物語3・1
「おい、聞いてるか?」
「……うんうん!」
ベック君の勉強を見ている途中だった。
いかんいかん。集中しないと。
「どうしたんだよ」
こめかみをおさえて目を瞑る私を見てベック君は不安がる。
当たり前だ。教えてもらいに来ているのに教師役の人間が集中できていないのだから不安も不満も降り積もる。ぷくっと膨らませた頬が年相応でかわいい。
……おっと、余裕ぶって愛でている場合じゃない。
受付や食堂の賑わう音を背景に、私は気を引き締め直して参考書を開いた。
あの図書館の日から、三ヶ月が経過していた。
……三……ヶ月。
私があれからどうしていたかというと、びっくりすることに会うなどはおろか手紙を送り合うことさえしていなかった。
この光の季節後半がどう過ぎたのかあんまり記憶がない。何も変化がないし無駄に時間が過ぎた気がする。というか変化がなさすぎて記憶することがなかっただけのような。
そして、こんなにしょっちゅう気もそぞろな態度ではないけれど、周りの人たちには申し訳ないくらい、ふとした瞬間にぼーっとすることがたまにあった。
もちろんあれのせいで。
『結婚する?』のやつだ。
会うことがなく時間が経ちすぎたせいで最近ではあのときのことを思い出す度に記憶の中のロックマンが徐々に憎たらしい顔になってきていて、昨日はもう顎がしゃくれ出ていた。
完全にこちらをナメくさっている表情だった。腹立たしい。
あんなことを言われてから最初の二日間くらいは仕事に身が入らなかったが(いつもより無言で仕事していてゾゾさんに気味悪がられたが思うより仕事はちゃんとしていたので何か落ち込んでいるのではないかと心配された)今はそうでもない。こんなヘマも久しぶりだった。
あの日の食事の終盤に、ロックマンから大魔法使い会議に出席する、ということを聞かされていた。ここからだいぶ遠い国で開かれるそれに自分が行くのだと、そう、期間はちょうど三ヶ月くらいで。
その日の二日後には出発、前日は準備や荷仕度に引き継ぎを済ませて外相である第二王子に話を聞いてからと、忙しく予定が詰め込まれた末の旅立ち。
相変わらず働き詰めな奴だった。
だから会っていないのも無理はない。そもそもこの国にいないんだから。
でも私は思う。
三ヶ月もいなくなるのに口走るなよ、あんなこと、と。
いないじゃん。
父親の話に集中していたせいで自分が爆弾発言した自覚がないのか、ぬるっと「三ヶ月いないんだ」とか言えるあの神経、どうかしてる。
事実上の放置宣言。
花も恥じらう乙女に失礼だとは思わないのか。
私も私で、ちょっとまって失礼じゃない? とそのことに気がついたのは数日経ってからなので人のことはあれこれ言えないけど、感覚としては間違っていないはずだ。
これが今読んでいる恋愛小説の主人公の相手役の男だったら、ふざっけんな! と本を床に叩きつけて凍らせてまた床に投げつけて粉砕していたところだった。
トレイズしかり色々な女性がロックマンに熱をあげておかしくなっていく様子を見てきたが、これは……男側にもだいふ問題があるとみえる。
あいつは精神的な不安および心に闇を抱える人間製造機に違いない。
そりゃあ刺されるよ。私は刺さないけど、刺そっかなってなるよ。
トレイズに怒るのは間違いかもしれないとも思い直し始めている今日この頃。
でも長い期間会っていないおかげで今では冷静になれているから、私にはちょうどいい時間だったのかもしれない。
危ない男だと再認識できたいい機会ではあった。
ロックマンが言っていた大魔法使い会議というのは、キードルマニ大陸にある国や地域の代表が集まって、あれやこれや頭のいい人たちが意見交換をする場所、なんだそうだ。
そんな集まりあるんだ……と初めて聞く組織だったが、どうやらロックマンも初めて聞いたようで、なにそれ、と思ったらしい。
会議の発端者は大陸北西部に位置するハルルク公国やサーランド王国で、招待状はあらゆる国に届いていた。
