第44話:誘導
「これで詰みです」
その言葉から、三日。
状況は――“好転しているように見えた”。
◇
「また価格が落ちてる」
エリシアが報告書を見ながら言う。
「特定の商品だけ、ピンポイントで」
「ええ」
俺は頷いた。
想定通りだ。
市場は、再び歪み始めている。
だが――
(今回は違う)
前回と同じように見えて、構造は逆だ。
◇
「これ、またやられてるんじゃない?」
エリシアが眉をひそめる。
「物流も微妙に削られてるし」
「信用も、じわっと落ちてる」
「ええ」
「完全に同じ流れだよ?」
「はい」
その通りだ。
「だから問題ありません」
「……は?」
◇
「今回のこれは」
紙を指で叩く。
「“誘導”です」
「うん、知ってる」
「ただし」
一拍。
「“こちらが仕込んだ誘導”です」
エリシアが固まる。
「……え?」
「相手は今」
「自分のやり方を、繰り返している」
「成功体験です」
「前回、これで勝った」
「だから、今回も同じように動く」
「……」
「それを前提に」
「こちらは契約を組んだ」
静かに言い切る。
◇
「つまり?」
「動かしているのは、向こうです」
「でも」
「“動かされている”」
エリシアが息を呑む。
「……逆転してる」
「ええ」
ようやく、盤面がひっくり返った。
◇
「でもさ」
エリシアがまだ不安そうに言う。
「このままだと、また削られるよ?」
「ええ」
「いいの?」
「いいです」
即答する。
「削らせます」
「……」
「利益も」
「信用も」
「一部は落とします」
「え、それ大丈夫なの?」
「問題ありません」
「なぜなら」
一拍。
「“その先”で回収するからです」
◇
机の上の契約書を開く。
あの条文。
あの“出口”。
「ここです」
「……まだピンと来ない」
「発動条件は三つ」
「価格乖離」
「供給偏重」
「そして――」
指で強く叩く。
「継続取引」
「……あ」
エリシアの目が見開かれる。
「続けるほど、ハマる?」
「その通りです」
「止めればいいんじゃない?」
「止められません」
「なぜなら」
「勝っていると思っているから」
沈黙。
そして――
「……最悪」
小さく呟く。
◇
報告が続く。
「価格、さらに下落」
「競合が撤退し始めています」
「こちらのシェア、拡大中」
いいニュース。
だが――
それが罠だ。
「ほら、やっぱり勝ってる」
エリシアが言う。
「向こうが、ね」
「ええ」
頷く。
「“そう思わせる”のが目的です」
◇
「どこまでやらせるの?」
「限界までです」
「限界?」
「はい」
「踏み抜く直前まで」
「……怖いね」
「ええ」
「ですが」
「必要です」
中途半端では意味がない。
深く踏ませる。
戻れないところまで。
◇
夜。
最終報告が届く。
「市場シェア、過去最高を更新」
「競合、ほぼ壊滅」
「当該商会、完全優位」
完璧な勝利。
そう見える。
だが――
(あと一歩)
その一歩で、すべてが反転する。
俺は静かに書類を閉じた。
そして、淡々と言う。
「そのまま進んでください」




