第六十九話・異界と竜の逆ハーもの
「で……話っつーのは何だ」
「わざわざ、我々三人だけを集めて。如何なる風の吹き回しなのデショウ?」
決意の日の翌々日。唯華は皆に頼んで、三人にいつもの部屋へと集まってもらっていた。唯華の不透明な意図に対し、彼らは銘々に疑問符を浮かべている。
己の姿に集中している三つの目線に、彼女は少し身を竦ませてしまう。今から話そうとしている事も相まって、ますます怯えを募らせる。唯華はぶんぶんと大きく頭を振ってそれを追い払うと、軽く自身の両頬を叩いて喝を入れた。
「色々、考えたんです。ここ最近になって漸く、あれやこれが落ち着きましたから」
自分にはあまり相応しくない、長ったらしい前置きばかりが口から飛び出していく。徒に話を長引かせるのは、精神衛生上得策とは言えない。彼女は努めてそれを抑制し、話題を次へ次へと進めようとする。
「わたし、皆さんにはとても感謝しています。これ以上無く、伝え切れない程に。
最初にわたしの命を繋いでくれた事や、ずっとわたしを保護し続けてくれた事。それから、わたしに善意で接してくれた事……何もかもが嬉しかったんです」
口を噤み、神妙に次ぐ言葉を待つ三人の顔を見渡しながら、唯華は何度も瞬きをする。緊張がどんどんと膨れ上がるが、もう止める事は出来ない。そうするつもりも、最早無かったが。
だから、と彼女は続ける。
「わたし、あなた達の事が好きになりました。大好きになっちゃいました。……今までも散々そう言って来た気がしますけど、今回のはlikeではなくloveです」
「……は?」
沈黙を破り、そんな間抜けな声を漏らしたのは、ぽかんとした表情を浮かべる白矢であった。他の二人も、声は上げないまでも唖然として唯華を眺めている。
一層強まる視線と興味に、恥じ入りたくなる気持ちをかなぐり捨てつつ、彼女は誰かが二の句を継ぐより早く椅子を立った。そして、ややぎくしゃくとした足取りで、先ほど声を発した白矢の元に歩み寄る。
「白矢さん」
「……あっ、な、ななな、なんじゃらほいっ!?」
「わたし、最初はあなたの事、何だか怖い人だな、って思ってたんですよ」
事前に考えておいた文章に、時折アドリブを入れながら、彼女は滔々と語り始めた。誰かが口を挟む隙も与えず、表情を引き攣らせている白矢と真っ向から視線を合わせる。何かが吹っ切れた様に、もう恐れは湧かなかった。
「何だかいっつも怒っているように見えたし、背も高いから余計恐ろしく思えて。でも、暫く接してみて、それは見た目だけなんだ、って分かったんです。
本当のあなたはとても優しいエルフです。何だかんだと憎まれ口を叩いても、結局は他を慮る言行をするのですから。
それにね、白矢さん。いつしか“御柱”や“禍神”の事を訊いた時、わたしを信用して話してくれたのが嬉しかったのです。わたしがあなたを信じていると、わたしを信じてくれた事が」
他にも色々伝えたい事は有ったが、際限なく続いてしまいそうだったので、ほどほどの所で切る。そうして短く息継ぎをし、白矢の手を取りながら、一旦締めくくる言葉を始めた。
「だから、その……不器用だけど真摯で、わたしを信頼してくれたあなたの事が、友情だけじゃなく、好きです。……これが、わたしの答です、白矢さん」
答、という単語に、白矢は漸く正気付いたように目を瞬かせた。少しの間を置き、唯華の言葉の意味を理解した彼は一気に顔を真っ赤にさせる。
「そっ、それはっ、つ、つまりっ……」
「……ユイカサン、まさか、それを示す為だけに我々を呼んだのデスか?」
白矢の台詞を遮るように、感情を押し殺したようなムゥの声が背後から響いた。それに応じて振り返ると、努めて無表情を保っているものの眉間にもの凄い皺を刻んでいるムゥと、まさにこの世の終わりを目の当たりにしているような絶望感を漂わせるテナの姿が捉えられた。
二人の尋常ではないオーラに唯華は焦りそうになるが、その憔悴を飲み込み平静さを維持する。
「いいえ、違います。それだけでは無いですよ」
