灰色の残響 第7話
鉄格子に閉じ込められた監視部屋は、息苦しいほど静かだった。
壁に貼られた僕たちの写真が、まるで無数の目のようにこちらを見ている。
澪は肩を抱きしめ、震える声で言った。
「……ここ、本当に“犯人の部屋”なんだよね……こんなに近くにいたなんて……」
「近くどころか、ずっと俺たちの“隣”にいたんだ」
三枝が壁の覗き穴を指した。
「この穴はホールに繋がっている。つまり──“偽の主”は、俺たちの会話を全部聞いていた」
僕は喉が乾くのを感じた。
──僕たちは、最初から“舞台の上”だった。
そのとき、机の上のノートが風もないのにひらりとめくれた。
ページには、赤いインクでこう書かれていた。
〈第四段階〉
三人目の選定は、行動観察に基づく。
条件が揃い次第、儀式を開始する。
澪が息を呑む。
「……儀式……? 何をするつもりなの……?」
「まだ分からん」
三枝はページをめくりながら言った。
「だが、“三人目”はまだ決まっていない。つまり──俺たちの行動次第で、誰でも“選ばれうる”」
僕は写真の壁を見つめた。
そこには、僕たちの“表情”が細かく記録されていた。
笑った瞬間、怯えた瞬間、怒った瞬間──まるで、感情そのものを測られているようだった。
「……これ……」
澪が一枚の写真を指さした。
「佐伯さんが倒れる前……誰かと話してる……?」
僕は写真を手に取った。
佐伯が廊下で誰かと向き合っている。
だが、相手の顔は影になって見えない。
「この影……」
三枝が写真を覗き込む。
「“偽の主”じゃない。もっと背が低い。肩幅も狭い」
「じゃあ……誰?」
澪が震える声で言う。
僕は写真の端に書かれた小さな文字に気づいた。
〈三日目・午後〉
“対象B”と接触。
「対象B……?」
僕は呟いた。
三枝がノートをめくり、対応するページを探す。
「……あった。“対象A=佐伯悠斗”“対象B=水沢玲奈”」
澪が息を呑む。
「玲奈さん……? 佐伯さんと……何を話してたの……?」
僕は写真を見つめた。
玲奈の姿は写っていない。
だが、影の輪郭は確かに“女性”のものだった。
そのとき、鉄格子の向こうで足音がした。
コツ……コツ……
澪が僕の腕を掴む。
「……誰か来る……!」
三枝が鉄格子の前に立つ。
「隠れろ。声を出すな」
僕たちは机の下に身を潜めた。
足音はゆっくりと近づき、鉄格子の前で止まった。
しばらく沈黙が続いたあと──“何か”が鉄格子に触れる音がした。
カチ……カチ……
鍵をいじるような音。
澪が小さく息を呑む。
「……開けようとしてる……?」
だが、次の瞬間──鍵の音は止まり、足音は遠ざかっていった。
コツ……コツ……
やがて完全に消える。
三枝が鉄格子に近づき、鍵穴を調べた。
「……開けようとした形跡がある。だが、途中でやめた。“偽の主”じゃない。あいつなら迷わず閉じ込め続ける」
「じゃあ……誰が……?」
澪が言う。
三枝は短く答えた。
「──“味方”だ」
僕は息を呑んだ。
味方。この館に、まだ誰かがいる。
そのとき、机の上の録音機が突然動いた。
ガチッ。
再生ボタンが押され、声が流れた。
「……聞こえる……? これを見つけた人へ……私は……閉じ込められている……助けて……」
澪が震える声で言った。
「……この声……玲奈さん……?」
録音は続く。
「“主”は……二人いる……気をつけて……一人じゃない……」
そこで録音は途切れた。
三枝が息を呑む。
「……二人……?」
僕は録音機を握りしめた。
──犯人は一人ではない。
──“主”は二人。
その瞬間、鉄格子の向こうの壁に、赤い文字が浮かび上がった。
まるで、誰かが今書いたように。
『三人目は、まだ“選ばれていない”』
澪が震える声で言った。
「……じゃあ……本当に……これから“選ばれる”……?」
三枝が短く頷いた。
