7.それぞれの想い転がって
「みんな遅いよ~。なんかあったの?」
「別に何もないよー。さあ食べようぞ」
チャーハンとみそ汁はそれぞれ器に盛りつけられ人数分が用意されていた。司がきっちり四等分にしてくれたらしい。
「ちょっと冷めたかもしれないけど、伊万莉が作ったんだから間違いなく美味しいからね。オロチは箸使える?」
「もちろんだ。問題ない」
「じゃあ大丈夫だね」
チャーハンにはスプーンが添えてあるが、みそ汁を飲むなら箸がいいだろうと個々に箸も用意してあった。さすがにスプーンでみそ汁を飲むのは日本人として抵抗があるのだ。
みんなが席に着いて、さていただきますかというところでオロチが変なことを聞いてきた。
「ところで箸はどこにある?」
「どこって……これ」
昴がオロチの前の黒い箸を持ち上げて見せる。
「え? 箸ってこういうのだろう?」
オロチが空中に指でUの字を描く。
それを見て伊万莉にはピンときた。
「ああ。大昔は一本の竹を折り曲げてそれを箸として使ってたらしいから、オロチは二本一組の箸は知らないかも」
「なっ⁉ 箸も変わってしまったのか!」
「なるほどねー。それだとこの箸は使いづらいかな?」
「いや……使ってみる」
早速人の世に慣れる為の努力をしてみることにしたらしい。
まずは古代の折箸のように持とうとしていた。
「くっ、上手く開かん!」
折箸はピンセットみたいなものなので反発力で勝手に開くが現代の箸はそうはいかない。指でしっかり持たないと開かないのだ。
オロチが他の三人はこれでどうやって食べているか知りたそうに見ていたから、伊万莉、昴、司はオロチに見せるように箸を開いたり閉じたりしてみた。
「これで米粒も摘めるよ」
司がそう言ってチャーハンの一粒を箸先で摘んでみせると、オロチは驚愕の表情を見せた。
「これでそんなことが……。司よ、お主……できるな」
「我が箸は飛んでいる蠅さえも掴んでみせるわ」
「どこの剣豪よ」
昴はつっこみをいれつつ、実際そんなことやられたらその箸は使いたくないなと思った。
「とりあえずみそ汁はかき込むようにして食べればいいんじゃない?できれば温かいうちに食べてほしいのですが」
とは伊万莉の言葉。
「そうだったな。せっかく伊万莉が作ってくれたのだ、冷めぬうちにいただくとしよう」
オロチが汁椀に口をつけて湯気が立つみそ汁をズズッと飲む。
他の三人もそれぞれ料理に手を付けた。
「ああ何で伊万莉さんの作る料理はこんなに美味しいのか」
「本当。同じ材料同じレシピで作っても明らかに美味しいのよ。何というか、食材が生き生きしてるって感じ?」
「それわかる! まるで伊万莉さんに調理してもらって喜んでるみたいな」
「そう……なのかな。自分じゃよくわからないけど」
チャーハンを一口食べてみても玉ねぎの甘さ、ベーコンの塩気、胡椒の風味などのごく当たり前のものしか伊万莉には感じられない。
「さっすが、お嫁さんにしたい人アンケートで女子を抜いて断トツの一位を獲得しただけのことはあるわ」
「ああ、あの事件ね……」
伊万莉が高校二年の時に男子のみに密かにアンケートが配られた。校内で恋人にしたい人は? とか、お嫁さんにしたい人は? などの設問に答えていくものだ。
そのアンケートの結果、お嫁さんにしたい人一位が伊万莉だったのである。
そのアンケートでは「女子の中で」という範囲の限定は確かになかったが、アンケートの作成者はこのような事態を想定していただろうか。
しかしこの秘密のアンケートはすぐに女子にばれてしまった。当然のことながら大変不興を買って、その報復というか仕返しという形で女子のほうでも同じようなアンケートがなされ、皮肉に満ち溢れた回答が教室後ろの掲示板に貼り出された。
恋人にしたいのは? という設問では、『ミドリムシ』とか、『海外ドラマに出てくるゾンビ』など、「お前らなんかこれ以下なんだよ!」と言外に物語っていたほどだ。
「それ疑問だったのだが、結局伊万莉は男なのか? それとも女か?」
余程美味しかったのだろう。一言も喋らず一気に食べ終わったオロチが二人の話を耳にしてそんなことを尋ねてくる。
現代社会で伊万莉のような人にそんなことを無遠慮に聞いたら非難されること間違いない質問だ。世の中には二択では答えられない質問も多く存在する。
伊万莉もオロチ以外の人にだったら「想像にお任せします」とか適当なことを言って絶対にはぐらかしている。
「僕はとりあえず男ってことでいいと思うよ」
言い方が曖昧なのは、こればかりは伊万莉自身もはっきりとした答えが出ていないからだ。
心の性は自分でもわからないことが多い。女性が好きだから『男性』というわけでもないし、男性の格好が嫌だから『女性』でもない。百人いれば百通りの性が各々の心に存在する。
それにどうも伊万莉の身体のホルモンバランスは極端に女性寄りらしく、全体的に体つき顔つきが華奢でぱっと見では男性と断言できる人はほとんどいない。
声にしても低い女の人くらいだし、ムダ毛も生えるには生えるが一般的な男性と比べてかなり薄く、処理に手間取るのは腋くらいだ。今着ているワンピースもノースリーブだが、きちんと腋の処理がしてあるからこそ着れている。
