

 それを見て、ノアは勝利を確信する。

 が、それも一瞬のこと。


「……!」


 〈インフィルトレーター〉の肉体は削られてやや一回り小さくなるも、直後緑の淡い光に包まれるとともに、再びもりもりと元の大きさを取り戻していく。

 治癒しているのだ。


「コアを仕留め損ねたか……! なんて回復速度の治癒魔道だ……!」


 コアが弱点なのはやつ自身が一番よく知っている。身体全体を巻き込む攻撃に対し、優先して守ることに集中したのだろう。巧みにコアを体内で移動させて被害を回避したのだ。


(あれを破壊しない限りは、まるで不死身だな……)


 自身の上級魔道すらあっさり治癒されてしまい、これでは埒が明かないと判断。このまま正面から戦っても、すぐに自身を癒やしてしまうだろう。


(どうする……? 無視して、北口に急ぐか?)


 しかし一度こちらから攻撃してしまい、恐らくは敵の意識を引き付けてしまっている。優しく見逃してくれるほど、やつらは情に厚くない。

 その上ふとノアは気づいてしまう。〈インフィルトレーター〉の背後に、心ここにあらずとその場に座り込むビビ・カーラの姿に。


(なぜ逃げない……!)


 そう声を上げて、敵の意識を向けさせるわけにもいかず、心の中で叫ぶ。彼女は周囲の状況にまるで気づいていないかのように、呆然と思考を停止させてその場にぺたりと座り込んでいた。その表情を絶望に染めて。


 ああ、そういうことかとノアは気づく。彼女は周囲の状況に当然気づいている。しかし目の前で恋人が〈ドアノッカー〉に突き飛ばされて、そのショックと現実逃避から心ごと動けないのだ。今の彼女はひとりでは逃げられない。


「くっ、どうにかしてやつを倒――」


 と、そのときだった。


「ぐふっ……」


 腹部を何かが貫いた。鈍い痛みの感触に視線を落としてみると、硬度なゼリー化した触手が一本刺さっていた。〈インフィルトレーター〉が、自身の肉体から直接伸ばしたものだ。腕のように太いそれは、腹部から侵入して背中に貫通していた。


(やって……しまった……か……)


 敵が使う攻撃は魔道ばかりではない。ビビ・カーラに意識を一瞬向けていたせいか、地面を這うようにこっそり、それでいて素早く伸びていた触手に気づけなかった。

 こんなところで実戦経験のなさが出てしまうとは。


「先生っ!!」


 背後で少年の声が聞こえる。この声はヴァルカ・グランだっただろうか。東口も魔獣が押し寄せているので、まだ逃げられていないのだろう。


(ああ……)


 自分は何も救えなかったのだと自覚する。教師として生徒達を導くことも、救うことも。名誉と高潔さを餌に憧れを煽り、戦場に生徒を送り出し続けた罰だろうか。

 昔自分がなりたかった教師とは、戦いではなくより社会を便利に発展させる魔道使いを生むことだった。でも時代がそれを許さなかった。


(言い訳だな……)


 心の中で、ノアは謝罪する。


(すまない、みんな……助けられなくて――――)


 その後失血により意識を失ったノアの肉体は触手によって引きずられていき、〈インフィルトレーター〉の水槽のような身体に取り込まれた。


 そして――――。


 ブクブクブクブクブク。

 すぐに無数の気泡が彼女の身体から発生し、取り囲んだ。あっという間に、衣服は溶け、髪や皮は爛れて剥がれ、肉と骨と器官も同化するように〝消化〟されていく。もし気を失っていなければ、今頃苦悶の中で訪れる確定した死に恐怖していたことだろう。