もちろん隣国のシーラにもヴェスタヌにも届いている。
大陸の勇者たち、という見出しが以前新聞に出ていた通り、魔物しか生息していない島? 新大陸? が発見されたのはその国々がある地域の側で、周辺の国が討伐隊や調査隊を派遣したものの、なかなか解決には至っていなかった。
シュテーダルのこともあり西側だけで対処するのは心もとないと思ってのことか、内陸の遠いこの国まで、さらには果ての東側まで知識人を集めて一致団結して解決しよう、ということである。
魔物がうじゃうじゃいる変な島みたいなのが近くにあったら確かに怖い。
せっかく同じ危機を経験したのだから、協力し合うのが一番だと私でも思う。
出席する人間はどう決めているのか知らないが、ドーラン王国はアルウェス・ロックマンだった。
だったというか、これが来たんだ、とその招待状らしきものをチラチラ見せられただけなので他にももらった人がいるかもしれないけど、招待状がシュゼルク城のドーラン王あてに一緒に届いていたようで、そちらのアルウェス・ロックマンを招集させていただきたい、という内容だったと教えてくれた。
本当はアリスト博士を呼びたいような内容だったらしいが、罪人である彼を国外へ出すのは憚られる。
これがドーラン開催だったらまだ考えられたかもしれないが、状況が状況なので致しかたない。
第一回目だから、もしかしたら何回か開かれた末に参加できることも、奇跡的に今後はあり得るかもしれない。私の希望でしかないが。
あとロックマンの情報によれば、ヴェスタヌはボリズリーさんが呼ばれている。
だと思った。
そんな話を聞いて、まぁまぁ、ちょっとうらやましい気持ちになる。チラチラ手紙を見せられたときの私の心境はうまく語現化しがたい。
だって他の国の人から認知されるほど、あいつは頭がいい! 優秀な魔法使いだぞ! と指をさされて直に言われているようなものなんだから。
そんなの私だったら絶対に自慢する。いの一番にこれ見よがしに周囲へ鼻高々に話していたと思う。
そんな考えを持つ愚か者なので、チラチラチラチラ見せられて自慢されている気分になった私は、へぇぇぇえ、と一言返しただけにとどまった。
凄いねとか気をつけてねとかそういう人としてあるべき思いやりの姿の一つや二つでも見せればよかったのに隠せぬ嫉妬が大き過ぎて大人げなかった。
帰ってきたらお疲れ様、と、せめて労いの言葉でもかけようと思う。
前にも調査に出たりで王国を留守にすることが多かったので、ドーラン的には招待で国を離れられてもそこまで難しい顔はされなかったそうだ。
騎士団にはゼノン王子もいるし、宮廷魔術師もロックマンだけではなく優秀な人たちが残っているので、心配はそこまでいらないんだろう。
つくづくこの国は有望な人材が溢れていて将来安泰だなと達観する。
まぁ、だから、とうぜん手紙を送れるはずもなく。
帰って来たら連絡する云々とは言われたけど、手紙を送れそうにない場所だと、しおらしく申し訳なさそうに最初にことわられたので送るつもりもなかったが。
まず送ったところで何を話せって……。
結婚なんたらのこと? 無理です。
放置状態とか被害者ぶってしまったが、私も散々な言葉を返してしまっていたし。
『なに言っちゃってんの』
『結婚!?』
『信じられない』
『好きなのやめる』
好きなのやめるとか言って話をのむ前提での会話を一個もしていなかった。だからそれについて言及しないのは寧ろ当たり前な気がするし、向こうも気まずく思っているに違いない。
形だけで考えたら私が振っているようなものなんだから、それがわからないほど馬鹿な女ではない。
冗談か本気なのかやっぱり今一つ不信感が拭えないけれど、冗談でああいうことを言う人間ではないと思うので、本当にこっちのことを考えて提案してくれたのだとは思っている。
でも言い方と場所はどうかとは思う。
