【二】
胡蝶
私は剃髪し、洗礼を受けた。真の信仰のために、ちがう信心を擬態する。洗礼名は「死出の旅」とした。俗世を棄てて死ぬまで孤意の巡礼をつづける決意を、ここに表明した。
私とともに洗礼を受けた者がある。彼も武官で「死に棲まう」と、私のそれと似たような洗礼名にしていた。彼も、私と存在を別にする「私」であるにちがいない。たがいに干渉するようなこともなかったから、たしかめようもない。私と彼は別々の途から来て、たまたまここが交点となった。そしてまた、別々の途をゆくだけのことである。それ以上の感傷はない。
私は、嵯峨に庵を結んだ。院の寵を喪われたあのかたが、この近くに住まわれるようになったからだ。あのかたの請願によって建立された寺に。
ただ、おそばにありたい……私の勤行は、いまのところはそれに尽きる。
ひとつの悲恋物語が、私の心を縛りつけている。
いまはむかし。宮廷に仕える身分の卑しい男があって、后に恋心をいだいてしまった。偶然にも風で吹きあげられた御簾の向こうに、芹をめしあがる后を覗いてしまったときから。恋に憑かれた男はそれから毎日、芹を摘んで御簾の傍らに置くようになった。ただ、后をよろこばせたい……そのようにして何年も経たが、その恋がとどくはずもなかった。やがて、病にたおれる。枕もとにおのれの娘を呼んで、みづからの恋を告白する。「芹を摘んでほしい」と遺言して、男は絶命した。恋の病に罹り、男は死んだ。せめて后の好物を供えてもらうことで、実らなかった恋を慰めようとしたのだろう。
娘は父の遺言を守り、芹を摘んで仏前に供えた。来る日も来る日も。やがて娘は、后に仕えることになる。そこで、父のはなしを后にする。后は毎日のように置かれた芹を思いだされて、その真実を知った。后は死んだ男をあわれみ、娘は眼をかけられるようになった……。
実ることのない恋に殉じることを、私はえらんだ。芹摘みの男のように私も、恋に斃れるだろう。恋の熱にうなされて死ぬのは、本望である。
あのかたが洗礼を受けられたのはもちろん、私を追ってのことではあるまい。だが、私とあのかたとのあいだに重要なつながりがうまれ……なにか共犯者めいた意識が芽ばえたことを、私は純粋によろこんだ。あのかたへの信仰をつらぬくための仮の信仰であったはずのそれは、もはやかりそめではない。あのかたがすがる信仰であるなら、私の帰依は真実のものとなる。仏陀も菩薩も護法神も、あのかたの周辺にあるものとして敬するのみであるが。
夢遊
箱根まで、曾良を道づれとした。そこから私は、ひとりになる。
曾良とはずいぶんと長い道中をともにしてきたが、これが今生の別れになるだろう。
私たちは黙して別れた。どうやら彼も、悟っているらしい。私の命数を。もう、あえぬことを。私は涙を噛みころした。彼もそうしていることがつたわってくる。現世であえなくとも、来世でふたたびまみえるだろう。私たちには前世からのつながりがあって、こうして現世であうことができた。いまのこの哀しみなど、来世から俯瞰すれば矮小なものにすぎない。だから、別離の言葉は交わさない。
私にとって文学とは、私の存在そのものである。文学のために私は存在し、漂泊するために文学を行使する。そして漂泊は、文学の深化をうながす。
文学とは、虚構でなければならない。眼に見えぬものを詩に転換し、かたちをあたえる。けれど、そこに作意があってはならない。虚構性と作意の否定は、矛盾しているように見える。多くの離反者をうんだ。
飾らぬ修辞のなかに、どれだけの「重み」を持たせられるのか。それこそが「軽み」の概念である。修辞に固執して、本質を見おとしてはならないのだ。私はあえて、修辞と技巧を否定する。詩を練りたいという衝動を遠ざけてこそ、詩は詩としての覚醒を獲得する。若き日の霊感と老成の大悟を撹拌して、私の文学は確立される。
誰ひとり、私を理解しない。ひとりの信者もない神、私は孤独である。