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国民党中央執行委員会第十一回全体会議と第三期国民参政会①第二回会議を評す (一九四三年十月五日)

 これは、毛沢東同志が延安の『解放日報』にかわって書いた社説である。



 九月六日から十三日まで、国民党は中央執行委員会第十一回全体会議をひらき、九月十八日から二十七日まで、国民党政府は第三期国民参政会第二回会議をひらいた。二つの会議のすべての資料が手もとにそろったので、総括的な論評をくわえることができる。

 国際情勢はすでに一大変化の前夜にあり、いま、どちらの側もこの変化を感じとっている。ヨーロッパの枢軸国がこの変化を感じとり、ヒトラーは最後のあがきの政策をとっている。この変化は主としてソ連がもたらしたものである。ソ連はいまこの変化を利用しつつある。すなわち赤軍は、すでに破竹の勢いでドニエプル川まで進出しており、もう一度冬季攻勢にでれば、新しい国境までは進出できないにしても、ふるい国境まで進出することはできるだろう。イギリス・アメリカもまたこの変化を利用しつつある。すなわちルーズベルト、チャーチルは、ヒトラーのまさに倒れようとする時をねらってフランスに打ってでようとしている。要するに、ドイツ・ファシストの戦争機構はまもなく瓦解するだろうし、ヨーロッパにおける反ファシズム戦争の問題はすでに全面的解決の前夜にあり、そしてファシズムを消滅する主力軍はソ連なのである。世界の反ファシズム戦争の問題の鍵はヨーロッパにあるから、ヨーロッパ問題が解決すれば世界におけるファシズムと反ファシズムの二大陣営の運命も決定される。日本帝国主義者は、すでに袋小路に追いこまれたことを感じとっており、全力を集中して最後のあがきを準備するという政策をとるほかなくなっている。かれらは中国において、共産党にたいしては「掃討」をおこない、国民党にたいしては投降への誘いをかけているのである。

 国民党もまたこの変化を感じとっている。かれらは、この情勢をまえにして、喜んでもいるし、恐れてもいる。喜んでいるのは、ヨーロッパのほうが解決すれば、イギリス、アメリカは手があいて自分らのために日本をたたいてくれるし、自分は骨をおらずに南京ナンチンにもどれるとおもっているからである。恐れているのは、三つのファシスト国家がいっしょに崩壊すれば、世界は人類史上かつてなかった偉大な解放の時代にはいり、国民党の買弁的、封建的、ファッショ的専制政治が、世界の自由と民主主義の洋々たる大海のなかの小さな一孤島になるからである。かれらは自分たちの「一つの党、一つの主義、一人の指導者」というファシズムに覆没ふくばつの災いがふりかかるのをおそれているのである。

 もともと、国民党の腹はこうであった。つまり、ソ連には独力でヒトラーに体あたりさせるとともに、日本侵略者を挑発ちょうはつしてソ連を攻撃させ、この社会主義国家がつぶれるか、めちゃめちゃになるようにしむける、一方、イギリス、アメリカには、ヨーロッパで第二、第三戦線とやらを設けずに、全兵力を東方に移し、まず日本をうち倒し、さらに、中国共産党を消滅するようにしむけ、そしてほかのことはあとの話にする、ということであった。国民党は、はじめは「まずアジア、それからヨーロッパ」を、のちには「ヨーロッパ、アジア均等」をさわぎたてたが、それはこのようなやましい目的があったからである。ことし八月のケベック会議の終わりごろに、ルーズベルトとチャーチルが国民党政府の外交部長宋子文ソンツーウェンをよびつけて、二言、三言いうと、国民党はまたしても、「ルーズベルトとチャーチルの目は東方に移った。まずヨーロッパ、それからアジアという計画は変わった」とか、「ケベック会議はイギリス、アメリカ、中国の三大国会議であった」といったことをさわぎたて、ひとしきり自画自賛して喜んだ。しかし、これが国民党の喜びおさめであった。このとき以後、かれらの気分にはいくらか変化がおき、「まずアジア、それからヨーロッパ」とか、「ヨーロッパ、アジア均等」とかは歴史博物館入りとなり、かれらはどうやらべつの腹をきめようとしているようである。国民党の十一中全会と国民党のあやつる今回の参政会が、このべつの腹づもりの起点であるらしい。