 呆気なく、この場において最強の魔道使いが死亡した。


     ★☆★☆★☆★☆★☆


「メーア……先生……」


 メーア先生が大樽のような大きさのスライムの化け物に喰われた様子を、ヴァルカとリィナとミーシャさんの三人は、一部始終見てしまった。


「うぷっ……うげっ――――――」


 ミーシャさんは耐えきれず、その場に吐瀉物をばら撒いてしまう。リィナは口を押さえているが、なんとか耐えきったようだ。

 あれから大蛇のような魔獣が現れたあと、まず三人は先んじて逃げ始めたマヤさんとシーナさんのあとから東口に急いだ。しかし行く手を阻むようにその出入り口からは他と同じように人型と狼型の魔獣が現れ、自分達よりも早く出入り口に辿り着きそうだった他の生徒が襲われ始めたのだった。


 それを見てヴァルカ達はその場で全員停止。その恐怖の光景に、脚が震えて動けなかったのだ。中でもシーナさんはその場に座り込み吐いてしまった。


 東口付近でもはや襲われていない生徒など、誰ひとりいなかった。結果的に一番出入り口から遠かったステージ上の自分達だけが、まだターゲットにされていなかった。そのことにヴァルカが少し安堵するとともに自己嫌悪していると、次は突然背後の大蛇が動き始め、自らの掘った穴の中に引っ込んだのだ。その代わり穴から現れたのは、前世でよくやったRPGに出てくるスライムのような見た目の魔獣で――メーア先生はあっという間に捕食されてしまった。

 そして、現在に至る。


(この状況、どうすれば……)


 リィナが希望に縋るような表情で、話しかけてきた。


「ね、ねえ……〈シフト〉を使って、みんなで逃げられない……?」


 ミーシャさんも視線をこちらに向ける。同じことを問いたいようだ。


「……無理だ。俺の実力じゃ一度に三メェトしか跳べないし、すぐに連続で発動できるほどまだコントロールできてない。しかも他人を――チームのみんなも一緒になんて、できるのは熟練した魔道使いだけだ」


 そんなことはリィナもミーシャさんもわかっている。しかし〝もしかして〟に縋りたかったのだろう。

 元々この魔道は初見で、相手を油断させるための付け焼き刃の策でしかない。本来の用途としては何も役に立たないのだ。

 ヴァルカの答えに、ふたりがより表情に絶望の色を濃くしていると――。


「いやぁあああああああああああああああああ――――――――!!」


 悲鳴が聞こえた。

 一同がその声のするほうを見ると、後方支援担当だったゆえに東口により近かったシーナさんとマヤさんが、〈チェイサー〉の群れに押し倒されていた。

 魔獣達がついに、自分達のいるところまでやってきたのだ。


「ひぃっ、やめて! やめてください! お願いだから、お願いっ!!」


 懇願するマヤさん。


「助けて、グランくん! リィナ! ミーシャ! 痛い! 痛い痛い痛い痛い――――!!」


 必死に声を上げて助けを求めるシーナさん。

 誰もその場から動けなかった。

 もうわかってしまったのだ。自分達の実力では間に合わないことを。


(ごめん……ごめん、シーナさん、マヤさん……)


 ヴァルカもリィナもミーシャさんも、ただただチームメイトが食われていくさまを見届けることしかできなかった。


「ぁぁあああああああああああああああああああああ――――――――!!」


 どちらの声だっただろうか。恐怖まみれの絶叫を最後に、やがてふたりは被さる〈チェイサー〉の群れに埋もれて、その姿が見えなくなった。同時に声もしなくなった。

 否、シーナさんの右腕が、その〈チェイサー〉達の集る隙間からはみ出ていた。しかしそれはすでにぐったりして力なく、次々と肉体に突き立てられる牙にぴくりぴくりと筋肉が痙攣して反応しているだけだった。