ムゥの言葉をきっぱりと否定しつつ、彼女は次に見ているこっちまで悲しくなってくるような顔で唖然としているテナの方へ歩み寄る。軽く肩を揺すり、反応が有る事を確かめながら、彼女はこう言った。
「とにかく、最後まで話を聞いてくださいますか? クレームは、その後で受け付けますので」
「……フム。了承いたしマシタ」
確固とした芯を伴っている唯華の態度を見てか、ムゥは何も問わずに頷いた。眉間の皺は相変わらず深いが、彼女は気にしないようにして話の続きを始める。次の対象は、さっきから言葉を失って硬直しているテナだ。
「テナさん、聞いてますか?」
「懐かしい声が、聞こえる……そうだ、オレは還るんだ……」
「ねぇ、ちょっと、テナさん、しっかりしてください! わたしの声の方を聞いてくださいな」
「──はっ!! あ、ああ、聞いている、ぞ……」
何だか聞いてはならないタイプの声を聞いてしまっていた様だが、唯華が強めに揺さぶりながら声量を上げると、テナの意識は現実に帰って来た。そうした所で、丸く見開かれている澄んだ赤の瞳を見つめながら語り出した。
「……もしかしたら、あなたには最初から一目惚れしていたのかもしれません。ただ、これまでそれに気付く事が出来なかっただけで」
テナは口を挟む事もせず、黙って唯華の話に聞き入る。真っ直ぐな視線が突き刺さって痛いような錯覚がしてきたが、彼女は気にしないようにしながら言葉を紡ぎ続けた。
「いつもわたしの事を一番に考えてくれてて、凄く頼もしかったんです。自分以外に自分を大事にしてくれる人が居るって、とっても心強い事なんだ、って今更分かったりして。
きっとテナさんが居なければ、居なくなってしまっていたら……わたしは塞ぎ込んでしまって、壊れちゃってたと思います。わたしの側に居てくれて、本当にありがとうございます。
わたしは幸せ者です。テナさんみたいな良い人と巡り会えたのですから」
歯が浮いて踊り出すような、何とも気障な台詞を、唯華は何かの呵責から目を背けながらつらつらと並べ立てる。しながら、そっとテナの前髪に指先で触れた。
「だから……わたしの家族でいてくれたあなたの事が、わたしの絶対の味方でいてくれるあなたの事が……好きです」
言い切って、そして相手の反応を窺う。すると、テナが目を皿のようにしたまま硬直して、じっと唯華の顔を見つめているのが捉えられた。彼は暫しの間そうした後、思い出したように目を瞬かさせる。
「……それは、本当か? 本音か? 真実なのか?」
「ええ、本心ですとも」
頷きと共に肯定で以て答えると、テナはやっと無表情だった顔を変化させた。だが、そこから相手の考えを読み取ろうとした瞬間、唯華はいきなりテナに腕を引っ張られ、バランスを崩してしまった。
「きゃっ……」
「嬉しい!」
不安定になった体勢のまま、唯華の身体はテナの方へと倒れさせられ、そのまま強く抱き締められる。同時に発せられた、初めて聞く彼の人並みに明朗な声も相まって、唯華は驚きのあまり思考を停止させてしまった。
「えっ、あのあの、ちょっと……?」
「その好意、オレは嬉しい。オレも、ユイカが大好きだ……いくらでも、大事にする。いつまでも、側に居る」
これには流石の唯華も狼狽えてしまった。数秒程かけてどうにか思考回路を再起動させると、彼女は困惑に満ちた声を上げる。
「わ、分かりましたっ。あなたの気持ちは受け取りましたから、とりあえず放してくださいな。動けません」
「……そうか」
何処か名残惜しそうにしながら、テナは唯華を解放した。動けるようになった唯華は、彼の言葉に何か返そうと体勢を立て直しながら頭を働かせたが、気の聞いた台詞が思い浮かばなかった。なので、少し微笑んでみせるのみに留める。すると、相手も明確な喜色を浮かべた。
それを認めた唯華は、今度はムゥの方へと向き直る。そしてコホンと小さく咳払いをした後、間抜けに目を開いたままきょとんとしている彼に声を掛け始めた。
「それで、最後に、ムゥさん」
「……ハイ」
「そうですね……最初は、何とも胡散臭い人だな、って思ってました。本音が読めないし、底も知れないしで」
