197話 女性参政権
38年の暮れになって、女性参政権が国会で承認された。
女性参政権はこれまで、衆議院で2度も承認されたが、貴族院で却下されていた。正平の内閣でこれをまた取り上げ衆議院を通過すると、流石に今度は貴族院でも否決することはできなくなり、ようやく承認されたのだ。
明治末・大正デモクラシーのころから日本の女性の地位向上を目指す運動は盛んになり、平塚らいてうの青鞜社が結成され、これに市川房江、奥むめおなどが加わり19年に新婦人協会が創られた。更には日本参政同盟、婦人参政権獲得同盟などでき、日本においても女性の地位向上を目指す動きは広まっていた。これらの運動で、悪名高い治安警察法の一部改正や、女性弁護士も認められるようになった。だが、31年婦人参政権を条件付きで認める法案が衆議院を通過したのだが、貴族院が反対して日の目を見なかった。
まだ被選挙権は与えられてないが、正平の内閣になって、女性の参政権が認められたのは大きな成果だった。
世界的に見ても、日本の女性参政権承認は決して遅いものではない。
世界で初めて女性参政権を認めたのは、1893年のニュージーランドで、オーストラリア(02年)フィンランド(06年)、ロシア(17年)カナダ・ドイツ(18年)と続いた。
イギリスは比較的早くから女性参政権運動が始まっていたが、18年に30歳以上の女性にだけ参政権が認められ、21歳以上の男女平等の普通選挙権が認められたのは28年からだ。
アメリカは女性の社会進出が進んでおり、女性の参政権獲得は早かったように思われるが、11年のワシントン州などの一部では認められたものの、全国的には遅れ憲法により保証されたのは20年からだった。
フランスなどはフランス革命で72年には男性の普通選挙権が認められたが、女性は除外されており、38年においてはまだ認められていない。
世界の大半の国が植民地状態であったことを考えれば、日本の女性の社会進出、男女同権の考えは決して遅れていたのではない。
正平が女性参政権に熱心に取り組んだのは、日本が男女平等の社会であることを世界にアピールする狙いもあった。
「アジア圏は欧米諸国から専制君主的で、封建的な国家と見なされている。社会制度が遅れ、憲法もなく法律も守られない国だとみなされている。日本は一応、列強国の仲間入りをしても、どこかで同じアジアのいまだにアジアの国であり、遅れていると思われているのだ。
特に、ルーズベルト・アメリカ大統領となると、日本への敵意まで感じられる。彼は日本をドイツ、イタリアと同列に扱い枢軸国と考えているようだ。日本がこの2年間近く、中国と戦闘を交えてないのに、中国を侵略していると思い込んでいる。私の外交姿勢を説明するとともに、日本が女性にも政治参加を認める国だと示すことで、彼の認識も少しは変わるだろう」
女性の参政権をことのほか喜んだのがメアリだった。
「これで、初めて私も投票することができるわね」
20年にアメリカが女性参政権を決めたので、彼女は地方選挙などで投票をすることはできたのだが、仕事と重なり実際に投票用紙を手にすることはなかった。
日本に来てから、日本女性の社会進出に力を入れ、教え子たちの就職に熱心に取り組んだ。そこには彼女なりの男女同権の意識があったからだ。日本が女性の参政権がないのを不満に思っていたし、折角は間口内閣で女性の参政権が認められたのに、貴族院で否決されたのを残念に思っていた。
それが彼女の夫の内閣の手によって、参政権を手に出来た。彼女の喜びは分かる。
「できるなら、あなたの名前を書いて、投票したいものね」とにっこり笑う。
その一言が、正平に新たな決意を生むことになる。
日本では軍人は政党に属し、政治家にはなれないことになっている。現役の軍人で、陸軍大将でもある正平も当然、どこの政党にも属してないし、政治家でもない。
首相ではあるが、被選挙権は持っていない。
前から、自前の政党をつくる考えを持っていたが、それには現役の軍人を辞めなければならない。それは陸軍大臣の辞職を意味した。
「軍部を掌握しておくためには、まだまだ陸軍大臣を辞めるわけにはいかない」
陸海空3軍が統一して、国防省の創立は固まった。それでも国防省の人事や制度の確立などはこれからの課題だ。
正平の気持ちではまだまだ4,5年は現役の軍人をやり続けるつもりだった。
「自由党を設立して、安田を党代表にすれば国会対策はよりやり易しくなる。」そんな考えを持ち、政党設立を図って来た。衆議院の任期が満了となる40年の初頭までに、準備が整い、立候補予定者の目途もつくようになって来ている。
「選挙と言うのは開けて見ないと何が起こるか分からない。選挙に出ても必ず勝つとは言い切れない。俺が出ても同じだ。まだまだ俺が政治家になるのは早いだろう。」
ただ妻の屈託のない笑顔を見ると、妻の希望を叶えてもいいのではないかと思うようにもなったのも事実だった。
実際には日本で女性の参政権が認められたのは、戦後になってからです。ただ私は当時の政治状況を見ると、政権が真剣に女性の参政権を考えていたなら、日本でも戦前に女性の政治参画も可能だったと考えている。
男女平等や女性の地位向上をどのように評価するかは、人により違ってくると思う。ただ、男女の身体の違いからくる能力差はあるものだし、仕事や地位なども当然変わってくる。制度的に女性への差別があるなら、それを変え、改善するのは必要のことだし、変えていかなければならない。それでも男女平等を絶対的とし、全て男女平等でなければならないと考えてしまうと世の中はぎくしゃくして住みづらくなるように思われる。