 国民党十一中全会は、共産党を「抗戦を破壊し、国家を危うくする」ものと中傷すると同時に、また「政治的に解決する」、「憲政を実施するつもりである」と公言した。第三期国民参政会第二回会議は、大多数をしめている国民党員に牛耳られて、十一中全会とほぼ同様の対共産党決議を採択した。十一中全会は、そのほかに、蒋介石チャンチェシーを国民党政府の主席として「選挙」し、専制機構を強化した。

 十一中全会ののち、国民党はどのような腹づもりをしているだろうか。それはつぎの三つにほかならない。(一)日本帝国主義に投降すること、(二)いままでどおり、ずるずるひきのばすこと、(三)政治方針をきりかえること。

 国民党内の敗北主義者と投降主義者は、日本帝国主義の「共産党はたたき、国民党はだきこむ」という要求にあわせて、これまでずっと投降を主張してきた。かれらはたえず反共的内戦を画策してきたが、いったん内戦がおこれば、おのずと抗日ができなくなり、投降の道をあゆむほかなくなるのである。国民党は西北地方に四十万から五十万の大軍を集結したが、いまもなお他の戦場からひそかに軍隊を西北地方に集結しつつある。将軍たちはたいした度胸で、「延安を攻めおとすのは問題にならない問題だ」といっているそうである。これは、かれらが国民党十一中全会で、いわゆる共産党問題は「政治問題であり、政治的方法によって解決すべきである」という蒋介石氏の演説をきき、十一中全会が蒋介石のいったのとだいたいおなじことを決議したのちに、口にしていることばである。昨年の国民党十中全会もこれとおなじ決議をしたが、その墨もかわかぬうちに、もう将軍たちは命令をうけて辺区消滅の軍事計画を作成し、ことしの六、七月の二ヵ月間軍隊をうごかして、辺区にたいする電撃作戦をおこなおうとした。この陰謀が一時たなあげされたのは、ただ内外の世論の反対があったからにすぎない。現在、十一中全会決議の墨が白紙のうえにぬりたくられたばかりなのに、またもや、将軍たちの豪語と兵力の移動にお目にかかることになった。「延安を改めおとすのは問題にならない問題だ」、これはなにを意味するか。つまり日本帝国主義への投降を決定したということである。「延安を攻める」ことに賛成する国民党員のすべてが、意識的に投降の腹をきめている投降主義者だとはかぎらない。かれらのなかには、われわれは一方では反共するが、他方ではやはり抗日するのだ、と考えている者もいるかもしれない。黄埔ホヮンプー系の軍人〔1〕の多くはおそらくそう考えているだろう。だが、われわれ共産党は、そういう先生方にいくつかの問題をだしたい。諸君はもう十年の内戦の経験を忘れたのか。いったん内戦がおこれば、腹をきめている投降主義者どもが、諸君にこれ以上抗日することを許すだろうか。日本人と汪精衛ワンチンウェイが、諸君にこれ以上抗日することを許すだろうか。諸君自身は、対内対外の両面作戦をやれる腕前を、いったいどれだけもっているのか。諸君は現在三百万の兵力があると称しているが、実際にはすでに、士気が阻喪そそうしきっており、ぶつかるとすぐこわれてしまう卵の山にたとえられてもいる。中条山チョンティァオシャン戦役といい、太行山タイハンシャン戦役といい、浙[章+”ふゆがまえ”の下に”貢”チョーカン戦役といい、湖北フーペイ省西部戦役といい、大別山ターピエシャン戦役といい②、一つとしてそうでないものはなかった。その理由は、諸君が「反共に積極的」、「抗日に消極的」だという二つの命取りの政策を実行してきたことにある。民族の敵が国土ふかく侵入してきているとき、反共に積極的になり、抗日に消極的になればなるほど、諸君の士気はますます阻喪する。諸君は外敵にたいしてさえそうなのに、共産党にたいし、人民にたいしては急にすごみをきかせられるだろうか。きかせれれはしない。諸君がひとたび内戦をはじめれば、内戦に没頭するほかなく、「他方では抗戦」などはかならず雲散霧消するだろう。その結果は、かならず日本帝国主義者と無条件降伏の条約を結ぶことになり、ただ一つ「降」という方針をとるほかないだろう。国民党内の、ほんとうに投降することをのぞまない人びとも、もし積極的に内戦をひきおこすか、それに参加すれば、みな不可避的に投降主義者に変わってしまうのである。もし、投降派の策動をまにうけ、国民党十一中全会の決議と参政会の決議を世論の動員と反共内戦準備のための道具にするならば、かならずそこまでおちこんでしまう。たとえ、自分ではもともと投降をのぞんでいないとしても、投降派の策動をまにうけ、措置をあやまるならば、その結果は、投降派にしたがって投降するほかないだろう。これが十一中全会後の国民党の第一の可能な方向であり、その危険性はきわめて大きい。投降派からみれば、「政治的に解決する」、「憲政を実施するつもりである」というのは、まさに内戦準備、つまり投降準備の最良の目つぶし法である。すべての共産党員、愛国的な国民党員、抗日諸政党、およびあらゆる抗日同胞は、目をみひらいて、このきわめて重大な時局を注視すべきであり、投降派の目つぶし法によって頭を混乱させられてはならない。まさに国民党十一中全会ののちに内戦の危機が空前につのっているのだ、ということを知らなければならない。

