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番外編03:見ようとすれば、ありすぎる2


「上がりな」


(うそだろ)


 家に着いた瞬間、偏屈そうな見た目のおばあさんが家から出てきたと思えば、開口一番これだ。

 こんな状況、誰が想像しただろう。


「い」

「い?」


「いやいやいやいやいやいや! ちょっと待ってください。僕の様子をよくよく見てみましょう? 汚れ、血、ヤなやつのオーラ、ゴミクズの匂い、しません? しますよね?」

「飯は風呂の後だ。風呂は家の裏だ」

「入れと!」


 いくら何でも親切が過ぎる。

 心根の正しい人間にそれをするなら何も問題はないが、相手がよくない。

 だって、マティアスだぞ?


(なんの思惑もなく僕に接する稀有な者が、そうほいほいと現れてたまるか)


 そんなマティアスの胸中など知る由もないオリィのおばあさんは、湯は沸かしてあると言ってマティアスをあっさりと家にあげた。

 それから、摘んだ花を持ってにこにこと笑っているオリィにつんと澄ました顔で言い放つ。


おり、さっさとその野花をお渡し。この若造のために摘んだんだろう」

「うん!」


「おまえさんは、有り難く受け取ったのち、さっさと私に寄こすんだ。花瓶を用意する」

「あ、はい」


「どーぞ!」

「ありがとう」


(ってなんの茶番じゃい!)


 受け取った花をおばあさんに手渡しながら、マティアスは内心激しくツッコむ。

 ズレている。自分のツッコむべき箇所が確実にズレている。


 が、もう何からツッコんだらいいのかわからないのである。


「おにーちゃ、今日、ばっちゃのごはん、シチューだよ! あつあつのミートパイもだよ! 一緒に食べらりるなんて、ラッキーだねぇ! おにーちゃも、オリィも、よかったねぇ」


 自分で自分に、よかったねぇとオリィが言う。

 その不思議な言い回しがなんだかおかしくて、マティアスはつい口角をあげた。


「あ! 今、おにーちゃ笑った!? 笑ったよね! よかったねぇ!」

「オリィ、その『よかったねぇ』ってなんなんだ」


「これはね、オリィのおかーさんがよく言うやつなの! オリィが笑ったり喜んだりしたらいつも、よかったねぇって言うんだよ! だからオリィも、おにーちゃが笑ったり喜んだりしたら、よかったねぇって言うんだよ」

「そうなのか」

「そうなの!」


 誇らしげに胸を張るオリィが褒めてほしそうにこちらを見ている。

 マティアスがどうするべきか迷っていると、オリィは勝手にマティアスの手首を持ち、自分で自分の頭にマティアスの手のひらを乗せた。


「おにーちゃ、オリィを褒めるときは、こーやって『いい子いい子』ってするんだよ。『えらいぞ』もついてたら、かんぺき!」

「そうか」

「うん」


 期待に満ちた目でオリィがマティアスを見る。

 王宮で飼っていた狩猟犬がしっぽを振って『撫でて!』と言うときとおんなじ目だ。


 ふいにその狩猟犬の姿が重なって、マティアスはオリィの髪をやさしく梳き撫でた。


「えらいな、オリィ」

「うん!」


 んふー、と満足そうに、オリィはごきげんで目をつむる。

 さらさらとした髪の感触がマティアスの指をすり抜ける。


(じゃあ、おにーちゃんはありがたくお風呂に入ってくるから)


 その吐息がやがて寝息へと変わったころ、マティアスはオリィを部屋のクッションの上に寝かせ、タオルケットをかける。

 よほど疲れているのか、オリィはまったく起きる気配がない。人の体温は眠くなるものだということを先ほど死に際で知ったばかりのマティアスは、間違っても起こすことがないよう、忍び足で案内された脱衣所へと向かった。


