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 足を踏み入れた屋敷の中、家族は誰も帰宅していないと話を伝えられた。


 拍子抜けしたが、胸を撫で下ろして安堵する。


「お久し振りですね。レギュラス様」

「あー、えーっと確か。バーナードさん?」

「そうですとも、随分とお姿が様変わりしたように拝見いたします」


 バーナード・ビガ・ジェスマ。一番最初にこの屋敷で目を覚ました時、レギュラスの父ロードンとともに現れた人物。彼はハウススチュワードであり、アッヘンヴェルバッハ家が雇っている使用人の中では最上級使用人。ナンバーワン。


 カントリー・ハウスにいるヴィルマンさんはナンバーツーに当たるらしい。


 挨拶もそこそこ、父ロードンは王城へ。義母カレンティアは友人邸へお茶会。弟と妹は友人とお出掛け。


 シュベルツはみんなが帰宅するまで部屋で待機している様にと案内される。


「降誕祭は明後日からです、それまでレギュラス様は許可なく部屋からお出になられませんよう」

「あ、はい」


 王都の屋敷に訪れても軟禁状態。部屋の扉が閉まるのを見届け、部屋の内装を見まわす。


 この体の本来の持ち主であるレギュラスの部屋。身体が入れ替わって初めて目を覚ましたそこは、なんとなく朧げに覚えていた。


「目が覚めた時にこの天井じゃなくて、天蓋が目に入ったんだっけ」


 今見ても変わりなく天井も天蓋も豪華だ。正にゴージャス。なんとも落ち着かない。


 そしてこの姿見で、自分の姿に度肝を抜いた。中肉中背だった自分がこんな脂ぎった巨大なデブに成り下がっていたのだ。本当に絶望した。


「ほんっとうにさー、太ってたよな。今もだけどさー」


 まだまだ顎の肉は落ちないし、この腹回りの脂肪もまだまだブヨブヨのブヨブヨで、前屈する時は凄い邪魔なんだ。


 シュベルツは姿見の前で自分の体形を確認する。本当にあの頃と比べて痩せた。痩せたったら痩せた。


「……みんな、元気にしてるかな」


 自分しかいない部屋で最初は気分を高揚させていたが、段々と気が沈んでいく。


 あの日、あの時、あの場所で、レギュラスとシュベルツは入れ替わった。誰もその事に気付かず、己から口走る事も出来ず今日まで来てしまった。


 故郷の家族はどうして居るのだろうか、今年の冬はとても寒い。


 本当ならばあの時、家に帰ってお土産やお金を家族に渡して、そしてまた王都に戻り働いて、冬が来る前にもう一度だけ故郷に戻って冬支度を手伝うつもりでいた。


 なのに、どうして自分はこんな場所に居るのだろうか。こんな寂しい場所に。


 自分は何も悪いことなどしていないというのに。


「神は……シェヘラザード=ルキナは、何をお考えなのか」


 シェヘラザード=ルキナはルキナ教の主神。この世界を想像したと言われる母なる女神。


「エル・シエラ」


 シュベルツは手を組んで、祈りの最後の言葉を口にする。どうかこの祈りが、我らが母に届きますように。どうか、どうか、我らが母神よ。救いの神よ。


 長い間一心に祈りを捧げている間に、窓の外で再び雪が降り始めた。


「あ、れ? あそこに扉なんてあったかな?」


 シュベルツは祈りを終えると立ち上がり、部屋をもう一度見渡し首を傾げた。


 部屋の奥の隅にいつの間にか扉があった。


 見覚えのない扉。


 まぁ、一番初めは自分の姿の方に気を取られてばっかりで部屋の中をちゃんと見ていなかった気もする。


 部屋の中は自由にしてよいとのお達しだから部屋の中をちゃんと探検してみよう。


 シュベルツはひっそりとたたずむ扉を、意気揚々と豪快に開けた。


「ん……なんだ、ノックもせずに」


 シュベルツは見覚えのある紫の髪の持ち主に、スッと扉を閉める。


 なーんだケルヴィンさん、……か!