 国民党十一中全会と参政会の決議は、もう一つの方向、すなわち「一時ひきのばして、将来戦う」という方向に発展することもありうる。この方向は投降派の方向と多少のちがいがある。これは、表面的には抗日の局面を維持しながらも、反共と専制をぜったいに放棄しようとしない人たちの方向である。これらの人たちがそうした方向をとる可能性があるのは、かれらが、国際的大変化は不可避であること、日本帝国主義はかならず敗北すること、内戦はすなわち投降であること、国内の人心は抗日を支持し内戦に反対していること、国民党は大衆からはなれ、人心をうしない、これまでにない孤立した地位におかれるという重大な危機にみまわれていること、アメリカ、イギリス、ソ連は一致して中国政府の内戦発動に反対していることなどを見てとっているからである。そのため、やむなく内戦の陰謀をおくらせ、「政治的に解決する」、「憲政を実施するつもりである」といった空談義をひきのばしの道具にしているのである。これらの人たちはかぬてから「だまし」たり「ひきのばし」たりするのがうまい。これらの人たちは、「延安を攻めおとし」、「共産党を消滅し」ようということを夢にも忘れない。この点では、かれらは投降派とすこしもちがわない。ただちがうのは、かれらが、ひきつづき抗日の看板をかかげ、国民党の国際的地位をうしなうまいと考え、ときにはまた国際、国内の世論の指摘に気がねしていること、したがって一時ひきのばし、「政治的に解決する」、「憲政を実施するつもりである」とかをひきのばしのかくれみのにして、将来の有利な条件をまつこともあるという点である。かれらには、真の「政治的に解決し」、「憲政を実施する」誠意はない、すくなくともいまのところそのような誠意などぜったいにない。昨年の国民党十中全会の前後、共産党中央は林彪リンピァオ同志を、蒋介石氏と会見させるために重慶チョンチンに派遣した。林彪同志は重慶で十ヵ月もまったが、蒋氏と国民党中央は具体的問題を何一つ話しあおうとしなかった。ことしの三月、蒋氏は『中国の運命』という本をおおやけにして、共産主義反対、自由主義反対を強調し、十年の内戦の責任を共産党におしつけ、共産党、八路軍、新四軍を「新式軍閥」、「新式割拠」と中傷し、二年以内にかならず共産党をかたづけることをほのめかした。ことしの六月二十八日、蒋氏は周恩来チョウエンライ、林彪らの同志が延安に帰るのを許したが、まさにこのとき、かれは、黄河ホヮンホー防衛の兵力をうごかして、辺区にむけ前進させよという命令をくだし、コミンテルンの解散を機会に「民衆団体」の名で中国共産党の解散を要求するよう全国各地に指令した。このような状況のもとでは、われわれ共産党は、国民党および全国の人民に内戦の阻止をよびかけざるをえないし、抗戦を破壊し国家を危うくする国民党のさまざまな陰謀の内幕を暴露せざるをえない。われわれの忍耐もすでに限界にたっしていることは、歴史の事実が証明するところである。武漢ウーハンをうしなっていらい、華北、華中では共産党に反対する大小の戦闘がとだえたことはない。太平洋戦争は勃発してからすでに二年になるが、国民党も華中、華北で共産党攻撃を二年間つづけており、もとからの国民党の軍隊のほか、さらに王仲廉ワンチョンリェン李仙洲リーシェンチョウの二つの集団軍を江蘇チァンスー省、山東シャントン省に派遣して、共産党を攻撃させている。太行山の[”广”の中に”龍”]炳勲パンピンシュィン集団軍は命令をうけてもっぱら反共をおこない、安徽アンホイ省、湖北省の国民党軍も命令をうけて反共をおこなっている。これらすべてについて、われわれはこれまで長いあいだ、その事実さえ公表しなかった。国民党の大小のあらゆる新聞雑誌は片時も共産党罵倒ばとうをやめたことはなかったが、われわれは長いあいだ、それに一言もことばをかえしていない。国民党は、英雄的に抗日をおこなった新四軍をなんの理由もなしに解散させ、安徽省南部にいた新四軍の部隊九千余人を殲滅せんめつし、葉挺イエティンをとらえ、項英シァンイン③を殺し、新四軍の幹部数百人を牢獄につないだ。これは人民を裏切り民族を裏切る極悪非道の罪悪行為であるが、それでも、われわれは国民党にたいして抗議をおこない善後処理の条件をだしたほかは、これまでどおり国のためにたえしのんだ。