5.見つめる瞳、逸る妄想
伊万莉は黄泉比良坂で三十分は過ごしたと思っていたが、外では伊万莉の姿が消えていたのは一、二分だったらしい。
時間の流れとかそういう概念がそもそも違うのかもしれない。
事態の説明にはかなりの労力を要したが、昴は半信半疑ながら伊万莉の説明を受け入れてくれた。
他の人だったらこうはいかないだろう。
「伊万莉は他人をからかうような嘘はつかないから一応信じるけど……。ふーん、あのヤマタノオロチがこんな人だったとは」
昴がオロチのことを改めて上から下までじっくり見ていた。
ちなみに伊万莉はもう下ろしてもらっている。
「昴だったか? 伊万莉の友人とあれば俺も無下にはできんな。宜しく頼む」
「いえ、こちらこそ」
昴のオロチに対する印象は、「目赤っ、背高っ、髪長っ、イケメンっ」である。
そしてどんなコスが似合うかの考察で既に頭がいっぱいだった。素材が最高にいいので着飾った伊万莉と並んでもらえば素晴らしい画になるだろう、と。
「それで伊万莉、今日はもう帰るんでしょ? 私もお腹減ったし」
「ううっ、ごめん。お弁当食べてしまって」
「それはいいって。じゃあ帰ってから何か軽く食べますかー」
駐車場は目と鼻の先だった。怪我をしている伊万莉の歩調に合わせても数分歩いただけで森を抜けることができた。
「ん? 石の道?」
オロチがアスファルトの地面を足でトントンと踏んで何かを確認している。
「ああ、今はほとんどの道がこんな風に綺麗に固められているんだよ」
「そうなのか。これだけの石を運ぶのはさぞ骨が折れただろう」
石じゃなくてアスファルトなんだけど、と伊万莉は心の中だけで突っ込みを入れる。説明をするのにそのまた説明が要りそうなのでそこはスルーした。
「じゃあオロチは後ろの席に乗って。僕も後ろに座るから」
そう言いながら自動車の後部ドアを開ける。
「ほう。二千年も経つと輿も随分と変わっているな。特にこの表面の光沢……あっつ⁉」
「焼けてるから触らないほうがいいよ」
現代人にとっては常識である真夏の自動車のボンネットの脅威を当然オロチは知らないわけでこの反応である。
「やりおる……」
「いいから乗ってって」
自らの手のひらを睨みつけてそう呟いているオロチを強引に座席に押し込んで伊万莉も後に続いた。
あらかじめ昴にエアコンを点けてもらっていたので外よりは幾分かは涼しい。
「じゃあ車出すよー」
「うん、お願い」
伊万莉の返事を待って車がゆっくりと動き出した。
「おおっ! 人が担がなくとも動くのか!」
「そうですよー。だからあなたは動かないでくださいね。事故るから」
昴の警告に伊万莉のほうが緊張する。言っても昴はまだ運転歴四か月程度なのだ。
伊万莉も教習所で運転中に横でガヤガヤ言われると集中が乱れてしまうので昴の気持ちはよくわかる。
来た道を順になぞって戻る。
案の定オロチがあれは何だこれは何だと聞いてきて、それにいちいち伊万莉が答えるのが車内の空気になっていた。
賑やかというよりうるさいくらいの車内だったがオロチが黙ったことで急に静かになった。
「もしかして酔った?」
「酔う? 俺は酒など飲んでおらん。そうではなく、俺が知っている出雲の国は……もうないのだな」
「あ……」
二千年も経っているとオロチにしてみれば窓の外に流れる風景は懐かしい景色ではなくただの異界。自身の記憶との差異は最初は面白いかもしれないが、それは次第に旅愁のようなものに変わるのだろう。
と、伊万莉は思っていたのだが。
「ま、そんなものか。それよりあれ! すごいでかい鳥みたいなものが飛んでるぞ!」
そうでもなかったらしい。飛行機を目撃して車の窓に張り付いていた。
「てっきり古代の出雲が恋しくなったのかと……」
