42.望む変容、望まぬ変貌
その女性は服こそ着ていないが体の周りに霧のような泥のようなものを常に纏っていた。
とても美しくファッションモデルも隠れたくなる均整のとれた体つき。
腰まである長い髪の毛先三十センチメートルくらいが綺麗な青に染まって、その部分がとても印象的だった。
しかし美しいと言っても人形的な造られた感がどうしても否めない。
可愛げとか愛らしさというものが一切欠如していて、伊万莉は彼女に好感を全く持てなかった。
端的に言えば「気持ち悪い」。
山の中にポツンとマネキンが置かれているようだった。
伊万莉以外はあの女性のことをどう感じたのだろうか。
「あー、これは嵌められましたか?」
「ふん。あれにそんな知能があるようには見えんがな。俺たちのことにたまたま気付いただけだろう」
もう潜む意味はないのでオロチは車から降りて堂々とその姿をあの女性に晒した。
伊万莉と東条はどうすべきか判断がつかず、まだ車の中に残っている。
ただ突っ立っているあの女性が土地神の猪の命を奪った存在だと言うのなら、彼女は一体何なのか。
普通の人間がそんなことできるわけがない。
堕ちた名も無き一柱の神?
それとも……?
「まったく、あの鳥は騒動しか起こせないのか? 怨念に簡単に取り込まれおって。……ん? 他にも何か混ざってるな。というより変質している……? どういうことだ?」
オロチは何やら困惑しているようだが、それは伊万莉も同じことで、
「あの鳥? まさかあれがルリなの⁉ ……あ」
伊万莉が直近で関わった鳥といえばそれしかない。
しかし自らの失言に気付いた時には既に遅く、東条の顔色は驚きで塗り潰されていた。
東条はルリが昨晩訪問してきたことも勿論知らないし、こんな姿になっていることについては尚更だ。
「ルリだと? 彼女が? どういうことだね⁉」
「それが僕にもよくわから――」
「ルリ‼ ルリなのか⁉ 私だ‼ 忠吉だ‼」
伊万莉が言い終わる前に東条はドアを開け放って車から降り、ルリに対して大声で呼び掛けた。
「馬鹿者! 出てくるな‼」
「ルリっ‼」
オロチの叱責は全く耳に入らないようで、東条は叫び続けている。
その声にルリが反応を示した。
「……ダヨシ? ……ロス、コロス、アイシテ……」
何を言ったかまでは伊万莉には聞き取れなかったが、ルリの関心が東条に移ったのだけはわかった。
ふわふわとした足運びでルリが近寄ってくる。
その速さが坂道を転がるように加速して、一気に二人の距離が縮まった。
そして、無表情のまま青白いルリの右手が東条の頬目がけて伸ばされる。
「ぅらあっ‼」
しかしその手が触れる寸前にオロチの拳打がルリの横顔を捉えて彼女を大きく吹っ飛ばした。
ルリは地面を何度かバウンドした後に草を倒して転がって止まった。
「何をするんだ!」
東条がルリを心配して駆け寄ろうとするところをオロチが彼の腕を掴んで止める。
「阿呆が! 昨日も言ったがあの鳥はもう死んでいる!」
「だが現にあそこにいるのはルリなのだろう⁉」
「あそこにいるのは悪霊で怨霊だ! 貴様の知っているルリという鳥とはもう別物だ!」
言い合いになってしまった二人を見かねて伊万莉も車を降りた。彼らをこのままにしておくという選択肢はない。
「東条先生、実はですね、昨晩ルリが訪ねてきたんです」
「そうだったのか? それなら教えてくれても……」
「本人? の意向でしたので。自分はもう生きていないから会うわけにはいかないと。実際ルリは霊体だったわけで」
「霊体だろうが何だろうが、それでも私は会えるなら一目会いたかった」
お互い会いたいと望んでいるのでどうしてこうもすれ違うのか。そして、どうしてこんな最悪の形で再会することになってしまったのか。
「ルリも本音ではそう思っていますよ。その為にオロチに協力を求めて来たんですから。まあ結局は物別れに終わってルリはどこかへ行きましたが、恐らくその後に何かが――」
どうやらオロチの反応を見るに『オロチの怨念』に取り込まれただけではなさそうだった。
地面に倒れているルリ。その姿自体は彼女自身が欲していたもの。
しかし代わりに肝心なものが欠落、変貌してしまっている。これでは目的も何もあったものではない。
伊万莉の視界の中でそのルリは虚ろな眼球に蒼穹を映している。
綺麗な髪が千々に乱れているのも気にならない様子だ。
「ほぼ無傷……か。かなり力を込めて殴ったつもりだったが、頑丈さだけで言えば俺と同等かそれ以上だな。全くふざけている」
「次は私がやってみましょうか?」
「構わんが、地形を変えない程度には抑えろよ? 後で直すのは酷く骨が折れそうだからな」
「了解ですよー。久しぶりに大暴れできそうな相手でワクワクしますね!」
メイハルは肩をグルグルと回し口角を上げて声を弾ませている。