陝西シャンシー甘粛カンスー寧夏ニンシァ辺区については、一九三七年の六、七月、共産党代表周恩来同志が蒋介石氏と廬山ルーシャンで会見したとき、蒋氏は、これを国民政府行政院の直轄行政区域とする命令をだし、そこの官吏を任命するということを承諾したが、蒋氏は、前言をひるがえして恥じないばかりでなく、四、五十万の軍隊を派遣して辺区を包囲し、軍事封鎖と経済封鎖をおこない、是が非でも辺区人民と八路軍の後方留守機関を死地に追いやらなければ気がすまないのである。八路軍にたいする補給をたち、共産党を「奸党かんとう」、新四軍を「叛軍はんぐん」、八路軍を「奸軍」とよんでいるなどの事実は、なおさらよく知られている。要するに、こんなことをしでかす国民党は、共産党を敵あつかいしているのである。国民党からみれば、共産党は日本帝国主義者より十倍も百倍もにくいのである。国民党は最大の憎しみを共産党に集中しており、日本帝国主義者にたいしては、まだ憎しみがのこっているとしても、ほんのわずかにすぎない。これは、日本ファシストが国民党と共産党にたいしてそれぞれちがった態度をとっていることと一致している。日本ファシストは最大の憎しみを中国共産党に集中しているが、国民党にたいしては日一日と態度がおだやかになってきており、いまでは「共産党反対」、「国民党消滅」という二つのスローガンのうち、「共産党反対」だけをのこしている。日本および汪精衛のすべての新聞雑誌は、もはや「国民党打倒」や「蒋介石覆滅」といったスローガンをもちださなくなった。日本は、在華兵力の五八パーセントをもって共産党にあたっており、国民党の監視には四二パーセントをあてているにすぎない。最近また、投降への誘いをかけやすくするため、漸江省、湖北省から多くの軍隊を撤退させ、監視兵力を減らした。日本帝国主義は共産党にたいしては、一言半句も投降への誘いをかける勇気はないが、国民党にたいしては、あえてながながと書き、くどくどとのべたてて、しきりに帰順をすすめている。国民党は、共産党と人民のまえでは、まだひとかどのすごみをきかせているが、日本のまえでは、みじんもすごむことができなくなった。行動のうえでとっくに抗戦から観戦に変わっているだけでなく、言論のうえでも日本帝国主義の投降への誘いかけやさまざまの侮辱にたいし、多少ともするどい反ばくを一つ二つくわえる勇気さえなくなっている。日本人は、「蒋介石の著わした『中国の運命』がのべている方向にはまちがいはない」といっている。蒋氏やその党員は、このことばにたいしてなにか反ばくをくわえたことがあるだろうか。なかったし、またそうする勇気もない。日本帝国主義は、蒋氏と国民党が共産党にはいわゆる「軍令、政令」や「規律」をもちだしながら、敵に投降した二十人の国民党中央執行委員、敵に投降した五十八人の国民党の将官にたいしては、軍令、政令や規律問題をもちだしたがらず、またもちだす勇気もない、ということを見てとっている。これでは、日本帝国主義が国民党を軽べつしないはずはない。全国の人民および全世界の友邦は、蒋介石氏と国民党が新四軍を解散させ、八路軍を攻撃し、辺区を包囲し、それらを「奸党」「奸軍」「新式軍閥」「新式割拠」とそしり、「抗戦を破壊し」、「国家を危うくする」ものとそしり、たえず、いわゆる「軍令、政令」や「規律」をもちだしてはいるが、敵に投降した二十人の国民党中央執行委員、敵に投降した五十八人の国民党の将官にたいしては、なんらの軍令、政令も執行せず、なんらの規律上の処分もくわえていない、ということを見てとっている。今回の十一中全会および国民参政会にしたところで、依然として共産党に対処する決議はあるが、国にそむき敵にくだった国民党自身の数多くの中央執行委員や国にそむき敵にくだった大量の将官に対処する決議は何一つなかった。これでは、全国人民や全世界の友邦が国民党をどう見るだろうか。十一中全会では、案のじょう、またしても「政治的に解決する」、「憲政を実施するつもりである」という話がでたが、それはたいへん結構なことで、われわれはこうした話を歓迎する。だが、国民党の多年にわたる一貫した政治路線からみれば、それはおびただしい欺瞞ぎまん的な空談義にすぎず、実際は内戦を準備し、反人民の専制政治を永遠に放棄しまいとする政治目的のために必要な時間をかせぐものであると、われわれは考える。