「あーそれはないない。俺は新しいものが大好きでな、見るもの見るもの全部初めてで興味が尽きん。世が続いているならそれで良いと思うぞ」
「そういうもんかなぁ」
伊万莉がオロチの立場だったのなら少し寂しいと思うのだが。神と人はそのあたりの感覚が違うのか。
そんなことを考えていた時、伊万莉の抱えていたリュックから軽快なリズム音が聞こえてきた。
知人、友人のほとんどはメッセージを送ってくるから、電話をしてくるのは大学関係者か家族か。
携帯電話の画面に表示されていたのは伊万莉の母の名前だった。
「もしもし?」
オロチがそれは何だと食いついてくるのを制して電話に出る。
代わりに昴が「あれはねー」と携帯電話の何たるかをオロチに説明していた。
『あ、伊万莉? あのね、お父さんがまた腰をやっちゃったの』
「えっ? また?」
以前腰を痛めてからどうも癖になっているようで、伊万莉が知っているだけでもこれで三回目である。
『お酒のケースを持ち上げたらなったらしくて。それで、お母さん今からお父さんを病院に連れていくから晩御飯は適当に食べてちょうだい』
「それはいいんだけど、明日宿泊客の予約入ってなかった?」
伊万莉の記憶では確か年配の夫婦が一組だけの予約が入っていたはず。
『お父さんは一日くらい入院するかもしれないけど、お母さんは手続き済ませたら帰るからそこは心配しないで。でも一人だと大変だから伊万莉もお手伝いお願いね』
「うん、それはもちろん」
部屋の準備はさすがに終わっていると思うが、他にも食材の買い出しに下準備、調理と当日でなければできないことも沢山ある。
何がやってあって何がやってないのかを細かく聞いて、母の負担を減らすようにやるべきことをリストにしていった。
『伊万莉も勉強があるからなるべくそっちを優先させてあげたいけど、お父さんが良くなるまでしばらくは我慢してね』
「とりあえずは夏休み中に運転免許だけ取れればいいから大丈夫だよ」
『ありがとう伊万莉』
通話終了をタップして電話を切ると伊万莉は眉間に指を当ててもみほぐした。
タイミングが最悪だった。
「何かトラブル?」
「父さんが腰を痛めてね」
「ありゃ」
「家のことで大変だからオロチのこと言い出しにくくなった」
当初、伊万莉としてはオロチのことを大学の友人として紹介し、彼と彼の研究チームが日本の古き山里の暮らしと経済効果について研究していて、田舎体験プログラムを実践できるような古民家を探しているという設定にしようとしていた。それで空いている伊万莉の母の実家はどうかと提案するつもりだった。
宿泊客をとるのは設備的、法的に無理なのであくまで研究者の拠点兼体験施設というように考えていた。
もちろん伊万莉もそのチームに加わるからそっちに移り住むという条件で。
その計画の全てが父親の腰一つで瓦解してしまった。
「仕方ない。たまたま遊びにきていた友人ということで少しの間僕の部屋で泊まってもらうか」
後はどうにかこうにかするしかない。
「何か心配だなぁ。オロチさんは体を普通の大きさの蛇に変えたりできないの?」
「オロチでいいぞ、昴。その質問の答えだが……できる」
「できるの⁉ だったら問題が全部解決するんだけど」
伊万莉がいない間や寮に戻っている期間はそっちの姿になってもらえば、わざわざ説明したりする手間も省ける。
しかしオロチの表情は渋かった。
「だがやりたくない。一度その姿で潰されて本気で死にかけたことがあるからな」
「それは……トラウマになるよね」
ということで少々強引で計画性が全くといっていいほどない伊万莉の第二案が採用されることになった。
昴の家に到着。
車から降りると昴から「うげっ」という乙女にあるまじき声が伊万莉の耳に飛び込んできた。
「どうしたの?」
「司が戻ってる……」
昴の視線の先にはシルバーのフレームの自転車があった。伊万莉も見たことのある、昴の妹の司が移動に使っている自転車だ。