 不可思議な脱衣所だった。広くて棚の数がやけに多くて、一つ一つに衣装籠らしきものが置かれていた。

 汚れた服をどうしようか、床に置いたら汚れはしないかと思いながら上の服を脱いでいたところに、脱衣所の引き戸が、ぐわらっと開けられた。

 脱ぎかけのマティアスと、小柄なおばあさんの視線がかち合う。


「「あ」」


 と思ったらぴしゃんと閉められる。


「お、お見苦しいものをお見せして……」


 何か言わねばと思い、扉の向こうにいるであろうおばあさんに向かって咄嗟にそう口にすると、引き戸がほんの少しだけ開いた。


「汚れた服はこれに入れなさい」


 差し出されたのは何やら変なネット


「洗濯機にかけるんだ。織が無理に連れてきて悪かったね。洗濯代はサービスするよ」

「せんたくき?」


 なんじゃそりゃ。聞いたこともない。

 不思議に思いながら、マティアスは脱いだ服を粛々とそのネットの中に入れ、隙間からそれだけ出されていたおばあさんの手に礼を言って渡した。

 腰にタオルを巻きつけて、おそるおそる浴室の扉を開け、マティアスは絶句した。


「は?」


 はぁ?はぁ?はぁ?……とマティアスの間抜けな声が広い空間にこだましていく。

 その浴室は見たこともないほど広かった。


 何人入っても大丈夫なのではと思えるほどに大きな浴槽には湯がたっぷりと張っていた。

 蛇口がずらりと並んで、それぞれに椅子とシャワーがついている。もちろん、体を洗うための薬剤も。


 マティアスはあわてて脱衣所に戻り、引き戸の向こうにいるであろうおばあさんに尋ねた。


「お、おばあさん!」

「なんだい、騒がしいね!」


「ここ、どうなってるんです!? 風呂がバカでかいですけど!? 僕が入る風呂、間違えてないです!?」

「ええ? 当たり前じゃないか。ここは銭湯さね!」

「何ですそれ!」

「でかい風呂のことだよ!」


 答えになってない答えが返される。

 そう言われても、元王族であるマティアスにとってすら当たり前ではない大きさの風呂など、それこそ天上人のためのものなのではないのかという疑いが晴れない。


 いつまでも風呂の前でもたもたとしていると、しびれを切らしたおばあさんが大声で言った。


「とっととお入り! あと一時間で客が来る」

「客?」

「風呂に入りに来る客だよ! その湯はあんたのためだけのもんじゃない」


「皆が同じ風呂に入るということですか」

「ああ、異国の人は知らんか。銭湯ってのは元からそういんもんだ。嫌なら出な」


 そう言ったきり、おばあさんは返事を返さない。マティアスはそれ以上の情報収集をあきらめる。

 人と同じ風呂に入ることに文句はなかった。むしろ、自分だけに用意されたものではないと知り、ほっとした気分ですらある。

 こんなに立派な風呂を己のためだけに沸かしてもらえるほど、マティアスはできた人間ではない。


 大人しく体を洗うことから始めた。

 傷はなぜかすべてふさがっており、ほどけるような湯が体を伝っても染みることはなかった。ただ、体はひどく汚れていて、どれだけ洗っても、しばらく濁った水が流れた。


 髪も油っぽく、かぴかぴと乾いた血と土がついていた。それらを根気強く流し、やがて全身を洗い終えたところでようやくマティアスは浴槽の前に立った。


 おそるおそる、足先からそっと湯につける。

 ぬるすぎず、かといって熱すぎもしない、ちょうどいい温度の湯がマティアスを包んだ。


「お、おお……」


 やがて肩まで浸かると、ほっとやわらかく心地よい湯が、じんわりと沁み込んでいく。


「これは……いいなぁ」


 壁に描かれた、名前も知らない青い山を見つめ、ほぅっと息をつく。

 さっきまで死にそうになって別れの謝罪をしていたのに、今はまるで真逆の状況に居る自分の、この摩訶不思議な状態が未だ信じられず、夢見心地で天井を見上げた。


 浴槽に張った湯に、波紋が広がる。

 なんでかと思ったら、自分が泣いていたからだった。


 今更、自分はまだ死にたくなかったのだと、強くわからされる。

 今更。本当に、今更だが。


「『よかったねぇ』……ほんと、よか、『よかったねぇ』ぼく。死ななくて『よかったねぇ』」


 ぼろぼろと落ちてくる涙にどうしていいかもわからないまま、ただ、先ほどのオリィの言葉を何度も何度も反芻する。

 これだけ他者を傷つけてまだ、生きていることに安堵する。


「『よかったねぇ』『よかった』……『よかった』―――」


 浴室に響くマティアスの『よかったねぇ』を、扉の裏で、おばあさんは無言で聞いていた。

 気配を悟らせることも、ましてや言葉をかけることもせず、慰めはただ、湯に任せて。


 そして彼の声が落ち着いたころ、小さく小さく、ふんと鼻を鳴らして、おばあさんは脱衣所を後にした。



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