 時局の発展には、さらに第三の方向がありうるだろうか。ありうる。それは一部の国民党員、全国人民およびわれわれ共産党員がみな希望しているものである。第三の方向とはなにか。それは公平に、合理的に、政治的方法によって国共関係の問題を解決し、真に民主的な自由な憲政を誠意をもって実行し、「一つの党、一つの主義、一人の指導者」というファッショ的専制政治を廃止し、また、真の民意によって選挙された国民大会を抗戦ちゅうに招集することである。われわれ共産党員は終始この方針を主張してきた。一部の国民党員もこの方針には賛成するだろう。蒋介石氏およびその直系の国民党にたいしてさえ、われわれはこれまで長いあいだずっと、かれらがこの方針を実行するようにのぞんできた。しかし、ここ数年の実際状況からみれば、また現在の事実からみれば、蒋氏をはじめ政権の座にある国民党員の大部分が、こうした方針の実行をのぞんでいることをしめすような事実はまったくない。

 こうした方針を実行するには、国際的、国内的に、多くの条件が必要である。当面の国際的条件(ヨーロッパのファシストの全面的崩壊の前夜)は中国の抗日に有利であるが、投降派は、投降するため、このときとばかりいよいよ内戦の策動に熱中しており、日本人と汪精衛もまた、投降に誘うため、このときとばかりいよいよ内戦の策動に熱中している。汪精衛はこういっている。「もっとも親しい兄弟はなんといっても兄弟であって、重慶は将来かならずわれわれとおなじ道をすすむだろうが、われわれは、その日が一日も早くくることをのぞんでいる。」(十月一日、同盟ニュース)これはまたなんと情愛にあふれ、確信にみち、熱望しきりなことだろう。だから、当面の時局は、せいぜい一時ひきのばされるぐらいのもので、突然悪化する危険はひじょうに大きい。第三の方向に発展する条件はまだそなわっていない。それをかちとるには、各党各派の愛国者および全国人民が各方面から努力する必要がある。

 蒋介石氏は、国民党十一中全会で、つぎのように言明している。「中央は、共産党にたいして、武装割拠の放棄、従来各地で国軍を襲撃し抗戦を破壊したような行為の停止、ともに国難にあたるという民国二十六年の宣言の実行、約束のなかであげている四点の履行を希望するのみで、他のいかなる要求ももっていないことを、はっきり言明すべきである。」

