表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

NBAの格

 体育館の空気が変わった。


 部員たちがざわつきながら、コートの周囲へ集まっていく。


「マジでやるのか」


「三浦先輩、今日機嫌悪いぞ……」


「一条って初心者じゃなかった?」


 視線が刺さる。浅葱はそれだけで胃が痛かった。


 澪も心配そうにこちらを見ている。


「浅葱、ほんとに大丈夫?」


「……多分」


「その“多分”、全然信用できないんだけど」


 その通りだった。浅葱自身、逃げたい気持ちはまだ消えていない。


 三浦はセンターサークル付近で、退屈そうにボールを回していた。


「ルールどうする?」


 部員の一人が恐る恐る聞く。


「三本」


 三浦は即答した。


「長いとダルい」


 完全に格下扱いだった。


 浅葱は喉を鳴らす。


 紫苑だけが面白そうに笑っていた。


「ま、妥当だな」


「他人事だと思って……」


「他人だし」


 最低だ。


 三浦が片手でボールを投げてくる。鋭い。浅葱は慌てて受け取った。


 その瞬間、三浦が吹き出す。


「動き、硬っ」


 周囲も少し笑った。浅葱の顔が熱くなる。


 ダメだ。こういう空気になると、すぐ身体が縮こまる。


 紫苑がぼそりと言う。


「視線気にしすぎ」


「……無理だって」


「だから弱ぇんだよ」


 浅葱は唇を噛む。


 三浦が指を動かした。


「来いよ」


 挑発。完全に遊ばれている。


 浅葱はドリブルを始めた。ぎこちない。重い。頭が真っ白になる。


 三浦はほとんど動かない。舐め切っていた。


 浅葱は思い切って右へ抜こうとした。

 

 次の瞬間。


 ボールが消える。


「え」


 三浦が奪っていた。


 速い。しかも低い。


 地面を滑るみたいな動きだった。


 一歩で置き去り。


 そのまま、軽くレイアップ。ネットが鳴る。


「っ……」


 浅葱は息を呑む。


 速すぎる。


 二宮蓮とも違う。もっと暴力的だ。


 三浦は振り返りながら笑う。


「こんなもん?」


 周囲が気まずそうに黙る。澪が少し顔をしかめた。


 浅葱は俯く。胸の奥が冷える。


 昔と同じだ。動けない。焦るほど身体が固まる。


 その時、紫苑が小さく呟いた。


「……なるほどな」


「え?」


「コイツ、リズムで抜いてる」


 紫苑の目が細くなる。


「加速だけじゃねぇ。緩急が異常だ」


 三浦が再びボールを持つ。今度は露骨に見せつけるようだった。


 細かいドリブル。ボールが消えたように見える。


 右。左。クロス。


 一気に加速。


 浅葱は反応できない。また抜かれる。


 歓声。


「三浦先輩やば」


「エグ……」


 三浦は鼻で笑った。


「終わり?」


 浅葱は拳を握る。悔しいのに何もできない。


 その時。


 紫苑が笑った。獰猛に。


「面白ぇ」


 浅葱は嫌な予感がした。


 紫苑は三浦を見ながら言う。


「見た感じ、ほぼ理解した」


「え?」


「身体を貸せ」


 浅葱の呼吸が止まる。


「いや、まだ二本目――」


「いいから貸せ」


 紫苑は口角を上げる。


「ああいうタイプ、一番折り甲斐がある」


 絶対性格悪い。


 浅葱はコート中央を見る。三浦は余裕の顔だった。


 完全に自分を下に見ている。


 悔しい。怖い。逃げたい。


 なのに、胸の奥が少し熱い。


 浅葱は小さく息を吐いた。


「……少しだけ」


紫苑が笑う。


「よし」


 その瞬間、視界が揺れた。


 身体が軽くなる。浅葱の意識が、ふっと浮く。


 慣れない感覚。だが前回より、少しだけ混乱が少なかった。


 そして、自分の身体を外側から見る。


 紫苑が、浅葱の身体で首を鳴らした。


「相変わらず、使いづれぇな」


 空気が変わる。体育館が静まった。


 三浦の笑みが消える。


 澪も息を呑んでいた。


 昨日と同じだ。


 “別人”になる。


 紫苑はボールを受け取った。


 タンッ。


 その一音だけで、空気が張る。


 三浦の目が細くなる。


「……なるほど。動画の違和感、これか」


 紫苑は笑う。


「遊ぼうか、四大エースくん」


 挑発。


 三浦の眉がぴくりと動く。


 次の瞬間、紫苑が踏み込んだ。


 速い。


 だが、三浦も反応する。


 鋭いスライド。進路を塞ぐ。


 普通ならここで止められる。だが――。


 紫苑は笑った。


「浅ぇ」


 ドンッ!!