「なんでケルヴィンさん?!」


 シュベルツは再び扉を開けて大声で問い掛けた。ケルヴィンはそんな彼の問いに対して眉間に皺を寄せる。


「さっきからなんだお前は、騒々しいぞ」

「なんでケルヴィンさんがいんの!? だって、こっち俺の部屋、でっ!」

「私はお前のお付き役だぞ。こっちは次の間。本来ならば従者が控える部屋だが、今回は私が控えておく。外に用があるならば私を一度通す様に」

「……はぁ」

「残念なことに、この次の間は隣の部屋を急遽繋げただけのものらしくてな。造りはそっちと同じだ」

「あ、本当だ。間取りが一緒」


 シュベルツはケルヴィンの部屋に入り、確認する。


「いいか、レギュラス。問題を起こせばその時点で領地に送られる。大人しくするんだ、分かったな」

「はい」

「これからの予定は追って連絡する。今日は公爵が戻ってくるまで部屋で休んでいろ。こっちもやることがあるんだ」


 シュベルツは部屋から追い出され、再び一人になる。するとドッと疲れが押し寄せた。


 確かに馬車での移動は大変だった、乗ってるだけだったけど。揺れる道は揺れるのだ。忠告通り大人しく、問題を起こさないように休んでいよう。


 シュベルツはベッドの上で横になり、レギュラスの家族が戻ってきたらいつでも挨拶できるように備えていようと少しだけ目を閉じた。本当に少しだけ。5、6分……いいや、後10分。


 が、いつの間にか深い眠りについてしまっていたようだった。


「レギュラス様、おはようございます。御夕食の用意が出来ました。食堂まで参りましょう」


 ゆっさゆっさと揺さぶられ、シュベルツは起き上がる。


 そこには見覚えのない人物、黒い服に身を包んだ従僕が居た。彼が起こしに来てくれたようだ。


 ああ、夕飯。もうそんな時間なのか。


「おい、さっさと起きろ」

「あ、ケルヴィンさん」


 のっそりと起き上がり、ベッドから床に足を下ろす。するとケルヴィンから足蹴りを脛に喰らった。


「いて」


 なんなんだよもうー。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、起きたばかりの頭では碌な言葉が浮かんでこず、悪態を吞みこむ。


 シュベルツは以前から思っていた。ケルヴィンの態度は公爵の息子に接する態度ではないなと。


 自分も本来ならば辺鄙な村の一青年でしかないから彼の態度をどうこう言う資格はないが、それでもやっぱり公爵の息子に対する態度じゃない。どこか偉そうだし、頭もいいし、なんでも知ってるし。


 それにやっぱり偉そうだ。


 前に一度、ケルヴィンが何をしていた人かと訊ねたが答えは貰えなかった。


 それは勿論、グレンも同じで、ここに来る前は何処にいて何をしていたのかは絶対に答えてはくれなかった。だからと言って不満があるワケでもない。シュベルツにとって二人は大事な恩師だ。


 それぞれ違った意味で恐ろしいが、それでも尊敬している。


「あの夕飯って事は、その、もしかしてですけど。公爵は帰って来てるんですか?」

「勿論ですとも、皆様お帰りになられていますよ」

「え!!」


 従僕の返答に、ならば誰かが帰って来た時点で起こしてくれればよかったじゃないか。そう思ったが、公爵が夕食時まで寝かせておけと言ったらしい。


 あぁ、そうなんですか。はい。


 もう直ぐ食堂、つまりレギュラスの家族御一行との初対面。心臓がドキドキして手に汗握り始める。もともとこの体は汗っかきだが今日は一段とかいている気がする。今だけで。


(胃が、痛い)


 キリキリと胃が痛む。もう少しぐらい心の準備等が必要だというのに否応なしに次から次にと試練がおとずれる。


 家族の呼び方ってなんだっけ。


 父ロードンをお父様と呼んで。義母の名前はカレンティア。レギュラスは彼女をお義母様と呼んでいて、弟はジーク、妹はエリアス。よし、よっし、よおっし良い感じだ。


(……いや、全然よくないよ)