 蒋氏のいう「国軍を襲撃し抗戦を破壊したような行為」とは、国民党についていうべきことであるが、残念なことに、かれは不公平にもまた冷酷にも共産党を中傷している。なぜなら、武漢をうしなっていらい、国民党は三回にわたって反共の高まりをおこしたが、この反共の高まりのなかで三回とも、国民党の軍隊が共産党の軍隊を襲撃したという事実があったからである。一回目は一九三九年の冬から一九四〇年の春にかけてである。そのとき、国民党軍は陝西・甘粛・寧夏辺区の八路軍が守備していた淳化チュインホヮ、[木+旬][”口”の下に”巴”シュィンイー正寧チョンニンニン県、鎮原チェンユァンの五つの県都を襲撃して占拠し、しかも飛行機をつかった。華北では朱懐冰チューホヮイピンを派遣して大行地域の八路軍を襲撃させた。八路軍としてはただ自衛のために戦っただけである。二回目は一九四一年一月である。まず、同応欽ホーインチン白崇禧パイチョンシーが「十九日の電報」(一九四〇年十月十九日)で、朱、彭、葉、項に、黄河以南の八路軍、新四軍を一ヵ月の期限をもってすべて黄河以北に移動させるよう強引に命令してきた。われわれは安徽省南部の部隊を北に移動させることを承諾した。またその他の部隊については事実上移動させようもなかったが、それでもやはり抗戦勝利後に指定の地点に移動させることを承諾した。意外なことには、安徽省南部の部隊九干余人が、一月五日、命令にしたがって移動をはじめたとき、蒋氏は早くも「一網打尽」にせよと命令していたのである。はたせるかな、安徽省南部のすべての国民党軍は、六日から十四日までに、新四軍の同部隊を「一網打尽」にする挙にでた。そのうえ、蒋氏は十七日には、新四軍全軍を解散させ、葉挺を裁判にかけるという命令をだした。このとき以後、華中、華北の抗日根拠地で、国民党軍のいるところではどこでも、その襲撃をうけない八路軍、新四軍はなかった。八路軍、新四軍としてはただ自衛したにすぎない。三回目はことしの三月から現在までである。国民党軍が華中、華北でひきつづき八路軍、新四軍を襲撃している一方、蒋氏はさらに、『中国の運命』という反共、反人民の本を公にし、大量の黄河防備部隊をうごかして辺区にたいする電撃作戦を準備し、また全国各地のいわゆる「民衆団体」を動員して共産党の解散を要求させた。また、国民参政会の大多数をしめる国民党員を動員して、八路軍を中傷する何応歓の軍事報告をうけいれさせ、反共決議を採択させ、団結抗日をあらわすべき国民参政会を、反共世論を製造し国内戦争を準備するための国民党の御用機関に変えてしまい、ついに、共産党の参政員菫必武トンピンウー同志が、抗議のため退席を声明せざるをえないような事態までまねくにいたった。以上三回の反共の高まりは、すべて国民党が計画的に準備してがこしたものである。これが「抗戦を破壊したような行為」でなくてなんであろうか。

 中国共産党中央は民国二十六年(一九三七年)九月二十二日、ともに国難にあたるという宣言を発表した。その宣言はつぎのようにのべている。「敵の陰謀の口実をなくすために、善意ではあるが疑問をいだいているすべての人びとの誤解をとくために、中国共産党中央委員会は民族解放事業にたいする自己の赤誠を披瀝ひれきする必要がある。このために、中国共産党中央は、ふたたび、厳粛に、全国につぎのことを宣言する。一、孫中山スンチョンシャン先生の三民主義は中国がこんにち必要とするものであり、わが党はその徹底的実現のために奮闘する。二、国民党政権をくつがえすすべての暴動政策、および暴力をもって地主の土地を没収する政策を停止する。三、現在の赤色政府を特別区民主政府に改組して、全国的な政権の統一をはかる。四、赤軍は名称および部隊番号をあらためて、国民革命車に改編され、国民政府軍事委員会の統轄をうけ、またその命令をまって出動し、抗日前線における責務をはたす。」

