王の命令は絶対です
王の間に呼び出される日が来るとは名誉なことだと父は褒めてくれるだろう。だが、エドガーが呼び出された理由は、勲章を与えれるためでも、勲位を授かるわけでもないことは分かりきっていた。
花々を模した金の造形で象り、月と太陽、そして国旗である双頭の鷲が刻印されている王の間の豪奢な扉前に佇みながら、エドガーは柱の陰に隠れ嘲笑う家臣たちの視線に注がれていた。
「陰湿な奴らだ」
吐き捨てた後、自分もか、とすぐに心の中で訂正する。いち貴族の魔法使いが城内に入っただけでも前代未聞だったうえ、彼らが何十年もの時を費やして一段一段登った出生街道をわずか一夜にして駆け上がったエドガーに嫉妬心を抱かないわけはないことは理解していたし、同情もしていた。
だからこそ、静かに、影を潜めて、表舞台に顔を出すことなくできる王の直属魔法使いとしての道を選んだ。主な仕事は、王と王の周囲の家族を護ること。そして、城内の治安維持に努めることだったため、さほど周囲と関係をもつことなく就任から数年の時が経っていた。
「‥‥これ以上、何に文句がある?」
背中に受ける彼らからのチリチリとした視線に納得がいかない。理由は簡単だ。それらを棚に上げても、彼らのエドガーに対する「城内いじめ」は日に日に苛烈を増していた。すべての原因は、彼が王の親友であり、魔法使いとしての腕が立つゆえの嫉妬だけならば幾ばくか楽だったが。
「自分の嫁が、わたしに惚れたから気にくわない‥‥とは?」
おもい返しただけでエドガーのこめかみが青筋張る。
城内には家臣の家族も住んでいる。ゆえに、女性が多い。エドガーのような見目美しい魔法使いは数人いたが、若くして王の側近を勤め上げるという威信と寡黙ゆえのミステリアスな雰囲気に魅了される奥方が多く、エドガーを城内で懇意に優遇するという貴婦人会まで結成されるほどの人気を博し、城内の家臣たちから顰蹙を買い続けていた。
当然、人に興味のないエドガーが火消しなどしないため、こうして王直々に呼び出される末路となり、途方に暮れているというわけだ。
「城内のクソみたいな権力争いに巻き込まれるために城に来たのか?わたしは」
若くして地位を築く者はあれど、実力以外でここまで袋叩きに合うほどこいつらは暇なのか。もっとやるべきことがあるのではないのかと正論を唱えたこともあったが、彼らの興味は国情よりも自己保身にある。貴族の称号を自分の代で途絶えさせることなく後世に繋ぐことが彼らの存在意義であり、義務。それ以外の生易しい正義や、国を良くするなどという御伽噺に付き合えるほど、彼らの脳は賢くない。エドガーは、宝石と絹で飾り立てられた内にある彼らの浅ましさを骨身の髄から理解させられていた。
考えるのを辞めよう。そう意識を手離すと、エドガーは扉に向けて丁寧に頭を下げた。
「エドガー・クレメンツでございます」
清廉な声が広がったあと、背後からの視線は消え去っていた。ノブが捻られ、中から扉が開いていく。中から現れたのは、金色をした長髪の男。薄緑の透き通った瞳でエドガーを窺っている。
「ノクティス様」
「ん。おはよ、エドガー」
「具合はよろしいのですか?」
「今日は調子が良いんだ。兄上も元気そうだし」
綺麗な笑顔にエドガーの心が和んでいく。親友であり王の弟であるノクティスは幼い頃から体が弱く、日中ほとんど寝たきりの身のはずだが、今日は生気に満ちているように見える。穏やかな雰囲気でエドガーが室内に入ると、ノクティスに似た顔の青年が満面の笑みで走ってきた。
「エドガー!!待ってたよ!!」
「ヒルメス王子。ご機嫌麗しく存じます」
蜂蜜色の瞳を輝かせながらエドガーを見つめている。親友の息子であり、生まれた瞬間にも立ち会った子供が、いまや王子と名乗るまで成長したことは、エドガーがこの城に勤めて一番誇らしい出来事だった。彼の成長を見守るために城にいると言っても過言ではないと彼に伝えたかったが、彼の親であり親友の質を知り尽くしているエドガーは、口が裂けても言わんと誓っていた。
「エドガー・クレメンツ。やってくれたね、きみは」
穏やかな視線。低く心地よい声音。歩く所作にすら王家出身らしい立ち振る舞いが現れている。幼い頃、共に魔法を学び、共に争い、一度は決別した幼馴染。彼の王然とした佇まいに敬意を表するように、エドガーはその場に跪いた。
「タイヘン、モウシワケ、ゴザイマセンデシタ」
「なんで片言?それ、絶対申し訳ないって思ってないよね?」
「ココロカラ、ハンセイ、シテオリマス」
「してないよね?ばれてるんだよ、腹黒貴公子」
「‥‥」
上から見下す癖が直ってない。父親譲りの金髪と息子にも引き継がれた蜂蜜色の瞳が細く撓り見据えるこの状況は学生時代のデジャブだろうか。懐古しながらも、目の前の親友の在り様にため息をつく。
「ディルハルト。目下の者にも敬語を使えと言っているだ‥‥ですよ?」
「おまえも使えてないじゃないか」
