物語3・17
王子の問いに答えられないのは、彼女の心に棲む誰かが、必死に彼女を引き留めているからなのか。
それが誰だったとしても、この大勢に囲まれた中、最初の一歩を踏み出した人間が運命に決着をつけるのは明らかである。
決着をつけるのは王子なのか、マリスなのか。
囁き声が交わされていたのも束の間で、二人の動向を見届けるためか、辺りは次第に静寂へと包まれていった。
「いいえ、わたくしは」
すると大広間の扉が、ギィと音を立てて片方開いた。
静かな中での物音だからか、やけに大きく聞こえた。そちらに顔を向ける人も何人かいて、私もその内の一人だった。
開いていないほうの扉に手をかけた男性が、中を見渡すように立っている。
しばらくすると男性はそのまま広間の中心方向へと歩いて行き、最初は気づいていなかった群衆も、誰かが歩いてきたことを認識した途端、自然と道を開けて通り道を作った。
マリスとゼノン王子も異変に気づき、同じ方向に顔を上げた。
「マリス様」
黒髪の男性は、異国の服を纏っていた。静かな大広間に、男性、いや、青年の声がよく通って聞こえる。
中心へ向かって歩いているのは、ここにいるはずのない人だった。
留学に行っているはずの、ハイズ・ロックマンだ。
驚いた表情でいるマリスのもとへ向けて、彼は歩みを進めていく。
困惑しているのはマリス本人だけではなく、参加者やその友人家族といった、広間にいる全ての人が彼の登場に驚いていた。
しかも今この瞬間、何者にも邪魔できないはずの場面。
人々は一挙一動も見逃さんとばかりに視線を向けている。
私の後ろにいる、彼の実兄アルウェス・ロックマンは「ドーランの服でくればよかったのに、持っていかせればよかったかな」と同意を求めるような頓珍漢な話をしてくる。
そんな場合じゃないし、知らないし。
「マリス様、私と来てください」
胸に手をあてマリスに手を差し出すハイズ・ロックマンは、前回会ったときよりも身長が伸びて大きくなっているような気がした。
そんな短期間で成長するとは思っていないが、どこか以前より堂々とした雰囲気を感じた。
吹っ切れた、とでも言うべきか。
「ぜんぶ、気持ちだって、この愚かな若造のせいにしてください」
「何を言って……こんな場所まで来て、本当に愚かですわ」
「ほうぼうから怒られるでしょうが、今を逃したら後悔することは目に見えていたので来ました。私だけでなく貴女まであらぬ噂の的になってしまうことは承知です。それについては先に謝っておきます」
うつむき、両手を握って身を引こうとしているマリスとの距離を、青年が詰めていく。
「幼い頃から貴女を見ていました」
「聞き飽きましてよ」
「強く気高いところに惹かれ、いつしか笑った顔や泣き顔、マリス様のすべてを知りたいと思うようになりました」
「でしたら、理想が外れてガッカリしたでしょうね。このように気性の激しい女ですから、夢見ていた女性像ではなかったでしょうに」
流星群が空にあったあの日と同じく、彼女はそっぽを向いた。あのときはそのまま喧嘩別れになってしまったので、今回もどうなってしまうのか私は気が気ではなかった。
しかし思いもよらない言葉だったのか、青年はきょとんと首を傾げていた。そしてにこっと口角を上げる。
「いいえ、愛しています」
慈しみの籠る表情で、マリスを見つめる。
「ぽっと出のゼノン兄様に奪われるのは、はなはだ悔しくてなりません」
その言葉にマリスは弾かれたように顔を上げて、ハイズ・ロックマンの視線を受け止めた。
時が止まったみたいに、彼らの間に流れる空気はゆったりとしていて、不思議な時間だった。
見つめ合いながらそのまま、彼女の手がそっと彼の手に重ねられる。
まるで物語の一節を見ている気分だ。
あんな表情のマリスを、私は初めて見たかもしれない。
ロックマンに恋をしていると言っていたときの彼女には見られなかった、いつも以上に自信へと満ち溢れた瞳だった。
いつだって魅力に溢れている女性だけれど、今のマリスならどんな花でさえも敵いっこない。
美しく咲き誇る笑顔の向こうに、満開の花畑が見えた。
二人の足が同時に扉のほうへ向き、揃って歩き出す。
そして途中で彼がマリスを横抱きで抱え上げると、マリスは嬉しそうに青年へしがみついた。
生まれて初めて贈り物をもらった、子どものような笑顔。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」
あと一歩で出られるというところで彼は会場を振り返り、一礼をした。
二人が出ていく瞬間まで静かだった会場は、白騎士がパタンと扉を閉めた途端に湧き上がる。
「これはいったい、どうなって」
「おお、アルウェス様! このことは知っておられたのですか!?」
「いいえ。まさかここまで来るとは思いませんでしたが」
傍にいるロックマンに目をつけた人たちが詰め寄って聞き込みに必死になる。情報をいち早く仕入れたい気持ちでいっぱいなんだろう。
しかし渦中の人物の兄である男は、この場を騒がせてしまい申し訳ない、王室への謝罪をしなくては、など終始何も語ろうとしなかったので、野次馬たちからすぐに見限られていた。
蹴散らすのうまいな。