 この四ヵ条の約束を、われわれは完全に実行してきたのである。蒋介石氏にせよ、どの国民党員にせよ、われわれが実行しなかった箇条を一つとしてあげることはできない。第一に、陝西・甘粛・寧夏辺区および敵後方の各抗日根拠地内で共産党が実施しているすべての政策は、孫中山の三民主義の政策に合致しており、どの政策にしても孫中山の三民主義にそむいたものは絶対にない。第二に、国民党が民族の敵に投降せず、国共合作を決裂させず、反共の内戦をおこさないという条件のもとでは、われわれは暴力政策をもって国民党政権を打倒したり、地主の土地を没収したりしないという約束を終始まもっている。過去もそうしたし、現在もそうしているし、将来もまたそうする用意がある。つまり、国民党が敵に投降し、合作を決裂させ、内戦を遂行するという条件のもとでのみ、われわれはどうにも自己の約束を実行しつづけることができなくなり、したがって、また、こうした条件のもとでのみ、われわれは自己の約束を実行しつづける可能性をうしなうのである。第三に、もとの赤色政権は、はやくも抗戦の最初の年に改組されているし、「三三制」の民主政治もはやくから実現されている。ただ、国民党が、いまになっても陝西・甘粛・寧夏辺区を承認するというかれらの約束を実行せず、そのうえ、われわれを「封建割拠」とののしっているにすぎない。蒋介石氏および国民党員は、陝西・甘粛・寧夏辺区および各抗日根拠地が国民党政府から承認されないこのような状態、つまり諸君のいう「割拠」なるものは、われわれののぞむところではなく、まったく諸君にしいられたものだ、ということを知らなければならない。諸君は前言をひるがえして恥じず、もともと承認を約束していたこの地域を承認せず、この民主政治を承認しないで、逆に、われわれを「割拠」とののしっている。 これはいったいどういうわけなのか。われわれは毎日のように諸君の承認をもとめているのに、諸君はいっこうに承認しない。その責任はいったいだれが負うべきなのか。蒋介石氏は国民党総裁、国民党政府の責任者という身分にありながら、『中国の運命』という本のなかでも、みだりに「割拠」とののしり、自分では少しも責任を負わない。そこにはどういう道理があるのか。こんど、蒋氏がまたも十一中全会でわれわれに約束の実行を要求したのを機会に、われわれは、蒋氏にたいし、法的手続をとって、はやくから民権主義を実現している陝西・甘粛・寧夏辺区を承認し、敵後方の各抗日民主根拠地を承認するという約束の実行を要求する。諸君が依然として不承認主義をつづけるなら、諸君がひきつづきわれわれを「割拠」させることになり、その責任はこれまでどおり、まったく諸君にあってわれわれにはない。第四に、「赤軍は名称および部隊番号」を早くからあらため、早くから「国民革命軍に改編され」、早くから「国民政府軍事委員会の統轄下におかれ」ており、この約束は早くから実行されている。ただ国民革命軍新編第四軍だけは、現在、共産党中央の直接の統轄下にあって、国民政府軍事委員会の統轄下にはない。それは、国民政府軍事委員会が、一九四一年一月十七日、抗戦を破壊し国家を危うくする反革命命令をだして、この部隊を「叛軍」とよび「解散」させ、毎日国民党軍に襲撃させているからである。しかし、この部隊は、華中で終始抗日しているだけでなく、四ヵ条の約束のうち第一条から第三条までの約束を終始実行しており、しかも、ふたたび「国民政府軍事委員会の統轄」をうけることを希望している。われわれは、第四条の約束実行の可能性がえられるよう、蒋氏に解散命令のとり消し、部隊番号の復活を要求する。

 国民党十一中全会の共産党問題にかんする文書は、上述の諸点以外に、さらに、「本会議は、戦争終了後一ヵ年以内に国民大会を招集し、憲法を制定発布することを決議したので、その他の問題はことごとく国民大会に提出して討議し解決してさしつかえない」とのべている。いわゆる「その他の問題」とは、国民党の軍制政治の廃止、ファッショ的特務機関の廃止、全国的範囲での民主政治の実行、民生をさまたげる経済統制と苛酷かこくで雑多な税金の廃止、全国的範囲での小作料・利子引き下げの土地政策の実行、中小工業への援助と労働者の生活改善のための経済政策の実行などである。民国二十六年九月二十二日の、ともに国難にあたるというわが党の宣言は、「民権政治を実現し、国民大会を招集して、憲法を制定し、救国の方針を規定する。中国人民のしあわせな楽しい生活を実現するには、まず適切に、災害と飢きんにたいする救済をおこない、民生を安定させ、国防経済を発展させ、人民の苦痛をとりのぞき、人民の生活を改善しなければならない」とのべている。蒋介石氏は、この宣言の発表された翌日(九月二十三日)に談話を発表してこの宣言の全部を承認したのだから、この宣言のなかの四つの約束の実行を共産党に要求するだけでなく、蒋氏自身および国民党と国民党政府にも上述の各条項の実行を要求すべきである。蒋氏は、現在国民党総裁であるばかりでなく、国民党政府(この政府の表向きの名称は「国民政府」である)の主席にもなったのだから、上述の民主と民生の条項ならびに蒋氏自身がわれわれ共産党および全国人民にあたえた無数の約束のすべてを、まじめに実行すべきであり、あいかわらずどんな約束も雲散霧消させ、ひたすら高圧的にふるまい、いうことなすことが裏腹だというようであってはならない。われわれ共産党と全国人民は、事実をみたいのであって、人をたぶらかす空談義はもうききたくない。事実があれば、われわれは歓迎するが、事実がなくて空談義では、いつまでも人をだますことはできないのである。あくまで抗戦をおこなう、投降の危険をくいとめる、合作をつづける、内戦の危機をくいとめる、辺区および敵後方の各抗日根拠地の民主政治を承認する、新四軍を復活させる、反共運動をやめる、陝西・甘粛・寧夏辺区を包囲している四、五十万の軍隊を撤退させる、国民参政会をこれ以上国民党の反共世論製造の御用機関にしない、言論、集会、結社の自由にたいする制限を解く、国民党の一党独裁を廃止する、小作料、利子を引き下げる、労働者の待遇を改善する、中小工業に援助をあたえる、特務機関を廃止する、特礎教育を廃止する、民主教育を実行する、これが蒋氏と国民党にたいするわれわれの要求である。このなかの大部分は、まさに諸君自身が約束したものである。諸君がこれらの要求と約束を実行するなら、われわれは、諸君に、われわれ自身の約束をひきつづき実行することを保証する。蒋氏と国民党が希望するということを条件として、われわれは、いつでも両党の交渉を再開する用意がある。