「あちゃー、夕方まで戻らないって言ってたのにどうしたもんか」
ここは昴にしたみたいにオロチのことを素直に説明すべきか、それともこの場を去って隠し通すか。
「司ちゃんなら割とすんなり受け入れてくれそうだけど?」
「その後が面倒になる予感しかない」
司はその手のアニメや漫画が好きだったと伊万莉は記憶している。なので比較的抵抗はなくオロチのことを信じてくれそうな気はする。それは昴も思っているようだが、それでも逃げるという道を選択したいようだ。
家族にしかわからない性格というのもあるのだろう。
「お姉ちゃ~ん、戻ったの~?」
玄関戸がガラララッと勢いよく開いた。エンジン音で昴が帰宅したことを察知したらしい。
玄関から現れた少女を見つめる六つの瞳。
戸を開けたらそこにいた三者三葉の人物。
束の間の静寂。
だが静寂は少女の叫びで破られた。
「ハイブリッド三角関係キタ――っ‼」
なるほどこれは面倒なことになりそうだ、と伊万莉は瞬時に理解したのだった。
叫ぶ司の口を昴が早業で押さえて建物横の物置小屋まで連れていく。伊万莉とオロチからは声が聞こえないがいろいろと説明をしているのだろう。
「あの子供は?」
「昴ちゃんの妹の司ちゃん」
「昴の妹御だったか。元気があってよいな。何を言ったのかはわからなかったが」
「わからなくていいです……」
オロチが知るには早すぎることだ。現代のことを知っていけばそのうち嫌でも知ることになるのだから。
だが気をつけろ。手すりに触れるくらいならまだいいが、深く覗こうとすればたちまちに飲み込まれてしまうぞ。
というようなよくわからない警告を伊万莉は脳内で発してみた。
やがて話が終わった昴と司が二人の元へ戻ってきた。
「うちの妹が騒いで申し訳ないです。ほら挨拶して」
「司といいます。初めまして」
「うむ。我が名はオロチ。蛇神衆ヤマタの長、オロチだ」
伊万莉のように勘違いされないために、そこはきちんと名乗ることにしたようだ。
楚々とした様子で挨拶をした司の目がオロチを捉え、伊万莉を捉え、行ったり来たりする。
「妄想が止まらぬ!」
「止めんか!」
昴が司の後頭部をポンとはたいた。
妹のこんな様子を見られたとあっては、姉として恥ずかしさの極みだろう。
「だあってぇ~、脳がもうそんな風に改造されてるんだもん。あ、伊万莉さんお久しぶりでっす。今日も可愛いですね」
「うん、久しぶり司ちゃん」
司は伊万莉が女装していることは知っているのでその服については特に言及しない。むしろ好意的に受け止めていて昴と一緒にあーだこーだと着せ替えをすることもある。
「でも司ちゃん、少し見ない間に性格が変わったような」
「あーそれはね……家族も気付かないうちに腐っちゃってたの」
気付いた時にはもう遅かったの、というのは昴談。
きっかけはとある日、司の友人の学校の机にその手の薄い本が入っていたことらしい。
誰が入れたかわからないが、マンガの持ち込みは校則違反。そのままにしておくわけにはいかないのでこっそり持ち出して司を含めた友人に相談した。もちろんその際中身の確認もした。
イケナイことをやっているという罪悪感と秘密の共有。
彼女たちの間で浸透するのは時間の問題だった。
「ん? 司は何かの病に侵されているのか?」
「いえいえ、至って健康です」
昴は否定はするが、浸食されたのは間違いない。
「とにかくみんな中に入って。司はもうお昼食べた?」
「今からラーメンでも食べようと思ってたとこ」
「丁度良かった、伊万莉が作ってくれるから一緒に食べよ」
「えっ、伊万莉さんの手料理⁉ 最高かよっ!」
「作りますよ。ええ、作りますとも」
昴の分の弁当までオロチにあげたのは伊万莉なので甘んじて受け入れるしかなかった。