彼に近づき、白目の無い瞳を覗き込めば、唯華自身の姿が映っているのを捉える事が出来る。そんな菫色の眼球には、深い当惑と僅かばかりの期待の色が混じっているように見えた。
「真意が全然分からなくって、白矢さんとは別の意味で怖いな、苦手だな、って。事実、あなたの秘めていた憎悪は恐ろしいものでしたし。
でも、本当に嫌いなだけなら、いくらでもわたしを貶めるチャンスは有った筈です。憎いだけなら、少なくないお金を出してまでわたしを保護する必要は無かった筈なんです。
悪意を持ちながらも、あなたは疑いようもなくわたしを助けてくれました。矛盾に苦しみながらも、あなたは間違いなくわたしを愛してくれました。わたしはその善意を信じて、応えようと思います」
ふぅ、という吐息と共に、一旦言葉を切る。ここまでで結構な量の台詞を発した所為か、口の中が大分乾いてしまった。一度にこんなに沢山喋ったのは、本当に何時ぶりだろう。
「ムゥさん、わたしはあなたの事が好きです。悩めるあなたも、怒れるあなたも、全部ひっくるめて」
そうして一通り言い終えた唯華は、三人分の視線を背に受けながら、自らの席へと戻って行った。座り慣れた椅子に腰掛け、やや小さめな声で呟くように言う。
「……これが、わたしの本当の気持ちです。言いたい事、言おうと思っていた事は、全部伝え終えました。後はもう、煮るなり焼くなりご自由に」
最後の方は、何だか投げやりっぽい言い方になってしまった。顔をやや俯かせながら、黙って相手の反応を待つ。
暫く経っても中々応答が無くて、自ずと顔色が辛気臭くなってゆく。何か言うべきなのだろうか、それとももう少し待つべきだろうか、と思索を巡らせ惑っていると、漸く声が上がった。如何にも重々しげなそれは、白矢の物だ。
「堂々と三股宣言か……?」
顔を上げて彼の方を見ると、眉間に深く皺を寄せているその表情が目に入った。やはりあまり良い顔はされなかったか、と唯華は少し考えた後黙って頷く。だが、サングラス越しの視線の方はそこまで険しくはならなかった。
「あー、何つーか、だな……こういう時、どういう顔すりゃ良いのか分からねーんだわ。普通に考えりゃ、憤慨するとかが正しい応対なのかも知れんが……」
上手く自分の心境を言い表す言葉が見つからないようで、白矢の声は段々と小さくなり、そのまま聞こえなくなってしまった。力無く項垂れているエルフ特有の耳が、彼の心境を雄弁に物語っている。
そうしてボリュームダウンした声量のまま黙り込んでしまった白矢の代わりに、今度はテナが口を開いた。
「……ユイカなら、こう言うかもしれない、と……予想は、していた。ユイカは、善人……そして、常規を逸している、から」
その声は、驚きや憤りの色も混じっていない、静かに自身の考えを表すだけの物であった。唯華に安堵を齎す常並の声音は、穏やかに言葉を紡ぐ。
「……オレは……それでも、嬉しい。それも、間違いなく……ユイカの想い、だから……」
随分と好意的なテナの反応に、唯華は逆に戸惑った。最悪、異口同音に罵倒されるという事態も覚悟していたというのに。軽く気を動転させながらぱちくりと瞠目する彼女に、今度はムゥが声を上げ始めた。
「ま、ベターだとは思いマス。どう足掻いたって、ユイカサンは一人しか居ないのデスし」
彼は肩を竦めて、僅かばかりの諦念が混じった顔で笑みを浮かべる。これまた予想以上に色よい態度だ。
「確かに臼木の法律は一夫一妻制デスが、ユイカサンは臼木どころか、この世界のニンゲンですらありマセンしねぇ。問題は無いかと」
「問題無い、って、なぁ……」
白矢はサングラスを上へずらしながら、片手で顔の大半を覆って溜め息を吐いた。背を丸めて逡巡を続けながら、彼は低い声でぶつぶつと唱えるように呟く。
「……まぁ、怒りは湧かねーんだよな。ただ常識の呵責が有るだけで……ああ、つか、この際常識的に考えてたって仕方ねーよな。あんたの感覚はまともに見えて、大分ズレてるし」
