一九四六年の解放区活動の方針 (一九四五年十二月十五日)
これは、毛沢東同志が中国共産党中央のために起草した党内指示である。
これまでの数ヵ月間に、わが党は人民を指導して、敵・かいらい勢力を一掃し、解放区にたいする国民党の進攻を粉砕するはげしいたたかいのなかで、偉大な勝利をおさめた。全党の同志は心を一つにし力をあわせて、すべての活動においていちじるしい成果をおさめた。一九四五年はやがてすぎさろうとしている。一九四六年の各解放区の活動では、つぎの諸点に注意しなければならない。
(一)新たな進攻の粉砕。国民党は、綏遠省、山西省、河北省南部の三ヵ所でわが解放区を大挙進攻してわが軍に粉砕された。そののち、またもや大きな兵力を動かして、新たな進攻を準備している。国民党に内戦をすみやかに停止させるだけの新しい状況があらわれなければ、一九四六年春の戦闘ははげしいものとなるであろう。したがって、自衛の立場にたち、あらゆる努力をはらって国民党の進攻を粉砕することが、依然として、各解放区の中心任務である。
(二)高樹勛運動〔1〕の展開。国民党の進攻を粉砕するために、わが党は、攻撃を準備しているかまたは現に攻撃しているすべての国民党軍を分化させる工作をすすめなければならない。一つは、わが軍が国民党軍にたいして公然たる幅広い政治宣伝と政治攻勢をおこなって、国民党の内戦部隊の戦意をくじいていくことである。他の一つは、国民党軍の内部で蜂起を準備し組織すること、つまり、高樹勛運動を展開して、大量の国民党軍が戦争の重大な局面にさいし、高樹勛に見習って、人民の側にたち、内戦に反対し平和を主張するようにすることである。この工作を着実にすすめ、急速にその効果をあげるために、各地とも中央の指示にしたがって、専門部門を設け、大量の幹部を配置してこの工作に専心させなければならない。各地の指導機関は、これに周到な指導をあたえなければならない。
(三)軍隊の訓練。各解放区の野戦軍は、一般的にいってすでに編成ができており、地方軍もまた少なくない。いまのところ、軍隊の拡大は一般に停止し、作戦のあいまを利用して訓練に力をいれるべきである。野戦軍、地方軍、民兵のいずれをとわずそうすべきである。訓練の課目では、やはり射撃、銃剣術、手榴弾投擲などの技術の向上を主とし、戦術水準の向上を補助とし、とくに夜戦の訓練に重点をおく。訓練の方法としては、将校が兵士に教え、兵士が将校に教え、また兵士同士で教えあうといった大衆的な訓練運動を展開すべきである。一九四六年には、軍隊内の政治工作改善の任務をいっそうよく遂行し、軍隊に存在する教条主義と形式主義の作風を克服して、将兵の団結、軍民の団結、友軍との団結のため、敵軍を瓦解させるため、訓練、供給、戦闘の任務の達成を保証するために奮闘しなければならない。各地の民兵は、いまの条件におうじて、組織しなおさなければならない。軍隊の後方勤務の仕事は、再調整しなければならない。あらゆる努力をはらって、各地の砲兵部隊と工兵部隊を新設または拡充すべきである。軍事学校はこれからもつづけ、技術要員の訓練に重点をおくべきである。
(四)小作料引き下げ。中央の一九四五年十一月七日づけの指示〔2〕にしたがって、各地方はぜひとも、一九四六年にすべての新解放区で大規模な、大衆的な、だが党の指導による小作料・利子引き下げ運動をおこさなければならない。労働者には適当な賃上げをする。この運動のなかで、広範な大衆がみずからを解放し組織して、解放区の自覚した主人公になるようにさせるのである。新解放区で、この断固とした措置をとらなければ、大衆は国共両党のどちらがよくどちらが悪いかを区別することができず、両党のあいだを動揺してわが党をだんこ援助することができなくなる。旧解放区では小作料・利子引き下げの仕事を再点検し、旧解放区をさらにかためるべきである。
(五)生産。十一月七日の指示にしたがって、各地方は、ただちにあらゆる準備をととのえて、ぜひとも、一九四六年のわが全解放区の公営、私営の生産を、規模の面でも成果の面でもこれまでのどの年をもしのぐものとしなければならない。人民のあいだにうまれている疲労気分は、小作料引き下げと生産の二つの任務の実現にしんけんに取り組んでいちじるしい成果をおさめたときはじめて、克服することができる。小作料引き下げと生産の二大任務が完成されるかどうかによって、解放区における政治闘争、軍事闘争の勝敗が最後的に決定される。各地とも絶対にこれをおろそかにしてはならない。
(六)財政。最近のさしせまった大量の仕事をまかなうために重くなった財政上の負担を、一九四六年中に、計画的に順をおって正常な状態にかえていかなければならない。人民の負担のあまり重いものは、適当に軽減しなければならない。長くもちこたえられるように、各地とも、生産からはなれるものの数はその地方の財政的負担がゆるす限度内におさえなければならない。軍隊は数より精鋭をとうとぶということは、今後も建軍原則の一つである。生産の発展、供給の保障、指導の集中、経営の分散、軍民双方への配慮、公私双方への配慮〔3〕、生産と節約を同等に重視することなどの原則は、依然として、財政経済問題を解決する適切な方針である。