「‥‥陛下。何用でございますか?」
エドガーの取り繕ったような顔を見て、ディルハルトの表情が怒りで固くなる。
「この期に及んですっとぼける気か?おまえの家に借金があったなんて聞いてないぞ!」
「‥‥異端審問院でわたしの身辺を調査されなかったのですか?」
「親友だからって拒否した!」
今日ほどディルハルトがバカじゃなくてよかったと心底思った日はない。エドガーは内心、安堵の息をついた。だが、彼が暴君なるか否か、王に就任してまだ1年にも満たない彼の権威を王直属の魔法使いとして陰らせるわけにはいかない。
「陛下。後任の魔法使いにはぜひ、異端か否かの尋問と精査をされることをおすすめします。では、わたしはこれで」
エドガーの言葉にディルハルトの顔から色が消え、ヒルメスとノクティスも押し黙る。静まり返った室内で一人、頭を下げたまま彼らの顔を見ずに扉の方角へ進もうとしたとき、背中に気配を感じて振り返ると、エドガーの背に剣の矛先が今にも貫くと言わんばかりの距離で突き付けられていた。剣の主であるディルハルトは、真剣な面持ちでエドガーを睨みつける。
「おまえには嫌疑がかかっている。晴れるまではこの部屋から出すわけにはいかない」
「嘆願書でも出されましたか?」
「そうだ。お前の派閥以外のこの城内にいる者すべてからのな」
すべて、というと。エドガーの頭の中を駆け巡るのは、城内で自分に笑顔を向けてくれた従者や気のいい貴族たちの顔だった。この部屋に来る少し前までお茶を交わし、自分が王に呼ばれた理由は悪いものではないだろうと励ましてくれた彼らも城内の人間だ。
「ヴァルティニウス、エリオンらはおまえの派閥の魔法使いだが、お前の出方によっては、彼らにも沙汰を下さなくてはならない」
「陛下は魔法がお弱いのですから、彼らを王の右臣左臣として残席させたほうがよろしいかと」
そう揶揄られた瞬間、剣の切っ先がエドガーの背にめり込むように近づいたことにヒルメスとノクティスが小さく悲鳴を上げる。彼らの様子を一瞥しながら同時にエドガーを射貫くように見やる。
「そう思うならば、わたしを納得させてみろ」
「納得?ここで取り繕ってもしょうがないだろ?真実しか答えられない」
取り繕った敬語すら忘れ、王としてではなく親友である男と対峙している自分にエドガーは正気に戻ったが、ディルハルトはそんなことどうでもいいと言いたげに手で彼の言葉を払う。
「なんでもいい。わたしを丸め込んで見ろ。お前のお得意の口八丁で」
「無理だよ」
「‥‥」
嘘でもいいから否定してほしい。懇願するような瞳を向けられても、エドガーの決意は揺るがなかった。そんな親友の梃子でも動かない頑固さを知っているのは、この世でディルハルトだけなことをエドガーもわかっていた。だからこそ。
「借金の話は本当なんだな?そのためにわたしに取り入ったのか?」
「ちがうよ。おまえと魔法学校で会ったのは偶然だ」
「子々孫々まで支払う能力がないにもかかわらず、国家予算越えの借金におまえも加担しているのか?」
「いいや。節制と名のつくものも、節約と銘打たれるものもすべて尽くして金を返している」
「家臣の嫁を次々と手籠めにしているというのは?」
「女に興味がない。それどころではないのは見てわかるだろ」
「‥‥そうか」
息継ぎすることすら忘れて質問していたせいか、ディルハルトは息を切らしながらエドガーに向けていた矛を降ろしながら、親友の目の奥を精査していた。何も疑われても埃すら出ないことはわかっていたが、それを証明してくれる味方が城内にいないことをエドガーは理解していた。ゆえに、何か起きても自分の責任で事を治められるほどの地位を力を蓄えることに必死で生きてきた。その苦労は、この場にいる全員が理解していた。
各々が魔法を扱う立場にあり、エドガーを幼い頃から見てきたからこそ、黙っていられない。エドガーに向ける三人の視線は優しいものであるものの、王であるディルハルトだけは変化していた。
「嘆願書には、おまえが暗に国家転覆を謀っているとの密告書もある」
「家臣か?」
「あぁ。基本的には。わたしは、おまえの素行に問題はないと信じているが、おまえの祖先、そして‥‥言いたくはないが、地方の教会や宗教に資金提供していた父上母上の思想の健全性を証明することができない以上、王としておまえを安全な人間だと肯定する立場にない」
「それは、旅先で困っている人間に寄付をしただけだ。特定の思想に加担しているわけでは‥‥」
「調べさせたが、ご両親が寄付した金の提供先には、賊の資金源になっているものがあった。これは、どう説明してくれる?」
諫められる親友の目は、国を守らんとする王のものだった。エドガーは彼の真摯な目と声音に縫い留められたように押し黙っている。その姿を眺めながら剣を鞘に納めたディルハルトが、エドガーに告げた。
「エドガー・クレメンツ。おまえは今日から、この国の殺し屋として働いてもらう。これは、命令だ」