 やつらの捕食場からは、血の水溜りがどんどん広まっていく。

 ミーシャさんは悲痛そうに顔を背け、リィナは視線を地面に向けて、


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 と涙を流して震えていた。

 ただただ物言わぬシーナさんとマヤさんだったものが、捕食されていくのを呆然と見つめながら、ヴァルカは理不尽を嘆く。

 まだ入学して間もなく、たいして関係値が高くないクラスメイト達。これからもしかしたらより交流を深めたかもしれない者達。

 そのすべてが奪われていく。

 なんで、なんでこんなことに。

 ついさっきまで順風満帆な異世界転生人生だったのに。


 そのとき――。


「ヴァルくん!!」


「えっ……?」


 突如飛び込むように駆け込んできたリィナが、ヴァルカを突き飛ばした。思わずバランスを崩して尻もちをついた彼の視界に入ったのは、恋人のどこか寂しそうな微笑みだった。


「リィナ……?」


 何が起こったのかわからなかった。なぜ突き飛ばされたのかわからなかった。

 しかし直後――。

 シーナさんとマヤさんのほうに意識を取られていて、認識の優先順位が落ちていた〈インフィルトレーター〉の触手が彼女の横腹を貫いたのだった。


「……!」


 飛び散るリィナの血液が、目の前にいたヴァルカの顔に覆い被さるように降りかかる。


 そして――、


 〝ダイスキ〟


 そう唇が動いて、彼女は声にならない言葉を告げる。

 何も返せなかった。

 ただ見ているしかなかった。


 彼女の身体はあっという間に、刺されたまま触手によって空中に持ち上げられ、〈チェイサー〉に負けず劣らずの速さで、〈インフィルトレーター〉の肉体の中に回収されていく。


「リィナァアア!!」


 追いつけなかった。

 起き上がり、追おうとしたときにはもう彼女は水槽の――スライムの身体の中。


「やめて……やめろ……! やめろォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 リィナは一度こちらを見たかと思うと、噛みしめるように目を閉じる。そしてメーア先生のときのように、泡が彼女を包んだ。

 ブクブクブクブクブク――――――――。


「リィナぁああああああああああああああああああああああ――――――――!!」


 〝崩れていく〟恋人をその目に焼き付けながら、言葉にならない声でヴァルカは絶望を綴る。

 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ――――――――。


「リィナ……」


 あっという間に消化されて、〝水槽〟の中は空っぽになってしまった。


「リ……ィ……ナ……」


 リィナが、死んだ。


「いやだ……なんで……」


 跡形もなく、何も残さず。


「リィナ……リィナ……」


 痛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 怖かっただろう。


「あ……ぁ……あぁ……ぁぁああ――――――――――――――――」


 なのに、彼女はそんな素振りは一度も見せなかった。

 きっと残った者達に、これ以上の絶望を与えないようにするためだろう。せめてもの抵抗として、精一杯強がって勇気を見せることで、残された者達を精神的に崖下に引きずり込まないようにしたのだ。

 おかげで涙は出なかった。


「このクソスライムが――――!」


 代わりに恐怖よりも、怒りが募って。

 悲しみよりも、憎しみが募って。

 絶望よりも、殺意が募って。


 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる――――――――!!


 あんなに優しく強い心を持った世界一素晴らしい女性を、躊躇いもなく奪った魔獣が――〈インフィルトレーター〉が許せなかった。


「お前だけは、許さねぇぇぇええええええええええええ――――――――!!」


 復讐心で胸を満たし、駆け出そうとしたヴァルカ。


 しかし――。


 スパッ。


 一歩踏み出した瞬間、


「え……?」


 突如、己の左腕が宙を舞った。

 そして自分の左腕が生えていた箇所に目をやる。

 肩から下が切断されて、消えていた。


「ウァァアアアアアアアアアアアアアアア――――――――ッ!!」


 遅れてくる、痛みの実感。着地する持ち主から離れた左腕。

 その場に膝をつき、〝先端〟のない左腕を押さえて悲鳴を上げた。吹き出す血液をどうにか抑えようと、ポケットから出したハンカチで止血を試みるも間に合わない。


 一体いつ?


