表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミステリー短編集  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
94/95

灰色の残響 最終話

 朝の光が、まだ冷たい。

 森を抜けた道を歩きながら、私は何度も振り返っていた。


 ──もう何も残っていないはずの場所を。


 崩れた館は、ただの瓦礫になっていた。

 でも、胸の奥ではまだ、あの夜の声が消えていない。


「……本当に終わったのかな……」


 思わず漏れた言葉に、彼は優しく答えた。


「終わらせるよ。俺たちが」


 その声に救われるたび、胸が痛くなる。

 私はずっと、誰かに救われる資格なんてないと思っていたから。


 あの日──私は友達を見捨てた。助けられたのに、怖くて逃げた。その罪は、ずっと私の中で腐り続けていた。


 だから、館で“罪”と言われたとき、私は心のどこかで納得していた。


 ──ああ、やっぱり私なんだ。


 でも、彼は違った。私の罪を責めるどころか、抱きしめて、守って、「向き合えるようになった」と言ってくれた。


 そんな人が、この世界にいるなんて思わなかった。


「澪、大丈夫か?」


 彼が立ち止まり、私の顔を覗き込む。

 その瞳は、夜の闇の中でも、朝の光の中でも、いつもまっすぐで、温かい。


「……うん。大丈夫。ただ……ちょっと、怖いだけ」


「何が?」


「また……誰かを見捨ててしまうんじゃないかって」


 彼は少しだけ目を細め、私の手を握り直した。


「澪はもう逃げないよ。あの夜、ちゃんと向き合ったじゃないか」


 その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。


 ──向き合った。

 逃げずに、言えた。

 あの日のことを。


 でも、それは彼がいたからだ。

 彼がいなかったら、私はきっとまた逃げていた。


「……ありがとう」


 私は小さく呟いた。


「あなたがいたから……私、生きて帰れた」


 彼は照れたように笑った。


「俺もだよ。澪がいたから、俺も逃げずに済んだ」


 その言葉が、胸の奥に深く染み込んでいく。


 ──罪を抱えた者が、罪を抱えた者を救う。


 影の主が言っていた言葉。

 あれは、私たちのことだったのかもしれない。


 ふと、風が吹いた。

 森の奥から、葉が舞い上がる。


 その風の中に、微かな声が混じった気がした。


 ──戻れ。


 私は思わず立ち止まった。


「……今の……聞こえた?」


 彼は首を振る。


「風の音だよ」


「違う……誰かが……呼んでるみたいで……」


 胸がざわつく。

 あの夜の残響が、まだ私の中に残っている。


 でも──彼は私の手を握り、静かに言った。


「澪。それは“昔の澪”の声だよ。助けてほしかった自分の声だ」


 私は息を呑んだ。


 ──助けて。


 あの日、友達を見捨てたあと、私が一番助けてほしかったのは、きっと“私自身”だった。


「……そうかもしれない……」


 涙がこぼれた。

 でも、その涙はあの夜のものとは違う。

 少しだけ、温かかった。


「澪」


 彼が優しく呼ぶ。


「帰ろう。ここから、また始めよう」


 私は頷いた。


「うん……あなたと一緒に……帰りたい」


 朝日が森を照らし、長い夜の影をゆっくりと溶かしていく。


 私は彼の手を握り、前を向いた。


 罪は消えない。

 でも、向き合える。

 そして──誰かと一緒なら、歩いていける。


 光の方へ。

 新しい朝の方へ。


 私は、もう逃げない


 ♢♢♢


 あの館を出てから、三日が経った。

 私はまだ、夜になると眠れない。


 窓の外に風が吹くたび、木々が揺れる音がするたび、胸の奥がざわつく。


 ──戻れ。


 あの声が、まだ耳の奥に残っている。


「……大丈夫……大丈夫……」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 でも、心は簡単には静まらない。


 あの夜、私は“罪”と向き合った。

 逃げずに言えた。

 でも──向き合ったからといって、すぐに癒えるわけじゃない。


 罪は消えない。

 ただ、形を変えて胸の奥に沈んでいる。


 そんな夜、スマホが震えた。


 ──『外に出られる? 少し歩かない?』


 彼からのメッセージだった。

 私は迷わず返した。


 ──『行く。すぐ行くね』


 外に出ると、彼が街灯の下で待っていた。

 その姿を見ただけで、胸の奥のざわつきが少しだけ和らぐ。


「来てくれてありがとう」


「ううん……私のほうこそ……」


 彼は私の顔を見て、少しだけ眉を寄せた。


「眠れてないだろう」


「……うん。でも、大丈夫。あなたがいると……落ち着くから」


 彼は照れたように笑い、歩き出した。


「じゃあ、少し遠回りしよう。夜風に当たると、気持ちが軽くなる」


 私はその隣を歩いた。

 街灯の光が、彼の横顔を柔らかく照らす。


「……ねえ」


 私は小さく声を出した。


「あなたは……怖くないの?」


「何が?」


「罪とか……あの夜のこととか……また何か起きるんじゃないかって……」


 彼は少し考えてから答えた。


「怖いよ。でも、怖いからこそ──誰かと一緒にいたいって思うんだ」


 その言葉が胸に染みた。


「澪は?」


「……私も……怖い。でも……あなたと一緒なら……少しだけ前に進める気がする」


 彼は立ち止まり、私の手をそっと握った。


「澪。あの夜、君は逃げなかった。罪と向き合って、言葉にした。それは簡単なことじゃない。俺は……君を誇りに思ってる」


 胸の奥が熱くなり、涙がこぼれそうになる。


「……そんなふうに言われたら……泣いちゃうよ……」


「泣いていいよ。泣くのは弱さじゃない。生きてる証拠だ」


 私は彼の胸に顔を埋めた。

 涙が止まらなかった。


「……ありがとう……本当に……ありがとう……」


 彼は何も言わず、ただ背中を優しく撫でてくれた。


 しばらくして、涙が落ち着くと、彼は空を見上げた。


「澪。罪は消えない。でも、罪を抱えたままでも──人は前に進める。俺たちは、それを証明したんだ」


 私は空を見上げた。

 夜空は澄んでいて、星が静かに瞬いていた。


「……ねえ」


 私は言った。


「私、これからもきっと……自分を責めると思う。あの日のこと、忘れられないから」


「忘れなくていいよ」


 彼は優しく言った。


「忘れたら、澪じゃなくなる。でも──その痛みを抱えたままでも、誰かを救える人になれる」


 私は彼の手を握り返した。


「……なれるかな……?」


「なれるよ。俺が保証する」


 その言葉に、胸の奥が温かくなった。


 風が吹き、街路樹の葉が揺れた。

 その音は、もう“戻れ”ではなかった。


 ただ、静かに夜を撫でる風の音だった。


 私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「……私、生きたい。ちゃんと……前を向いて生きたい」


「うん。一緒に生きよう」


 彼の言葉に、私は微笑んだ。

 罪は消えない。

 でも、罪を抱えたままでも──光の方へ歩いていける。


 私はもう逃げない。

 あの夜を越えた私なら、きっと大丈夫。


 彼と一緒なら、もっと大丈夫。


「……帰ろう」


 私は言った。


「新しい朝の方へ」


 彼は頷き、私の手を握った。


 私たちは並んで歩き出した。

 夜の静けさの中を、ゆっくりと。


 ──光の方へ。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