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【四】

胡蝶


 私と同年の彼は、不世出の英雄である。武家にうまれ、武家の時代をひらいた。

 彼には、出自の複雑さがそなわっていた。先法皇が寵妃を武家に降嫁させ、彼がうまれた。その種はほかならぬ先法皇のものなのではないかという、まことしやかな噂。彼の母御というのが、あのかたの養母である。彼は、あのかたの義弟ということになる。すべての噂が真実であるなら、彼は新院の異母兄である。なんとも複雑怪奇な相関を、先法皇はつくりあげた。それはまさに、あらかじめ蒔かれていた凶事であった。


 現法皇が亡くなり、惨劇が萌芽する。尊上の家。摂関家。白の武家。そして、彼が統べる赤の武家。これらの家の親兄弟が敵味方に分かれて殺しあう、陰惨な戦が起こった。

 新院と、弟御である今上との争い。新院と今上はともにあのかたの御子であり、それは仲むつまじい御兄弟であった。万乗の位は、絆をもたやすく断った。

 彼は今上の側につき、彼の叔父とその子らと戦った。新院は弟御と彼、異腹の兄とも争わねばならなかった。新院は一日にして敗れ、嵯峨に落ちのびてこられた。

 私は新院のもとへ、馳せ参じた。新院をお慰めもうしあげるためであったが、それは私の思いあがりにすぎなかった。新院の絶望ははかりしれず、私ごときが治癒してさしあげることはできなかったのだ。新院の、あのかたのお役に立つことすらできなかった。還俗して弓を手に、新院のために戦うべきであったのだ。もう、すでに遅い。私は度しがたい無能者である……。



 ……私は山道をのぼっている。道の両側に、人外のものどもが蠢いている。椀や鍋など、長い時を経て精を得た古い器物たち。牛頭ごず馬頭めずや餓鬼といった、地獄の住人たち。

「災厄の大王が降臨された。災厄の大王が……」

 誰のものとも知れぬ声を聞きながら、上へ上へとのぼりつづける。烏天狗や鬼といった妖魔たちが、垣をつらねている。そのあいだを縫うようにしてようやく、頂上へたどりつく。

 途上で見てきた妖魔たちとは、あきらかに格がちがう。幾万の妖魔を統べる災厄の大王がそこにいた。朱金にいろどられた唐風の甲冑を纏った体躯は、見あげるほどに大きい。右と左に腕が三本づつ。右に剣・鉾・弓、左に鉞・盾・矢。六つの手に、六つの武具をたずさえる。頭の正面と左右に、三つの顔がある。正面の憤怒面。左の悲嘆面。右の慈愛面。その三面が異口同音に、聞いたことのない馴れしたしんだ声で唱える。

「コノ恨ミ、晴ラサデオクベキカ……」

 三つの面は、新院の尊顔であった。深い無念がその御魂みたまを、妖魔の王へと変成へんじょうさせてしまったのだ。あのおやさしかった新院は、わが国に災厄をもたらす魔王となられてしまった……。



 ……なんとも暗示的な、醒めたあとも鮮明にのこる夢であった。

 新院は讃岐へ流された。私も讃岐へ赴かねばなるまい。降りかかる災厄をおそれるわけではない。ただ新院の、荒ぶる御心をお慰めもうしあげるのだ。できるできないは、問題ではない。そうしなければならぬ理由が、私にあるだけだ。




夢遊


 ……私は故郷へもどった。これが旅の終着ではない。私の命数は、まだ尽きてはいない。旅の目的は、ここではないのだ。ここは、旅の通過点でしかない。

 ここは蝉吟さまとの思い出があふれていて、それが取りもどせぬことを知っている。追憶の海に私は沈み、現実から遊離する。喪われた世界が私をとどめつづけてくれるのならよいが、現実は無慈悲でありつづける。絶望がのこされる。幻想に生きつづけられるのなら、どんなにか……。


 蝉吟さまが私の名を呼ぶたび、私の魂は打ちふるえた。蝉吟さまの名を唱えるたび、私の体はここちよい痺れに冒された。

 私を詩道に導いてくれたのが、蝉吟さまだ。蝉吟さまを知るまでの私は、空虚であった。自我を持たぬ殻にすぎなかった。私の自我は、詩との邂逅……蝉吟さまとのであいによって萌芽し、確立された。

 蝉吟さまが夭折され、私はひとりのこされた。蝉吟さまこそが、私にとって安住の「場所」であった。それが喪われたから私は、ここを故郷と呼ぶことにしたのだ。



 ……生きとし生けるものはすべて、うまれたそのときから死へ向かって生きつづけている……。

 死期は確実に、私に近づいてきている。病苦の顕現に、私の期待はふくらむ。死こそが、私にとっての「場所」なのではないか……死が幻想を、確たる現実に移してくれるのではないかという希望。

 死者の国。私はようやく、そこへたどりつける。喪われたすべてのものが、私に回帰するのか。あるいは絶対の虚無に終着するのか。どちらにせよ、私にとってはあたたかいもののように思えている。

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