百二十話 まだ見ぬ季節の始まりに
新しい護衛との顔合わせは、それからすぐのことだった。
長椅子に腰掛けるオフィーリアの前に、二人の近衛が立つ。驚いたのは、そのうち一人が女性だったからだ。短く切り揃えた茶色の髪に、澄んだ緑の瞳。背も女性にしてはかなり高い。
「今後はこの二人が交代であなたの護衛をします。王宮近衛の、レオニー・アイゼンベルクとディルク・ランフェルトです」
テオバルトに促されて、レオニーが一歩前に出る。
オフィーリアと目が合うと、彼女はにこりと微笑んで見せた。
「お目にかかれて光栄です。精一杯務めますので、よろしくお願いいたします!」
はきはきした明るい声に、思わず気押されてしまいそうになる。その隣に立つディルクは、黙って深く一礼するのみだった。
王宮近衛といえば、王宮の警備や大公家の護衛に関わる部隊だ。二人とはいえ、近衛が私人に付くことが普通だとは思えない。きっと、大公ハインリヒの取り計らいがあったのだろう。
テオバルトが「よろしく頼む」と言えば、レオニーは素早く姿勢を整え、胸に手を当てる。知識としてしか知らないが、恐らくそれが近衛としての礼だった。
「お任せください! たい——閣下」
レオニーが何かを言いかけ、誤魔化す。取り繕うように咳払いする彼女をテオバルトは苦笑混じりに見ている。どこか親しげな反応は、彼にしては珍しい。
「リア。彼女は私が軍にいた頃の部下でして。少々賑やかですが、腕は確かです」
「短い期間ではありますが、兄共々、ご指導いただきました!」
テオバルトの言葉を受けて、レオニーは誇らしげに胸を張った。
もしかすると、先程の不自然な言い淀みは『大尉』と言いかけたのかもしれない。
「よろしくお願いいたします、アイゼンベルク卿」
「こちらこそ!」
そしてオフィーリアは隣に立つディルクへ視線を移す。短く整えられた髪に、湖面のような青い瞳。すらりとした長身はいかにも武人といった印象を受ける。
彼があのレティシアの婚約者だと聞いているが、明るくて賑やかな彼女と、この寡黙な青年が並んでいる姿はあまり想像できなかった。
「彼は、若手では一番の腕前だそうですよ」
「……よろしくお願いいたします」
テオバルトの紹介を受けたディルクはぎこちなく短い挨拶を述べ、それ以上は何も言わない。
視線が一瞬こちらに向いたが、すぐ別の方向に逸れてしまう。
「すみません。この子、ちょっと人見知りで。慣れてきたら普通に話せるようになります。——目付きが悪いのも生まれ付きだそうです」
そう横から口を出してきたのはレオニーだった。何か言いたげなディルクにじろりと睨まれると、悪びれた様子もなく最後にそう付け加えた。
そのやり取りがどこか微笑ましくて、オフィーリアは思わず小さく笑みをこぼす。
「お二人とも、これからどうぞよろしくお願いいたします。ただ本日は外出の予定がないので……どうしましょう?」
少なくともこの屋敷の中は安全で、常に護衛を二人も付けておく必要はないはずだ。自分が屋敷にいる間、レオニーとディルクは何をして過ごすのだろう。そんな疑問とともに、オフィーリアはテオバルトへ視線を向けた。
「そうですね。まずは彼女に屋敷の案内をお願いします。ランフェルトは私と来てください」
そう言ってテオバルトが立ち上がり、手を差し出す。迷わず手を取れば優しく引き上げられて、立ち上がった途端、その手はすっと離れていった。
胸の奥に残った名残惜しさも、彼の「では、また後ほど」という言葉であっさりと消えてしまう。自分の単純さに思わず呆れてしまいながら、オフィーリアは小さく頷いた。
◇
シュルテンハイム侯爵邸はそれなりに広いが、住んでいる人間が少ないこともあって、普段は使われていない区画もある。
オフィーリアは日頃よく使う区画を案内しながら、使用人たちに二人のことを紹介して回った。レオニーの朗らかで快活な性格もあって、一通り案内を終えた頃には少し打ち解けられた気がした。
「それにしても広いお屋敷……自分の部屋まで戻れなくなりそうで心配です」
レオニーが大袈裟に肩を竦めて見せた。その口調はどこか冗談めいていて、本気で心配しているわけではなさそうだ。
「私も一度、迷ったことがありましたよ」
「えっ」
驚いたように声を上げるレオニーに、オフィーリアは苦笑を返した。
この屋敷に来たばかりの頃にそんなこともあった。どこを歩いても同じような廊下が続いて、自分の部屋がどこだったかわからなくなってしまったとき、偶然居合わせたテオバルトが部屋まで連れていってくれた。
あの時はまだ喋ることはおろか、震える手で筆談することしかできなかった。そう思うと今の自分はまるで別人のよう。それもすべて彼が辛抱強く見守り、支えてくれたからだ。いつかその恩に報いたいと心から思う。
「私もディルクも平凡な子爵家の出ですから。こんなお屋敷には慣れていないんです」
「でも、普段は王宮にお勤めですのに」
「王宮と言っても、私たちが過ごすのは詰所や訓練場ばかりですよ。想像するほど華やかな仕事ではありませんね。式典では礼装して大公閣下のお側に立つこともありますが。——あとは、そうですね、大舞踏会では近衛も警備に駆り出されます」
大舞踏会——社交の季節の始まりと終わりに、大公家主催で開かれる催しだ。国事でもあるので、それは豪華で華々しいものだと聞いている。今年の始まりの舞踏会には参加できなかったが、終わりの舞踏会にはテオバルトと臨むことになる。
彼の立場上、多くの人間と挨拶しなければならないし、色々と注目されるに違いない。その緊張もありつつ、彼と踊れるかもしれないという期待にオフィーリアは密かに胸を膨らませてしまう。
「きっと閣下も楽しみにしていらっしゃるでしょうね」
ふと顔を上げると、レオニーが微笑んでいた。自分の顔に何か出ていたのだろうか。少し恥ずかしくなって視線を逸らす。
「軍にいた頃から閣下のことは存じ上げていますが、あんなに穏やかな表情をされる方だとは思いませんでした」
「……そうなのですか?」
「当時の閣下はとても厳しい方でした。訓練でも容赦なくて、私も兄も何度も泣かされました。私達のために敢えて厳しく指導してくださるとわかっているからこそ、そこに反発はありませんでしたけど」
そういう意味では、彼の根本的な部分はきっと変わっていないのかもしれない。
それでも自分の知らないテオバルトがいる。当然のことなのに、どこか寂しいような、もっと知りたいような、不思議な気持ちになる。
「私は昔のテオバルト様を存じ上げないので……アイゼンベルク卿が少し羨ましいです」
「じゃあ、少しだけご覧になります?」
レオニーが楽しそうに笑った。
「実は今、ディルクが閣下に稽古を付けていただいてるんです」




