episode4~(回想)殺し屋の始まり【1】~
城の角部屋、日の当たらない湿度の高い場所。人通りも少なく、その異彩がゆえに誰も近寄らないため人の匂いすらついていない。もはや、城内の聖域と化していた。
メイドはいらない。執事もいらない。来客は予め申請を通した者のみ週に1度の謁見が許され例外はない。要は、「誰も入ってくるな」という暗黙の了解区域が、城内におけるエドガー・クレメンツの通称「孤室」だった。
「おはようございます・・・・・」
そんな陰湿極まった部屋にも、世界は優しく微笑むように照らしてくれる。
廊下の窓から陽光が差し始めた。誰もいない彼の部屋の前で佇むメイドがか細い声で挨拶する。その小さな声が、響き渡って聞こえるほど城内は静かだった。
「今日は王子様の誕生日だから使用人総出で準備しなくちゃならないのにぃぃ」
むきぃぃと地団駄を踏むメイドは扉の向こうにいるであろう男へ向けて凝視するが、息遣いすら聞こえないほどの静けさが返るだけだ。
衛兵も少なく、城内に感じる人の気配も薄い。平時ならば明るく元気な執事長の号令と、メイド長の怒号が響き渡り、メイドや執事たちが忙しなく行き交う時間にもかかわらず、人っ子一人いない。その理由をエドガーに報せに来た伝書鳩は、右往左往と落ち着かない様子のまま扉に顔を寄せた。
「‥‥あのぉ‥‥クレメンツさま~?いらっしゃいますか~!?」
大声で名前を呼ぶもこだまが返るだけなのは分かっていた。
「朝食はいらない、声をかけるな」という、文字盤を部屋の扉に魔法ででかでかと張り付けているクセ者魔法使いの部屋の前に行かされるという貧乏くじを引かされたメイド(25歳独身ただいま玉の輿にのるために婚活中)は、途方に暮れるも意を決して扉へと顔を寄せる。
「王様からのご命令です!!対面で必ず伝えよと言われてまして!!!本日はお妃さまの追悼と、王子様のお誕生日会がございますので!!!王直属魔法使いとして!!ぜったいに来てほしいとのこと!!ですっ!!!聞こえました~?!言いましたからねー!!!言ってないとか、聞いてないとか言わないでくださいね!!クレメンツ様ー!!??」
「うんうん。ぼくが聞いておいたから大丈夫だよ~っ」
「ですよね~!?ぼくが聞いてくれたからだいじょ‥‥は!!!」
親しみやすい声色の奥にある威厳。聞き馴染みある声の主にメイドが振り返ると、穏やかな空気を纏った男が佇んでいた。
「おはよう♪お嬢さん」
紫色の瞳を優し気に細める。銀糸のような長髪を後ろで束ねた端正な作りの顔で温かな笑みを湛える。その独特の空気感を放つ男を見た途端、メイドの顔が一気に湯立ったように赤くなった。
「ご‥‥ごきげんよう。ヴァルティニウス卿‥‥」
「ごきげんよう。伝書鳩ご苦労様」
「いえ‥‥あ、でも‥‥お部屋にいらっしゃるのかどうか‥‥」
「いるよ。結界の強さがさっきより増したからね。まったく、これだから引きこもりは」
白と金糸で作られた礼服に身を包んだ男は、背中を覆うマントを肩から外して床に放り投げると、片手の手袋をきつく締め直しながらメイドへと目配せする。
「きみは戻りなさい。ここからは専門家の仕事だ。王には、クレメンツに合えたと伝えなさい」
「か‥‥畏まりました」
「いい子だね。ご苦労様」
大きな紫色の瞳が片目を閉じて微笑んできた。王の片腕、城内の覇権、国の顔面至宝、世界でも類を見ない実力を持つ噂される魔法使いが自分に!!メイドは、顔も頭も茹ったように煙立ちながらも、喉奥から声を絞り出す。
「‥‥シツレイイタシマス」
左右の腕と足が同時に出ている。まるでロボットのようにカタカタと動きながら去っていくメイドの姿に微笑み零すと、扉の向こうにいる「引きこもり」に向かって射貫くように視線を移すと、小さく息を吸い込んだ。
「結界を解き、主である男を叩き起こせ【鎌鼬】」
ヴァルティニウスの声が静かに広がると、廊下の奥から突風が吹きこむ。床に落ちたマントが空を舞うのを見上げると、中から現れたのは狐や狼のような風体をした獣だ。青と白のグラデーション色の美しい毛並みをなびかせながらエドガーのいる扉の前を睨むように見下げると扉の中へと溶けるように走り去る。
「ぼくの魔獣はいい子だからねぇ。エドガーの結界くらいなんてことはないんだ」