「だからこそ──ここから反撃する。犯人を“観察する側”に回るんだ」
僕は拳を握った。
──逃げるのではなく、追う。
──選ばれる前に、選ぶ。
録音機の声が途切れたあと、監視部屋には重い沈黙が落ちた。
“主は二人いる”──その言葉が、部屋の空気を一変させていた。
澪は僕の袖を掴んだまま、小さく震えていた。
「……二人って……じゃあ、影の“主”と……もう一人……?」
「そうだ」
三枝は録音機を机に置き、鉄格子を見つめた。
「影の衣装を着て動き回る“実行役”と、ここで観察記録を書いていた“指示役”。役割が分かれている」
僕は壁に貼られた写真を見渡した。
──視線の高さが違う。
──撮影位置もバラバラ。
──複数の視点。
「……写真も、二人で撮ってた……?」
僕が言うと、三枝は短く頷いた。
「一人じゃ、これだけの量は無理だ。“主”は二人。そのうちの一人が、今ここに来て鍵を触った」
澪が息を呑む。
「じゃあ……私たちを助けようとしたのは……“もう一人の主”……?」
「可能性はある」
三枝は鉄格子の鍵穴を覗き込んだ。
「だが、まだ判断はできん。敵か味方かも分からない」
そのとき、部屋の照明が一瞬だけ揺れた。
薄暗くなり、すぐに戻る。
だが、その一瞬の暗闇の中で、鉄格子の向こうに“誰か”が立っていた気配がした。
澪が小さく叫ぶ。
「い、今……誰かいた……!」
「落ち着け」
三枝は鉄格子の前に立ち、周囲を見渡した。
「姿は見えなかった。だが、気配は確かにあった」
僕は胸の奥がざわつくのを感じた。
──犯人の一人が、すぐ近くにいる。
そのとき、机の下で“カサッ”と音がした。
「……何か落ちてる」
僕は手を伸ばし、小さな紙片を拾い上げた。
白い紙。だが、今までの数字カードとは違う。角が焦げ、端に黒いインクが滲んでいる。
三枝が紙を受け取り、目を細めた。
「……これは……」
紙には、たった一行だけ書かれていた。
『三人目は、あなたたちが決める』
澪が息を呑む。
「……え……? 私たちが……決める……?」
「つまり──」
三枝は紙を握りしめた。
「“主”の一人は、俺たちに協力しようとしている」
僕は混乱した。
「協力……? どうして犯人が……?」
「理由は分からん」
三枝は短く言った。
「だが、二人の“主”の間に、何か対立がある。片方は儀式を進めたい。もう片方は、それを止めたい」
澪が震える声で言う。
「じゃあ……さっき鍵を触ったのは……“止めたい側”……?」
「だろうな」
三枝は鉄格子を押した。
「そして──その人物は、俺たちに“選ばせよう”としている」
「選ぶって……何を……?」
三枝は壁の写真を指した。
「“三人目”だ」
澪が青ざめる。
「そんな……誰かを犠牲にしろってこと……?」
「違う」
三枝は首を振った。
「“三人目”を選ぶことで、儀式を“破壊できる”可能性がある。儀式は“主”が選ぶ前提で組まれている。なら、俺たちが先に選べば──計画は崩れる」
僕は息を呑んだ。
「……つまり、“偽の主”の計画を壊せる……?」
「そうだ」
その瞬間、鉄格子の鍵が“カチッ”と音を立てた。
澪が叫ぶ。
「開いた!!」
鉄格子がゆっくりと上がっていく。
誰もいない廊下。
ただ、冷たい風だけが吹き抜けていく。
三枝が言った。
「行くぞ。“主”の一人が、道を開けた。今が唯一のチャンスだ」
僕たちは監視部屋を出た。
廊下の奥には、赤い矢印が床に描かれていた。
まるで、誰かが急いで残したように。
澪が呟く。
「……これ……“こっちへ来い”って……?」
「案内だ」
三枝は矢印を見つめた。
「“止めたい側”の主が、俺たちを導いている」
僕は拳を握った。
──犯人は二人。
──そのうち一人は、味方になりうる。
そして、“三人目”を選ぶことで儀式を壊せる。
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