南京政府はどこへいく (一九四九年四月四日)
南京国民党政府とその軍事・行政要員のまえには二つの道が横たわっている。一つは、蒋介石ら戦犯集団とその主人アメリカ帝国主義の側にくっつくこと、つまり、ひきつづき人民に敵対し、人民解放戦争のなかで蒋介石ら戦犯集団といっしょに滅亡することである。もう一つは、人民の側につくこと、つまり、蒋介石ら戦犯集団およびアメリカ帝国主義とたもとをわかち、人民解放戦争のなかで手柄をたてて罪をつぐなうことによって、人民から寛大にあつかってもらい、許してもらうことである。第三の道はない。
南京の李宗仁・何応欽政府〔1〕には、三つの部類の人びとがいる。一つの部類の人びとは、どこまでも第一の道をすすんでいる。かれらはいくら口先でうまいことをいっても、行動のうえでは、ひきつづき戦争を準備し、ひきつづき国を売り、真の平和をもとめる人民をひきつづき抑圧し虐殺している。かれらは蒋介石の血盟の徒である。もう一つの部類の人びとは第二の道をあゆもうとおもっているが、まだ決定的な行動にでることができないでいる。第三の部類は、岐路をさまよっている、方向のはっきりしない人びとである。かれらは、蒋介石とアメリカ政府の機嫌もそこねたくはないし、また人民民主主義陣営からも了解してもらい、包容してもらおうとおもっている。だが、これは幻想であり、不可能なことである。
南京の李宗仁・何応欽政府は、基本的には、第一の部類の人びとと第三の部類の人びととの混合物であり、第二の部類の人びとはきわめて数がすくない。この政府は、こんにちまでのところ、依然として蒋介石とアメリカ政府の道具である。
四月一日に南京でおこった虐殺事件〔2〕は、なにも偶発的なできごとではない。これは、李宗仁・何応欽政府が蒋介石をかばい、蒋介石の血盟の徒をかばい、アメリカの侵略勢力をかばってきた必然の結果である。これは李宗仁・何応欽政府が、蒋介石の血盟の徒といっしょに、でたらめにも「対等の、栄えある和平」なるものを鼓吹することによって、中国共産党の八項目の和平条件、とりわけ戦争犯罪人の処罰に抵抗してきた結果である。李宗仁・何応欽政府がすでに和平交渉の代表団を北平に派遣して中国共産党と和平交渉をおこなわせ、しかも中国共産党の八項目の条件を交渉の基礎としてうけいれる意向を表明している以上、もし、この政府に最低限度の誠意があるならば、南京虐殺事件の処理を手はじめに、元凶の蒋介石、湯恩伯、張耀明を逮捕して厳重に処罰し、南京、上海の特務・暴徒を逮捕して厳重に処罰し、また、どこまでも和平に反対し積極的に和平交渉をぶちこわし長江以南への人民解放軍の進撃に抵抗しようと積極的に準備している反革命のおもだったものどもを逮捕して厳重に処罰すべきである。慶父死せざれは、魯の難はやまず〔3〕、戦犯をのぞかざれば、同に寧日なし、である。この真理がいまになってもまだわからないのだろうか。
われわれは南京政府にはっきり告げたい。諸君にもしこの問題を処理する能力がないなら、まもなく長江を渡って南進する人民解放軍がそれを処理するのを手伝うべきである。いまとなっては、空言はいっさい無用で、それよりも、手柄をたてて自分の罪をつぐなうために実質的な仕事をしたほうがよい。そうすれば、逃げださなくてすみ、もう蒋介石の血盟の徒からいじめられなくてすみ、人民から永久に唾棄されるようなことがなくてすむ。これが最後の機会であって、この機会を逃がしてはならない。人民解放軍はもうすぐ長江以南へ進軍する。これは、空言によって諸君をおどかしているのではない。諸君が八項目の条件をうけいれる協定を結ぼうが、結ぶまいが、人民解放軍はかならず前進する。協定を結んでから前進すれば各方面に有利である――人民にとって有利であり、人民解放軍にとって有利であり、国民党政府関係の、手柄をたてて罪をつぐないたいと考えているすべての人びとにとって有利であり、国民党軍の広範な将兵にとって有利である。ただ蒋介石にとって、蒋介石の血盟の徒にとって、帝国主義者にとって不利なだけである。この協定が結ばれなくても、事態にはやはりたいしてちがいはなく、局地的な交渉の方法で解決することができる。これからもまだいくらか戦闘はあろうが、そんなにたくさんの戦闘はもうあるまい。新疆から台湾にいたる広い地域と長い戦線に、国民党の戦闘部隊は百十万前後しかおらず、もうそんなにたくさんのいくさはない。全面的な協定を結ぶにせよ、そうした協定は結ばないで多くの局地的な協定を結ぶにせよ、蒋介石にとって、蒋介石の血盟の徒にとって、アメリカ帝国主義にとって、一言でいえば、死ぬまで本性の変わらないいっさいの反動派にとっては、事態はどのみちおなじで、かれらは滅亡するにきまっている。全面的な協定を結ぶことは、南京側にとっても、わが方にとっても、それを結ばないよりはいくぶん有利であるかもしれない。だから、われわれはやはりこの協定を結ぼうと努力している。しかし、この全面的な協定を結ぶとなると、われわれは、いろいろつきまとってくる厄介なことに対処する心がまえをしておかなければならない。この協定を結ばないで多くの局地的な協定を結んだほうが、われわれにとってずっとすっきりする。それにもかかわらず、われわれはやはりこの協定を結ぶつもりでいる。南京政府とその代表団も、そうすることを望むなら、この数日中に決心をし、いっさいの幻想といっさいの空言をすてるべきである。われわれは諸君にそう決心するよう強制しはしない。南京政府とその代表団がそう決心するかどうかは、諸君自身の自由である。つまり、諸君が蒋介石やスチュアートのいうことをきいて、しかも永久にかれらの側に立つか、それともわれわれのいうことをきいてわれわれの側に立つか、この二つのうちのどちらを選ぶかは諸君自身の自由である。しかし、選択しているひまはそんなにはない。人民解放軍はすぐにも進軍しようとしており、ぐずぐずしている余地はすこしもない。
〔注〕
〔1〕 孫科か辞職したのち、李宗仁は一九四九年三月十二日に何応欽を後任のにせ行政院長に任命した。
〔2〕 一九四九年四月一日、南京の専門学校以上の十一校の学生六千余人がデモ行進をおこない、中国共産党の八項目の和平条件をうけいれるよう国民党皮勤政府に要求した。国民党の南京衛戍総司令張耀明は、蒋介石の指示で、軍隊、警察、特務をさしずしてデモの学生に残虐な暴行をくわえ、学生に死者二名、負傷者百余名をださせた。
〔3〕 『左伝』にみられる。慶父は春秋時代の魯の国の公子で、たびたび魯の国の内乱をひきおこし、国王を二人殺害した。当時、世間で「慶父をのぞかざれば、魯の難はやまず」といわれ、後代の人は、内乱をおこすものをよく慶父にたとえた。