扉の奥で唸るような風音が聞こえるが、ヴァルティニウスは平然とした構えを崩さない。そして、未だ頑丈に結界で閉ざされた扉へと手をかざし、告げた。
「開け~‥‥ごま♪」
愛想いい笑みを浮かべて冗談のように告げた言葉が波紋のように広がっていく。少しの間のあと、扉を覆っていた結界がガラスを蹴破ったような音を立てながら割れ散り、観音開きの扉が勢いよく開け放たれた。
室内は暗い。だが、獣の体が発光しているおかげでその周囲だけはうかがい知れた。頭上のシャンデリア、左右に鎮座する大鏡、寝台の横に飾られた赤いバラだけがこの部屋に差す唯一の色だ。黒と赤に支配された湿度の高い静かな部屋の主は、服を切り刻まれた間から絶え間なく血を流し、気を失うように床に転がっていた。
「あーぁ。また派手にやられちゃって」
血の匂いが充満する部屋に畏怖することなく進む。温度の無い笑顔を浮かべたヴァルティニウスは、無残な同僚の姿を鼻であしらうように嗤ってみせた。
「おはよう、おぼっちゃま。平和な朝がやってきたよ」
豪奢な飾りが施された大きなベッドの上には、自分の体から抜いたであろう矢や剣の破片が散乱し、窓辺近くには大量の血糊がべっとりと線を引いていた。
「窓から這い上がって来たのか?」
返る言葉はない。ただ生命を維持しようと荒く深い息遣を返すだけのエドガーの傍で、玩具のように転がる赤い宝珠を冠した指輪の存在に気が付くと、ヴァルティニウスは大きなため息を吐いた。
「はぁ‥‥魔道具まで放りだすなんて。本当に王に選ばれた魔法使いなのか?」
自ら召喚した魔獣の滑らかな毛並みを労わる様に撫でながらも、メイドに向けた温かな笑顔を持つ男とは到底想像つかない冷淡さと無慈悲を滲ませたヴァルティニウス顔に浮かぶのは嘲笑だけだ。注がれる蔑む視線に打たれながらも微動だにしない体に向かって、ヴァルティニウスが吐きつける。
「殺し屋1日目の感想は?」
彼の言葉でひくりと震えたエドガーの指先が動いたことにヴァルティニウスの顔色を変わった。
顔を上げ、体をずるりと引きずるように奮い起こしたその先にあるエドガーの目が燃えるように赤いことにごくりと生唾を飲み込んだ。
「竜の目、か?王が惚れこんだお前の唯一の能力血眼とかいう得体のしれない力」
ヴァルティニウスの異物を見るような目で蔑まれながらもエドガーは息を整えることに集中した。
「見れば、わかる、だろ」
息を吐き、吸う。単純な動作を丁寧に行いながらやっとの思いで出した言葉に、ヴァルティニウスの顔が不快で曇る。
「初陣はみんな息の根を止められて蘇生魔法をかけてきたんだけど、さすがはエドガー・クレメンツ。変態なだけはあるね」
「変、態?」
「あぁ。城中で呼んでるきみのあだ名だよ」
「変態‥‥」
「ショックだった?ごめんね」
彼にはエドガーが落胆で肩を落としたように見えたのだろう。高笑いを上げながら謝罪したヴァルティニウスに、エドガーは傷一つ付けらず、自信に満ちたまっすぐな瞳で向き直った。
「変態、というのは、些か不本意だ」
「そりゃぁそうでしょ。悪口だしね」
「だが、完全変態なら話は別だ」
「‥‥は?」
「完全変態とは、生物学上の形態変化。幼虫、さなぎ、成虫と姿を変える過程。つまり、変異し、進境、成熟に向かっているということ‥‥わたしは、変異している!!!」
「・・・・・・」
口から血しぶきを散らしながら嬉々として叫ぶ同僚魔法使いの相変わらずの狂人っぷりに、ヴァルティニウスは苦笑いを浮かべながら獣と共に後ずさるが、エドガーが傷だらけの体を引きずって彼を追う。
「ここで言う変異とは!!王直属魔法使いという重臣を兼業し、殺し屋を請け負うという相反する業を己に科し、城中の人間から蔑まれながら公私ともに重役を担い修養している!!つまり!!化学反応!!すなわち、蛹状態!!わたしは、いま、完全変態を遂げようとしている!!!」
「こっちに来るな変態!!これから式典なのに血がついたらどうするんだよ!!」
「・・・・式典?」
あと一歩でヴァルティニウスの体に触れそうな血糊だらけのエドガーの手が止まったことに、獣もヴァルティニウスもほっと胸をなでおろす。
「あぁ、王子の」
「そうだよ。あと、王妃様の‥‥ほら」
口籠るヴァルティニウス勘づいたエドガーが、開ききった部屋の扉から差し込む陽光を眺める。
「わたしが殺してしまった。お妃さまの命日か」