あそこでもし「はい」と返事していたらどうなっていたんだろう。とんとん拍子に話が進んだのかな。
と、自分が肯定的に思っていることに気がついて頬をはり倒す。
「おまっ、大丈夫かよ?!?」
「大丈夫。続けて」
目を覚ませ平民女。
相手はあの女誑しの公爵息子、いや今は本人が侯爵か。
「止血剤の代用はスウェンクリの体液? でいいのか?」
「惜しい。体液じゃなくて唾液かな。体液には違いないけど採点細かいからさ」
ベック君の学習能力は素晴らしい。吸収がいいのもそうだが、わからない! と匙を一度も投げたことがない。
柔軟でのびのびとしている。勉強というものと上手く距離がとれているのだと思う。
頭がこんがらがるほど考えこまないし、たぶんこんがらがる前にこっちに聞いてくる。ガーっとなるのを本能で操作しているというか。
まったくどこかの銀髪とは大違いだ。あいつは宿題をうつすだけうつして試験は山勘。それで卒業できるんだからある意味すごい奴だと尊敬はしている。あれはあれで勉強との距離をうまく計っていたのかもしれない。
そう考えると試験前の自分の徹夜漬けの毎日は異常かつ不健康にもほどがあったなと反省する。
要領が悪かった。
もし今後ベック君がそんなことをしようものなら刺し違えてでも止めよう。
「つーか治癒魔法があるのに止血剤使うことってあんのかよ」
「治癒は便利だけど、本人の生命力に大きく左右されるから止血剤がとっても大事。大量出血は避けないと、治癒も効きにくくなるし。その場に他の人がいなかったら自分の治癒魔法で処置するより止血剤で初期の手当をしてから治癒した方が効率がいい、って昔先生に教わったな」
魔法が優れていることもあるし、それ以外のもので対処したほうが効果がよりよくなることもある。使いどころが重要だ。
止血剤には塗り薬と経口薬があり、塗り薬は副作用がないのに対し、経口薬はめまいや動悸、息切れや過剰出血が見られることがある。安全に気軽に使えるのは塗り薬だが、大量出血で危ない場合は経口薬のほうが効果は抜群にいいので、その時の状況で使い分けるのがいい。
「大丈夫? 今日はここまで。止血剤は塗り薬のほうを一個あげるから、もし何かで怪我したらその時使って試してみてね」
「おう」
今週の勉強を終えたベック君は、学舎の宿題を抱えて席を立つ。
また来週な、と後ろ手を振って魔導所から出ていった。
事務席に座って、今日の相談内容をまとめる。
「ミリーさん最近来ませんねぇ」
チーナが不貞腐れた顔で事務机に寝そべっている。
所長に怒られるぞと小突いた私は、彼女の言うミリー・ライカンという破魔士の男性を思い浮かべる。
薄茶色の髪で癖っ毛のある、かっこいい系よりかわいい系の、でもすらっと背の高い柔和な紳士。
私より五つ歳上で、ヴェスタヌ王国出身のイケメンだ。階級はキングスで、破魔士の女性陣にもモテている。彼が来ているときのハーレ内は、黄色い視線を送る女性たちの影響でちょっとソワソワしている。
「あ~違う国に行く人もいるし……。ヴェスタヌの人だしキングスならどこでだって大丈夫だからね」
「でも~神殿修繕の仕事が終わったら今度遊園地に行こうって誘ってくれたんですよ? その気になって返事したのに、勝手に出国なんて酷くないですか!?」
「そんな仲だったの?」
「かっこいいですし~キングスですし~優しくて~喫茶店でも椅子を引いてくれる紳士で~」
「そんな仲だったの!!!?」
いつの間にかチーナが恋人を作っていた。
「いえまだ恋人じゃないです」
「なぁんだ」
「遊園地で告白してくれるのかな~? ってドキドキしてたのに、弄ばれた気分ですよ! 仕事終わって報告しに来た時なんか私のこと無視ですよ!? 酷い!」
もう男なんて知らない! ミリーさんの馬鹿! と事務机で荒ぶるチーナ。
良い雰囲気になったからといって、それが上手く続くとは限らない。
「ばーか馬鹿馬鹿馬鹿!」
皆そんなものなのかぁ。
次話来週金曜更新予定です。