 と思ったが、二十メェト先に人型の魔獣が数体立っていた。やつの風属性魔道だろうか。


「ヴァルカくん!!」


 ミーシャさんが駆け寄ってきて、自身の制服の上着を脱いで左腕の止血に加勢してくれる。


「クソ……クソが!!」


 より怒りの火に油を注がれたヴァルカは、再び〈インフィルトレーター〉に向かっていこうと立ち上がりかけた。


 ――が、


「待って!!」


 そんな自分を、ミーシャさんが引き止める。後ろから抱きしめるようにして。


「放せ、ミーシャ! あいつは俺が……! 俺が殺す!! 殺してやるッ!!」


「ダメ!! 逆に殺される……! 行っても死ぬだけ!!」


「でもッ!!」


 と、彼女を視界に入れた瞬間、ヴァルカは紡ごうとした言葉を止めた。


「お願い……! 行かないでっ……」


 彼女が震えていることに気づく。それどこか制服のスカートから太ももを伝って、体液が漏れ流れている。それが尿だと気づく頃には、ヴァルカの頭は冷静になろうとしていた。


「独りに……しないで……」


 ミーシャさんは顔を涙でぐしゃぐしゃにし、恐怖で震えながら、チーム最後の生き残りを必死に逝かせまいとしていたのだ。


「ミーシャ、さん……」


 このまま〈インフィルトレーター〉に突っ込めば、殺されるだけなのは彼女の言う通りだ。当然向かっていくからには死も覚悟のうち。しかし刺し違えてでもとか一矢報いるという勢いだけの思惑が、今となってはそれすら思い上がりなのだと自覚できる。頭に血が上った状態では抜け落ちていたが、メーア先生ですら無力だった。ここからでは届かない〈シフト〉と、火の粉同然の〈ファイヤーボール〉でどれだけのことができるのだろうか。


 何よりさっき人型魔獣の横槍で、踏み出した一歩目から左腕を切り落とされて頓挫したばかりではないか。むしろ腕だけなのは運が良かった。恐らく距離がある上にこちらが動き始めたので、狙いがずれたのだろう。


(ん……? 運が良かった……?)


 ふと、それは違うかもしれないと思った。

 追撃が来ない。


(まさか……)


 連続して敵が魔道を唱えていたら、今頃自分もミーシャさんも死んでいる。しかしそうはなっていない。

 目がないので〝見つめた〟という表現が適切かわからないが、魔獣どもは今にも裂けそうな口角を、さらに吊り上げてこちらに向いている――ように、ヴァルカには見えた。

 まるでこの状況を観賞でもするかのように。


(やつらはもしかして、楽しんでいる……?)


 優越感を噛みしめるためにあえて殺さず、絶対勝利できる状況で相手に劣等感と絶望を植え付けて遊んでいる。

 実際にはどうかはわからない。やつらの意思は読めない。

 しかしそうとしか言えない状況に、ヴァルカは屈辱的な想いを抱いたのだった。


(こいつら……!)


 でも何もできない。

 何かしようにも、力の差が大きすぎる。

 ヴァルカは無力を自覚した。

 自分にもっと力があれば。


 他の生徒を食い荒らし終え、口を赤く汚した〈ポーン〉や〈チェイサー〉達が、どんどん囲うように自分達に近づいてきた。一方で〈インフィルトレーター〉はあれから襲ってこない。ずっとその場で静止したままだ。一度捕食すると、その後しばらくは休憩に入るのだろうか。メーア先生のときも、思えばリィナを襲うまで静かだった。


「くっ……!」


 とヴァルカは〈インフィルトレーター〉を睨みつける。今できる精一杯の抵抗だ。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 せっかく理想の世界に転移したと思っていたのに。


(こんなところで、死ぬしかないのか……?)


