21.毒に倒れる
翌朝、目を覚ますと、頭がガンガンと割れるように痛んだ。
風邪をひいてしまったようだ。ロンベルクの地に慣れてきて、少し油断をしてしまった。しかし、よそ者の私が一人だけゆっくり横になっているわけにはいかない。ネリーを呼び、いつも通り着替えを始めたのだが……どうしても一人で立っていられない。
(何よ、この頭痛……)
ふらふらとベッドに倒れ込むと、ネリーが慌てた顔で駆け寄ってくる。
「奥様、今日は横になってらっしゃったらどうですか? いつもこっそりお掃除なんかして働いてるからですよ。ゆっくりしてください」
「ネリー、屋敷の中をお掃除していたことは旦那様に言わないでね。こっそりやっていたことだから」
「分かりました。とりあえず、朝食は部屋に運んでいただくように言いますね。お待ちください」
ネリーが部屋から出て行った。
パタンと閉まった扉の小さな音さえ、頭にズキズキと響く。
(風邪なんてほとんどひいたことがないのに……)
ヴァレリー伯爵家で使用人室に移ってからというもの、冬も隙間風がビュービューと入ってくるような部屋で生活していた。そんな場所でも風邪をひかないくらい、健康だけが取り柄だった私が、こんなに簡単に体調を崩すなんて。
頭痛は徐々にひどくなり、吐き気もしてきた。
強烈な寒気が私を襲い、呼吸が苦しい。
ネリーが部屋に戻って来る。なぜだか、私を見た途端悲鳴を上げた。
「奥様! 顔が真っ青です。大丈夫ですか? 旦那様がお見舞いにいらっしゃってるので、お通ししますね。それと、すぐに医師を呼びます!」
遠のく意識の向こうで、旦那様の声が聞こえる。
旦那様に顔を向けようと頭を動かすと、私のおでこにコツンと何かがぶつかった。
図鑑だった。
あまりの頭痛に朦朧とする意識の中で、図鑑をベッドに置いて抱いたまま眠ってしまったことを思い出す。
「リゼット! しっかりしろ、大丈夫か?」
旦那様がベッドの横に来て、私の手を掴む。旦那様の手がとても熱く感じる。つまり、私の手が氷のように冷えてしまっているということだろうか。
「……旦那様、朝食をご一緒できず……申し訳ありませ……」
「リゼット、朝食なんてどうでもいい。熱はないな、むしろ手が冷たいし顔色が悪い。呼吸が苦しいのか?」
旦那様は私の額と頬に手を当て、熱がないか確認してくれている。そうしているうちにも呼吸はどんどん苦しくなっていく。
「旦那様、私、風邪でしょうか……すごく、息が苦しくて……」
旦那様が私の名前を呼ぶ声を聞きながら、私の意識はそこで途切れた。
◆
目が覚めた時には、数日が経っていた。
日の光のまぶしさを感じてゆっくりと目を開けると、旦那様とネリーの顔が見えた。ネリーが涙を流しながら部屋を飛び出していく後ろ姿を目で追った。
旦那様は私の手を握り、心配そうな表情で私の顔を覗き込んでいる。
「旦那様、おはようございます……」
「……何を呑気に! リゼット、身体は大丈夫か? 君は何日も眠っていたんだ」
「何日も……? 頭痛は治った気がしますが、なんだかものすごく……おなかがすきました」
旦那様は微笑み、「何か準備させよう」と言って扉の側にいた使用人に声をかけた。
私のベッドの横から離れず、ずっと私の右手をさすっている。
「何日も眠っていたなんて、自分でも驚きました」
「リゼット。君は、何かの毒を摂取してしまったらしい」
「……毒?」
「心当たりはあるか? カレンが調査を結果を持ってきて、アルヴィラのことを話した日だ。あの日に何か変わったことは?」
毒が盛られた記憶や心当たりはない。
あの日の夜の出来事を、順を追って思い出してみる。
「あ、スミレ……」
「スミレ?」
「母からもらった花図鑑に、古いスミレの押し花が挟まっていたんです。根や茎まで残っていたので、それが原因でしょうか」
「スミレの毒は、そんなに強いのか?」
旦那様から問われて、私は答えに詰まった。確かに、スミレの根や茎には毒がある。しかし、顔を近付けて匂いを嗅いだだけで、何日も意識を失わせるほどの毒性があるとは思えない。
旦那様は私の手を放すと、立ち上がった。
「リゼット。その図鑑のスミレを調べさせる。食事をとったら、また眠って休んでくれ」
私にそう言った旦那様の顔もまた、真っ青になっている。
(旦那様も体調を崩されたのでは?)
私が止める間もなく、旦那様はふらつきながら扉に向かった。食事を運んできたネリーと行き違いで、部屋を後にする。
「ねえ、ネリー」
「はい、奥様」
「旦那様も体調がお悪いのかしら。今、ふらついてらっしゃるように見えたわ。お顔も真っ青で」
ネリーは私の言葉を聞くと、ハッとしたようにニヤニヤと口元を緩めた。
「何? 可笑しいことでもあった?」
「いいえ。旦那様の顔色が悪い理由……それは、奥様が呼吸が苦しそうでいらっしゃったので、旦那様が応急処置をなされたからです」
「応急処置?」
「そうです。それで、奥様が吸われた毒を、旦那様も口にしてしまったんじゃないでしょうか。ああ、でも旦那様は、毒に慣れる訓練をされてるそうですので、大丈夫だと思いますよ」
ネリーはウィンクをしながら、私に水の入ったカップを渡す。
(応急処置って、まさか……)
ネリーの言う応急処置の意味を理解した瞬間、さっきまで冷たかった頬が一気に火照ったような気がした。