 シュベルツは居心地の悪さに腹を擦った。


 この扉の向こうは食堂で、ついに扉は開かれた。


 その食堂は、やっぱり縦に長い机が置かれ、何人座れるのだろうかと思う程。


 そして既に自分以外の四人が席に腰を下ろしていた。


 険しい面持な銀髪緑眼の父ロードン。派手な服装に身を包んだ化粧の濃い女性、カレンティア。母親譲りだろうピンク色の強いローズブロンドに若草色の瞳を持つ双子のジークとエリアス。


 ひえっ、なにこの双子の義兄妹。


 おもちゃ屋さんで見かけたドールのように可愛らしい外見で、シュベルツは目を見開いた。


 シュベルツは目をぱちくりとさせてジークを見れば、バチリと目が合った。その途端、ジークはまるで父親の真似をするかのように目を鋭くさせて口をギュッと結んでしまう。


 なんだろうか、今のは。首を傾げながらシュベルツは指定の席に腰を下ろした。


 さて食事だ。さっさと食べて部屋に戻ろうか。


 家の主人が母なる主に祈りを捧げ、先ずは前菜の前のアミューズから冷めきった家族団欒のディナーは始まった。


 領地の屋敷にて、師であるグレンに徹底的に叩き込まれた食事の作法。


 シュベルツは随分と慣れた手つきでフォークとナイフを扱う。


 領地キャンベルで朝昼晩、一時も休まることなくグレンは指導に熱を入れ、シュベルツもそれに一所懸命に食らいついた。疲労のせいで全く食べた気はしなかったけど。


 カチャリカチャリ、僅かなカトラリーのぶつかる音。誰一人として口の開く事のない静かな食事。


「ゴホン」


 父ロードンが咳払いを一つ零す。すると義母カレンティアがほっそりと目を細めてレギュラスを見やった。


「レギュラス。まぁ、随分と。食事の仕方が」

「え、あ、はい」

「噂は耳にしておりましてよ。随分と努力をなさっていると……」

「そうですね」

「何か心境の変化でもあったのかしら?」

「いえ、特には」

「あら、そうなの?」

「……はい」


 義母の視線や言葉のはしから伝わる刺々しさと戸惑ったような様子。シュベルツはそんな彼女に短く当たり障りのない返事を返す。


 心境の変化と言うか中身が別人なのだ、そりゃ変わるよ。


 カレンティアはレギュラスのあまりの態度の代わり様に目を見開くも、次にジークに話しかけ、最後にエリアスに会話を振り家族の会話は終了した。そして再びカトラリーのぶつかり合う音だけが響く。


 シュベルツは早々に食べ終わると席を立ち、食堂を後にする。


「ドッと、疲れました」


 食堂を出て扉がバッタリと閉まれば、シュベルツはいっきに気を緩めトボトボと歩き出す。そんな隣でケルヴィンが、「なんだその歩き方は、みすぼらしいぞ」と小言を飛ばしてはまた脛を蹴ってくる。


 こういう時に脂肪って便利だなぁ。


「部屋に戻ったらこの本を読んでおけ」

「なんの本ですか?」

「民俗学だ」

「民俗学」


 シュベルツは分厚い本を受け取り、いそいそと自室に引き籠った。とんだ降誕祭の始まりだ。ロッキングチェアに腰を掛け、本を捲る。それは遠い遠い異国の物語。全く見覚えのないミミズ文字の綴り。


「これ全部、異国語じゃないですか。ケルヴィンさん」


 つまり本の内容を全部翻訳して書き写せという課題だった。


 シュベルツは荷物から幾つかの辞書を引っ張り出し、さっそく読み解く。どうせこの部屋からは出られないんだ、これならまだキャンベルの屋敷にいた方がマシな気がする。だって屋敷の中を歩けたのだから。

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