「着ている服も女が着るようなふわっとしたものだから、最初見た時は完全に女かと思ったぞ。今は男もそういうのを当たり前に着るのか?」
「着る人もいるけど、圧倒的少数だと思う。伊万莉の場合はこっちの方が似合うし、それに」
「女の人の格好をしてると不思議と落ち着くんだ」
昴の言葉に続けて伊万莉が自分の想いを表す。
男性服も家とかで普通に着ているが、あるから着ていると言った感じで、どちらかといえば中性的なものを選ぶようにしている。
「肉体と魂魄のズレか。まあどのような姿であろうとも伊万莉は伊万莉だ」
「そう言ってくれるの助かる」
つくづく自分は周囲の人に恵まれていると伊万莉は思う。
昴や司はもちろんだが学校でも嫌がらせとかほとんど無かったし、むしろ好意的に捉えてくれていた。
伊万莉は体と心の性について両親と面と向かって話したことはないが、女装を見られても特に何か言われたことはないので半分黙認なのだと思っている。
「はいはーい! 私も今の伊万莉さん良いと思います!」
「わ、私も伊万莉のこと好きだから!」
オロチに続いて司も昴も今の伊万莉を肯定してくれる。
「ありがとう昴ちゃん司ちゃん」
優しい人たち。
前世の行いが良かったのだろうか。もしそうであるなら前世に感謝し、その恩は周囲の人たちに返すことにしようと伊万莉は密かに誓った。
「っと、そろそろうちに帰ろうかな。やらないといけないことも結構あるし」
「そう? じゃあ送るね。ついでに買い物して帰るから準備してくる。洗った服もう乾いてると思うから、着替えたら車のエンジンかけといて」
「わかった」
伊万莉に鍵を渡して昴は駆け足で二階の自室に移動した。
部屋に入るなり昴はベッドに飛び込み、うつ伏せで枕に顔を突っ伏した。
「私はアホか……」
やっちまった。それが昴の今の気持ちである。
先程の失態を思い返すだけで悶え死にそうになる。
オロチと司があんなことを言うもんだから昴も釣られてつい口走ってしまった。
伊万莉は気づいていてスルーしたのか、それともただの声援として受け取ったのか。
だがそんなことはもうどうでもいい。問題はこれから伊万莉の顔を見るたびにそのことを思い出してしまうことだ。
そしてその前のアレ。
ぎゅっ。とんとん。
あのタイミングであれはズルい。
まあ昴はその前から落ちてはいたのだが。
「お姉ちゃーん」
「何?」
二階に上がってきていた司がドアから半身を入れて昴をにやにやしながら見ている。
それからこほんと一つ咳払いをした。
『私も伊万莉のこと好きだから!』
「おいいっ!」
司が昴の真似をして例のセリフを再生する。祈るようなポーズまでつけていた。
昴にしてみれば古傷を抉られたようなもの。
だが司がふざけていたのはここまでで、声のトーンを急に下げて姉に語りかける。
「いいんじゃないの? 伊万莉さんがどう受け取ったのかはわからないけど、お姉ちゃんが伊万莉さんのことを想っているのは伝わってるはずだよ」
「そうかな……?」
「伊万莉さんはラノベでよくある鈍感系主人公じゃないよ。他人が自分をどう思ってるかすごくよく見てる」
それが彼らにとって自身を守る手段でもあるから必然的にその力が身についてしまう。
「司は伊万莉のことよくわかってるね」
「私も一応、伊万莉さんと幼馴染なんですけど? というかお姉ちゃんも本当はわかってるんでしょ? わからない振りは止めてよ、そういうのイラッとするから」
妹からの思いがけない叱責。
喧嘩することはままあるが、こんな風に叱られたことは今までに無かった。
「いろいろ理由をつけて自分が臆病なのを誰かのせいにしないで。伊万莉さんのこともっと信用してあげて。でないと伊万莉さん本当に取られちゃうよ?」
「っ!」
それには昴も胸を貫かれたような衝撃を覚えた。
そうだ、結局のところ昴は伊万莉に想いを伝えて拒絶され、今の関係が壊れてしまうのが怖かったのだ。家の事とか司の事などもあるにはあるが、それを言い訳にして昴自身を弁護していたに過ぎない。
伊万莉が自分を傷付けるようなことをするか?
しない。
伊万莉と自分の関係はそんなに簡単に壊れてしまうものか?
そんなことない。
母も司も自分がいなければ生きていけない程弱い存在か?
これも違う。
自問自答の結果、すべての問題は昴の中にしか存在しないものだった。
「……うん、そうだね。ごめん司」
「わかったのならよし。じゃあほれ、行って思いの丈をぶつけてきなさい」
「え、でも今日はいきなり過ぎじゃ……。伊万莉が夏休みでこっちにいる間でなんとか」
「まったく……。じゃあそれでもいいから、二人とも待ちくたびれてるよ」
これではどちらが姉でどちらが妹かわからない。
いってらっしゃいと司が姉の昴のお尻を叩き部屋から追い出す。
「あ、私たちが出たら鍵しっかり掛けといてね。まださっきの奴がこの辺うろついてるかもしれないから」
「わかってますって」
階下に降りた昴が玄関戸を閉める音がした。
それを確認して司は昴のベッドに腰かけ、そのまま体を倒してベッドに横たわった。マットレスのスプリングが体を少し押し返す。
「『私も伊万莉のことが好きだから』…………か」
ベッドに置かれていた白いイルカのぬいぐるみを腕で包み込む。
再度繰り返したあの言葉が部屋の中でやけに反響した気がした。