性格的なものもあるが、復活してからここまで抑圧した生活を半ば強制されていたからストレスは溜まる一方だったのだろう。
「あ、あの!」
ルリをもはや敵としか認識してないそんな彼らの様子に東条がたまらず口を挟む。
「あまり酷いことはしないでやってくれないか? ルリが今普通の状態ではないのはわかった。だが、どうにか……」
「わかってないですね」
メイハルが「はぁ」とため息をついた。
「私たちと同等の力を持つ話し合いも通じない相手がこうしてこちらに危害を加えようとしているんですよ? そんな相手に手加減? 何を寝ぼけたことを言っているんですか。あの無意に命を奪われた土地神にも同じこと言えます?」
「いや、それは……」
「だったら黙っててください」
「…………」
突き放すようなメイハルの物言いに東条も二の句が継げない。
「……まあ私が荒事好きなのは否定しないですが、別に愉悦だけで戦うわけじゃないですよ。こんなことになってしまったものを放っておけば被害はきっと広まります。今ここで叩くしかない。……運が良ければ頭くらいは残るかもしれません」
伊万莉もメイハルの言うことはもっともだと頭では理解できる。だが感情はそうはいかない。
東条ともルリとも知り合ってからの期間はとても短い。オロチとメイハルのほうが少しだけ長いし、その関係は濃密とも言える。
しかし、それだけでメイハルの言い分をどうして支持できようか。
悲劇だけで終わってしまう東条とルリを伊万莉は見たくなかった。
「ねえオロチ、メイハル。ルリがどんな経緯でああなってしまったのかわからないし、どうやって元に戻せるのかもわからない。二人はルリに良い感情を持ってないのも知っている。それを承知の上で無茶なお願いをする。僕もルリを助けたい」
「伊万莉。無茶を通すなら道理が必要だ。あの鳥を助けるのにそれがあるか?」
「はっきりしたものはないよ。でもルリだってあんなことにはなりたくなかったはずだ。それを無情に切って捨てるだけってのは僕にはできない。だからこれは僕のわがままなんだ」
「そうか、わがままか」
オロチの瞳が伊万莉の瞳を真っ直ぐに射貫く。
まるで心の奥深くを覗かれているようで伊万莉はどこか落ち着かなかった。
だがオロチのそれは非難しているというよりも何かを懐かしむような――。
「伊万莉殿のわがままって珍しいですね。というか私の知る限り初めてかも?」
「俺の知る限りでもだ。いつもは俺たちのほうが伊万莉にわがままを言ってる立場だからな」
「それを言われちゃあ伊万莉殿のお願いは断れませんね」
二人の態度が軟化して強張っていた表情も幾分か和らぐ。
「そうだな。それにそもそもだが、俺たちは『ヤマタ』の『オロチ』と『メイハル』だぞ? 急造の怨霊など撫でてやるくらいの気概で臨まんでどうする」
「オロチ……メイハル……」
「気にするな伊万莉」
オロチは伊万莉の肩にポンと手を乗せ、
「俺はお前から受けた恩はこれでもまだ返せていないと思っている。もちろんメイハルもだ」
その言葉を受けてメイハルが首をコクコクと縦に振っている。
「わがまま上等。むしろ頼ってくれるのは…………嬉しく思う」
顔を少し伊万莉から背け、オロチは人差し指で頬を掻いている。
それを見たメイハルが声を出さずに笑っていた。
伊万莉の感覚から言えばそれは奇妙だった。
二人は神としての力をあからさまに当てにされるのを嫌がると伊万莉は勝手に思っていた。
こういう反応をされるのは伊万莉だから、だろうか。
確かに東条相手には辛辣だった。しかしそれは彼のことが嫌いとかではなく、あれがオロチたちの一般的な反応なのだろう。
ラインを越えて踏み込んでくるな、と。
ということは伊万莉は線を挟んでオロチたち側にいると認識されているのか。
「神代君は彼らに慕われているね」
東条が羨望とも呼べる眼差しを伊万莉に向けてくる。
「慕われてる……のかな。まあ僕も彼らにとても親しみを感じていますが」
そう、不思議なことに出会った当初からオロチとメイハルには旧知のような近しさを感じていた。
基本赤の他人に対しては相当な距離を置く伊万莉には珍しいことだった。
もしかしたらそれと同じようなことを彼らも感じているのかもしれない。
「とにかく後は任せろ。悪いようにはせん」
「あ、向こうも起きたみたいですよ。こっちすごい睨んでますねー」
仰向けの状態から上半身だけむくりと起こしたルリはオロチたちを完全に敵と認識し、首をグリっと回して恨みの籠った視線を向けてきていた。
「そういう感情は残っているようだな。それともただの反射か?」
「どっちでもいいですよ。相手がやる気ならこっちもやってやるだけです。『ヤマタ』に喧嘩を売るとはどういうことか、懇切丁寧に教えてあげましょう」