(七)擁政愛民と擁軍優抗〔4〕。一九四六年には、この二つの活動を、この数年間よりももっとりっぱにやっていかなければならない。これは国民党の進攻を粉砕し、解放区をかためるうえで、重大な意義をもつであろう。軍隊内では、一人ひとりの指揮員、戦闘員が擁政愛民の重要性を徹底的に認識できるように、かれらの思想の面から問題を解決しなければならない。軍隊のほうでりっぱにやっていけば、それにつれて、地方側も軍隊との関係を改善するにちがいない。
(八)救済。各解放区には、多くの罹災民、難民、失業者、半失業者がいて、早急の救済を必要としている。この問題の解決のよしあしが各方面におよぽす影響はひじょうに大きい。救済の方法としては、政府も各種の万策を講ずるが、主として大衆の相互援助によって解決すべきである。党と政府は、大衆がこうした相互援助による救済をおこなうようにはげまさなければならない。
(九)地元の幹部をたいせつにすること。現在ではどの解放区でも、よそからきた幹部がおおぜい各級で指導の仕事をしている。東北地方の各省ではとくにそうである。各地の指導機関は、よそからきたそれらの幹部に、じゅうぶんな熱意と誠意をもって地元の幹部をたいせつにするよう、じゅんじゅんと説ききかせなければならない。そして地元の幹部をみわけ、そたて、抜てきすることを自己の重要な任務とするようにさせなければならない。こうしてこそ、わが党は解放区に根をおろすことができるのである。よそからきたものが地元のものを軽視する作風は批判されなければならない。
(十)すべてに持久的な計画をたてること。時局の発展がどうであろうと、わが党としては、すべてに持久的な計画をたてなければならない。そうしてこそ、不敗の地にたつことができるのである。いまわが党は、一方では解放区の自治、自衛の立場を堅持して、国民党の進攻にだんこ反対し、解放区の人民がすでに獲得した成果をかためており、他方では、国民党地区で発展しつつある民主運動(昆明の学生ストライキ〔5〕によって代表される)を援助して、反動派を孤立させ、広範な同盟者を獲得し、こうしてわが党の影響下にある民族民主統一戦線を拡大している。同時に、全国の平和と民主をめざして奮闘するために、わが党の代表団は近く諸政党および無党派の人びとの政治協商会議に出席し、また国民党との交渉を再開することになっている。しかし、事態はなお曲折をへるだろう。われわれの前には、新しい地区新しい部隊がまだしっかり固まっていないこと、財政的に困難があることなど、なお多くの困難がよこたわっている。われわれはそうした困難を正視し、克服しながら、すべての仕事の配置にあたって持久的な計画をたて、人力、物力の節約にじゅうぶん注意し、万一の成功をのぞむ気持ちを極力いましめなければならない。
以上の十項目は、一九四六年、ことにその前半の活動でとくに注意をはらうべき点である。各地の同志はその地方の状況にもとづいて、上述の方針を弾力性をもって実現するようにしてもらいたい。各地の政権建設の活動、統一戦線の活動、党の内外で時事教育をひろめる活動、解放区の付近の都市にたいする活動などもみな重要であるが、ここではふれないことにする。
〔注〕
〔1〕 一九四五年十月三十日、国民党第十一戦区副司令長官高樹勛は、一コ軍団と一コ縦隊の兵をひきいて、邯鄲の内戦前線で蜂起し、全国に大きな影響をあたえた。国民党軍の分化・瓦解工作および国民党軍に蜂起させる工作をさらにつよめるため、中国共産党中央は、国民党軍にたいして宣伝運動を展開し、国民党軍の将兵に、高樹勛部隊に見習って、解放区にたいする進攻を拒否し、内戦職場でサボタージュをおこない、人民解放軍と交歓し、蜂起して人民の側にたつようよびかけることを決定した。この運動は「高樹勛運動」とよばれた。
〔2〕 本巻の『小作料引き下げと清算は解放区をまもる二つの重要な仕事である』のこと。
〔3〕 ここにいう「公私双方への配慮」の「公私」とは、国家と個人の双方のことで、国営企業と私営企業の双方のことではない。
〔4〕 「擁政愛民」とは「政府を擁護し、人民を愛護しよう」という人民解放軍のスローガンを略したもの。「擁軍優抗」とは「軍隊を擁護し、抗日軍人家族を優遇しよう」という解放区の党・政府機関、大衆団体、人民大衆のスローガンを略したもの。「擁軍優抗」のスローガンはその後、「擁軍優族」つまり人民解放軍を擁護し革命軍人家族を優遇しよう、にあらためられた。
〔5〕 一九四五年十一月二十五日夜、雲南省の省都昆明市の大学生、高校生、中学生六千余人が、西南連合大学構内で内戦に反対する時事問題集会をもよおしたが、国民党反動派は軍隊をくりだして会場を包囲し、小口径砲、機関銃、小銃を発砲するとともに、学校付近を厳重に警戒し、教師や学生の通行、帰宅を禁止した。そこで各校の学生は共同ストをおこなった。国民党反動派は、十二月一日、多数の軍人や特務を西南連合大学と師範学院の二ヵ所におくり、手榴弾によって、四人を死亡させ、十余人を負傷させた。一般に、この流血事件を「一二・一虐殺事件」とよんでいる。