そんなにズレているだろうか、と少し考えて、ああ確かにズレているな、と納得する。普通の感覚だったら、こんな答を出す事はまず無かっただろうし。
サングラスを元に戻しながら、白矢は言葉を探すように指先で中空を掻き回す。いつの間にか耳は普段の位置に戻っていた。
「あー、だから、だな……僕は……そう、僕はあんたの答を受け取った。で、だな……そ、その……うん、何か、もう、アレだな、うん。良いんじゃねーの?」
しっくりくる言葉は結局見つからなかったらしく、曖昧な単語を並べ立てた後に半ば投げやり風味の声が発せられる。いつの間にか顔がほんのりと赤くなっていた白矢は、それきり意味の有る言葉を発する事を止めてしまった。
そんな彼から注目を外し、唯華は再び三人の顔を順番に窺う。悪感情は何処にも見当たらず、ただ彼女が次に紡ぐ言葉を待ち望む空気だけが漂っていた。
「え、あの……本当ですか? 本当に良いんですか?」
「臼木の諺には、『男に二言は無い』というものが有りマスしね。今更覆したりはしマセンよ」
「……わたし、もっと詰られると思ってたのですけど」
「ンな事したって意味ねーだろ。詰られてぇ、ってんなら話は別だが」
「そ、そんな願望は有りませんよ。だけど、あまりにも拍子抜けで……」
張り合いが抜けるのと共に肩の力を抜きながら、唯華は見開きっぱなしで乾いてしまった目を閉じた。この告白に踏み切るのにあんなに気力を振り絞ったのに、何だか盛大に空振りしてしまった様な気分だ。
だけれど、覚悟を上から殴り潰すような返答をされるのよりはずっと良い結果だ。やや腑抜けたように破顔し、彼女は完全に脱力する。
「あぁ……でも、良かったです。皆さんに無事打ち明けられて、受け入れて貰えて……」
と、そう言った所で、告白の文言を考えるのとと決意を固めるのに必死で、その後どうするかまで全く思案が及んでいなかった事に気付く。その空白を何かで埋めようとして、彼女はわたわたと周囲を見回した。
どんな言葉で続けるべきか、それとも他の行動に移した方が良いのか──手持ち無沙汰に中空を彷徨う手で、唯華は自身の頭を抱える。そんな彼女の有様に、見兼ねたらしいムゥが声をかけた。
「どうかされたのデスか? 何か問題でも?」
「あ、いえ、何でもないんです。ただ、ちょっと、その……そ、そうだっ」
やっと正体を取り戻した唯華は、何とか気持ちを落ち着けつつ立ち上がった。両頬をぺちぺちと叩いて自身の正気を確かなものとしつつ、彼女はこう告げる。
「お茶でも如何ですか? ほら、最近空気も乾燥してますし、喉が乾いたでしょう?」
飲み物を用意するのもすっかり忘れていた事に思い至って、彼女はそう提案した。実際、自分も沢山喋ったのと緊張で喉がカラカラだったし、温かいミルクティーが飲みたいと思っていたのだ。
そんな彼女の提言に、白矢が大きく溜め息を吐き、そして咽せて咳をした。どうやら呼吸の加減を間違えてしまったらしく、彼は何度も咳き込む。その間に、ムゥが咳払いをしながらこう返した。
「良いデスね、頂きマショウ。……全く、何を言い出すかと思えば」
「やっと、いつもの……ユイカに、戻ったか」
気持ち顔の筋肉を緩ませたテナが、ぽつりと小声で呟く。その声の内容に唯華が疑問符を浮かべると、細くするように彼はこう述べた。
「……最近の、ユイカは……いつも、考え込んでいた、からな。成る程……おまえは、この事を……考えていた、のだな」
「そんなに顔に出ていましたか?」
「ゲホッ、ゴホッ……あー、あんたは、何を考えてるかは斜め上行ってて分かりづれーが、何か考えてるってのはすぐ出るからな」
咽せから復活した白矢が、そんな評価を口にする。そう言われれば確かに、最近は思案に耽っていたし、深刻そうな表情に見えたのかもしれない。
「まぁ、今日からは普通なわたしをよろしくお願いしますね。じゃ、ちょっと台所に行くので……テナさん、手を貸してくださいな」
「……了解」
いつもの様にテナに協力を要請し、彼が立ち上がるのを認めながら、唯華は歩き出す。その足取りは、とても軽快だった。