 急激なストップ。重心が消える。


 刹那――。


 逆方向へ爆発した。


「――っ!?」


 三浦の反応が遅れる。


 そのまま、三浦がさっき使っていたクロスを再現する。


 しかも。


 もっと滑らかに。もっと深く。 

 

 歓声が爆発する。


「な……」


 三浦の顔色が変わる。


 紫苑は笑う。


「こう使うんだろ? そのドリブル」


 完全再現だった。


 いや、再現以上。


 リズムも、緩急も、スピードも全部上だった。


 浅葱は外側から見ながら息を呑む。


 見ただけで、ここまで真似できるのか。


 三浦が初めて本気の顔になる。


「……テメェ」


 紫苑は止まらない。


 ドライブ。ターン。クロス。全部、三浦の技だった。


 だが。


 精度が違う。完成度が違う。


「っ!」


 三浦が強引に止めに来る。


 紫苑は待っていたみたいに笑った。


「遅ぇ」


 一歩。抜く。


 完全に置き去り。そのまま、ゴール下へ。


 跳ぶ。


 ダンッ!!


 リングが揺れた。


 体育館が静まり返る。


 浅葱の身体で、紫苑がリングから降りる。


 そして、三浦を見る。その目だけ、少し冷たかった。


「一人でやるだけなら、その辺が限界だ」


 三浦の顔が、初めて歪んだ。


 体育館が静まり返っていた。誰も喋らない。


 リングの揺れる音だけが、やけに長く残る。


 三浦蒼士は、その場から動かなかった。


 視線だけが、紫苑――浅葱の身体を睨んでいる。


 空気が重い。部員たちも息を呑んでいた。


 関東四大エースの一人。その三浦が、真正面から抜かれた。


 しかも、自分の武器で。


 三浦の拳が、ゆっくり握られる。


「……ふざけんな」


 低い声だった。


 紫苑は肩を竦める。


「何が」


「舐めた真似してんじゃねぇぞ」


 三浦の目が鋭くなる。


 怒り。悔しさ。それと、少しだけ混じる焦り。


 紫苑は笑った。


「お前が始めたんだろ」


「っ……!」


 三浦が一歩踏み出す。


 空気が張る。周囲も固まった。


 だが、紫苑は動じない。むしろ退屈そうだった。


「才能はある」


 静かな声。


「でも、それだけで勝てるほど甘くねぇよ」


 三浦の眉が歪む。


 その言葉だけは、妙に刺さったらしい。


 数秒の沈黙。


 やがて三浦は、舌打ちした。


「……クソが」


 ボールを乱暴に放り投げる。


 そのまま背を向けた。部員の一人が慌てる。


「み、三浦先輩?」


「帰る」


「え、でも練習――」


「ダリィ」


 吐き捨てるように言う。


 出口へ向かいながら三浦は最後に振り返った。


 視線は、真っ直ぐ浅葱へ。


「次は、その程度じゃ済まさねぇ」


 紫苑が笑う。


「ああ。せいぜい練習しとけ」


 完全に煽っていた。


 浅葱は外側から、「やめろって……!」と思っていた。


 三浦はもう返さない。舌打ちだけ残して体育館を出ていく。


 扉が乱暴に閉まった。


 その瞬間、張り詰めていた空気が一気に緩む。


「やっば……」


「マジで三浦先輩抜いた……」


「何者なんだよ一条……」


 ざわめきが広がる。


 紫苑は面倒そうに肩を回した。


「うるせぇな」


 その時、ぐらり、と視界が揺れた。


「あ?」


 紫苑が眉を寄せる。浅葱はすぐ分かった。


 限界だ。憑依が切れるのだ。


「……紫苑」


「チッ、もうかよ」


 浅葱の意識が、身体へ引き戻された。


 落下感。息苦しさ。膝が崩れる。


「っ……!」


 床に手をつく。息が上手く吸えない。全身が熱い。


「浅葱!?」


 澪が駆け寄ってきた。


 部員たちも慌てる。


「だ、大丈夫か!?」


「顔色やばくね!?」


 浅葱はなんとか頷いた。


「へ、平気……」


 全然平気じゃない。脚が震えている。


 だが、それ以上に。


 まだ胸が熱かった。


 あの感覚。風を裂く加速。相手を置き去りにする瞬間。


 やったのは紫苑だが、身体の奥がまだ興奮している。


 紫苑が隣で笑った。


「ちょっとはマシになったな」


「……どこが」


「前より身体がついてきてる」


 浅葱は息を整えながら、小さく顔をしかめる。


 澪がその様子を見ていた。


 じっと。妙に真剣な目だった。


「……浅葱」


「え?」


「さっき」


 澪が少し迷う。言葉を探すみたいに。


「なんか、すごい怖かった」


 浅葱の心臓が止まりそうになる。


 紫苑が吹き出した。


「ハハッ」


「笑うな!」


「いや、見る目あるじゃねぇか」


 うるさい。


 もちろん、澪や他の者には紫苑の声は聞こえない。姿も見えない。


 だから余計に、浅葱が一人で慌てているように見える。


 澪は眉を寄せた。


「……ほんとに大丈夫?」


 その声は、優しかった。


 浅葱は答えに詰まる。


 大丈夫じゃない。


 幽霊はいるし。身体は乗っ取られるし。関東四大エースと試合してるし。


 人生がおかしい方向へ進んでる。


 でも。


「……分かんない」


 それだけは、素直に出た。


 澪は少し驚いた顔をした後、小さく笑った。


「なにそれ」


 体育館の窓から夕陽が差し込んでいた。赤い光が、床を長く染めている。


 浅葱はゆっくり息を吐く。


 怖い。でも。


 もう少しだけ、この感覚を知りたいと思ってしまっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