 どう客観的に見ても、〝詰み〟である。


(どうして……)


 夢の異世界転生生活が待っていたのではないのか。

 恋人とのイチャラブ学園ライフが、

 ライバルとの切磋琢磨魔道バトルが、

 無能な自分の突然の覚醒が、

 そこからの〝俺TUEEE〟ラッシュが、

 魔獣を蹴散らしてのさすがヴァルカ様される展開が、

 リィナとの幸せな毎日が、

 待っていたのではなかったのか。

 ――なのに、諦めるしかない。


 ミーシャさんはすでに死を受け入れているようで、最期の瞬間を震えながら構えて待っている。ただせめて孤独だけではいないよう、ヴァルカに縋り付いて。


(もう、終わりなのか、俺の人生……)


 せっかく〝生きている〟と感じた人生だったのに。

 こいつらのせいで。

 魔獣とかいう、わけのわからない生き物達のせいで。

 前世と真逆であった。〝死んでいないだけ〟の人生だった前世。しかし今回は違った。〝生きている〟人生だったのだと確信する。これだけこの生を愛おしいと感じているのだから。

 しかしそれがすべて奪われようとしている。

 奪われ、穢され、壊されて。

 最悪な転生人生に変えられてしまった。

 もう終わり――――。


(……ん?)


 いや……? 

ちょっと待て。

 どうしてだ?


(なぜ、こっちが諦めてやらないといけないんだ……?)


 ふと、そう思った。


 諦めが、心を凪へと落ち着かせたのか、冷静にそもそものところから考え始める。

 おかしくないか?

 どうして、一方的に奪われなければならないのか。

 こっちは何もしていないのに。

 みんな平和に暮らしていただけなのに。


(俺達がわざわざ、それらを捨ててやらないといけない道理はないはずだ)


 全部あいつらが悪いのに。

 自分達はただ生きていたかっただけなのに。


「こんなの、理不尽じゃないか……」

 

一度そう思うと、消えかけていた心の炎が一気に灯り直す。

 心の底の怒りが、憎しみが、殺意が、収まりかけた復讐の炎が再び燃え上がる。

 諦めや絶望といった感情が遠ざかっていく。


「ヴァルカ、くん……?」


 ありえない。

 理不尽だ。許されざる理不尽である。道理に合わないこの概念は、この世界に存在を認めてはいけないものだ。

 なぜこちらが黙って、命を諦めてやらないといけないのか。

 未来を、捨ててやらねばいけないのか。


「ありえない……! ああ……ありえちゃいけないんだ」


 心の底から、感情以外の何かもこみ上げてくる。


「俺はこの学園でもっと青春したかったんだ……強くなりたかったんだ! ラルゴ達といっぱい喧嘩したかった! もっとリィナと思い出を作りたかった!!」


 心の底から、肉体の根源から、理不尽への拒絶反応が強まるのに比例して、今までにない魔力が湧き上がってきた。

 確かに今は勝てない。無力だ。一方的に蹂躙されるだけの虫ケラだ。この復讐心を果たすことはできない。皆の――リィナの仇をとることはできない。


「こんな理不尽、俺は認めない……! こんなの許さない!!」


 でも、今じゃない、いつかならと心が叫ぶ。

 身体が迸る魔力で淡く金色の光に包まれ、瞳が赫く染まる。


「えっ、な、なに……」


 彼の見た目の変異に、ミーシャさんは動揺していた。


「いずれ、この俺が――――」


 ヴァルカは明確に自覚があったわけではない。朧げだ。


「このヴァルカ・グランがッ!!」


 しかし本能で、今なら〝できる〟と確信していた。


「この理不尽を――――」


 ヴァルカは〈インフィルトレーター〉だけでなく、周囲の多くの魔獣達をできるだけ視界に収め、焼き付けた。


「叩き返してやるッ!!」


この光景を、いずれ理不尽を叩き返すやつらを忘れぬように。


「……首、洗って待ってろ」


 そう睨みつけて、最悪に格好悪い捨て台詞。

 瞬間、ヴァルカと彼に触れていたミーシャさんが、突如として大きな魔力の金色の光を放つとともに、その場から〝消失〟した。


 ――――〈シフト〉。


 まるで跡形もなく最初から存在しなかったかのように。そこには無が残るのだった。


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