 要するに、国民党がとりうる三つの方向のうち、第一の方向、つまり投降と内戦の方向は、蒋介石氏と国民党にとって死滅の道である。第二の方向、つまり空談義で人をだまし時間をひきのばしながら、かげではファッショ的専制と内戦の積極的準備を片時も忘れない方向も、蒋氏と国民党にとって生きる道ではない。ただ第三の方向、つまりファッショ的専制と内戦というあやまった道を根本から放棄し、民主主義と合作という正しい道を実行する方向だけが、蒋氏と国民党の生きる道である。しかし、この方向にすすむことについては、蒋氏と国民党は、こんにちまでのところ、なんら事実をもってしめしておらず、人びとを信用させることはできない。したがって、全国の人民は、依然としてきわめて大きな投降の危険と内戦の危険を警戒しなければならな

い。

 すべての愛国的な国民党員は団結して、国民党当局にたいし、第一の方向にすすむのを許さず、第二の方向をつづけることを許さず、第三の方向にすすむことを要求すべきである。

 すべての愛国的な抗日政党、抗日人民は団結して、国民党当局にたいし、第一の方向にすすむのを許さず、第二の方向をつづけることを許さず、第三の方向にすすむことを要求すべきである。

 いまだかつてなかった世界の大変化という局面がまもなく到来しようとしている。われわれは、蒋介石氏と国民党員がこの偉大な時代の転換点に正しく対処することをのぞみ、すべての愛国的政党および愛国的人民がこの偉大な時代の転換点に正しく対処することをのぞむものである。



〔 ##注## 〕

〔1〕黄補系の軍人とは、かつて黄浦軍官学校で教官や学生であった国民党の将軍や将校をさす。黄埔系は国民党軍隊内の蒋介石の直系である。

〔 ##訳注## 〕

① 本選集第二巻の『新民主主義の憲政』注〔7〕を参照。

② この五つの戦役は、いずれも日本侵略車が国民党軍を攻撃した戦役である。中条山戦役、すなわち山西省南部戦役は、本巻の『極東「ミュンヘンの陰謀を暴露せよ』の注〔1〕を参照。浙[章+”ふゆがまえ”の下に”貢”]戦役は、一九四二年の五月から七月にかけて、杭州=株州鉄道の沿線地区でおこなわれた。大別山戦役は、一九四二年十二月から一九四三年一月にかけて、湖北、河南、安徽の三省省境の大別山地区でおこなわれた。湖北省西部戦役は、一九四三年の二月から五月にかけて、湖北省西部の武漢から宜昌のあいだの長江両岸地区でおこなわれた。大行山戦役は、一九四三年の四、五月に、大行山南部の陵川、林県地区でおこなわれた。これら五つの戦役で、日本軍のもちいた兵力は二十余万人にすぎなかったが、国民覚のもちいた兵力は約百二十余万人であった。国民党軍は敵に数倍したにもかかわらず、どの作戦においても、接触するとすぐにくずれさった。不完全な統計によれば、中条山、太行山、湖北省西部の三つの戦役で国民党のうしなった兵力は二十万人近くにのぼり、浙[章+”ふゆがまえ”の下に”貢”]戦役でうしなった県部は四十八であった。

③ 葉挺は新四軍の軍長で、詳細は、本選集第二巻の『安徽省南部事変について発表した命令と談話』訳注①を参照。項英は新四軍の副軍長で、詳細は、本題集第二巻の『おもいきって抗日勢力を発展させ、反共頑迷派の進攻に抵抗せよ』の解題を参照。


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